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The Third Kingdom by James Huneker |
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The Third Kingdom by James Huneker | |
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第三の王国(一九一〇) ジェームズ・ハネカー 一 懐疑家 ブラザー・ハイズローは独居房に端座して本を読んでいた。春の朝の穏やかな静けさが彼を包んでいた。清明な光が、手にした本の大判の頁に落ちていた――陽光が流れ込んでくる窓は、若い隠遁者と世間の生活をつなぐ絆であった。窓から彼は街の屋根を眼下に見ることができた。望むなら、目を凝らすまでもなく、セーヌ河に沿って誇らしげに走る街路の端に、パンテオンを観取できた。けれどもブラザー・ハイズローはもはや世俗の歓びに対する気遣いをもたなかった。その懐疑的な魂は、悪魔のような対立者を求めて、日夜あらそうrange戦場だった。外的な存在は彼にとっては影となった。生きるに値する唯一の生活は霊の生活だった。 新鮮な春の朝に読んでいた本のなかに、まるで通過する隕石の発光のように、穏やかならぬ言葉を見つけた―― 「いつの日にか、はたまた夜にか、デーモンが限りない汝の孤独のうちに忍び込み、こう言ったらどうだろう。『おまえが今生きている、生きてきた、この生を、おまえは再び生き直さねばならないのだし、それも一度ではなく、無限の回数だ。そして新しいものは何もなく、あらゆる苦痛、あらゆる快楽、あらゆる思考と溜息が、おまえの生におけるあらゆるものが、偉大なものも言いようもなく卑小なものも同様に、再びおまえに起こらずにはいない。それもすべてが同じ連続、継起のうちにだ。この蜘蛛も、そして木々を透かすこの月光も、この瞬間も、私自身もだ。時の永遠の砂時計は常に返され、それとともにおまえも、塵の原子のようなおまえも繰り返し返されるのだ。』 汝はこのように語るデーモンに対して、身を投げ出し歯軋りして、呪うのではないだろうか。それとも、『あなたは神だ。これほど神聖なことは聞いたことがなかった』とデーモンに答える恐るべき瞬間を経験したのだろうか。」 本は手から滑り落ちた。「そうだとも」と彼はつぶやいた。「そうだとも。偶然というようなものはない。蓋然性の法則は単なる空想の産物ではなく、厳然たる必然だ。物質はいつも進化の過程にある。エネルギーのみが不滅だ。ラジウムはこれを我々に明らかにした。無限者が犀を振る永遠にあって、double-sixes は確かに一度ならず生起する。奇蹟か。だがなぜ奇蹟的というか。無限の必然性は自らを繰り返すべきであり、とすれば、今ここに座っている私も、再びここに座り、座して神の善性を疑うのだ。そうだ、神の存在を疑うのだ。……なんて恐ろしいことだ!」 彼は渦巻くような思考のなかでしばし口を閉ざして沈黙があった。 「だが、なんて美しいことだ。永遠の反復が真理だとするなら、贖罪のドラマも繰り返されるはずなのだから。そうすれば、我々の敵はキリスト教精神の実在を得心させられるだろう。しかし、我々は、遠い未来において、我々の前生の存在を意識するのだろうか? ああ、とぐろを巻くようなひどい懐疑だ。このニーチェという男、なんというデーモンだ。哀れな、苦しめる人間の脳髄に、こんな拷問のような問いを課すとは! 何も考えずに生きるほうがはるかによいというものだ。思考は病気だ。脳細胞の病んだ分泌物だ。ああ、私は唯物論者だが、あのひどい無心論者のCabanisの考えを思い出さずにはもはや考えられない。どうして私はかくも罰せられるのか? いかなる罪を私は前生で犯したのか――カルマ!――不敬な輩の書き残したものを研究せねばならぬとは? だが、キリストの兄弟団がその心を汚されるのを防ぐために、この仕事に我が身を差し出したのだ。霊的な驕りという胴枯れ病から天が私をお守りくださいますように。しかし私は自分が同輩の修道士たちの罪科に対する身代わり山羊に今なっているのだと信じている。だから、私自身の惨めな魂の贖罪になるのだと信じているのだ。ああ! ニーチェ――反キリストよ。」 彼は立ち上がると独居房の床に本を放り投げた。それから窓のところへ行き、官能的な日射しのなかで眼下に広がる世界を謙虚なまなざしで眺めた。しかし内なる眼は霊の事柄に厳しく固定されていたので、すぐにdelectable picture に背を向け、そのときに視線が十字架にとまった。乱された想像力が再び刺激され、身を震わせた。 「ニーチェが正しいとしたらどうか? 最初のキリスト教徒、唯一のキリスト者は、十字架に死んだ、と彼は言っている。我らが貴重な信仰のarraignment、イエス・キリスト、我らが主なる神! 主の諸々の名はなんと甘美なことか! ニーチェはなぜ、ヘブライとギリシアの結合した音楽を感じることができなかったのか? たぶん感じたのだ。多分彼は憎しみの仮面の背後に深い愛を隠したのだ。我らが主、イエス! ヘブライとギリシア。しかしなぜギリシアなのか? なぜだ……?」 この隔絶された部屋で再び口が閉ざされて、虫の羽音が雷の響きのように聞こえただろうほどの沈黙があった。「永遠回帰。なぜキリストが回帰せねばならぬのか? 地は繰り返し繰り返し、億万回も救われねばならぬのだろうか? 神が降臨して恐ろしい死によって、名もない無数の人々を、彼らが蠅がtreacleするように追い求める罪から清めるというのは畏れ多い考えだ。さらに戦慄すべきは、あの無神論のスカンジナヴィア人が彼の背教者ユリアヌスの口に押し込んだ思想だ――我らがキリストがこの地上を永遠の堕地獄から救っているのでないのなら、彼は遠くの惑星か近づきがたい星々を訪れているのかもしれない。そこでは、眼を開けていられないほどの輝きをもった色鮮やかな双つの太陽が、twin harness に乗ってterrifically 回転する。そこには、やはり、救われるべき魂がある。なんという大いなる思念だ! それはイブセンの考えだ、第三の王国についての解釈と同じように。それはニーチェのものであってしかるべきだったのに。このアンチノミアニズムはなぜか? この、悪と善、夜と昼の、甘いと酸い、神と悪魔、オルムドとアーリマンの、永遠の相克はなぜなのか?」 異国の名前によって、彼の思考は別の道筋に移っていった。もしもキリストが再来するのなら、そして聖なる言葉はそのことを明示しているのだが、だとすれば、なぜブッダは再来しないのか? ブラフマンは? なぜ、しないのか……? 再びhiatus。このときは、何かが頭のなかで弾けた。彼は椅子に沈み込んだ。ブッダ! かつてブッダがいたのだろうか? そして、もしもいなかったのなら、かつてキリストのようなpersonalityはあったのだろうか? 彼は学者であったので、神話創造がアジア的想像力にとって娯楽であったことを知っていた――偉大で不純で神秘的なアジア、あらゆる宗教の母にして、人類の揺り籠たるアジアの。キリストの客観的実在を否定するならば、彼の懐疑はすべて静まるだろう、一つの圧倒的な懐疑が小さな懐疑を呑み込むことによって。彼はこれまでキリスト伝説について深く思索したことはなかった。それは、あのsilky 異端者のルナンはキリストのpersonality を信じていたのだし、信じいとおしむようにその肖像を描いたのではなかったか? 永遠反復というニーチェの教義は |
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The Dharma Bums E-text http://yanko.lib.ru/books/lit/kerouacbums.htm | |
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・A Chronological Index of Poets by Birth Date in Representative Poetry http://www.library.utoronto.ca/utel/rp/birthdates.html ・A Time-Line of English Poetry 658-2001 http://www.library.utoronto.ca/utel/rp/timeline.html |
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