

当室は、人類最初の文明としてメソポタミアに花開いた文化の数々を、
現代によみがえらせ、多くの人々に知っていただくために開設いたしました。
メソポタミアでは、エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)と並び称される「楔形文字」が生まれています。
19世紀以降、人類はこの謎の文字を解読せんと、心血をそそいできました。
そして今われわれは、当時の記録をひもとき、かれらが生み出した文化の数々を、
現代の言葉として読み、伝えることができるようになったのです。
当室ではまず、楔形文字の変遷と言語の出自、
そしてそれによって書かれた、世界文学『ギルガメシュ叙事詩』を読み解きます。
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| 1. 言語と文学 | |
| ●言語を伝える文字の存在 | メソポタミア文明にとって、文字とはどういった意味をもつものだったのでしょうか。もっとも初期の文字をみながら、先史時代から続く文字と民衆とのかかわりと、それがどのようにして文明の骨格をなす文字にまで発展し得たかを考えます。 |
| ●シュメール語の発明 | 絵文字から発展したと考えられているシュメール語は、最初の楔形文字だったにもかかわらず、解読できたのはいちばん最後でした。それほど、シュメール語は高等で、難解な文字だったのです。 |
| ●支配言語・アッカド語 | セム系のアッカド人がメソポタミアを制し、それによってアッカド語もメソポタミア全土にくまなく広がりました。難解だった文字は、そのころ民衆のものとして一般化していきます。それには、どのような努力が必要だったのでしょうか。 |
| ●歴史書の登場 | 今、われわれがメソポタミアの歴史を、あたかも近代の西洋史のように読むことができるのは、歴史書の存在が不可欠です。ここでは、その記録のしかたを、バビロンとアッシリアのものを比較しながら説明します。 |
| ●文学作品の発達 | 歴史を記録するだけでなく、文字は文学作品をも生み出しました。ここでは『ギルガメシュ叙事詩』を例にとって、それがいかにして知られるようになり、現代のわれわれが読むことができるようになったのかを考えます。 |
| ●世界文学『ギルガメシュ叙事詩』 | 世界的に知られる『ギルガメシュ叙事詩』はただの神話ではなく、人間生活と当時の思想を色濃く反映した内容をもっていました。あらすじを追いながら、伝説上の人物・ウルク王ギルガメシュの冒険と挫折をみていきましょう。 |
| 2. 建築技術 | |
| ●初期建築−村落とジッグラト | ジッグラト(聖塔)に代表されるシュメール時代の建築技法の、ルーツとして考えられているのはどういった遺跡なのでしょうか。またその完成形のひとつであるウルの「赤のジッグラト」を紹介しながら、シュメール建築の粋を考察します。 |
| ●バビロニア−バビロン | 聖書に登場するバビロンは、魔性の大都市として描かれています。世界の七不思議のひとつ「空中庭園」や、神話の舞台「バベルの塔」、そして近代になって発見された豪壮たる「イシュタル門」「行列道路」を紹介します。 |
| ●アッシリア−ドゥル・シャルキン | アッシリア王サルゴン2世の夢の都「ドゥル・シャルキン」。バビロンを模して造られたという巨大な新首都の姿と、目を見はるほどの最新技術。そんな理想の都市が、どうして忘れ去られ、砂漠に埋もれなければならなかったのでしょうか。 |
| 3. 美術 | |
| ●彫刻 | アラバスター(雪花石膏)や閃緑岩でつくられた像、インダス文明からもたらされた紅玉髄でできた装飾品。それらはどうして作られ、何の目的で使われていたのでしょうか。美術品としてだけではなく、宗教的・実用的な意味もあったのではないでしょうか。 |
| ●円筒印章(グリプティク) | 印章の文化は、元祖は日本ではありません。粘土板の上で転がして図案を簡易的に示すことができた円筒印章には、美術品だけではなく、護符や私有財産、身分の証明などの意味合いもあったようです。その美しい図案の数々を紹介します。 |
| ●金属工芸 | 世界で最初の青銅器文明を実現したメソポタミアでは、金属はどういった位置づけだったのでしょうか。また材質が銅から鉛、銀、そしてヒッタイトによって鉄が持ち込まれて変化していく過程で、金属器は人々の生活にいかに影響したのでしょうか。 |
| ●実用品 | 文明の詳細な姿を知るには、民具の変遷を抜きにはできません。ここでは武器、日用品、衣服、土器、そして船や副葬品を題材にとりあげ、メソポタミアの人々がどのような暮らしをしていたのかを詳しく解析します。 |
文字と言語は、先史時代においてはもっとも高等な文化であった。

シュメール時代以後、メソポタミア文明における中心的で特徴的な建築といえば、「ジッグラト(聖塔)」に代表される神殿形式であろう。最初は広間と供物台、そして祭壇がある建物を城壁で囲ったものが主流だったが、初期王朝時代になると巨大化する。ウルクで発見された「白色神殿」は、階段つきの高さ13メートルにおよぶ基壇の上に建っている。もとは建物の中心にあった祭壇が、建物の奥に移動したことも変化点である。
イシュタル門を挟んで南側には、「南城」と呼ばれる王族の居住区がある。ここは玉座の間や中庭、神殿をも含む構造物群で、有名な「空中庭園」もここにあった。空中庭園は7層からなる階段状の花壇を積み重ねたもので、ネブカドネザル2世が王妃の郷愁を慰めるために造らせたものである。ポンプのような仕掛けを使って、川からいつでも水が供給され、雨のほとんど降らないバビロンでも、そこだけはいつも緑にあふれていたと言われている。現在では、空中庭園はユーフラテス川の川沿いにあったのではないかという仮説が立てられているそうである。
北部メソポタミアを起源にもつとされる円筒印章は、シュメール人たちによってまたたく間にメソポタミア全土へと広まっていった。北部で使われていた時代にはすでにその彫刻技術は最高水準に達しており、題材も植物・人物・動物・建物・怪物・船・道具・各種のシンボルなどさまざまである。