四国八十八ケ所霊場
第46番札所 浄瑠璃寺
  じょうるりじ

住所  愛媛県松山市浄瑠璃町327   
     寺の前に長珍屋 民宿有り089−963−0280 
歩き遍路の方は無料 Pは路上駐車 大型不可
電話 089−963−0279

本尊  薬師如来  開基  行基如来
本尊の真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか    

浄瑠璃寺の本尊は薬師如来だ。この薬師如来がいる場所の名前が「浄瑠璃浄土」と呼ばれるため、寺名にも
なった。こぢんまりとした境内には「仏足石」や「説法石」などが置かれ、七福神の弁天様も祀られている。石段
を上って境内へ入る。左側に納経書そして本堂がある。本堂前には、大きいソテツとイブキビャクシン(樹齢100
0年)の老樹が茂り、このイブキビャクシンは天然記念物に指定されている


本 堂
現在の本堂は、天明5年1785)に再建されたものその向かって右手には、大師堂





仏足石・仏手石・仏手指紋
境内には仏足右・仏手右・仏手指紋があり、仏足石では仏の足跡で健脚・交通安全を祈願。仏手石では
あらゆる知恵や技術の祈願。そして仏手指紋では心身堅固と文筆達成を祈願できる。寺にはオリジナル
のお守りも用意してる是非購入したい

浄瑠璃寺の寺号の由来は薬師如来にある道後温泉などで有名な松山市には八か寺の札所がある。
淨瑠璃寺はその最初の札所である.山深い岩屋寺から松山市まで下りて来る.松山市の南部にあたる
この辺は田舎的な雰囲気の町並み。石段を上って境内へ入る。たくさんの樹木が生い茂っている。この
奥に本堂がある.本堂前には、大きいソテツとイブキビャクシンの老樹が茂り、このイブキビャクシンは天
然記念物に指定されているという。浄瑠璃寺を開基したのは行基で、和銅元(708)年にこの地を訪れた
行基が薬師如来像、日光・月光の両菩薩像や十二神将像を刻んで安置したことによる。薬師如来のいる
場所が、瑠璃光浄土ということ、室町時代に荏原城主平岡道和銅元年(七〇八) 行基菩薩が奈良の大
仏開眼に先だち仏教布宣のため伊予に来られたとき当地に立ち寄った。行基はこの地が仏法流布の適
地であると感得し伽藍を建立。倚が土地を寄進し、堂宇を建立する.元禄年間に近くで山火事があり、
浄瑠林寺も延焼し、本尊や脇仏が火災から免れただけで、すべてが焼失してしまう.寺は復興に力
を注いだが、再建は難しくなったそこで尭音が復興に精魂を傾け焼失後80年あまりを経て、見事に再
建させたという尭音はこの村の庄屋出身の僧だまた、本堂の前にはさすり仏の座が安置きれている。
さすり仏はあぐらをかき、左手の掌に野球のポールほどの宝珠を乗せている。赤や白のよだれかけを
幾重にもかけている。本堂の向かつて右手には大師堂がある。古さがか感じられる大師堂境内には
仏定石や・税法石かある境内には仏足石があり、その横こ「健脚、交通安全、仏足石」と記した小きい
石碑が立っている。この仏足石の上にははだしで上ってもいいのだそうで、参拝者は靴をぬぎ、足跡の
上に立ちご利益にあやかろうとする。説法石という石もあり、「ぉかけください。むかし仏さまがおられた
霊鷲山の石がうめこんであります」という案内版がでている。
 


境 内

納経所


 近くの観光

砥部焼き

砥部焼の起源は18世紀後半、伊万里、有田焼の強い影響を受けて始まりました。民窯として発達してきたので、
作られるものは庶民的な日用品が主で、大阪方面にも出荷された。厚手の磁器で堅牢さにも特色があります。
今日では、新しい感覚の絵付のものも作られています。

砥部焼き産業会館.砥部町陶芸創作館.砥部焼き観光センターなど




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