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人間

皆さんは「人」と「人間」の違いをご存知ですか?
「人間」と違って、「人」は「間」が抜けてるんだよ、などという冗談は抜きで。

「人間」という言葉は元々は仏教の言葉です。
そして「間」という字は「世界」を意味します。

つまり「人」とは私達の事であり、
「人間」とは私達の住む世界の事なのです。

でも現代では「人」も「人間」も同じ意味ですよね。
実際、今では仏教関係者でも「人間(人の住む世界)」の事を「人間界」と呼んでるくらいですからね。

長い時の流れによって、「人」と「人間」が同じ意味になったのはなぜでしょうか?

僕はこう思います。
人は一人では生きていけない生き物です。
一人では、食料を得る事も、何かを知る事も、幸せを感じることもできないでしょう。だから社会を作り、言語を作り、心を発達させたのです。
自分以外の誰かがいないと、誰かと交わらないと、自分自身が存続できない弱い生き物なのです。

つまり、人は社会の構成要素であり、社会は人そのものなのです。
ですから「人」と「人間」が同じ意味になったのは、必然だと思うのです。

本当、今の世の中、嫌な出来事ばかりです。
思いやりや良識なんてものはどんどん廃れてきて、
目に映るのは、枯れ草のように萎れた心の残骸です。

でも、だからこそ、「人間」の意味を噛み締めたいのです。
完璧な世界なんてありません。
それは僕らの目指すものだけど、誰かから与えられるものではないのです。
だから失望なんてする必要はないんです。

求め続ける気持ちや、叶えられない望み。それが生きるという事の必然なのですから。

だから、人の手を借りるのを恥じないで下さい。
僕達みんなで「人間」なのです。
そして、人の痛みを感じ取る努力を怠らないようにしましょう。
僕達は「人間」なのですから。

どんなに踏みつけられても、気持ちを汲んでもらえなくても、たとえ情熱を嘲笑われても、僕らは「人間」でありましょう。 

人間でありましょう。 


箱庭の王

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり
一度生を受け 滅せぬ者のあるべきか

ホトトギスを殺しちゃうほどの短気で損気な信長タンで有名な「敦盛」の舞いの一節ですね。
さて、ほとんどの人はこの一節の意味を「人生は五十年しか無いんだぜベイベー。ていうか、どーせ死ぬんだったらラブホで気持ちE事しようぜ。金ならシコたまあるんだぜ」というような意味で理解してると思います。どうせみんな大筋はこんなもんでしょ?人の本質はエロなんだから。

でもね、それは全くの間違いなんですよ。
だって、信長の時代の平均寿命って30代ですからね。50年とか関係ない。

ではどういうことか?

先ず、「人間五十年」。これは前にも書いたように「人間=人の住む世界」ですよね。 つまり、「人の住む世界の五十年は」という意味です。

次に、「下天の内をくらぶれば」。
天というのは神の事です。ここで言う「下天」とは、「格の低い神」をさします。
で、下天の平均寿命はというと、500歳です。神様の中で最も寿命が短いんですね。

ところがですね、神にとっての時間の流れは、我々人間とは違うんですよ。
下天にとっての一日は、我々人間の50年なんですね。
ちなみに神の格が上がると、一段階ごとに1日の時間が4倍になっていくそうです。 そりゃやりすぎだろ、お釈迦さん?

で、下天の寿命を人間時間に換算すると、900万年という事になるんですよ。いや、お前ら生きすぎ。

ちょっと脱線しましたが、「下天の内をくらぶれば」の意味は「天界では最下層の神にとっては」という意味です。
さらに、「五十年」というキーワードの意図も分かりましたね。
人間にとっては五十年も生きるのは難しい事なのに、それは最下層の神でさえたったの一日にしかならないという事ですね。

つまり、敦盛の一節は
「人の住む世界の五十年は 天界では最下層の神にとっても一日分の時間でしかない まさに一夜の夢じゃないか 折角生まれたんだから いつか訪れる”死”なんか恐れないで精一杯生きよう」
という意味なんですね。

自分達の一生なんて、違う世界の住人からすれば一瞬の出来事でしかないんだから、いい意味で開き直っていこう。恐れずに前向きに生きよう。そういう意味の一節なわけです。

僕はこれに近い気持ちになることがたまにあります。
それは、空を見上げた時。森林に入った時。桜の木を眺めている時。綺麗で広大な海を見た時。
自然の力には僕らの小手先など通じないと感じた時です。

一人一人の心や命は決してちっぽけではないけれど、その重みは何物にも変えがたいものだけれど、「きっと僕らの住む世界はちっぽけなんだろうな。僕らの悩みなんかは大したものじゃないんだろうな」と思うのです。自分達の住む世界の不条理な 出来事にとらわれて、心が窮屈になってしまうのは、もったいないと思うのです。

僕らの住む世界は、小さな世界です。
そう自覚する事が、自分の心を広くする事につながるのでしょう。

敦盛には、そんな事を考えさせられます。
  
 

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