四国霊場  第50番 繁多寺 はんたじ

住所  愛媛県松山市畑寺町32    電話 0899−75−0910
  
本尊 薬師如来  開基 行基菩薩
本尊の真言 
おん ころころ さんだり まとうぎ そわか そわか

繁多寺は淡路山の中腹にあり松山市を見下ろす高台に位置する繁多寺は、
松山市内とは思えないほどの静かな場所にある。
山門に面して右側には松山市の水源地がありる



山 門

本 堂

大師堂
歓喜天堂
高僧・龍湖の頃、徳川家の帰依を得て寺は栄え、4代将軍家綱の念持仏三
体の一つである歓喜天を祀った。本堂右手の歓喜堂は、厄除けや商売繁盛、
合格祈願に多くの人が訪れるという

薬師如来
薬師如来は、病気を治し安楽を得きせる仏である。左手に革壷(やっこ)を持ち、
右手は施無畏印(せむいいん)か与願印(よがんいん)の手をしている偉が多い
が、統−はされていない。日光菩薩(にっこうぽさつ)・月光菩薩(がっこうぽさつ
)を脇士とし、宮昆羅大将≪くびらたいしょう、金毘羅(こんぴら)のこと≫や因陀
羅≪いんだら、帝択天〈たいしやくてん)のこと≫などの神将たちの協力で、多く
の人たちを救うために献身している。四国霊場では一番多い本尊でもある。



繁多寺は、淡路山という中腹にある。山門からの展望は素晴らしい。松山城 道後温泉また松山市一帯か
ら、遠く瀬戸内海までを見渡すことができる。ここは、地元では「畑寺」と呼ばれている札所である。山門を
入って石段を上ると、広い境内がひらけ、正面に本堂がある。丘陵の中腹だけに本堂はこんもりとした森の
中にある。参道を歩き、本堂正面の石段を上った右手に鐘楼堂がある。石段の下には弁財天を祀った小さ
い池がある。天平勝宝年間、孝謙天皇の勅願により、行基菩薩が座像三尺の導師如来を刻み、それを本
尊として開基した。のち弘仁年間、弘法大師が留錫して修行され、現存の山号、寺号を名付けられ四国五
十番札所と定められたという。それ以来、寺運は衰退し、境内や伽藍はさびれるにまかせていたのを源頼
義が再興し、弘安二年には御宇多天皇のを奉じて聞月上人が、この寺でその祈祷を行なっている。さらに
天和の頃、龍湖という名僧が出て、徳川家の帰衣を得、四代将軍の念持仏の一つであった歓喜天を付託さ
れて、聖天普に祀っている。そのように歴代の皇家の尊崇を得た証しとして、十六弁の菊の紋章瓦が残され
ている。繁多寺は孝謙天皇の勅願によつて、行基が薬師如来を安置して開基したと伝えられている当時の
寺号は光明寺だったが、後に弘法大師が巡錫して繁多寺と改めたという。応永元(1394)年には京都泉涌寺
の快翁和尚が、後小松天皇の勅命で繁多寺の住職になつた。その後は高僧が相次いで住職にあり、天和(
1681〜84)の頃には名僧といわれた寵湖が入住した。この龍湖は徳川家の帰依を得て、四代将軍家網の念
持仏三体のうち、一体の歓喜天をここ繁多寺に祀ることになったという。これが、先述の歓喜天堂に祀られてい
るものだ。将軍家の帰依を得て、寺運は隆盛になり、六十六妨と末寺百余という大寺だったと伝えられている。
丘陵の中腹という、自然に恵まれた繁多寺。本堂や大師堂の背後には、すぐ後ろにある山の木々が迫つてい
る。まるで、これらの樹木に境内が覆われているように感じられる。広大な寺域に、大寺の面影が偲ばれる札
所である。


納 経 所


近くの観光
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