住所 香川県善通寺市吉原1380−1 宿坊なし
山門横に民宿 門先屋があります 駐車場5台 大型不可
電話 0877−63−0072
本尊 大日如来 開基 弘法大師
本尊の真言 おん あびらうんけん ばざら だどばん
![]() 本 堂 |
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![]() 山 門 |

不老の松 枯れました

新しく大日如来像完成しました
不老の松が枯れた為現在はこのようになっております
枯れた笠松で制作された笠松大師
不老の松
この松は弘法大師が当寺を造営され寺号を曼荼羅寺と改称された記念御手植なされたも
のとして以来千百有余年を経たが行き届いた手入れのよる整然たる樹形と美観は数多の
参詣者を驚かしめ年々全国より巡り来るお遍路さんには見逃すことのできない日本唯一の
名木であった(俗に笠松と呼ぶ一品種は黒松にして樹高4m、東西17m、南北18mに枝葉
を張りて正円形の傘状をなし約200平方米の地上を覆っている.主傘部は中央より約20
度の傾斜で縁傘部に及び縁傘部は幅1.7m至2mで蒲鉾状となり地上0.8菅笠を二つ、
地面にすっぼり伏せたような老松は、通称「笠松」と呼ばれていた。
| 曼荼羅寺 まわりに田んぽが点在する閑静な地域にある。 山門をくぐると小さい石橋があって、正面に本堂、左手に大師堂と鐘楼がある。 建立された当時は、寺名を世坂寺と称していた。大同2(807)年に大師が唐か ら持ち帰った金剛界、胎蔵界の蔓荼羅を安置して、寺名を蔓荼羅寺と改めた という。境内には西行法師にゆかりがある「笠掛桜」と「昼寝石」が残されている。 諸国を行脚した漂泊の歌人、西行が滞在していた西行庵は、寺の近くにある。 この寺にやって来ては「昼寝石」で横になり、歌でも詠んでいたのだろうか。ある いは、その当時もあったに違いない松の姿をのんびりと眺めていたかもしれない。 |


寺は弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として推古四年 (五九六) 創建され、世坂寺と称していたが、
弘法大師が留学後、ご本尊の大日如来を勧請し、大同二年、金脂鼻荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して
堂塔を建立し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。この記念に植えた「不老松」は樹の高さ四b、枝葉は
東西十七b、南北十八b、美しい老松である。本堂から廻廊づたいの観音堂には聖観世音が
安置されている。桧材一木造りの豊満端厳な尊容で、藤原時代の造顕という。境内には西行法師の「笠掛
桜」と「昼寝石」の遺跡がある。西行法師は諸国を行脚中、この近くに滞在し、寺の境内でしばしば休息し、
あるとき同行した旅人が桜の枝に笠をかけ忘れ、それを見て 「笠はありその身はいかになりぬらん あは
れはかなきあめが下かな」とよんだという。自然の中に人間性を見出して表現したところにその特徴がある
といわれる。
京都 中島様 兵庫県 笠本様
善通寺市西部の吉原という場所であるが、番地が4桁もあり面積としては広い地域を指す。
第72番札所曼荼羅寺から西北にある大池、その南側のほとりに七仏寺がある。

七仏寺というのは、その名の通り、元来は7体の仏像を祀る古寺であった。
曼荼羅寺さんによりと、池の辺に七堂伽藍とはいかないが、7体の仏像を安置すべく大きなお堂があったそうです
そのお堂の一堂が現在のお堂のようである。現在は本堂に、大師謹刻と云われる薬師如来が祀られる。


乳薬師の名を持つ。母乳の出の悪い女性が祈願した模様である。
本堂内部を覗いてみると、乳房を模った絵馬が奉納されている
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徳島個人 中村タクシ− 中 村 功
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