四国霊場 第54番 延命寺 えんめいじ

住所  愛媛県今治市阿方636  
     宿 少し離れているが鈍川温泉 カドヤ別荘あります お勧めお湯

本尊  不動明王 開基 行基菩薩
本尊の真言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしやだ そはたや 
        うん たらた かんまん

山門は元は今治城の城門だったらしい。本堂から大師堂へは石段を上っていく。鐘楼は二カ所あり一つは
口径六十二cm、高さ112cmである。そして、鐘の周囲には寺の歴史が細かく刻まれている。



        本 堂

       大 師 堂

        山 門
天平年間(729〜748)、行基が不動明王を刻み、今治市の西北にある近見山の
頂に七堂伽藍を建立したのがこの寺の始まりとか。後に弘法大師が来錫。堂宇
を再建し近見山円明寺と名付け、信仰と学問の中心道場とした。寺は幾度となく
兵火に遭い、場所を移動。享保は年1727)に現在の場所に移る。寺宝に写水元
年鋳造の鐘がある。この梵鐘は、長田我部の兵士達が軍用金にしょうと椋奪し
海上へ運んだとき、梵鐘自ら海中へ沈み椋奪を拒んだ、いう伝えがある。

梵鐘
今治市指定の文化財。宝永元年つ1704)、当時の住職が私財を投じて鋳造し
たもの。周囲には延命寺(円明寺)の由来が刻み込まれている。この近見二
郎は現在は引退しており、近見三郎が代わって使われているが、年1回の除
夜の鐘では二郎の音色が聞ける。



境内の鐘楼の梵鐘は、宝永元(1704)年に住職が私財を投じて鋳造したといlわれている。
戦乱の時に、兵士が軍資金にしようとして運ぽうとすると、鐘が自ら海中に身を投げたの
だという。茶堂のすぐ近くに、越智孫兵衛の墓がある。彼は元禄時あがた代の阿方の庄
屋で、代官に直訴して年貢米を軽くすることを交渉し成功した。そのため享保17(1732)
年の大飢饉では、西国では餓死者1万2000人をだしたが、この地では1人の餓死者もだ
さなかったという。以来毎年8月7日には、孫兵衛の慰霊祭が地元の人々によって営まれている。






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海峡展望館もある。

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770-8071 徳島市八万町中津山4−129 
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              http://www005.upp.so-net.ne.jp/s45988/


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