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爽やかな朝
その日は爽やかな朝だった。
見上げれば果てなく広がる空の青、乾いた風が心地良く肌を刺激し、昇り始めた朝日の温もりが優しく身体を包み込んだ。
しかし会社勤めの私には、その憩いも束の間のものだった。通勤ラッシュの電車には、風も朝日も青空も、自然の癒しなど全く無力なものだった。車内はいつもと変わらず混み合い押し合い、まるでコンテナの不法入国者のように乱暴に押し込まれた人々は、皆一様に苛立った面持ちで電車の揺れに身を委ねていた。そこにはもう爽やかな朝の余韻など微塵も残っていなかった。
ほどなくして、東京駅に電車が入りかけた時だった。
突然の急ブレーキに私たちは天地の区別がつかなくなるほどの勢いでつんのめった。何人か掴むものがなく床に倒れてしまった人もいた。
ここまで急なブレーキを掛けるのは、もはやアレしか無いだろう。そういえば何やらゴトゴトと踏み潰したような感覚を足元に感じた気がしないでもない。私は少し嫌な気持ちになったが、あまりそのことについて悲観はしなかった。毎日、いや毎時間、どこかで誰かが同じ体験をしているのだ。それが今回は私たちの番だっただけなのだ。
車内放送は迅速に行われた。
「ただいま当車輌において人身事故が発生しました。現在、運行再開に向けて早急に対処しておりますが、復旧のメドは立っておりません。しばらくの間そのままでお待ち下さい」
淡々と事務的に話す車掌の慣れた対応に、私はうすら寒いものを感じた。目の前で人が死んだというのに、慣れというものはここまで人を鈍感にするのだろうか。車輌に付いた血は、きちんと拭き取ってから運行再開するのだろうか。ちぎれた身体を拾い集める人はどんな想いなのだろうか。空き缶と変わらない感覚で拾い集めるのだろうか。
しかし残念ながら、私にも自殺者に対する同情の気持ちは無かった。
車内放送を受けて私が真っ先に行ったのは、会社への連絡だった。遅刻の旨を連絡しなければ業務に支障が出る。ただそれだけが私の気掛かりの全てだったし、それは他の乗客も同じだった。皆が一斉に携帯で連絡を取るものだから、車内は一時、自分の声さえ聞き取れないほど騒然とした。
連絡を終えた私たち乗客は、やる事もなくただ佇んでいた。
もうあれから何分経ったろうか。少なくとも電話してからは20分は経っている。いい加減に動き出してもいい頃だというのに全くもって何の経過報告も無い。怠慢じゃないのか。電鉄は殿様商売の体質が染み付いてるから困る。
苛立ちはいつしか怒りに変わり、それが大元の原因へ向けられるのは自然の流れだったのかもしれない。
誰かがポツリと呟いた。
「朝っぱらから死んでんじゃねーよ」
不謹慎だが、それに同意しない者は一人もいなかった。
堰を切ったように何人かが追従した。
「よりによってこの電車に飛び込むなんて最低だよ」
「さいごまで他人の迷惑が考えられねーとか、まじきもいって」
「いっそのこと死ねばいいのに」
これにはさすがの私も我慢できずに、とうとう言ってしまった。
「もう死にましたけどね」
車内は和やかな笑いに包まれた。
私たちは奇妙な連帯感を感じながら、柔らかに笑いあった。
それを待っていたかのように車内放送が復旧を告げた。
爽やかな朝の出来事だった。
− 了 −
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