

序 〜 一 神に仕える戦士
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「破壊の天使」章別リンク
| 二 天使の伝説 | 三 全能者の稲妻〜結び |
「通勤」という名の小旅行 章別リンク
| 1.都会の交通機関について想う | 2.通勤電車の風景 | 3.「通勤」という名の小旅行 |
序 かつて、世界は闇に包まれていた。 政治は腐敗しきり、道徳も地に墜ち、戦乱は確実にこの世のありとあらゆる希望を破壊し尽くす、かに見えた。 しかし人々は、希望を捨てていなかった。 教会は口々に「救世主」たる存在を宣伝しつづけ、よりどころを失って久しい民衆は素直にその意図的な流言を信じるようになっていた。そしてどこかの小競り合いで英雄的活躍を演じた戦士たちには、惜しみなく「救世主」の称号が与えられたのである。 しかし真の救世主などどこにもいない、ということはすぐに実証された。 英雄視されて権力を極めた者もやはり、腐敗から逃れられなかったのである。 再び政界には金権や反倫理が横行し、人間というものの精神的脆弱さを悲しくも実証する結果になるだけだった。するとすぐ、次期の救世主を熱望する声が復活してくる。その繰り返しだった。 これを流布する神学者というものは、一流のペテン師であると言わねばならない。救世主伝説も、彼らによってさまざまに解釈がなされており、その救世主の姿というものが、五十年間一定であったというためしがないほどなのである。 その中で、このような救世主伝説を披瀝した神学者がいた。 神は救済を行う手段として、必ずしも慈愛ばかりを施すとは限らない。ときには破壊し、秩序を保つためにすべてのものを犠牲にもする、という。 救済を実施するのはもちろん神自身ではない。その下に扈従する数万人の天使たちである。 その天使像も長い年月の間にさまざまに変化した。 初期の伝説では、「天使は六枚の翼をもち、人間の行いを見守るために百一個もの目を備えている」といったものだった。 その姿を素直に具現化することしか知らなかった当時の画家たちは、吐き気を催すほどのグロテスクな天使を描かざるをえなかったのもまた事実である。それらの天使は多くの階級によって区分されていて、その役割もさまざまであった。 それらの最高位に君臨するのは、大天使という存在である。 しばしば神と同列に扱われたほどの実力をもつ彼らは、もっとも解釈が難しい部類に入る天使たちである。 均整のとれたたくましい筋骨と燃えるように赤い髪、すべての生物を凝視しただけで行動不能にしてしまうほどの強烈で冷たい眼光、そして光をいっぱいに受けて輝く六枚の翼。初期のものとは違いあまりにも人間そっくりな彼らは、その実力のゆえか、いつしか慈愛の天使ではなく、破壊と混沌をもたらす悪魔として恐れられたこともあったのである。 そこであの伝説の登場となるわけだが、虚像ばかりが先行しているという面からすれば、必ずしも信頼しうる学説ではない。 しかも救世主が人間ではなく天使であるということもまた、論拠の薄さを露呈させる 結果の後押しをしてしまった。なぜなら実在しない(当時の民衆は実在すると信じて疑わなかったが)画像だけの存在に救世主の役目を負わせることに、すでに科学的理性に目覚めはじめていた当時の神学者たちの批判が集中したからである。 ところが、それは現実としてこの世に現れた。破壊の天使は確かに出現し、徹底的な破壊を行って去っていったのである。それは伝説の具現化として大々的に喧伝されるはずだった。 なのに、ほとんどの歴史書はそれを新兵器の登場とか、自然現象によるものとかの理由で可能な限りの理性的解釈をし、結果的にその事実を歴史の闇に葬り去ってしまったのである。何より、目撃者が少ないということが災いした。 結局それは、時が経つとともに人々の記憶からも忘れ去られていく運命にあった。 「破壊の天使」の伝説とともに…。 ラッフルズート歴五二○年。 各地で猛威を振るった戦乱はいよいよ激しさを増し、点在する都市は次々と新たなる支配者の手に落ちていった。帝国時代の幕開けである。 それまで中立を堅持していたリーナス公国も、その食指から逃れられなかった。 最北端に位置するリーヴェンスの街も、帝国軍による何重にもおよぶ包囲を受けて、まさに落城寸前に追い込まれていた。 そこにふらりと立ち寄った一組の旅人から、物語は始まる。 そして、物語は彼らで終わるのである…。 一 神に仕える戦士 街は静まりかえっていた。 外出する者もいない。路傍であいかわらず元気なのは、生ゴミをあさる野犬か、野ネズミくらいのものだ。 家々は玄関を閉め切り、これから必ず起こるであろう最悪の結果に備えるかのように、じっと息を殺しているのだった。 その静寂を破って、時折、城門からドーン、ドーンという叩打音が聞こえてくる。 多少の振動すらともなったその音は家々の屋根を、壁を震わせ、そのたびに小鳥たちがいっせいに空に飛び立つ。 それは巨大な破城槌が城門を叩き割ろうとする音だった。 もう百数十年も前に作られたといわれる城門である。その頑丈さにかけては一流の城にも劣らぬと讃えられたほどの堅固さをもっていた。が、それを守る者がもういない以上、ただ叩かれるだけの木の板にすぎないのである。 城壁の守備隊は数時間前、残存の兵力をもって最後の突撃を敢行し、華々しくも全滅していた。 もはや喊声すらも途切れ、するのは破城槌が城門を叩く音だけになっていた。 しばらくすると、わっと歓声が上がった。城門が破れたのである。 ついに来るべき時は来た。恐ろしい勢いでなだれこんだ異国の兵士たちに対して、市民は何ら為すすべをもたなかった。 家々の扉は脆くも蹴破られ、抵抗しようものなら容赦なく殺された。 家具や調度品は金目のものとわかればすぐさま持ち去られ、金にならないとなればその場で破壊された。 女たちは陵辱されたうえで殺害され、少年少女たちは数珠つなぎに縛られて連行された。奴隷商人に売り飛ばすのである。そして男性は、抵抗の有無にかかわらず、皆殺しにされた。都市の完全消滅命令が出ていたからである。 敷石すら剥がされた家は火を放たれ、各所で炎々と燃え上がった。帝国軍の兵士たちは、炎と鮮血の赤さにますます興奮して、熱狂的に破壊と虐殺を繰り返した。 街の外れに、小さな酒場がある。 外れとはいっても立派に城壁の中にあるので、いつかは略奪を受けることは確実である。ここを最期の場と決めた男たちは、手に手に武器を持った。この日のあることを予期し、酒場の屋根裏に隠していたのである。中立国であるリーナスでは、一般市民の武器の所持が禁じられていたから、隠していたのだ。 酒場はこの上もないほど殺気立っていた。口々に物騒な言葉をささやき合う男たちの陰で、女や子供たちは端に固まって震えているしかなかった。 「この場はなにが何でも死守する。女房を守るために」 カウンター席の前にどっかと座り込んだ男が言った。すでに中年で顔中がヒゲで覆われてはいるが、たくましい筋肉。眼光も鋭く、居並んだ男たちをぎらりと眺め回す。彼がリーダー格であった。 すっかり険しくなった顔を少しも崩すことなく、男たちはうなずいた。 「しかし…こいつらはどうします?」 背の低い中年の男が親指で指し示した先には、二人の人物が座っている。 ひとりは僧侶らしい。純白の僧服に十字架。僧侶特有の刈り上げた後頭部。 それだけならばただ一介の司祭といったところだが、ただひとつ違っているのは、彼が剣を帯びているということである。よく見れば、僧服の下には、粗末だが手入れの行き届いた青銅の鎧を着込んでさえいる。が、丸いメガネをかけた彼の顔は穏やかそのもので、ここでは場違いですらある。 もうひとりは女性である。女性随伴の僧侶というのも珍しいが、本当に彼の連れであるらしい。風貌は、やはり変わっている。 おとぎ話の主人公のように、至るところをレースのフリルで飾り立てた子供っぽい服を着ており、外見はどう見ても少女である。が、年齢はかなり行っているようだ。さらに腰まで伸びて先を赤いリボンでまとめた髪はピンク色。時世が時世なら魔女と呼ばれても仕方がない。 彼女も丸いメガネをかけている。それがただの少女ではなく、どこかインテリらしい雰囲気を醸し出すから不思議である。彼女の方が僧侶よりは年下なのであろうが、服装とあまりにもアンバランスなその顔つきは、厳格な学者そのものだった。 風貌の変な女性は、言葉遣いも変だった。彼女は頬をプッと膨らませると、 「おかまいなくっ。自分の身くらい自分で守れますわ。ね、イズキール様?」 まるで子供のように舌足らずな声でそう言うのだった。 僧侶イズキールは無言で茶など飲んでいたが、彼女に抱きつかれると、少々辟易した様子で、 「こ、こらこら、みんな見ているじゃないですか…」 そんな風に慌てる姿は、見ているだけで滑稽である。しかし、ここに集まった男たちに、滑稽さを笑うだけの心の余裕はなかった。ついには怒り出す者もいる。 「座長、こんな役に立たない連中は放っといて、撃って出るべきです」 「そうですぜ旦那、ここを守って死ねるなら、俺は本望です!」 座長と呼ばれた彼らのリーダーは、名前をベンという。この酒場のマスターをして生計を立てるかたわら、近在の住民に戦闘法を教授していた。ベンはその人柄から、広く信頼を集めていたのである。 ベンは再び、風変わりな旅人たちを見た。すでに人生の有為転変を見つくしてきたかのような、深みのある眼光である。彼は僧侶イズキールに改めて会釈をして、 「ここはすでに、戦場になってしまいました。あなたのような方がおられるべき場所ではありません。僧侶ならば、敵も無下には扱わないはず。ここはひとまず…」 それを聞いたイズキールは、にこやかな表情を一変させ、急に険しい顔つきになって、 「無駄でしょう。この攻略手順からいって、都市ごと抹消するよう命令が出ているはずです。わたしが降伏軍使に立ちましょう。あなたがたは早く裏門から…」 そこまで言いかけたが、例の突飛な少女がいきなり抱きついてきて、 「ダメダメダメダメ! 絶対殺されますわ! ここは戦うしかありませんわ!」 男たちの殺気に感化されたのか、少女はすでに主戦論に傾いているようであった。 イズキールは少々面食らった顔で、その腕をやさしくほどいて、 「あなたは黙っていなさい、メル。わたしは神に仕える者。進んで人を殺めるような行為はしないと固く誓いました」 「じゃあ、その腰にあるものはなんだい、坊さんよ」 若い男が、揶揄するような口調でイズキールの剣を指さして言った。剣は飾り気のまったくない、きわめて実用的な造りであった。これがただの護身用ではなく、かなり使い込まれていることは、誰の目にも明らかだった。 「これはかつて、わたしが辺境での異教徒征伐に使用していたものです。しかし今は、多くの人命を害したことを神に懺悔し、戦闘行為はしないと誓ったのです」 「じゃ、何で、いつまでも吊しているんだい」 「わたしがわたしたる証拠の品として、今でも大事に携行しているのです。今ではこうして封印をほどこしています」 男は複雑な表情になって、聞き返した。 「それなら、もうそれは二度と抜かない、ってんだな?」 「もちろんです」 僧侶イズキールの不戦方針が固いことを知ったベンは、彼の前で立ち上がった。座っていてはわからなかったが、かなりの偉丈夫である。 「ではあなたは、いかに敵兵であろうとも、殺しあいは避けるべきであると」 イズキールは座ったままで、ベンの顔を見上げて、 「話し合いで解決できる可能性が万分の一でも残っているならば、それに賭けてみるのが神の説かれる愛というものです」 ベンはイズキールの顔をじっと見つめたままで、軽くため息をついた。口ではわかってもらえない相手だと悟ったのである。 「しかたがありません…。では、これではどうでしょう」 ベンは近くの男に目配せをした。男はベンの意を承知すると、その小柄な体格を活かして素早くメルの背後に回ると、いきなり彼女に首に手を回したのである。 「ちょっと…、何ですの…」 男はメルが悲鳴を上げる隙すら与えず、完全に身動きができないように羽交い締めにした上で、短剣を抜き、彼女の首筋に擬した。 「なっ…何をなさるのですか!」 驚いたのはイズキールだった。まさかここで人質を立てるという行動に出るとは、彼自身予想もしていなかったのである。イズキールは自分の油断を悔いた。 ベンはそれを見て、再びイズキールの真ん前に座った。まるで膝を突き合わせて直談判するような格好である。それでも、ベンの優しげな眼光は変わっていなかった。むしろ、哀訴するような目つきなのである。 「神父様、ここは戦場になってしまったと、わたしは言ったはずです。戦場に人間の理性などありはしない。あるのは、相手を倒すことと、もっとも大切なものをどう守るかということのふたつだけです」 「しかし、それでは…。あまりにも悲しい結末に…」 イズキールは、戦場というものを本当に理解していたのかを自分に問いかけるように、逡巡した口調で言った。 「あなたがかつて、もっとも大切にしていたのは、何ですか?」 あたかも説くようなベンの質問に、イズキールはみずからの言葉に矛盾を感じつつ、正直に答えるしかなかった。 「わが信仰する、聖なる教義にほかなりません」 「…それを守るために、あなたは悪鬼にもなり、異教徒を攻撃したのではありませんか?そして今、あなたの連れであるお嬢さんが、危機に瀕している…。相手は武力をひけらかし、説得には応じてくれそうもない。それでも、あなたは話し合いですべてが解決するとお思いなのですか?」 「そ、それは…」 イズキールは言葉に窮した。守るべきものを守るために、勇気を出して剣を持つことは、死地に追いつめられた人間が最後にとる行動にほかならない。確かに、それも慈愛の実践であることに間違いはないのである。 「われわれは、女子供以外は全員剣を取り、みずからの身を楯として肉親を守り抜く覚悟です。もはや、生還は期しがたいと思います。あなたはそこで、どのような行動をとられるか。職責にかけて決断していただきます」 イズキールは身体のどこかが、ふつふつとたぎるのを感じていた。永く忘れていた、いや、忘れようとして封じ込めてきた闘争心そのものであることは、彼にもわかっていた。 かつて自分は、教義を伝えようとして各地を歩いた。だが、それに投げかけられたのは異教徒の冷たい眼差しだった。それは、まるで射るようだった。それで、教義を広めるためには力を以てすることもやむなしと、武力に訴えようとする連中に対抗してきたのである。 だが、今は違う。教義のためなどではないのだ。 ここに集まった男たちは、自分の命などなくなってもいいから、大切なものを守ろうと必死になって戦おうとしているのだ。 「ひけらかすだけの善は、ただの偽善である」 好むと好まざるとにかかわらず、ここで彼らを助けて戦うことは、献身を最大の美徳とする聖典の教えにも合致していた。しかしそれよりも、男子としての闘争心が、封印した剣を再び抜けとしきりに催促していた。腕をもって救済を行うという概念などよりも、今ここではそうするより仕方がないのだ。 すでに、迷っているときではない。ここに身を置いてしまった以上、わずかであろうとも戦力の一部になることが唯一の道なのだ。 「神はあるとき、民に教えたもう。汝の庇護するところの安寧を維持せんがために、勇武もまた然りとするものなり…」 そのとき、イズキールの口から、聖典の一節が漏れ出た。 そしてイズキールは降参だとでも言わんばかりに、微笑してベンの顔を正視し、 「…わかりました。事ここに至っては仕方がありませんね。神の慈愛を実践するため、わたしは誓いを破って、この剣を再び抜くことにいたしましょう」 それを聞いたベンは、ようやく安堵の表情になった。そして深々と頭を下げて、 「神父様のご決断に感謝します。愛するものと、民族の誇りを守るために、ともに戦いましょう」 酒場の中に、どっと歓声が沸いたのはそのときである。この僧侶の実力に期待していたこともあるが、自分たちの決断が神の意志に沿うものであることを確認できたのが嬉しかったのである。 羽交い締めから解かれたメルは、思い切りイズキールに抱きついた。 「やっぱり、わたくしの見込んだだけのお方ですわ!」 そう言いつつ猛烈にアタックするメルに、当のイズキールは当惑しきりである。 ベンはそれをあえて無視して、いきなり本題に乗り出した。 「もう日が暮れます。敵はすぐそこまで来ています。ここは遊撃戦に持ち込み、奴らにできるだけの出血を強いるべきだと思います」 それを聞いて、イズキールは青ざめた。それではみずから進んで殺されに行くようなものであると考えたからだ。 思いとどまるように説得しようとしたイズキールをさえぎって、いきなり横合いからメルが口を出した。 「ダメね、おじさま。それでは戦術も何もあったものじゃありませんことよ」 ベンは明らかに顔をこわばらせた。女の出る幕ではない。 「黙っていてもらおう、お嬢さん…」 メルはそう言おうとしたのを制して、周囲の男たちを見回し、 「美しく散るのは、誰にでもできますわ。でもあなたがたには、守るべきものがあります。ここを空けてしまったら、いったい誰が守ってくれるとおっしゃるの?」 男たちは返答に窮した。守るべきものがあるといいながら、結局は自分が華々しく散ることを最終目標にしていただけだったことを悟ったのである。 「よろしいかしら、みなさま。生きましょう。生きて、奥さまやお子さまを守りましょう。そのために、わたくしが戦術というものを教えて差し上げましょう」 もはや座長であるベンも、口を出せる状態ではなくなってしまった。と同時に、これはただ者ではないと舌を巻いた。イズキールも、また始まったと言わんばかりの表情である。 メルの丸いメガネに、蝋燭の炎からの光が反射してキラリと輝いた。 |