手紙

 

テレビ番組などで素子さんがゲストのとき、番組企画で素子さんへの手紙が送られたことが何回かあります。
その手紙の内容を紹介します。

 

八王子実践高校 菊間監督から素子さんへ(1997年3月 日本テレビ ザ・サンデー)

「前略 私は素子を一目見たとき、顔が小さくバネノある足首、さらに左利きであることなどから
将来は全日本の選手としてオリンピックで活躍できるように絶対に育てようと思っていました。
ただ精神的にはやさしすぎて、いつも赤ちゃんのようなところがありましたので、
「乳首を買ってやるからしゃぷっていろ」とよく話しましたね。
卒業の時には、あなたが「先生、ついに乳首を買ってくれませんでしたね。」とお互いに笑ったことがつい昨日のように
思い出されます。卒業後は日立でまた全日本で活躍しましたが、あの時すなわち日立解雇のさい、八王子の体育館で
吉原選手とともに高校生と練習した時、あらぬ噂を面白半分にたてられ、人間不信におちいっているようでした。
バレーで勝つこと以外何も考えず、外部の世界と遮断され踊らされいた感がある状態から、自ら道を切り開いて、
イタリアでプロ選手となり、帰国後は全日本のキャプテンとして活躍できたことは、解雇が素子にとって、
結果的には大きなプラスとなったと考えています。
バレー以外世間知らずで終わらなかったことは、今の素子の人生によい結果をもたらすでしょう。
ぜひとも頑張ってほしいものです。
最後に私が作り、常に口ずさんでいる言葉を送ります。
この道は栄光への道なり。我この道を歩まんと欲すれば、なんくを求めて自己に打ち勝つのみ。頑張れ素子。」

 

元日立マネージャー 神田由紀さんから素子さんへ(1998年6月 フジテレビ ハッピバースディー)

「素子へ。
素子と初めて会ったのは高校生の時だったから、かれこれ15年になりますね。
思いおこしてみると、素子は心臓に持病のある山田先生のことを、いつもいつも心配して、私のところに来ては
「先生、大丈夫?」と何度も何度も聞いていましたね。
そんな優しい素子のことを先生は娘のように思っていたのでしょう。
事あるごとに「素子は、素子は」と口癖のように言っていたのですよ。
日立を辞めてからは、お互い連絡を取っていないようでしたが、先生はいつも素子のことを気にかけていたみたいです。
一度だけ「素子から連絡がありませんね。」と聞いたことがありました。
その時先生は「素子は連絡をしなくても俺が分かっていると思っているんだよ。」とおっしゃっていました。
先生はこの手作りのお守りを、監督を辞めてからもずっと大切に持っていました。
いつもそばに置いていて、時々、手にとっては懐かしそうに眺めていました。
先生が亡くなった時、棺にいれてもらうべきかとも思ったのですが、いろいろ考えたすえに
やっぱりこれは素子に渡すというか、返すのがベストだと思ったので、今まで大切に預からさせてさせていただきました。
今度は素子が自分自身のお守りとして大切にしてもらえたら、山田先生もきっと喜んでくれるのではないでしょうか。
これからも応援しています。頑張ってください。」

    *素子さんが山田監督に贈った手作りのお守りが紹介されました。
     山田監督が亡くなられた後、元マネージャーの神田さんが持っていたそうです。