Re: Rip の妻はいつ死んだのか?

 

                                                                                                      宮川 雅

 

              1.問題提起

 雑誌『英語青年』19974月号の投稿欄「EIGO CLUB」に「Ripの妻はいつ死んだのか?」という短文が掲載されたときに、筆者の三上氏の「 “Rip Van Winkle” の物語においては、Ripの妻がいつ死のうがどうということはないのかも知れない」という文章にカチンと文学的に反応して、自分なりに回答を考えたのだが、頭の中にしまったまま歳月がたった。最近アメリカ文学の話法の問題に関心が及んで、あらためてWashington Irving (1783-1859) の時代の中間話法のわかりにくさを考えたので、テクストの問題と絡めて文章にしてみたい。

 三上氏の問いかけはアーヴィングの流布しているテクスト(日本の教科書版)と、アメリカのLadder Editionのレヴェル2000語書き換えヴァージョンを併記するところから話を始めている。

 

 “Oh! she too had died but a short time since; she broke a blood vessel in a fit of a New England pedlar[sic].”  Washington Irving, The Sketch Book (「研究社英米文学叢書」、p. 30.)

 

 “Oh, she died, just a little while ago.  She broke a blood vessel in anger at a man who came selling things at our door.”  Virginia French Allen (adapted), Selections from The Sketch Book of Washington Irving and Other Stories (Yohan Ladder Edition, p. 24.)

 

研究社版は、編者の岩崎民平によれば「1848年のIrving自身のrevised editionに拠って」いるらしい(この著者改訂版の「問題」については後述する)。ラダー版というのは、Basic Englishの理念に基づいて語彙レベルを落としたもの(本書の場合は2000語)、だが構文は必ずしも現代的に書き直されない。前者の引用は執筆者か編集部かによる書き間違いがあり、正しくは次のようになっている。

 

“Oh! she too had died but a short time since; she broke a blood vessel in a fit of passion at a New England pedlar.”

 

さて、これは眠りこけたリップが村に戻ってきて、娘から母親(妻)の死を知らされるシーンである。三上氏は同僚のアメリカ人女性教師にラダー版の “just a little while ago” について尋ねて “We can’t say the specific time, but she died recently.” という至極まっとうな返事を得る。「ところで」(ところが)「最近次の記述が目にとまった」と言って、「暫く前に亡くなった」という日本の米文学史教科書の記述(『立体・アメリカ文学』)、そして有名なHartのアメリカ文学辞典の記述を挙げる。――

 

 He awakes as an old man, returns to his altered village, is greeted by his old dog, who dies of the excitement, and finds that his wife has long been dead.  The Oxford Companion to American Literature, 6(1995)p. 564.

 

「この2つの説明から見れば、妻はしばらく、あるいは、かなり前に死んだようである。」いつ死のうがどうということはないのかも知れないが、「しかし、何ゆえにこうした2つの見方が出てくるのだろうか」というのが三上氏の疑問なのであった。

 

              2.文学的回答

まず、ありきたりの回答をしよう。失踪前のリップ(ならびに村の夫連中)は、かかあ天下 (petticoat government) の圧政に苦しんでいた。独立後のアメリカに帰ってくるリップは、故郷・くにの変化よりは妻からの解放にこそ喜ぶ。しばらくすると「意識を失なっている間に起こった不思議な出来事the strange events that had taken place during his torpor」を理解し、「革命の戦争 a revolutionary war」が起こり「国が古いイングランドのくびきを投げ捨てた the country had thrown off the yoke of Old England」こと、そしていま自分が「合衆国の自由な市民 a free citizen of the United States」となったことを認識する。けれどもリップにとって切実なのは婚姻のくびきからの解放であったのだ。

 

Rip in fact was no politician; the changes of states and empires made but little impression on him; but there was one species of despotism under which he had long groaned and that was petticoat government.  Happily that was at an endhe had got his neck out of the yoke of matrimony [. . .].  (Twayne Edition 40)

 

  “petticoat government” “domestic” な家政を指し示すだけでなく公けの国政(ないし地方政治)とパラレルなものとして意識されることは、 “yoke”という同じ語を用いている点にも明らかだろうが、1809年に( “Rip Van Winkle” と同じく仮面Diedrich Knickerbocker作として)アーヴィングが発表した先行作品『ニューヨーク史』の一節にあらわれていた―― “His wife ‘ruled the roast,’ and in governing the governor, governed the province, which might thus be said to be under petticoat government” (Book 4, ch. 4).   「リップ・ヴァン・ウィンクル」においては、イギリス(古いイングランド)の植民地支配が「かかあ天下」になぞらえられているのであり、リップが山中で眠っているあいだに、アメリカは “Bunker’s hillheroes of seventy six” (37) という初期の戦いに始まる数年に及ぶ戦争を経てイギリスからの独立を勝ち取り、さらに13州独立後の “Federal or Democrat” という二大政党間の政争に沸いて、“Congress” を構成しているのである (37)。だとすれば、20年間の経過は、アメリカの「独立革命」の「長さ」にある程度対応するものだと考えられるだろう。戦争以前からの運動も含めて独立革命ののちにアメリカ合衆国が成立したのであるから、(眠りが示す空白の)長さは必要だったのだし、(ある程度は衝撃の強さとして)独立と妻の死は最近のこととして示される必要があったはずだ。だから、いつ死んだのかどうでもいいということはないのである。

 蛇足的・文学的にもう少し説明する。そのあいだにリップの家族の変化・変革としては、母親が亡くなり、息子のリップは予測通り父親のリップを受け継ぎ、娘は結婚して男の子を産んでリップと名づけている。とりあえず妻からの解放にこそ喜ぶ、と書いたが、革命の事態が呑み込めたのちにリップが「アメリカ」に対してどのような態度を表明したのかは書かれていない。しかし、三人のリップを通して読者に了解されるのは、リップの変化のなさだ。

 なるほどリップは自らのアイデンティティーを疑うという形而上的な危機に一度は立ち、そのときに「変化」が認識されはする。――

 

   Rip looked and beheld a precise counterpart of himself, as he went up the mountain: apparently as lazy and certainly as ragged!  The poor fellow was now completely confounded.  He doubted his own identity, and whether he was himself or another man.  In the midst of his bewilderment the man in the cocked hat demanded who he was,what was his name?

   “God knows,” exclaimed he, at his wit’s end.  “I’m not myself.I’m somebody elsethat’s me yondernothat’s somebody else got into my shoesI was myself last night; but I fell asleep on the mountainand they’ve changed my gunand every thing’s changedand I’m changedand I can’t tell what’s my name, or who I am!”  (38-39)

 

 後段での “changed” 3回のくりかえしは、物語冒頭の Kaatskill mountainsの刻々と多様に変化する山並みの描写で名詞の “change”3回くりかえされていたのと対応する( “Every change of season, every change of weather, indeed every hour of the day, produces some change in the magical hues and shapes of these mountains” [29])。現在時制で書かれた冒頭のこの一節は物語の主題を提示しているといえそうだ。独立前後の「アメリカ」の変化を見事に映し出しているというStanley T. Williams以来の評価は構造的にも支持されそうだ。

けれども物語は少なくともリップに関する限り、変化のなさをこそ訴えているように見える。先の認識論的衝撃は自分の息子のリップが20年たって昔の自分のようにのらくらしている姿を見たことによる混乱にほかならないのだ。

 これは逆に20年間リップが他所にいたから変化をこうむらなかったというのでもない。生と死はrevolveしている。そういう感覚はある。だが息子が予想どおりに父を受け継ぎ( “His son Rip, an urchin begotten in his own likeness, promised to inherit the habits with the old clothes of his father.” [31]) 、娘が子供にリップと名づけてリップが変わらず増殖するさまが示すのは、リップがあらわす「アメリカ」の、変化の下にある変わらなさなのではないか。

 話がそれたので元に戻すと、20年間の変化は確かに歴史的に記録されている。むろん20年という数字は、一方で漠然と多数を示しうる言葉ではあるが、Hendrick Hudson20年ごとにあらわれるという伝説に合致するのだし、村の賢人Nicholaus Vedder18年前に死んでしまった(38)という記述を考えれば、かりに精確ではなくても茫漠とした数字ではないことがわかる。以前の避難場所であった village innに赴いたリップは、建物が変わり屋根にはわけのわからぬ “stars and stripes” が翻っているのを見る(37)。看板には見覚えがあったが、イギリスのジョージ三世の肖像のうえから(独立戦争の英雄)ジョージ・ワシントン GENERAL WASHINGTONに絵と字が変えられている。入口に昔のようにたむろしている男たちのいずれにもリップは見覚えがない。昔の新聞を読んでいたVan BummelNicholaus Vedderに変わってビラを手にした男が「市民の権利、選挙、国会の議員、自由、バンカーズ・ヒル、76年の英雄 rights of citizenselectionsmembers of CongresslibertyBunker’s hillheroes of seventy six」など、リップにはまったく意味不明の言葉をわめいている。(バンカーズ・ヒルは1775617日の有名な最初期の戦場であり、翌1776年から正式に独立戦争が始まった。)リップは昔なじみの消息をつぎつぎに尋ねて、Brom Dutcher “in the beginning of the war” に陸軍に入り、Stoney Pointの戦いで命を落としたとも、Anthony’s Nose の岬の嵐で溺れたとも言われていると返事を得る (38)。ストーニー・ポイントはHudson河畔の丘で、17797月に独立派の軍人Anthony Wayne (1745-96) が占領した場所である。学校の先生のVan Bummelも戦争にでて市民軍の大将となり、現在は国会議員となっている。最初の連邦議会(Congress)が開かれたのが1789年のことである。リップの周囲の人々の関与とあわせて列挙される歴史的事件は、確かに20年近くにわたっている。

 

              3.話法の問題

それにしてもハートほどの人が、記述間違いを犯すというのが意外で、そちらのほうが

個人的には疑問だった。

娘とリップの再会のシーンは、20世紀の新しい全集版では、アーヴィングの死後に流布してわが国の教科書版が長らく従ってきたテクストとはパンクチュエーションと話法が異なっている。新しいTwayne版の全集は現代のtextual criticism を受けて、諸本の異同・校異を掲げている。だが、現代のtextual criticismの原則に従って、authorialな、即ち著者アーヴィング自身の手が加わった版のみが原則として対象とされているわけだ(ただし、『スケッチ・ブック』の場合だと、1848年のPutnum社の “Author’s Revised Edition” (ARE)のあとも、1860年の同社の最初の死後出版版(60ARE)1864年の同社の死後出版版(64ARE)まで照合が行なわれて、異同があれば記録されている)。

 アーヴィングは、出版事情が煩瑣であった『スケッチ・ブック』も含め、自作に何度も手を加えた作家であったが、とりわけ晩年近くに手を入れた “Author’s Revised Edition” (ARE) が、永らくその後の「全集」の「底本」として使われてきた経緯がある。死後出版の全集 The Works of Washington Irving, 21 vols. (New York: Putnam, 1860-64)も、 1860年〜70年代の “Knickerbocker Edition”と称する22巻本の全集も、1880年代〜90年代のいわゆる “Hudson Edition" と称する同じパトナム社の27巻本全集(New York and London: G. P. Putnam’s Sons, 1884-86; 1889-90; rpt. New York: AMS, 1973)も、その他同社の“Stuyvesant Edition”と称する10巻本も、同じである。同じである、と書いたが、句読法には異同があり、しかしそれを textual criticism は拾っていない。それが問題となる。

 岩崎民平は「今回Washington Irving The Sketch Book の選集を出すにあたり、本文は大抵の版が1848年のIrving自身のrevised editionに拠ってゐるので余り問題は起らなかった。それでも疑問の場合はKnickerbocker editionを参照した。」と巻頭に記し、岩崎自身が使ったeditionを明示してはいない。精確なところはわからないが、あるいはこの書き方からすると、ポピュラーな単行本はAREにのっとっている(と称している)ので、それを底本に使用し、ときに全集版を参照したという意味かもしれない。

 新しい全集の企画は1969年に遡るが、最初から編集に加わり、最終的に general editorであった Richard Rustが全集完結後に編集作業を回顧した文章がネットに公開されている。適当に説明を加えながらまとめると、テクストの問題については以下のようであった。当初の予定では、アーヴィング生前の1845年から1850年にかけて出版された “Author's Revised” text “working copy” として諸版をさぐり、原稿が存在している場合はそれにあたって、 “the establishment of Irving's last expressed intention or final authorial authority”を目指すという方針であった。改稿を重ねた作家であるから、その最終版こそが尊重されるべきだ、というやや古典的な考え方だ。けれども、MLA内に1963年に創設されて活動を活発化させていたthe Center for Editions of American Authors (CEAA:現在のCommittee on Scholarly Editionsの前身)の助言により、 “printer's copy manuscript”copy-textとすることが検討された。『スケッチ・ブック』など原稿が完全に現存していない場合は複数のcopy-textが使われた。William L. Hedges などはこの点に大きな支障を感じておらず、トウェイン版をもとにした『スケッチ・ブック』のテクストを1988年に編んだときに、"The variation in spelling and punctuation, however, is apt to be scarcely noticeable to readers who are not looking for it. The compensation is that the text for each sketch or tale comes as close to being what Irving originally intended as possible" (xxiii)と注記している。句読法や綴りの差異は目立ったものではなく、一方、アーヴィングが本来意図したものに近づいたというわけだ。しかしながら、Tales of a Traveller Alhambraなどは、著者による最終テクストを最善のテクストする旧来の原則にのっとって “Author’s Revised Edition” を基に編集作業が既に行なわれていたために、その後の編集者たちは、たとえばMiriam Shillingsburgの言葉を借りれば、 "not the 'best' text of Irving's 'final' intentions (ARE), but rather the 'best' text of the author's 'first' intentions" (320) として方針を受け入れることになる。同時に、印刷工によってテクストに加えられた変更に対するアーヴィング自身の姿勢についても異なる見解があって、.Bracebridge Hall の編者は "no indications exist that Irving paid any attention to correction of accidentals in proof" と主張し、原稿と最初のイギリス版のあいだの “accidental variants” の数の多さは"argues strongly that [Irving] gave tacit approval to whatever changes in pointing, spelling, and capitalization were made by John Murray's compositors" と推断する(Smith 357). 一方 Astoria の編者は、自筆清書原稿とそこから組まれた版とのあいだの“the disparity in accidentals” は、 主として “the printer's house style" に由来すると言って、イギリスにいたアーヴィングが、『スケッチ・ブック』の原稿を送って出版を依頼したアメリカの友人Henry Brevoortに宛てた手紙(1819728日付)を引用する。 “I would observe that the work appears to be a little too highly pointed.  I don't know whether my manuscript was so, or whether it is the scrupulous precision of the printer. High pointing is apt to injure the fluency of the style if the reader attends to all the stops" (Rust 405). pointing とは句読点を打つことだが、自分の習慣とのズレをアーヴィングはスタイルを損ないかねないものとして、印刷屋が句読点を勝手に増やすことを心外とするわけだ。

 『スケッチ・ブック』について言えば、アーヴィングが最終的に改訂してproofreadもした1848年のAREは、unauthoritativeなフランス版を基にしており、いわゆるhouse-stylingがアーヴィングの原稿には明瞭に見られる独特なスタイルを一貫して破っていて、その結果、綴り字の味わい(英国風なものだが)、古風な語形、独特の句読法を壊しているというのがTwayne版の編者の判定で、しかるに、やはりアーヴィングが改訂・校正したイギリス版初版(1E)も、第一に不完全である(AREで2編のスケッチが追加された)、第二に句読点が付与されて原稿での実践を裏切っている、第三に原稿ではなくてアメリカ版初版を基にしたものである、という理由で編者はbasic textに採らない。結論的には、この『スケッチ・ブック』というテクストを、アーヴィングが手を加え膨らませていったグループごとにわけて、それぞれでcopy-textを判断するというやりかたを採っている。句読法については、A1からアーヴィングの原稿との違いがあり、初版でコンマが補われているのを削除するということも敢えてTwayne版は行なっている(ただしそれらはもちろんすべて記録・報告されている)。

 さて、次に並べたのは、三上氏が問題にした箇所を含むリップと娘の再会のシーンの、その新しいTwayne版と、Author’s Revised Editionと謳って19世紀後半に刊行された全集のなかでも代表的なHudson版の1890年刊のテクスト(これをそのままリプリントしたのが1973年のAMS Press)である。

 

 

 

 

 


 


 She had a chubby child in her arms, which frightened at his looks began to cry.  “Hush Rip,” cried she, “hush you little fool, the old man won’t hurt you.”  The name of the child, the air of the mother, the tone of her voice all awakened a train of recollections in his mind.  “What is your name my good woman?” asked he.

     “Judith Gardenier.”

     “And your father’s name?”

“Ah, poor man, Rip Van Winkle was his name, but it’s twenty years since he went away from home with his gun and never has been heard of sincehis dog came home without himbut whether he shot himself, or was carried away by the Indians no body can tell.  I was then but a little girl.”

Rip had but one question more to ask, but he put it with a faltering voice

     “Where’s your mother?”

Oh she too had died but a short time sinceshe broke a blood vessel in a fit of passion at a New England pedlar.

There was a drop of comfort at least in this intelligence.  The honest man could contain himself no longerhe caught his daughter and her child in his arms. “I am your father!” cried he “Young Rip Van Winkle onceold Rip Van Winkle now!does nobody know poor Rip Van Winkle!”

(Twayne Edition 39)

 

She had a chubby child in her arms, which, frightened at his looks, began to cry. “Hush, Rip,” cried she, “hush, you little fool; the old man won’t hurt you.”  The name of the child, the air of the mother, the tone of her voice, all awakened a train of recollections in his mind.  “What is your name, my good woman?” asked he.

“Judith Gardenier.”

“And your father’s name?”

“Ah, poor man, Rip Van Winkle was his name, but it’s twenty years since he went away from home with his gun, and never has been heard of since?his dog came home without him; but whether he shot himself, or was carried away by the Indians, nobody can tell.  I was then but a little girl.”

Rip had but one question more to ask; but he put it with a faltering voice:

“Where’s your mother?”

“Oh, she too had died but a short time since; she broke a blood-vessel in a fit of passion at a New-England peddler.”

There was a drop of comfort, at least, in this intelligence.  The honest man could contain himself no longer.  He caught his daughter and her child in his arms.  “I am your father!” cried he “Young Rip Van Winkle once?old Rip Van Winkle now!?Does nobody know poor Rip Van Winkle?”

(Hudson Edition 70-71)


 

 

 二つのテクストを見比べてわかるのは、第一にTwayne版がダッシュを多用して文の流れを作っているのに対して、Hudson版はダッシュの一部をピリオドやセミコロンやコロンに換えて、センテンスの論理的まとまりを明確にしようとしていると言えるだろう。それは大雑把に言えば、18世紀的な文体から19世紀的な文体への流れに乗っている変更である。

しかし、最大の変更は、娘が語った母親(リップの妻)の情報についての話法である。この “intelligence” を与えたのはもちろん娘だ。それはリップの “Where’s your mother?” という震え声の質問に対する答えとして書かれている。けれども、それは英米での初版でもアーヴィング生前の重版でも1848年の改訂版(ARE)でも、さらには1860年と1864年のパトナム社の全集版でも、引用符なしの地の文であるの対して、Twayne版以前の19世紀後半からの流布版(ラダー版も含めて)では直接話法で記されている。けれども、直接話法としては “had died” という過去完了はいかにも不自然である。

岩崎民平は、「直接話法だから ‘has died’ でよいところである。Irvingの頭には間接話法の心持が支配してゐたと察せられる。」と注釈を加えている。同時期に出た、中西秀男訳注の学燈文庫版(1953)は「探求」欄で「she too had died she too died が正しい。過去完了形had died を用いたのは,間接話法the woman said that she too had died との混交である。」と説明している(103)。岩崎と同じ研究社からは数種の注釈本が出ていて、戦前から版を重ねている小英文学叢書の青木常雄は何も触れていないが、篠田錦策による対訳版は、注釈として「ungrammatical」と記している。文法的なことを言えば、岩崎の現在完了は “just a little time since” という、時の特定の時点を指示する副詞句の存在によって不正解だろう。ちなみにEdward Wagenknechtは自らが編んだアーヴィングの超自然小説のアンソロジーで“Oh, she too died but a short time since; she broke a bloodvessel in a fit of passion at a New England peddler.”と黙って過去形に改めている。なお、 “pedlar”という古い綴りは、アーヴィング生前の版に一貫しているが、これと引用符の使用がいつ重なったかが不明である。明治以来幾多ある翻訳や注釈書を散見すると、引用符の使用はすべてに共通しており、peddlerの綴りは少数派であったことはわかる。明治262月に出て、6月には版を重ねた『ワシントン アービング スケッチブック註釋』の第一巻(工藤精一校閲 大倉本澄注釈)は、「本書記スル所ノぺーヂ及ビ行数ハきやつせるノ出版二係ル赤表紙ノ原本二據ル」と「附言」しており(3)、ロンドンのCassell 社の “Red Library” が日本に普及していたのかもしれないが、推測に過ぎない。またCassell社の版がどの版に依拠していたのか不明である。岩崎民平は大正14年に英文学叢書で English Short Stories を編んで、冒頭に “Rip Van Winkle” をいれているが、この箇所に注釈はなく、 “d” のひとつしかない “pedler” の綴りのテクストを使っていたが、やはり依拠した版は明示されていない。

オリジナルの引用符に入らない過去完了の文は、現在の言い方では、中間話法、とくにJespersenの名づけた “Represented Speech” 描出話法と考えるべきものである(ドイツ語で「体験話法 erlebte Rede」とも呼ばれるもの、フランス語で「自由間接体 le style indirect libre」と呼ばれ、英語でも後者にならって「自由間接話法 free indirect speech」とも呼ばれるものと同じ、少なくとも構造的、形態的には同じだが、本来の話者と語り手の比重の意識が異なるのではないかとも思われる、が、ここでは詳述しない)。即ち、情報(“this intelligence”)的には娘が伝えたものを、語り手が地の文で語っているのだ。直接話法に戻せば、 “she died but a short time since” であり、現在の英語に直せば “she died just a short time ago”、あるいはラダー版のように “she died, just a little while ago” となろう。なろうが、娘がそう語ったとも限らない。語り手が話を敢えて手短かにまとめていると考えるほうがむしろ妥当かもしれない。そっけないからである。娘はその前の質問「お父さんの名は?」に対しては長々と答えているのだから。だが、このそっけなさのゆえに、娘の直前の発話の “it’s twenty years since he went away from home with his gun and never has been heard of sincehis dog came home without himbut whether he shot himself, or was carried away by the Indians no body can tell” とのつながりが密になる。そしてこの近さがHart(やひょっとすると岩崎)の誤解に関係しているように思われる(もっともハートを読み直してみると、飼い犬のWolfに似た犬がリップを無視して「通り過ぎた passed on(36)のを “dies of excitement” と記述しているわけで、意外ではあるが読みの杜撰の感は免れない)。

アーヴィングの話法について考えるために、この箇所に至る文章から、特徴的な箇所を拾ってみよう。

 リップがかつて皆でたむろしていた村の飲み屋に行ってみると、選挙について演説をぶっている人物がいて、わけがわからないことを言っているが、リップに目を留めてやってくる。

 

 The orator bustled up to him, and drawing him partly aside, enquired “on which side he voted?”  (37)

 

 ラダー版は直接話法に書き直している――

 

  [. . .] inquired, in low tones, “On which side do you vote?”  (21)

 

 もう一人背の低いせわしない男がリップの腕をつかんで耳元にささやく。――

 

 Another short but busy little fellow, pulled him by the arm and rising on tiptoe, enquired in his ear “whether he was Federal or Democrat?”

 

 これも同様の特徴を持った中間話法である。ラダー版は難しい固有名詞は略して間接話法に書き直している――

 

 [. . .] asked what party he belonged to.

 

 続いて群集をかきわけて前に出てきた男が尋ね、それに対してようやくリップが声を発する(息が長い一文で、いまのせわしない男の発話を記録した文の、直後のセンテンスである)――

 

Rip was equally at a loss to comprehend the questionwhen a knowing, self important old gentleman, in a sharp cocked hat, made his way through the crowd, putting them to the right and left with his elbows as he passed, and planting himself before Van Winkle, with one arm akimbo, the other resting on his cane, his keen eyes and sharp hat penetrating as it were into his very soul, demanded in an austere tone“what brought him to the election with a gun on his shoulder and a mob at his heels, and whether he meant to breed a riot in the village?” “Alas gentlemen,” cried Rip, somewhat dismayed, “I am a poor quiet man, a native of the place, and a loyal subject  of the kingGod bless him!”  (37-38)

 

 ラダー版――

 

 Alas, gentlemen!” cried poor Rip.  “I am a poor quite man, a native of this place, and a faithful subject of the king, God bless him!”  (21)

 

 このリップの時代錯誤の発言に “A tory! a tory! a spy! a Refugee! hustle him! away with him!” という “a general shout” が起こる。尊大な男が再びリップを問いただし、リップは答える――

 

   [. . .] demanded again of the unknown culprit, what he came there for and whom he was seeking.  The poor man humbly assured him that he meant no harm; but merely came there in search of some of his neighbors, who used to keep about the tavern.

   Wellwho are they? name them.”

Rip bethought himself a moment and enquired, “Where’s Nicholaus Vedder?”  (38)

 

 ラダー版のこの箇所の最初の部分の書き換えはやはり完全な間接話法であるが,引用符に入れる版もある――

 

 [. . .] again demanded to know why Rip had come there and whom he was seeking.

 

このあとは改行を施した直接話法によるやりとりが十数行にわたって記述される。

 問い合わせる旧友についての情報はリップを狼狽・嘆息させるばかりで、ついにリップを知っているものはいないか、と尋ねると根方でぼんやりしている自分と瓜二つの人物が指差される。自分が自分なのか、リップがアイデンティティーの危機におちいるさなかに、再び尊大な男がリップに問いかけるが、それは中間的な話法で記述される――

 

 In the midst of his bewilderment the man in the cocked hat demanded who he was, what was his name?  (38)

 

 “demanded who he was” までは完全な間接話法に見えるが、つづく “what was his name” は直接疑問の語順でしかし引用符なし、what “w” は小文字、そして文末にクエスチョンマークが付けられている。ラダー版は完全な直接話法に改めている。――

 

 [. . .] someone [sic.] in the crowd demanded, “Who are you?  What is your name?”  (23)

 

 このように、アーヴィングの話法は現代の基準からすると直接話法と間接話法、そしてその中間的な話法のいくつかの段階で自由にぶれている。これは当時は話法の概念がまだ明確化していなかったためであると考えられる。問題は描出話法と考えられる中間話法をアーヴィングが使っているかであるが、眠りから覚めたリップの描写も描出話法と考えられる特徴を持っている。

 

 He looked round for his gun, but in place of the clean well oiled fowling piece he found an old firelock lying by him, by barrel encrusted with rust; the lock falling off and the stock worm eaten.  He now suspected that the grave roysters of the mountain had put a trick upon him, and having dosed him with liquor, had robbed him of his gun.  Wolf too had disappeared, but he might have strayed away after a squirrel or partridge.  (35)

 

最初のセンテンスはリップの視覚に密着している。そのあと “suspected” という、内心の思いを明示する動詞に導かれて、リップの推測が続く。そしてセンテンスは終わるが、犬のウルフがいなくなっていることと、リスかライチョウを追って離れてしまったのかもしれない、という推測が語られる。この推測は語り手のものと考えるよりリップのものと考えるほうが自然だろう。

 別のテクストから例をあげる。1824年の『旅人の物語』第一部の「ドイツ人学生の冒険」の一節である。学生が嵐の晩に処刑の行なわれる広場を通るとギロチン台のかたわらに伏して泣いている女がいる。――

 

 The female had the appearance of being above the common order.  He knew the times to be full of vicissitude, and that many a fair head, which had once been pillowed on down, now wandered houseless.  Perhaps this was some poor mourner whom the dreadful axe had rendered desolate, and who sat here heartbroken on the strand of existence, from which all that was dear to her had been launched into eternity.  (“The Adventure of the German Student” 33)

 

時代が浮き沈みに充ち、昨日は羽毛の枕に頭を休めた人がいまは家もなくさまよっていることを彼は知っていた(“He knew”)という記述の次のセンテンスは “Perhaps” に始まるが、この推測も、ドイツ人学生のものであり語り手のものではないと考えるのが自然だ(なぜならば、語り手はこの女がこの夜ギロチン台にかけられた女だったという顛末を知っているのだから)。もちろん「存在の岸辺」「永遠の世」「船出」という縁語の使用は、前の文の「頭(首)」の強調と同様に語り手の修辞である。だが、だからこそ学生の思いとして、直接話法であれ間接話法であれ報告であれ、直截にださずに描出話法とする意味があるわけだ。

 「リップ・ヴァン・ウィンクル」の問題の箇所に戻れば、新しい全集版の “textual criticism” が教えてくれるのは次の2点である。第一に、アーヴィング生前の版ではいずれもこのセンテンスに異同はない(原稿がohと小文字にしていた〔小文字に見える〕のみである)。だから、引用符の付加によるイレギュラーな直接話法は著者のものではなく、死後の編集者の介入によるものだと断定できる。それはおそらく、文法よりも文章の作法による規制にしたがった変更であったろう。第二に、しかし原稿段階での変更があって、それは “she too was gone, she but a short time” と書いて削除したあとに she too had died but a short time since と書き直したという事実である(479 [“Alterations in the Manuscripts”])。このことは、アーヴィングが時制に無頓着ではなかったこと、そして時制に無頓着ではなかったのなら引用符を書き落としたのでもないこと、を示している。一点目をもう少し憶測すれば、1848年の著者改訂版以降に全集版を出し続けたPutnam社の、おそらく1870年代以降の版において付加された変更である可能性が高いだろう。ちなみ1887年にニューヨークのAlden社がTales of a Travellerと合本で出版したThe Sketch Book は、 “Note” はあるが導入部と “Postscript”のないARE以前の不完全版だが、Oh, she too had died but a short time since: she broke a blood-vessel in a fit of passion at a New-England pedlar.  (42) と引用符に入れていない。

 あらためてこの前後の箇所を見ると、10行ほどの文章のなかに、 逆接のと逆接ではない“but” 5回、接続詞(twenty years since he went away)、前置詞(never has been heard of since)、副詞(had died but a short time since) “since”3回使用されて、あたかも読者を構文的に混乱させることを意図したかのようである。父親は20年前に家を出てそれ以来おとさたがない。母親も死んでしまった。いつか? “but a short time since” この娘の声と重なった声は、20年の時の経過、長い独立の戦いを、一夜のものと見る語り手の声なのである。語り手の作中人物の内面への介入ということを問題にするなら、介入は娘よりはリップに対して起っているとも言える。そもそも物語はリップ自身が何度も語って細部がかたまったものをKnickerbocker が直接聞いて書き留めたもの、という体裁をとっている( “It at last settled down precisely to the tale I have related and not a man woman or child in the neighbourhood but knew it by heart.” [41])。それをCrayonが書き取り、そのさらに外側に作家自身がいるという語りの枠構造である。であるから、この声はまた、同様に長い時の経過、長い独立の戦いを、一夜のものと見る過去のひとびとの声でもあり、作家自身の声でもあったのだ。

  

 

引用文献

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Williams, Stanley T.  The Life of Washington Irving. 2 vols. New York: Oxford UP, 1935.

 

(これは2004年度法政大学特別研究助成「近代アメリカ小説の話法と語り」の成果に属するものである)