色がわかりにくいかな?メソポタミア遺跡図

 メソポタミア文明の発祥の地、メソポタミア南部平原の遺跡を、時代ごとにまとめてみた。
 ティグリス・ユーフラテス川が複雑に入り組み、またその多くの支流が織りなして造りだした広大な平野は、ほとんどが湿地帯であった。都市の基盤になるほどの土地は、アシが密生した湿地帯のなかでは貴重なものだった。
 ペルシア湾は現在よりもずっと内陸側に寄っており、今では合流してシャット・アルアラブ川となるふたつの川は、もとは合流せずに、めいめいにペルシア湾に注いでいたことがわかっている。シュメール人の都市は、比較的下流域、またはペルシア湾沿いに点在していた。
 古バビロニア時代になると、都市群は内陸側に移っていく。湿地帯を利用しなくてもよい灌漑技術が発達したことと、長い間の定住で土地の力がなくなってしまったことも原因として考えられる。また、氷河時代の終わりと地球全体の温暖化という自然的な要素も、湿地帯の増加という面からシュメール人の衰退の原因だと考える面もある。
 アッシリア時代になると、中心地はさらに北、「肥沃な三角地帯」へと移っていく。その中心地はアッシュールだった。アッシュールはそれまで、もっとも北に位置した辺境のシュメール都市であるにすぎなかった。だが、これら伝統ある都市群も、ザグロス山脈を越えてきたメディア人によって奪われてしまうことになる。


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