三番瀬円卓会議と民主主義

〜ルポライターの永尾俊彦さんが講演〜



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 三番瀬保全運動を進めている「三番瀬を守る署名ネットワーク」や「千葉の干潟を守る会」など7団体は6月28日、船橋市内で定例の三番瀬勉強会を開きました。テーマは「三番瀬円卓会議と民主主義」です。ジャーナリストの永尾俊彦さんに、三番瀬再生計画検討会議(円卓会議)の課題などについて講演してもらいました。



講演要旨





三番瀬円卓会議と民主主義



ルポライター 永尾俊彦




1.円卓会議を考える際の前提となる認識

(1)政治の対立軸

 最初に、三番瀬円卓会議を考える際に前提となる認識についてふれたい。
 いまは政治の対立軸が見えにくいと言われている。かつての対立軸は、「資本主義が社会主義か」だった。その後、「保守か革新か」となった。しかし今は、政党が対立軸にそって明確に分かれているわけではないので、一見すると対立軸がわかりにくい。しかし、「官僚主義か民主主義」というところで大きな対立軸が日本の社会のなかにあらわれている。これが私の見方である。


(2)官僚支配の道具としての公共事業

 その官僚主義という点だが、官僚支配の道具となっているが公共事業である。これについてはいろいろな分析がされている。簡単にいえば、日本の公共事業の中で官僚が予算と権限を握っていて、事業を官僚が中心になって進めているということだ。いわば官僚独裁的になっているということだ。
 日本は三権分立と言われている。しかし、それは建て前であって、実際には国会も司法も行政に追随しがちになっている。


(3)現在の課題

 こういうことから、いま重要な課題となっていることの一つとして、公共事業をどうやって民主化していくのか、そして、どうやって市民の手にとりもどしていくのかが大きな課題になっている。これが三番瀬円卓会議を考えるうえで基本となる私の認識である。



2.三番瀬円卓会議の評価されるべき点

 今の日本の公共事業は住民参加による政策形成ということが非常に弱い。そういう一般的な水準と比較すると、三番瀬円卓会議は先頭集団ではないかと思う。
 具体的には、情報を公開していることだ。議事録が県庁のホームページで公開されている。また、住民参加ということで、いろいろな人が傍聴できる。傍聴者は発言もできる。問題も多いが、相対的には、つまりほかの公共事業と比較すると先頭集団といえるのではないか。



3.三番瀬円卓会議の課題

(1)三番瀬円卓会議の意義が理解されていない

 しかし、三番瀬円卓会議は課題も多い。一つの問題点は、円卓会議が設置されたことの意義が共通認識になっていないことである。これは傍聴するたびに感じる。


◇ワーキンググループがいくつもできたりして、
  いったい誰がどこで何をしているのかがわからない

 円卓会議は堂本知事の提起により発足した。その意義は、市民が「頭」になって三番瀬の再生を考え、事務的なことについては公務員にやってもらう。このような役割分担が円卓会議の本来の趣旨であったはずだ。
 しかし、そういうふうにはなっていない。円卓会議の中にワーキンググループがいくつもできたりして、いったい誰がどこで何をしているのかということがわからない。このように、全体が見おとせないというのは大きな問題だと思う。
 親会議、小委員会、ワーキンググループと、あまりにも会議が多いと、そのすべてに参加することは体力的にみても非常にきびしい。また、会議の間隔も短いので、考える時間も十分にとれない。スケジュールにおわれるような形になっていて、非常にまずいことだと思う。
 このようにいろいろな小委員会やワーキンググループをつくっていくというのは、まさしく官僚のやり方である。
 たとえば、諫早湾干拓の場合、有明海が悲惨な状態になっているということを漁民が農水省に訴えたりしている。有明海は疲弊していて、ノリは今年も不作だった。それで、漁民はたいへん困っている。それで、農民が窮状を切々と訴えている。
 農水省はこの訴えを一応は聞く。それで何をするかというと、第三者委員会というものをつくった。一見公平をよそおった委員会である。農水省の役人ではない学者に第三者的立場から今の有明海の漁業被害の原因を究明してもらうということにした。
 ところが、この第三者委員会というのは、いわば「御用委員会」になってしまっている。2年間かけて調査検討したが、漁業被害の原因はよくわからないという結果しかだせなかった。
 諫早湾干拓に関しては、20近くの第三者委員会がつくられている。そのため、普通の人はどこでどんなことが話し合われているかがわからないようになっている。これがまさしく官僚主義の無責任きわまりないところである。このように責任を分割してしまえば、逃れることができる。
 それとおなじことを、はからずも三番瀬円卓会議で市民みずからがやってしまっている。こういう皮肉な現象がおこっている。市民が「頭」となって全体をどう仕切っていくべきであるのに、官僚と同じようなことをやっているのではないか。私はいつも気になっていることである。
 そうではなく、みんなが常に全体を見わたせることが共通認識を形成していくうえでの条件となる。そのときの「みんな」というのは、単にその円卓会議の委員だけでなく、一般市民も含めてのことである。何が話し合われているのかということがわからないと、一部の人たちの意見だけがとおっていくことになる。
 千葉県全体の公共事業をどうしていくのかという視点も必要である。堂本知事は三番瀬だけを宣伝していて、三番瀬は堂本知事のキャッチフレーズになっている。しかし一方では、千葉県政はとどまるところをしらずに沼田前県政以上に大型開発を進めている。そうした全体の問題を隠してしまうオブラートとしての役割を円卓会議が果たすということにもなりかねない。


(2)円卓会議の議論は、本質論が少なく戦術論に傾いている

 もう一つの問題は、本質論があまりにも少なくて、戦術論に議論が傾きがちということだ。本質的な問題があまり議論されずに、護岸をどうするかとか、土地利用をどうするかというように、ハウツーの話に傾きがちである。
 しかし、戦術論というのは、本質論が十分煮つまっていれば、おのずからでてくる問題だ。


◇霞ヶ浦アサザプロジェクトの教訓

 なぜそう感じるかというと、霞ヶ浦(茨城県)におけるアサザプロジェクトのとりくみがある。
 アサザという植物は、かつて霞ヶ浦にたくさん群生していた。ところが、建設省(現国土交通省)の護岸工事などによってどんどん減ってしまった。アサザがあると、そこに砂がたまり、そのうしろには水質浄化力の高いヨシ原などができていろいろな生き物が集まってくる。そこで、アサザを植えれば霞ヶ浦の生態系が回復するのではないかということに飯島博さん(NPO法人アサザ基金の代表理事)が注目した。
 アサザを植えることを核にし、複合的な事業を市民主導で公共事業として進めているのがアサザプロジェクトである。
 飯島さんの話を聞いて強く印象に残ったのは、その事業をめぐって建設省とやりやっていることだ。
 いま、いろいろなNPOがタケノコのようにできている。その中には、行政の下請機関や御用機関となっているようなものも非常に多い。ところがアサザプロジェクトはそうではなくて、たたかってきた団体である。
 建設省は霞ヶ浦を水資源として利用する計画をもっていて、水位を上げるという話を持ちだした。しかし、人工的に水位を上げると、アサザによくない。生態系も破壊する。そこで、飯島さんはそれに反対した。しかし、建設省はいったん決めたことはなかなか覆そうとしない。彼らからすれば、いったん市民団体の要求を受け入れると、悪しき前例になり、その後の公共事業がやりにくくなる。それで、2週間ぐらい、毎日のように飯島さんのところを説得に訪れた。「なんとか水位上昇を認めてくれ」と言いつづけた。
 なぜそこまでアサザプロジェクトのことを建設省の役人がこだわるかというと、建設省は世論を非常に気にしているからだ。
 建設省(国交省)はいまの環境破壊の元凶とみられている。そうした批判をなんとかかわしたいので、「市民参加型の治水事業」を宣伝している。その一つの看板がアサザプロジェクトだった。
 飯島さんたちと決裂すると困るので、建設省は説得をつづけた。しかし、飯島さんは建設省の依頼をことわった。それで結局、建設省のほうがあきらめた。水位上昇はできなくて、今のところ、形のうえでは「凍結」となっている。
 このように建設省が折れるというのは、非常にめずらしいことだ。ほかのところでは、市民団体がかなりがんばっても建設省は事業を中止したりしない。それなのになぜ霞ヶ浦では建設省が折れたかというと、飯島さんは二つの要因をあげた。
 一つは、環境教育の力である。アサザプロジェクトは、教育運動的な側面がある。地域の学校にビオトープをつくって、そこにアサザの株をまく。そこで育ったアサザを間引いて霞ヶ浦に植え付けるということをやっている。
 アサザ基金は小学校にスタッフを派遣し、生態系の問題について毎年数回の授業を行っている。飯島さんは、そこに次世代の環境運動の担い手を育てるという戦略的な意味ももたせているようだが、そういうすばらしいとりくみを進めている。
 子どもたちがかかわるとPTAや親もかかわるようになり、流域の多くの住民をまきこむことになる。いまでは170校の小学校が参加している。述べ人数では、6〜7万の人たちがアサザの植え付けにかかわっている。
 こういうとりくみの中でみんなが霞ヶ浦の生態系を守ることの大切さを認識した。
 もうひとつの要因は、こんな霞ヶ浦にしたいという夢を描くということだ。社会運動をやっている傑出したリーダーに共通した特色として、みんなに夢をみせてくれるというのがあるのではないか。たとえば、日本の湿地保全にたいへんな貢献をした山下弘文さん(故人)もそうだった。
 飯島さんは、100年後に霞ヶ浦でトキが舞うようにすると言っている。50年後にはコウノトリというようなプログラムを描いている。


(3)十分に時間をかけてとりあげるべき本質的事柄

 しかし、三番瀬円卓会議はそうではなくて、自分たちの利害を一方的に主張する委員が多すぎる。
 円卓会議で十分に時間をかけてとりあげるべき本質的な事柄として次の点があげられる。
  • 会議の進め方と意思決定方法の確認
  • 三番瀬の自然のメカニズム
  • 現在の三番瀬を痛めつけている諸要因
  • 千葉県の干潟がどのようにして埋め立てられ、そこでどのような問題が起き、それと市民がどう闘ったという歴史
  • 自然の再生とはそもそもどういうことなのか
  • 自然の再生を促す社会システムはどうあるべきなのか。千葉県のほかの公共事業改革との関連


◇会議の進め方と意思決定方法の確認が必要

 まず、会議の進め方と意思決定方法の確認が重要だ。たとえば、第13回円卓会議で、岡島成行会長(大妻女子大学教授)がこんなことを言った。「小委員会で決めたことをむしかえすのはルール違反だ」と。
 しかし、これはおかしい。親会議があくまでも主導権をもつべきである。これだと、小委員会のほうが主導権をもっているようにみえる。この点については、ぜひみなさんの意見を伺いたい。
 次に少数意見の明記も重要だ。大浜清委員(千葉の干潟を守る会代表)が何度も「自分は同意していない」と言っているのに、それがとりあげられず、「全員の合意が得られた」と言う委員がいた。これは強引なやり方で、問題だと思う。


◇三番瀬の歴史を認識すべき

 共通認識をもつためには学習しあうことも必要だ。歴史は非常に重要だと思う。しかし、委員の多くは、三番瀬はたまたま保全されたと思っているようにみえる。これは噴飯ものである。三番瀬は、自然保護団体のみなさんが困難な状況のもとで奮闘されて、やっと残ったものだ。こういう重さや歴史を多くの委員は知らないのではないかと感じている。
 一部の委員は盛んに三番瀬の埋め立てを主張している。円卓会議では、これらの委員はこういう人、大浜委員はこういう人というように、最初から決まっていて、話し合うことの醍醐味はみられない。
 S氏や大浜氏などとの間で共通認識をもつことが必要であり、これが円卓会議の成否にかかわっているといっても過言ではないと思う。


◇自然の再生と社会システムの再生は表裏一体

 自然の再生と社会システムの再生は表裏一体である。たとえばアサザ基金の飯島さんはこの点を問題にし、「だから、根本的に社会システムを根本的にかえていかなくてはダメだ」という発想をもっている。
 この点で飯島さんがとっている手法は、力で強権的に変えていくことではなく、自分たちがモデルケースをつくるということだ。「市民が役所よりもいい事業を進めていけば、役所もマネせざるをえなくなる」と言い、それを実際に実行している。
 かつて、ある市民グループは、「このままでは霞ヶ浦の水質はどんどん悪化していって死の湖になる」と言い、危機感をあおることで運動を盛り上げようとした。それに対し飯島さんは、「水質だけで霞ヶ浦を評価するのは、偏差値だけで子どもを評価するのと同じ。霞ヶ浦の豊かさや可能性は見えない」と思ったとのことである。これは三番瀬の猫実川河口域がきれいか汚いかということで判断するのと似ている。
 そこで飯島さんは、94年から子どもたちを連れて自然観察会をつづけた。霞ヶ浦にいろいろな生き物がいることを子どもたちに記録させ、そのことによって、霞ヶ浦がけっして「死の湖」でないことを明らかにした。こうしたとりくみが今日のアサザプロジェクトに発展した。


◇自然の再生とはそもそもどういうことなのか

 自然の再生とはそもそもどういうことなのかについても、もっと時間をさいて議論すべきと思う。
 漁協委員や産業界代表の委員たちは、自然の保全・再生について、自分たちの利害からすぐに反対する。しかしよく考えると、たとえば産業界代表の委員にとって自然の保全・再生は本当に困ることなのだろうか。逆に、活性化や“儲け”につながることになるのではないだろうか。これは、漁協にとってもいえることだ。このように考えると、これらの委員と大浜委員とは本質的には対立しないのではないかと思う。


◇西洋医学か東洋医学か

 円卓会議では、生物多様性が言葉としては語られている。「中間とりまとめ」にもそれが盛り込まれている。しかし、それがみんなのものになっていない。
 霞ヶ浦では、別の地域のアサザは持ち込まないようにしている。霞ヶ浦に植えるアサザのDNAにまで配慮しているということであり、生物多様性に非常に気をつかっている。飯島さんたちは、東洋医学の発想により自然の力を引き出すことにしている。
 ところが、三番瀬円卓会議は、青潮対策としてエアレーションの試験的設置を決めた。これは東洋医学ではなく西洋医学の発想である。こんなことを三番瀬でやって大丈夫なのかと、素人ながら心配している。エアレーションをやることによって、逆に被害がでるのではないか。


◇自然の再生を促す社会システムはどうあるべきなのか

 最後に、自然の再生を促す社会システムはどうあるべきなのかとか、千葉県のほかの公共事業改革との関連も円卓会議で議論すべきだと思う。
 円卓会議ではいつも「時間が足りない」ということが言われる。しかし、これは本末転倒である。本質論を十分にやれば、その後の議論は早く進む。共通認識がないまま自分たちの利害ばかり主張することが多いので、紛糾したり時間がかかったりしている。
 ということで、共通認識の形成がカギになっていると思う。
(文責・千葉の干潟を守る会)






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