四国88カ所霊場 第23番札所 薬王寺  やくおうじ

住所  徳島県海部郡美波町  
     電話  0884−77−0023 
     ここのお寺の平等寺と同じく厄除け寺として有名である
温泉宿坊有り 階段200段程度 男厄42段 女厄33段

当薬王寺は、神亀3年(726)、行基菩薩か聖武天皇の勅願を受け、この地に巡錫し寺を建立された。
弘仁6年(815)、弘法大師か42歳のとさ、平城天皇の勅令によつて本尊薬師如来を刻んで開基した。
当寺は、厄除根本御祈願所亡して、全国にその名を知られてしいるまた、高野山真言宗の別格本
山とされ、嵯峨上皇・淳和天皇は厄除の祈誓を願われて、土御門上皇は嘉禄2年皇居として行在せ
られた そして後嵯峨天皇【寛元元年当山の伽藍の再建をして、仁助親王か落慶の法定に入られた
亡伝えられている

四国第23番霊場別格衣山宰王寺

日和佐へは平等寺から三つの峠を超える。薬王寺は日和佐の町を一望する山の中腹にあり仁王門から
三十三段の女厄坂本堂までの四十二段の男厄坂がある女三十三歳、男四〇二歳が厄年で厄年の人は
厄銭を落としながら登る。四国一の厄除けの寺だけに年間百万の人が参拝する。
弘仁六年、弘法大師四十二歳のとき、自他の厄除を誓願してご本尊の薬師如来を刻み、大師の奏聞に
より、平城・嵯峨・淳和の各帝は厄除の勅使を下して官寺とした。文治四年(一一八八)の災火でご本尊
は玉厨子山へいつたん移られたが、再建後は新しい尊像、が造顕されたため、後向きに本堂へ入られ「
後向薬師」とよばれている。現在の本堂は明治三十六年の建立。本堂右のゆぎ塔へは六十一段の還暦
の坂を登る塔内には五智如来が奉安され、階上は寺宝の展示室、また、塔からは美しい日和佐の町並や
大浜海岸が望まれる。阿波霊場もここで打ち終えとなる。

本尊   薬師如来   開基  行基菩薩

本尊の真言  おん ころころ せんだり まとうぎ そわか



瑜 祇 塔 
宝塔と同種で、
屋根に五本の相輪をもち
亀のいる塔。

 

本堂
毎日早朝より薬師護摩供を厳修し参拝者の申し込みによって厄除その他所願成就を祈願している。
現在の本堂は、明治四十一年に再興されたもので、内陣につかわれている二十八本の柱は旺宿を
あらわしている。開創以来幾度かの火災にかかったが、天皇各帝ならびに阿波藩主の帰衣篤く、古
来より官寺となしていたのと、民衆の薬王寺に対する篤い信仰によりその都度再興がなされてきた。
伝によれば、文治四年 (一一八八) の大火に際し、本尊薬師如来は、当寺奥之院泰仙寺のある玉
厨子山へ自ら火難をさけて飛び去られ毎夜光を放たれたとされ、その後伽藍の再興がなり入仏落慶
の日に玉厨子山より光を放って帰られ、厨子に入り新仏と向かい合って鎮座なされ、その厨子は自然
に扉を閉じて開くことなく、以来秘仏となったとされている。その新仏と向かい合って座された仏は「後
向き薬師」と称され、今もなお本堂の裏に扉がもうけられていて礼拝されている。

厄の落とし方      
厄坂の石段の下には薬師本願経の経文を小石に一字ずつ書いて埋めてあるので、自分の厄年にあたる坂の
石段を踏み、一段ごとにお賽銭を置いて上がる。又、絵馬堂の中に厄除けの臼があるので、自分の年の数だ
け杵でつき鳴らす 更に、広場には厄除けの小さな鐘があるので、これも年の数だけうつと厄が鳴り落ちるという
また正月にはお賽銭として供えながら上るそうで、この時も一円玉で石段が埋まってしまうそうだ。
特に2月12日の初会式は、格別の人出で混雑するという。本堂裏には霊水が湧いている この水はラジウムを
含み、肺の病気に効くといわれているため、肺大師としても信仰されている。ここで「発心の道場」阿波二十三か
寺を打ち終えたことになる。二十四番札所へ行く途中に別格霊場鯖大師がありますので是非お参りいたいそして
次はいよいよ高知県「修行の道場」だ。高知県で最初に訪れる札所は二十四番最御崎寺。室戸岬の突端に建つ
寺へは、太平洋沿いの長いの道を行く。ここから先の遍路道には、徳島県内で見てきた風景とはまた違う、美しい
太平洋の海岸線の自然が広がるが、決して楽な道ではない長い道のりまさに修行の道となることだろう。
「発心の道場」を同行二人で無事打ち終えることができたことを感謝しつつ、修行の道場への巡礼となる

付近の観光スポト

大浜海岸  ウミガメ水族館

日和佐城

 日和佐駅東前方に城山と呼ばれている標高65mの小丘がある。この城山の山頂が日和佐城跡である。元亀・天正
(1500年代の初め頃)、日和佐の豪族日和佐肥前守が、阿波の南部侵入を目指す土佐の長宗我部勢を防ぐためにこ
の地に城を築いたと伝える。日和佐肥前守が造った城は、天正十三(1585)年蜂須賀家政が、阿波に入国した際に廃
城になったといわれているため、当時の城の形態に関しては、全くわかっていませんが、城の構えは、山城であったと
考えられる。現在は、昭和53(1978)年に日和佐勤労者野外活動施設として完成した、白亜の天守閣が建っている



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