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4YOU

1『普通の人々』

世の中は普通の人々で成り立っている。
特別な力や権力もなく、世間に注目されるわけでもなく、強い信念があるわけでもない人々。普通の人々。

僕も当然、その中の一員だ。

僕らは正義を謳わない。正義は何も救わない事を知ってるから。
僕らは信念に命を賭けない。信念が最良ではないと気付いているから。
僕らは理想に溺れない。理想の裏には誰かの絶望が待っている事を知ってしまったから。

生きる目的は何か?
誰でも考えた事のある疑問だろう。

そしてほとんどの人は、その疑問の無意味さに気付く。
生きる理由なんてものは、無い。

理由は人が作るものだ。
人と人の住む世界を作った自然には、理由など必要無い。
在るのは「必然」。ただそれだけ。
自然はその流れの必然によって、今の世界を成しただけなのだ。

みんな子供の頃は、正義や、信念や、理想や、理由に振り回される。
いや、憧れていると言ったほうが良いのかもしれない。

しかし大人になれば、自分の夢や目標や守るべきもの、「大事なもの」が出来て、その為に生きることになる。
だから僕らは、正義や、信念や、理想や、理由のために、「今」をないがしろにはしない。そんなものよりも、自分の「大事なもの」のために死力を尽くす。

僕らは正義を謳わない。信念に命を賭けない。理想に溺れない。
たとえ信念を曲げてでも、たとえ何かを捨ててでも、夢や目標を叶えたい、大事な人を守りたい。

それが普通の人々。
当たり障りのない人々。
大事なものを大事に出来る人々。




2『リアル』

「事実」というものは、目に見えるものだ。そこに確実に存在するもの、それが「事実」。

僕らは「事実」という名のリアルに踊らされて生きている。
世界は「事実」に裏付けられたリアルを中心に回っている。

「事実」が受け入れられやすいのは、そこに形があるから。証拠があるから。
写真、録音、映像、書類、そして体験。
揺るぎない証拠物件を元に、僕らは安心して「事実」を受け入れる。

だけど、証拠はいくらでもでっちあげられる。
写真、録音、映像、書類、そして体験。
これらの「目に見えるもの」は、いくらでも捏造できるし、勘違いもしやすい。
僕らはしばしば「事実」を信じて、悪意のある人間に踊らされたり、勘違いから取り返しのつかない事態を巻き起こしてしまう事もある。

だから、怖い。

「現実」というものは、目に見えないものだ。それは肌で、頭で、心で感じるもの。だから「現実」を良く理解している人は少ないのかもしれない。そしてそれは人それぞれによって違うのかもしれない。そんな形の無い、だけど確かに存在するもの、それが「現実」。

しかし、だからこそ「現実」が大事なのだ。

「現実」は、捻じ曲げられない。
「現実」は、いつも僕らの世界に存在している。いや、僕らは「現実」の中に生きている。それが本当の、リアル。

「事実」と「現実」は、違う。
地に足を付けて自分らしく生きたいならば、「現実」の存在を忘れないようにしよう。
「事実」に踊らされないように、「現実」を見据える目を、そして揺るがない心を持とう。

リアル。それは僕らが今、必死に生きているという「現実」。



3『自立』

常識。当たり前。
それは傲慢な言葉。

その言葉を言う人が現実にたくさん居て、それらは自分の身近にいたり、離れられない関係の人だったり、時には自分自身だったりします。

「そんなの常識じゃない?」
傲慢な事や身勝手な事を言われて、こちらが面食らってる時にそうやって追い討ちを掛けられると、「自分が間違ってるのかな?」という錯覚に陥ります。

僕はこの言葉がとても怖い。
全否定。強要。そして恣意的ですらあるその言葉。

結局のところ、常識というものは基準も形も無いだけにどうにでも捻じ曲げられるし、実際のところ「常識」という言葉が口から出るのは、まさに「相手の常識を捻じ曲げたい時」や「屈服させたい時」なのかもしれません。

いや、そう言いつつも、自分もその言葉を使っているのです。
自分はそんな意図で使っているのではない。そう思ってみたところで、言われた相手の気持ちは変わりません。

付いた傷は消えないのです。
たとえ癒えても、消えはしません。

人は「事実」という名の「単なる出来事」に操られて、心や気持ちや信念をすり減らします。
それが生きるという「現実」の、一つの要素なのかもしれません。
言葉一つで傷付いたり傷付けたり、気付いたり気付かなかったり、怒ったり黙ったり、そしてそのうち笑ったり。

僕らはすり減った心を補う為に、情熱的な夢を追いかけたり、ハタから見れば下らないと思える遊びに熱中してみたり、子供みたいに誰かに甘えたりして、自分という存在を確認します。夢に、人に、何かに自分を投影し、存在意義を認めるのです。

もしそれが出来ないとしても大丈夫。
そんな時には思い出すのです。

親の愛情と犠牲。
自分の歩んできた道のり。
今まで乗り越えてきた苦労。

必ず、愛してくれる人が居る。
必ず、諦めずにやれば出来る。

そう、自分を信じる事。
そして自分を信じてくれる人を信じてあげる事。
それが「自立」という事なのです。



4『心は言葉に包まれて』

僕らは言葉で気持ちを表します。他の人に自分の考えを、気持ちを、心を伝えるために、僕らは言葉を使います。
言葉は明確に、正確に、心を伝える事ができます。
それは行動で示すよりも簡単で、尚且つ誤解のない素晴らしいコミュニケーションツールです。

人の心はうつろいやすくて不確かなもの。
だから僕らは言葉を駆使して心を伝えます。
恋人、友人、家族はもちろん、次に会うかどうかもわからない通りすがりの人達にも。僕らは心を伝えるのです。言葉を使って。

でも、言葉は、捉える人によって受け取り方が違うのです。

だから僕らは、いつも傷付け合ってしまいます。
厚意で言った言葉を失礼だと怒られたり、思いやりから出た言葉が大事な人を傷付けたり、楽しませようとして言った言葉で敵を作ったり。僕らは言葉と自分を過信するあまりに、大事な人や周りにいる人の心を傷付けてしまいます。

傷はいつかは癒えるでしょう。
しかしそれは消える事はないのです。
傷跡は、傷付けられたという事実は、ずっとずっと残ります。

でも、傷付く事を、傷付ける事を恐れてはいけません。

心は言葉に傷付けられる事もあります。
しかし、心を癒し、勇気付け、揺さぶるのもまた、言葉なのです。

心を込めた言葉なら、きっと気持ちは伝わります。
誤解もあるかもしれませんが、誠意を持って根気強く話すのです。
小難しい言葉なんて使わずに、率直な、自分の言葉で話すのです。

きっと心は伝わります。

心は言葉に包まれて、やわらかくもなれば、尖ったり、へこんだりもします。
心は言葉に包まれて、人の心を感じ、自分の気持ちを感じるのです。

心は言葉に包まれて、そして「心」を知るのです。

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