
旧約聖書において、「魔都」の代名詞として登場する大都市バビロン。
その始まりはかなり早く、シュメール都市のひとつディンギルラとして、ユーフラテス川のほとりに建設されたのが出発点である。以来、ここは宗教都市として発展していくが、栄光と繁栄を手にするには、英主ハンムラビの登場を待たねばならなかった。
ユーフラテス川にまたがるようにして築かれた城壁は、当時の最新技術である焼きレンガをふんだんに使用して建設された。シュメールの神ウトゥ(バビロニア名シャマシュ)と同様に、ハンムラビはバビロンの市神マルドゥークにも帰依していたので、両者の神殿は宮殿の一等地に建てられていた。
古バビロニアの滅亡とともに、バビロンは攻め寄せるヒッタイト軍によって徹底的に破壊され、マルドゥーク神像も持ち去られてしまう。再建が始まったのは、それから24年後、カッシート王アグム2世によってマルドゥーク神像が奪還され、バビロンに返還されたときであった。
それからようやく繁栄を取り戻すかにみえたバビロンだが、カルデア王メロダク・バラダンとアッシリア王サルゴン2世との争いのうちに、すっかり荒廃してしまった。サルゴン2世による復興事業も、息子センナケリブの強圧政策のために水泡に帰し、バビロンは再び破壊されてしまう。
現在残っているバビロンの原型は、その息子エサルハッドンの再建によってよみがえった新市街である。復興はその長子シャマシュ・シュム・ウキンによって継続されたが、弟であるアッシリア王アッシュール・バニパルとの抗争によって包囲され、みたびバビロンは軍門に降った。
新バビロニア王ナボポラッサルとその子ネブカドネザル2世は、ジッグラトを大々的に再建して90メートルに及ぶほどの巨大な建造物に仕立て上げ、イシュタル門、行列道路を飾り立てた。この当時の遺跡が、現在も見ることのできるバビロンの姿である。だが、その繁栄も長くは続かなかった。
メディアにかわって歴史の表舞台に躍り出たペルシアが、バビロンの新たな支配者になった。ペルシア王キュロス2世はほとんど無血でバビロンに入城すると、彼はここを拠点にバビロニアの残党や、興隆するギリシア・フェニキア諸都市に対する征服事業を指揮していたが、その後継者ダレイオス1世やその子クセルクセス1世の時代に首都はペルセポリスに移ってしまい、その政治的意味を失ってしまった。
その上、ペルシアの支配に不満をもつ勢力が反乱を起こし、拠点をバビロンにおいたことから、鎮圧後に報復として破壊されてしまった。この破壊はそれほど徹底したものではなかったと思われるが、首都としての機能を失った都市など、情熱を傾けて再建するべき対象では、もはやなくなっていたのである。その後、アケメネス朝ペルシアが続くかぎり、バビロンは忘れられた古都になってしまった。
バビロンがこの世に生まれ変わるべき最後のチャンスは、アレクサンドロス大王によるジッグラトの再建計画だった。彼は本気で、みずからの首都をバビロンに定めるつもりでいたのである。
だが神は、その最後のチャンスでさえも棒に振ってしまった。アレクサンドロスが早世してしまったのである。
アレクサンドロスの後継者たちは、もっと現実的であった。首都はバビロンではなくセレウキアに移動し、ここは往事の繁栄をしのぶギリシア人の植民都市として最後の余生を送る。当時の円形劇場の跡が発掘されていることから、まだかなりの人口を擁していたのではないかとされる。
セレウコス朝シリアを攻略したパルティアも、首都をヘカトンピュロスに定めたことでバビロンは復権の機会を逸し、紀元前2世紀、隊商路の移動とローマの強圧の前にバビロンはついに放棄され、最後のパルティア人が去って以降は、二度と再建されることはなかったのである。