私の札幌映画史D

私の札幌映画史||@|A|B|C|E|F|G|H|I


 会社に入って三十年の歴史となる私は本稿を進めるうえで家庭を大切にすることが肝心だと思っている。

 家庭の歴史をひも解くとそのまま映画の冒頭シーンにつながる。
 鮮やかな作品として最後まで観客を引き付けるか筆をすすめてみる。

 私には男ばかりの子供がいて、長男二十六歳、今回結婚の次男二十五歳。
 少し離れて三男二十歳だ。

 出会いから六年、グランドホテルで結婚式をあげた2男の舞台裏に本稿はスポットを当ててみる。

 三男が肺炎を引き起こして生死の境をさ迷ったのが二年前。
 映画の冒頭シーンに置き返えると札幌市立病院に運ばれる顔面蒼白な3男のアップ。

 てきぱきと仕事に勤しむ病院の受け入れ態勢。
 街行く救急車のサイレン。
 救急隊員の懸命な生命維持に拘わる采配ぶり。

 おろおろした心配そうな父親
 気丈に息子の名を呼び続ける母親の顔が交差する。

 集中治療室を行き交う医師。
 看護婦の処置によってひとまず一命を取り止めた三男を乗せた救急車は、道南方面の八雲町にある肺炎専門病棟を完備した国立病院に向かった。

 三ヵ月の入院が決まり、つき添う女房の元へ、実家が八雲である娘さんと、ご両親が次男共々見舞に訪れた。

 以来二人二人の中は家族ぐるみで祝う結果となり結婚に至った。

 消防に勤務されているお父さんは作家の小檜山博さんの八雲応援団事務局長を務める粋な人。

 八雲町立病院に当時勤められ現在、町立の老人福祉施設勤務に移られた優しいお母さんの環境に育ったせいか 奇しくも次男夫婦と同じ福祉の専門学校に入学した嫁さんの弟である。

 福祉をキーワードにすると、人工呼吸器を離せない弟思いの長男は、医薬態メーカーに勤務して映画ならアットホームなシュチェーションになる。

 六月二十日サッポロファクトリーに十一の映画館がオープンした。
 観客の求める映画をよい環境で提供する事が求められ札幌の映画業界もいよいよ激戦の時代に入った。

 昨年夏に公開された「もののけ姫」は「E・T」が樹立していた興行並びに配給収入記録を15年振りに塗り替えた。

 私にして見ると危機を乗り越え愛を勝ち取った「タイタニック」の公開から感ずる事は、ご両親との出会いによって、あっさりと現実味を増した息子たちの結婚と重なり感慨が深い。

 ドラマと言えば生き延びるか、それとも破滅かが大きなテーマとなる。
 極限のなかで強く結び付く孤独の魂を描いた作品の「不夜城」がある。

 新宿歌舞伎町や新大久保辺りのザワザワした無国籍地帯を舞台にした小説「不夜城」の映画化だ。

 現実と虚構が常に交錯する市街地や路地裏の世界に展開するどろどろした人間模様からすれば、わが家のエピソードは限りなく甘い作品になる。

 民族と言語、権謀と欲望がまぜこぜになった「不夜城」の世界に半ばのめり込むと、取り返しのつかない世界になりそうだ。

 結婚式から一ヶ月たったある日、息子に年内には、おじいちゃんです。
 おめでとうと告げられた。
 ラストシーンに喜びを隠しきれない自分を想定する様な映画では、単純すぎてヒットは望め無いかな。

 息子の結婚にまつわり書いてきた今月なのでお祝い余聞を少しつけ加える。

 UHBの山田英寿アナウンサーが四十路を過ぎて三月パパになった。
 HTBの彰アナウンサーもめでたく結婚した。

 両アナウンサー共に夕張国際映画祭で伴侶を見つけ、映画大好き人間の集まりであるシネマル会のメンバーからやんやの喝采を受けていた。

 (FM・中田美智子/HBC・満崎由美子/フリー・五十嵐いおり/STV・工藤準規)他がメンバーだ。

 シネマル会メンバーのフリーアナウンサーの栗葉喜代子君は日頃(くりっぱ)の愛称で多くの映画フアンに人気がある。
 若者に読まれている地元タウン誌に映画エッセイ欄を持っており年間300本近く映画鑑賞している裏付けがあるだけに好評だ。

 次男坊の結婚式には病後2週間立たないのにも拘わらず当意即妙な司会で披露宴を盛り上げてくれた。
 くりっぱ君は、ゴールデンウィークの頃、見晴し良い9階に位置する参婦人科病棟で満開の桜を観賞し「栗葉さん洗面所でパーマをかけないで下さい」と指摘されたつわものでもある。

 昨年の夏に引き続いての入院で何かと話題をふりまき婦長さんの教育的指導があってお目玉だったのだ。

 くりっぱ君の話によると「従姉妹の美容師に頼んでパーマしてもらっていたのを婦長さんに見つかっちゃたのさ」であった。

 倅の頼みを聞いてくれた手前、女房と私は次男坊と婚約者を伴い家族一同で病室に足を踏み入れた。

 すると「剃毛が全部の人と半分の人があるよね〜え」「あんた、おへそのゴマ取られなかった」と言った他愛のない会話で病室で盛り上げる声が聞こえた。

 御目出度で入院したんですかと尋ねた息子の婚約者の質問にくりっぱ君は、腰がぬけんばかりの大笑いだった。
 この辺りはデリケートな女性の肉体ゆえに深く詮索しないで「食欲はあるかい?」と、私が話題をそらした。

 待ってましたとばかり「美味しさよりカロリー優先なんだから」「食いしん坊の私にしてみれば食事代は患者負担になっていて当節バイキング形式でもいいから好きなもの を自由に食べさせてくれる病院食があってもいいのに残念ね」とのことだった。

 息子の結婚式にはデーブマンの愛称で親しまれ「ベストテン北海道」を担当した往年の人気番組パーソナリティ高田文之君も出席。

 余興で北島三郎の「祭」を熱唱してくれた。

 くりっぱ君、デーブマンとスクリーンホット情報のテレビ番組を持っていたHTBの長谷川弘和君の3人は、次男坊が高校のとき放送部に属しており、放送人として の心構えを2年間アドバイスしてもらったことがある。

 そのことが要因で奈良愛美君がレポーターを目指し、日高悟郎さんの番組でアシスタントを努めるに至った。

 奈良君は現在独立して事務所を構え、フリーの立場で放送業界に拘わる仕事についている。
 こうして書いてくると、人の人生1回限り。

 チャンスをつかみ飛躍するのは本人の努力次第で運が開くものだと思わずにはいられない。
 脱線気味を祝い事の記事構成に免じて本号の文責とする。
 
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