和歌山県
弘法大師様が入定されている所
真言宗総本山
金剛峯寺






高野山 奥の院      金剛峯寺            


          高野山は弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇の
弘仁七年(八一六)真言密教の根本道場として
定められ、国の平和を祈り国民に安らかな生活
への道を伝え、併せて未徒の修禅観法のため、
また自づからの人定の地とする崇高な目的をも
って開創せられた。海抜九百メートルの高峰上に
ある総面積百十余ヘクタール(三十三万坪)の一
大盆地である。山の姿は四仏四菩薩を象徴した
といわれる内八菓・外人葉の峰々に囲まれ、さ
ながら八葉蓮台の形をなしている。この山は開創
以来壱千百八十余年に亘って、一般庶民の強い
信仰と支持を集め、宗派にとらわれず、あらゆる階
層の人々の心の憩いの場として、或は魂の安息所
として発展し、今日の如き一大仏都をなすに至った
のである。年々歳々この聖地に杖をひく人々は百
万を越える。

   奥之院は写真撮影禁止のため掲載できませんあしからず御了承ください

奥の院弘法大師御廟
(こうぼうだいしごびょう)

大師信仰の中心聖地であり、入定前に
大師自らがこの地を入定留身の地として
定められました。奥の院の最奥にあり、
三方を山に囲まれその山すそを玉川が流
れる静寂フ地にあります。

苅萱堂(かるかやどう)

石童丸の物語で知られるお堂で、出家した刈萱道
心が庵を結んだところです。堂内には刈萱親子一代
記の物語が描かれています。



御朱印の時別途 
お姿300円で購入下さい

<布教時代> 高野山を開創
806(大同元)年、帰国した空海は真言密教を成立させ、高野山に瞑想のための道場「金剛峯寺」を建てる準備を始める。一方で、雨乞いの修法や、庶民のための学校づくりなどで民衆を救い、各地で幅広い信仰を得るようになる。

<入定> 永遠の禅定に入る
835年3月21日、62歳の時、“56億7000万年の後、弥勒菩薩がこの世に出られるまで、生きとし生けるものすべてを見守る”と誓って金剛定に入り、弟子たちの前から姿を消した。




真言宗総本山  金剛峯寺

金剛峯寺の名称は弘法大師が、金剛峯楼閣一切瑜玲伽瑜砥経の深意を象徴するものとして命名されたもの
で高野山一山の総称であった。この寺は文禄二年(二五九三)豊臣秀吉が亡母の菩提のために建立、更に文
久三年(一八六三)再建されたのが現在の建物である。明治二年金剛峯寺と改称されるまで青巌寺と呼ばれ
ていた。大主殿(東西54米南北63米=和歌山県重要文化財)のほか、別殿・新別殿・奥琴新書院・茶室 阿字
観道場・経蔵・鐘楼・後庭に伝燈国師廟・護摩堂等が並び輪奥の美をなしている。
現在の金剛峯寺は一つの独立した形をなし座主の住寺であるが、高野山全体を総轄する伝統はそのままここ
に残され、又、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司どる宗務所があって全国及び海外の末寺四千力
寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の信仰の中心となっている。

山 門


展示されている見事な大硯

金剛峯寺庭園



根本大塔 こんぽんだいとう
 前の大塔は天保14年に焼失、それ以来、約100年の問その姿を見せなかったが、弘法大師の1150年
御遠忌に際し再建が計画され、昭和12年(1937)に完成した。この塔は形容及び内部の装厳など真
言密教の根本理念を表徴することから根本大塔と呼ばれる。高さ約50m、虚空にそびえる丹色の姿は
壮麗である。


大塔の鐘  天正16年(1547)に改鋳されて以来400年間、伽藍の法会時刻を報ずるほか、
明け暮れの六つどき、昼の1時、夜9時、11時と:日夜山内に音を伝えている。
       この鐘は直径2m以上あり、日本で4番目の大きさを誇ることから「高野四郎」とも呼ばれている。
高 野 四 郎 



旧3月21日のお影堂

旧影堂供




高野山館長さん

H17.4.29





御影堂(みえどう)
御影堂 弘化4年(1847)、紀伊徳川公が壇主となり再建。本尊には真如親
    王が写し給える弘法大師の御影を祀る。




四国霊場巡礼お申し込みは下まで   
770-8071 徳島市八万町中津山4−129 
               徳島個人 中村タクシ− 中 村 功
                電話 088−653−0280
               FAX 088−653−0480
               携帯 090−8281−4679
                    n-taxi@js3.so-net.ne.jp

メインページ にもどる