十七日目(4/21:金曜日)


6:30起床。おなかがすいて目が覚めました。さすがに夕食がカロリーメイトとクリームウエハースだけじゃあねぇ・・・・。テレビをつけて着替えていると、映ったのは懐かしいキャラクター。ハイジとペーターがいました。しかも宮崎アニメそのものの絵だし、テーマソングだけがちょっと違うだけであとは全く日本で見ていたものと一緒でした。その日はヤギのユキちゃんがなかなか大きくならないので売られそうになるのを阻止しようと、ハイジとペーターがおいしい草を取ってユキちゃんに食べさせる場面でした。次にはじまったアニメは「みつばちマーヤ」です。懐かしい・・・。
朝食は宿泊料金にセットされていたので、朝一番で行ってたくさん食べようと食堂へ急ぎました。メニューの種類は多くなかったのですが、コーヒーが銀のポットでミルクとたっぷり運ばれてきましたし、パンも2種類だけでしたがジャムやマーマレードを付けたり、ソーセージを挟んだり、チーズをのせて3つも食べました。その他オレンジジュースとフルーツを食べて、やっとおなかが落ち着くと、部屋に戻って荷物をまとめて早めにチェックアウトをしました。(100SF)

スイスフラン。右が「水曜どうでしょう」の鈴井さん似

バスターミナルはホテルを出て5分とかからないでしたが、乗り遅れてはいけないと念には念をいれて8:30には出かけました。定刻どおりにバスがやってきて、フェルトキルヒまでダイレクトで運行してくれたので、居眠りだってできちゃいます。帰りも、パスポートチェックは受けませんでした。
フェルトキルヒに戻ってくると、オーストリアは祝日ではないので銀行だって営業していました。早速スイスフランをシリングに両替して全部使ってしまおうと繁華街に繰り出しました。ここにもお城がありますが、やっぱり山の上にあり質素な建物はリヒテンシュタイン城と似ています。

アルプスの花々

かわいいお店があったので、中にはいるとキルトで出来た動物や厚手の上着やチロリアンハットなどがあって、見ているだけで楽しめました。その中でエーデルワイスの花模様のスカーフがマネキンの首に飾ってあるのが目に入りました。紺色と緑と黄色がありましたが、紺色だけマネキンのつけている1枚だけとなっていました。しばらく悩んでそれを買って、他にオーストリアのロゴ入りTシャツと絵はがきを買いました。絵はがきは、ハイジにも出てきていた「大つのの旦那」と「かわいいの」が写っています。
(スカーフ149S・Tシャツ199S・絵はがき44.59S)

「大つのの旦那」と「かわいいの」

お店を出てちょっと歩くと、今度はかわいいケーキ屋さんを見つけました。マジパンの人形や動物やお花がウィンド一面に飾られていて、とっても綺麗。中はケーキとチョコが半分、パンも半分置いてあります。私が買ったのはブリッツェルとクッキー。ケーキを買って汽車の中で食べたいなぁとも思いましたが、甘すぎて途中でリタイヤした時の事を考えると、冒険するのは止めようと決めました。(パンとクッキー24.8S)
車酔いの薬も飲んで完璧な状態で汽車に乗りこみました。帰りはまっすぐウィーンまでなので、あの綺麗なグラスワゴン車を予約していました。窓際なので景色も堪能できるし進行方向の席なので車酔いの心配もありません。
・・・・と思って席をみつけましたが、人が座っています。しかも大人数。私の席に座っていた男性はすまない様子も見せずに私を手招きすると、本来の自分の席に連れて行き、ここと席を交換してくれと言っている様子。
グラスワゴン車はいつも1両接続なのですが、さすがにイースターの連休前
だけあって2両接続されているにも関わらず大勢の人でごった返しています。「話はこのおばちゃんにしといたから、安心して」と言い(そんな気がした)おじさんはいそいそと私の席に戻っていきました。交換した席は進行方向と逆で、しかも一人掛けの狭い席です。そのうち汽車に酔ってきてしまい、周りの人とのコミュニケーションどころではなくなりました。
車掌さんがチケット確認しに回ってきたので私はチケットを出すと、隣の女性が理由を話してくれましたが、酔ってしまった私は慣れない英語で「乗り物酔いがひどいので、進行方向の席に移りたい。どこかの駅で人が降りたらそこに変わります」と言いました。車掌さんは判ってくれたんだかくれないんだか、忙しそうだったので「OK!OK!」と言って去っていきました。
・・・暫くして、どこかの小さな町で、すごくたくさんの人が降りていきました。なぜだろうと思いましたが、北海道でもGWまでスキーが出来たりするのと一緒で、休暇にスキーやポードをする家族連れがたくさんいたようです。
これ幸いとすぐに席を移動して、進行方向の席に移りました。しかも4人乗
りの広い席で居心地満点です。フェルトキルヒで買った忘れかけていたパン
を食べたり、ちょっと寝たりして快適に過ごしました。
インスブルックからは人も入れ替わりがひどく、私の席には4人連れの家族
が離れて座っていました。回りを見ると一人掛けの進行方向の席が空いていたので、私は席をズレて他の席に移動しました。ウロウロとグラスワゴンの車内を放浪しながら、7.8時間かけてウィーン西駅に着きました。
まず駅について最初にした事は、友人が滞在しているグリンツィングの親戚
の家に電話をかける事です。電話に出るのは現地のお母さんなのでドイツ語で会話をしなければ!
「ヤー」とお母さんが出たので「グリュスゴット!!イッヒハイセ・・・え〜、みなみ。○○(←友人の名前)ビッテシェン」
2週間以上滞在していて、まだこれくらいかい・・・?!という感じのボキャブラで私が話すと、電話の向こうでお母さんがまくし立てるようにドイツ語を話しています。全然チンプンカンプンだったので必死に友人の名を繰り返していると、やっと分かってくれたのか、お母さんが友人の名前を叫んではいろいろ話し掛けてきました。きっと何か手が離せない状況があって、呼んでいるがなかなか彼女が来ないとか言ってくれているのでしょう。
そのうち聞きなれた声が聞こえてきました。私達はしばらくの間、異国で友人に会えた興奮と喜びを分かち合いましたが、彼女は今日ウィーンについたばかりですが、私はあと3日で帰国してしまうため、お互いのスケジュールを調整して2日後のお昼にグリンツィングで待ち合わせする事にしました。以前カーレンベルクの丘に行った時に通った駅なので、道にも迷わないでしょう。
友人とのアポも完了したので、後はペンションに帰るだけです。
西駅から地下鉄と電車を乗り継いで、まずはレストラン弁慶へ向かいました。ウィーンに最初着いた時の緊張感は、もうありません。あるのは弁慶のお母さんやスタッフの皆さんに会える嬉しさだけです。
「おかえりなさい!」お母さんは風邪も治って、元気に迎えてくれました。
何日振りかの日本食を食べて、お母さんに小旅行の報告をすると、お母さんは「あなたが元気に帰ってきたのが嬉しい」と言ってくれました。
そして、明日夕方までお母さんがお休みなので、今までできなかったランチに行きましょうと誘ってくれました。おいしい中華のお店が近くにあるそうです。そして、私のいない間に2組の日本人がペンションに滞在していると教えてくれました。一人は私と同じ一人旅の女性で、もう一組はご夫婦だそうです。一人で滞在している女の人に、お母さんが私の話をいろいろしたそうで、その時是非情報交換がしたいと言っていたとの事。ペンションに戻ってからちょっとあいさつしようと、近くのお店でアイスを買って帰りました。
彼女の部屋をノックすると、とてもかわいい女の子が顔を出しました。
「一緒に食べませんか?」と彼女を食堂に誘ってあいさつをしてから、初対面とは思えないほどいろいろ話をしました。彼女は「こずえさん」という名前で、ウィーンへはポーランドの通過点という事で短期の滞在予定だったのですが、弁慶のお母さんがポーランドへの一人旅を治安が悪いと止めたため、もうすこしここで考える事にしたそうです。私も治安が悪い事は聞いていましたが、彼女の旅のメインがクラクフ(アウシュビッツ)へ収容所を見る事と聞き「日本は戦争の事実を隠す事しかしてこなかったので、私は戦争で何が行われたのか全く知りません。日本で教えてくれないのであれば、他の国に行ってこの目で確かめたいんです。」というこずえさんの話を聞くと、行くなとは言えなくなりました。
そこで、私は自分の持っていた列車のチケットを譲って、メルクの近くにあるオーストリアのアウシュビッツと呼ばれるマータウゼンの町の話をしました。その町にも同じような強制収容所があるので、一度そこを見学してきて、それでもクラクフに行きたいのであれば、気をつけて行くようにアドバイスしました。トーマスクックの時刻表ももういらなくなるのでこずえさんへ渡して、他にもいらなくなった資料で役立ちそうなものを全部もらってもらいました。
熱心な私達の会話が聞こえてきたのか、ご夫婦で滞在している「伊藤さん」の奥さんが食堂にやって来ました。お互い初対面の挨拶をすると、3人でまた新しい話題に盛り上がりました。伊藤さんも旦那さんとしか話さない日が続いていたので日本語に飢えていたのかもしれません。それは私もこずえさんも同じ事だったので、1時間以上話し込んでいました。
すると、突然「岸谷五郎」が姿を現したのです!

岸谷五郎ファンのつどい・・・のような食堂にて。
左から、こずえさん・私・伊藤さんご夫婦

・・しかし、それは伊藤さんの旦那さんでした。それにしても似すぎてる・・・。
結局4人全員集合してからも、ウィーンでの失敗談や情報交換で1時間以上楽しい会話を楽しみました。
結局3時間近く食堂で過ごした私は、やっと懐かしい自分の部屋に戻りました。すると、部屋の様子がちょっと変わっていました。
弁慶のお母さんが、ベットメイキングをしなおししてくれて、新しいシーツと枕カバーに掛け布団も新しくなっていました。
私は、小旅行の荷物を整理してからベッドの中で日記をつけていましたが、いつのまにか眠ってしまい、夜中に電気がつきっぱなしなのに気づき、寝ぼけながらスタンドを消してもう一度ゆっくりと眠りました。


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