救い
私の弟が亡くなってもう10年が経ちます。
当時は時が忘れさせてくれると思っていましたが、今もまだ、釈然としないんです。どうしてこんなことになったのか、疑問は増えるばかりなんです。

私の弟はえらく頭の悪い奴でして、高校にはなんとか入れたんですが、掃き溜めみたいな底辺の高校でしたから、卒業後の就職先なんてありませんでした。

私の家は貧乏でしたから、大学で遊ばせる金なんてありませんし、食いっ淵だけでも自分で稼いでくれと頼んだんですよ。それで弟は住み込みで新聞配達の仕事をやることにしたんです。

それから数年経って帰省した時に会った弟を見て驚きました。前は自信が無さそうにオドオドしていたんですが、とても自信に満ちていて、とてもあの知恵足らずには見えなかったんです。どうやらキリスト教の教会に行っているらしく、なにやら立派なつくりの本を携えて、暇さえあれば繰り返しそれを読んでいました。弟が言うには「聖書は何度読んでも新しい事を教えてくれる」らしいですね。私も一度読んでみましたが、信心がないせいか、何がなにやらさっぱりでした。

「これで弟も大丈夫だな」
そう思ったのは私だけではありませんでした。皆そう思っていました。

それから3ヶ月後だったでしょうか。勤め先の新聞配達店から電話がありましてね。「弟の様子がおかしい。体の具合が悪いようなんだが、どうしても病院に行ってくれない」って言うんですよ。私は飛んでいきましたよ。あいつはどうにも気が利かないところがあって、それは他人に対してもなんですが、自分に対しても無頓着すぎるので、今回もなにか大きな病気にでもなったんじゃないかと思って心配しましたよ。

弟は病気ではなかったのですが、明らかに異常な状態でした。肋骨は7本折れ、内臓からの出血が多数見られ、頬の骨は陥没し、肌の色は異常なほどに黄色くなっていました。医者によるとその他にも自然に治癒した骨折は何十箇所もあり、内出血に内出血を重ねたあざは相当前からの蓄積でもう消えないし、網膜はく離した左眼は放置が長すぎて直らないと言われました。

これは病院じゃなく警察の仕事なんじゃないか。そう思った私は弟に尋ねました。
「いつからこんな目に合ってるんだ?誰にやられたんだ?」
「兄さん、違うんだ。これは俺の望んだことなんだ」
「なにを言ってるんだ?脅迫されてるのか?もう心配無いんだぞ。警察がちゃんと調べてくれるからな」
「警察なんてやめてくれよ兄さん。俺は一人の立派な人間としての勤めを果たしているだけなんだから」

弟の様子は尋常ではありませんでした。
まともすぎて、自信満々で、一点の曇りもありませんでした。それはこの状況では異常な事なのです。私はなだめすかしながら弟から真相を聞きだしました。

昔通っていた高校に、暴力事件を繰り返している生徒がいて、その子達が暴力を振るわないように約束をしているのだと言うのです。「暴力を振るいたくなったら、いつでも自分を殴ってくれ」と。弟はそれから毎日、彼らに殴られる為に会いに行っていたのです。

弟は誇らしげに話を締め括りました。
「それ依頼、その子達はなんの事件も起こしていないんだ。彼らも僕にはとても感謝しているし、僕の事を親友だと思っていると言ってくれているよ」

絶句しました。

私は弟を警察に連れて行こうと思いました。ところが、弟が私の手を振りほどいて言ったのです。「あと少しで彼らを救えるんだ。一週間だけ待ってくれ」

私は心を打たれるやら呆れるやら何とも言いがたい気持ちになってしまいまして、一週間だけ様子を見る事にしました。

でも、そんなに待つ必要はありませんでした。
5日後、私は弟の遺体が雑木林で見付かったという連絡を受けました。
複数の内臓破裂によるショック死です。遺体は72時間以上放置され、発見された時には野良猫にほとんどの指を食いちぎられていました。そして唯一見えていた右目も、眼球が破裂していました。

新聞によると、犯人の高校生グループは「いつもどおりにあの人(弟)と遊んでいたら突然気絶したので、そっと寝かせておいてあげたんです」と言ったそうです。そして弟を殴りつづけた事を”僕らなりのコミュニケーション”だと表現していました。

「僕らはゲームの話や好きな子の話をする傍らで、あの人を殴りつづけました。格闘ゲームの技もたくさんあの人に掛けました。とても楽しくて、和気あいあいと殴っていました。それが僕らとあの人を繋ぐ唯一の”会話”だったのです」彼らは悪びれもせずにそう言いました。何故、弟が”あの人”と呼ばれてるかというと、彼らは弟の名前を知らなかったからです。彼らにとって弟という存在は、友達どころか、同等の人間として感じていたのか、不思議でなりません。

そして記事はこう締め括られていました。「現実と虚構の区別が付かなくなった子供たち。彼らから目を背けてきた大人たちに多くの問題を投げかける事件だった」と。

失礼ですが、被害者である私の弟はどうでもいいんでしょうか?

弟は聖書の教えを実践しようと彼なりに努力したのでしょうが、教会の関係者も、「私たちに相談してくれたら、そんな馬鹿げたことはするなと止めたのですが、彼は何も話してくれませんでしたから」と困惑していました。誰も教会に責任を取ってくれなんて言うつもりじゃないんです。同じ神を信じた仲間に弔意を示したいだろうと思って訪ねただけなのに、ただただ言い訳を聞かされて、自分達は関係無いの一点張りでした。

失礼ですが、私の弟の死は悼む価値も無いんでしょうか?

犯人の高校生は4人いましたが、もう全員、とっくの昔に出所しています。裁判の内容も、出所後の消息も、私たちには教えてもらえません。「彼らはもう更生して、別の人生を歩み始めた」のだそうです。18歳の子供が4人がかりで殺意も無く殺したので、罪の重さも4分の1以下なのでしょうね。

失礼ですが、もう歩む事の出来ない弟の人生は、それで償われたんでしょうか?

弟は知恵足らずとしか言いようのない馬鹿者でしたから、教会の教えを勘違いしていたのでしょう。弟は全くもって気の利かない奴でしたから、高校生たちが弟の考えを理解していないなどとは考えてなかったのでしょう。きっと神が良い方向に導いて下さるとでも思っていたのでしょう。

そんな都合のいい神がいたら、世の中に争いなんてありませんよね。

10年経った今も、私は弟に会いたいのです。
会ってこう訊きたいのです。

「お前の神は何を与えた?何を奪ったか気にもならないものなのか?」、と。

− 了 −


















この話は、10年前実際に起きた事件を元に書きました。