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2004年6月
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▼ 30日(水) ハリー・ポッターを観てきました
ハリー・ポッターを最初に知ったのは、もう、今は、休刊になった『時事英語』のインタビュー記事だった。何とも売れている本がある、というニュースだった。
しばらくして、いろんな所で紹介されるようになった。
そして、私は無謀にも、その年、高校生の勉強として、『賢者の石』の英語版を選んだ。
それまでは、『オズの魔法使い』など、誰もが知っている本を選んでいた。
その年の高校生は、幸い、英語が好きで、成績も良かったので、教科書を勉強する必要がなかった。一生懸命に読んだ。終わるまでに1年半かかった。
難しかった。魔法の言葉が沢山出て来て困った。ハリー・ポッターファンのウェブサイトのページに大変お世話になった。感謝です。
それ以降、『アズカバンの囚人』まで、何となく付き合う、という感じで、ハリー・ポッターを読んでいる。そして、ついでに映画も。
教えている子どもたちにもファンは多い。
本など読みそうにない子が、大事に大事に、ページからページへ読んでいた。
また、英語の単語は全く記憶にございません、っていう子が、登場人物の名前とその周囲の細々した事を完璧に覚えているのには、少々、呆れ、開いた口がふさがらない状態だった。この頃、「観た?」という会話が飛び交っている。何を観たのか説明は不要。
ホグワーツの校長先生以外にお説教らしい言葉を、それも、一つか二つ、言わないのが良い、と私は感じている。良い本は説教をしません。
『賢者の石』は私一人で観たが、『秘密の部屋』と『アズカバンの囚人』は連れ合いと二人で観た。『秘密の部屋』の時には連れ合いは、半分以上完璧に眠っていた。
今回は、眠ってはいなかったようだが、「よく分からないところがあった」と話した。
もしかしたら、起きているようで、眠っていたのかもしれない。
クリスチャン的に問題もある物語と言う人もいる。
私が、『賢者の石』を使って英語の勉強をしている、とこの日記に書いたら、長い長い「お説教」のメールを頂いた。しかし、ハリー・ポッター以上の魔法、呪い(まじない)、占いなどを扱った本、それも、伝統的な子どもの話は日本には沢山ある。
アメリカでは大変な反対、抗議運動が起こったらしいが、日本ではどうだったのだろうか。
牧師などが、公に抗議運動をしたかもしれないが、私は知らない。
教会学校の子ども達に「あの本は読んではいけません」「あの映画は観ないように」と通達を出した教会もあったのだろうか。
翻訳者の松岡 佑子 さんが、『百万人の福音』か『クリスチャン新聞』で大きく取り上げられたのには記憶がある。
いづれにしても、映画は面白かったです。
2004年、半年、終了。感謝。
▼ 29日(火) ノネズミに染色体異常
昨日の新聞に載っていた。
おもわず、アメリカ映画を思い出した。
多くの動物が、人間が造り出した化学物質の副作用(?)によって、異常な生き物となって、人間の前に出現する、という、かなり、ワンパターンなストーリーの映画の数々。
それが、現実になるのかな?
これも神の御手の業か、とも考える。
全てを支配される神様。善きも、悪しきも。
人間は、これは、神の業、御旨ではない、と言うかもしれない。
にもかかわらず、全ては神様の御手の内にある、と信じたい。
あれは神の御手の業だ、または、業ではない、と私たちは言う。
神の御旨だ、または、神の御旨ではない、と造られた人間に言い得ようか。
善い人も、悪い人も、悪魔も用いられる神様。
表面に現れた現象−−−善いことも、悪いことも−−−だけで、「神様がこれをされた」「神様がそんなことをされるはずはない」と自分勝手な結論を、出していないだろうか。
新聞にも書いてあったが、染色体異常はノネズミだけではないだろう、ネズミが発見された近隣地域、もしくは、全国的な広さで染色体異常は進んでいるかもしれない。
「蒔いた種は刈り取らねばならない」と聖書が言っている。
いつ、どのようにして、誰が、この結果を刈り取ることになるのだろうか。
神様の御心は、私たち、主を信じる者が、結果として、幸せになること。
何が起こるか分からない世界に生きているが、なお、主も同じように生きて働かれているのだから、アタフタしないで、神様が今の世界に何をなさっているかを、冷静に(出来れば)見つめて行(生)きたい、と思わせた新聞記事でした。
▼ 28日(月) 罪は放っておくと・・・トホホ・・・
そのパソコンがウイルスに感染しているのは知っていた。
去年だったか、NHKのニュースで聞き、見た、直後に私のPCも感染した。
インターネット接続していると、突然、画面の真ん中に四角い窓が現れて、
60秒後にPCをシャットダウンします、を通告するウイルス。
そのパソコンは仕事に持っていく、携帯用で、インターネットにはほとんど繋がない。
普通に使うには何の障害もないので、放って置いた。
1ヶ月くらい前、久しぶりにそのPCでインターネット接続をした。
すると、アクセスポイントが変わっていて、再設定の必要を知った。
これも、その後、そのままにしておいた。
そして、今日、気分が少々良かった。
何かが出来そうな予感がしたので、インターネット接続設定をし、ついでに、ウインドウズのアップデイトでもしようか、と考えた。
接続は簡単に終了。
アップデイトにかかった途端に「シャットダウン」の警告。
それから、ウイルス対策で有名な2社のサイトから駆除ツールをダウンロードして、駆除にかかったが、今なお、そのPCにはウイルスが巣くっている。
また、いつの日か、再挑戦。
何度も駆除ツールをかけながら、「罪」について考えましたね。
何とも大変です。追い出すのは。もっと、早く、あのニュースが流れた頃に対処していたらと、非常に悔やんでいます。ウイルスを甘く見ていました。罪を軽くみてはいけません、という自戒です。・・・なんだか説教調でごめんなさい。
▼ 25日(金) やっぱりカメラの進化
21日にもカメラのことを書きましたが、今度も、カメラの威力を。
あるカメラ雑誌を見ていた。
そこに、「ツノメドリ」の顔の写真が大写しで載っていた。
そして、私は、本当に「角目」を確認出来た。感激です。
鳥や植物の名前がカタカナ表記なので、時々、和名は漢字表記を併記して欲しいと思うことが度々あります。和名には情緒があります。(と、感じるのは私だけ?)
ツノメドリも、あまりのアップに可愛らしさは全くなく、まるで、怪鳥。
この頃、デジスコなどが流行っていて、遠くの鳥がもの凄いアップで撮れるらしい。
私も一度デジスコを見せて頂いたが、焦点を合わせるのに苦労した。
自分のデジカメをデジスコにしようと試みたが面倒なので、倍率の高いデジカメの出現を待つことにした。
「遠目、夜目、傘の下」という言葉がありますが、鳥も、遠目で見て可愛く思っているほうが、幸せなのかもしれません。
が、識別にはどうしても、もっと近くで、とフィールドで焦っています。
スコープを出せば良いのですが、またまた、無精な性格が、車のトランクまで行くのを面倒がらせます。そして、スコープも三脚がついていると重いです。
近くの川に、カワガラスとイソシギでも見に行きたくなりました。
▼ 24日(木) 知らないうちにカウンセラーになっている人
75歳くらいの女性と話した。
大変元気な人。
いろんな人が気楽に話しかけるタイプの性格らしく、話しかけられると、それ相応に対応し、お喋りを楽しんでいるらしい。
彼女は、最近出会った人との会話を少し披露してくれた。
聞きながら、私は、なるほど、このような対応だったら、人も話したいだろうなぁ、と思った。彼女は「カウンセリング」や「カウンセラー」という言葉を知らないし、関心もないだろう。しかし、彼女がしていることは、まさしく、カウンセラーと同じ事をしている。
そして、本人が全くそれに気付いていないのが良い。
「こういう人に私もなりたい」というこの頃使い過ぎの言葉が再び出て来た。
▼ 23日(水) 感謝なこと
このページのタイトルは「一羽の雀が言いました」で副題みたいなのが、「数えてみよ、主の恵み」(聖歌の題より)です。
多くの恵みがあるはずです。
そして、多分、私は今それに気付いていないのでしょう。
何だか、朝から晩まで、不平たらたらで過ごしているような気がします。
大きな不平や、不満はなさそうですが、小さくて些細なことに文句を、心の内で呟いている自分がいます。こんな些末なことに振り回されて、と自己嫌悪に陥ります。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
全てのことに感謝しなさい。
大好きな聖句の一つです。
どうでもいいことに文句を言える境遇にも感謝しましょう。
▼ 22日(火) エレミヤ 2:37
そこからもあなたは、両手を頭にのせて出て来よう。主があなたの拠り頼む者を退けるので、あなたは彼らによって栄えることは決してない。
依り頼む「もの」が沢山ある。
人間、書籍、メディア、癒しの自然界などなど。
行動範囲や守備範囲が広い人はもっともっと、「依り頼むもの」を確保していると思う。
しかし、それらは、私たちの「栄え」になることはない、と主は言われる。
思いめぐらしてみると、確かに、人間も、書籍も、メディアも、癒しの自然界も、全て神様の御心のままに作動しているのだから、いわば、一次的なものではなく、二次的、三次的なものに頼っていることになる。
寄り道、回り道をしていることになるだろう。
最初から、聖書が言うように、神様だけに、目と心を向けるなら、人生の無駄も少なくなる、と主が言われているような気がする。
「立ち返って」「主に依り頼む」なら「救われる」。
▼ 21日(月) カメラの進化?
TVの音を消し、教育TVを見ている、と言っても、時々顔を上げて画面を見る程度。
同じ番組が何度も放映されるし、音がなくても結構楽しめる。
先日気付いた。
もっと、昔に気付いて良かったのかもしれないが、私は、先日気付いた。
虫の映像がやたらと大きい。
虫だけではないのだが、虫が気になる。
ズームし過ぎるというか、もの凄いアップで虫の顔や体を見せられる。
まるで怪獣映画。全体像が掴みにくいこともある。
虫も嫌いでないことはないが、毛虫系はまだまだ好きではない。
鳥見をするようになって少しは「毛嫌い」しなくなったが、「食べてみたい」と思うには至らない。鳥の雑誌や本を読んでいると、「食べてみたくなる」と書いている人がいる。
それにしても、毛虫がモコモコ歩いている姿を、毛が1本1本見える大きさで横から接写して見せられると、目を反らす。
そして、考えた。
以前は、こんなに接写ではなかった、ようなのに・・・。
その頃は、毛虫も可愛かった。
神様の光を当てられて罪が見えて来て、自分が嫌になるように、余りの感度の良いカメラとズームの効いた映像を見せられて、毛虫系に目を背けているこの頃です。
▼ 20日(日) 主の日:小さな花の慰め
礼拝後、一人の女性と話した。
カラシの花が咲いた、と先週言っていた。
その続きとも言うべき話題。
花を見ていると慰められる、とお互いに感じていた。
人間のオドロオドロシイ(感動的とも言う)証(伝道の書12:13 結局のところもうすべてが聞かされていることだ)もいいが、もの言わぬ花、神様の愛をさり気なく見させてくれる花を見ていると、私はこの花以上に愛されている、と実感する。
人間の証を聞き、あたかもその人だけが、立派な証をする人だけが、神様に愛され、用いられている、という風な解説を聞くと落ち込む。その落ち込みを慰めてくれるのは、神様が人間のために想像された自然界の生き物や生き物でないもの。例えば風景。
動植物に接していると、この花、この生き物は、自分がそこに存在していることを全く知らないのだろうか、と時々不思議に思う。
神様は、神様と彼らだけの通信手段を持っていて、私達が聖書を通して神の創造物であるのを知らされているように、彼らも神様の創造物であることを何らかの方法で知らされているのではないかと、考えることがある。
昔、昔、娘がまだ生後何ヶ月、という呼び方をされていた頃。
娘の目を見ながら、絶対に、この「赤ん坊」は、「分かっている」と感じたことが度々あった。言葉では説明しないが、目は脳の奥を顕している、と思った。
私を直視する視線に耐えることが出来ないこともあった。「全部知っている」という目だった。
昔、昔、鳥にさえ説教したという アッシジの聖人フランチェスコがいた。
「そういう人に私もなりたい。」
▼ 19日(土) 最高に疲れる日
土曜日は午前、午後、夜と仕事をする。
もう、肉体的にはかなり疲れる。
朝から1日を考えるとめげそうになる。
でも、仕事をしていると疲れを感じない、というのが今までのパターンだったが、今日は疲れた。
午前中の仕事中に「首に鉛をぶら下げている」ような感覚に何度もなった。
首を上げるのに吐き気を催した。
が、3時間目になって首の懲りが和らいだ。
年中肩凝り、それも20歳の頃からの肩凝りなので、肩凝りのために祈ったことはない。
自分の中に巣くう、感じない罪について祈らないのと同じ。
でも、土曜日の午前中、最初の仕事から首に鉛では、夜の仕事が思い遣られる。
私は、即、首の鉛のために祈りました。
午前中の仕事は小学生が相手。
特に、3時間目は小学1年生と2年生。
何とも可愛いし、驚かされることがあって楽しい。
小学1年生の女の子。
時間中、ずっと、カワイイお喋りで楽しませてくれる。
時々、ノートに絵と字が書いてあるカードを見ながら単語を書いて貰う。
例えば、cat。
普通はcatと書く。
ある日、彼女のノートを見て、どうしても読めない言葉があった。
カードにそのような単語はない。
何と、彼女は字を逆さまに書いていた。読めないはずです。
慌てていたのだろうか。カードを逆さまに見て書いていた。
器用なことをするものだ、と感心した。
土曜日の最後の仕事まで守られて事を感謝しつつ、帰途につきました。
▼ 18日(金) シラサギという鳥もカラスもいませんのに・・・
超バーダーが、1年間かけて、見た鳥の数を競う競技を描いた読み物を読んでいた。
アメリカの話だ。
「超」がつくバーダーは、飛行機、車、列車、船に乗り、アメリカ全土を、鳥を求めて、それも、珍鳥を求めて旅をする、らしい。
この本の訳者は、鳥の名前については、野鳥の会や山科鳥類研究所で発行している本にお世話になったと書いている。
重箱の隅をつつくのだが、この本に「シラサギ」という名が、他の珍鳥の名前と併記して登場した。「シラサギ」という名の鳥は居ないのは、鳥見の間では常識になっているのだが、訳者は、「シラサギ」が居ると思って、確認しなかったらしい。
訳の難しさを考え、訳者に同情し、そして、少々白けた。
同様に、初心者向けの探鳥会で、「カラスという鳥は居ません」とベテランが、きっぱりと、しかし、なぜか、ニヤニヤして説明するのを聞いて度肝を抜かしたのは、私だけではないだろう。私たちが普通に見るカラスには、「ハシブトガラス」や「ハシボソガラス」という名前がついている。「ガラス」なのだ。何の世界も奥が深い。
この本を昨夜から読み出した。
でも、「明日に備えて、寝よう」と大変良い心がけで本を閉じたのだが、即、夢を見た。
夢の中で私は、この本を教材にして、鳥の英語名を教えている。
そして、余りの難しさに「ダメだ」と諦めたところで目が覚めた。
一旦本を閉じたが、頭の方は、「続きを読みたい」と切に願っているらしい。
そして、夜中の2時から4時頃まで読み、睡魔に勝てず眠りました。
久しぶりに興奮する本に出会いました。
多分、昔、昔、三浦綾子さんの『氷点』以来ではないでしょうか。
『氷点』をはじめ、彼女の本は読み出したら止められないのですよね。
当時、時間がたっぷりあった私は、図書館にあった彼女の本は全部読んでしまいました。
それこそ、寝食を忘れて。「読みたい」という誘惑に勝てない私です。この誘惑に勝てるよう祈っています。
▼ 17日(木) ヨハネ20:4の思い出
20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。
20:4 ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、
昔、昔、大昔。
教会学校(当時は日曜学校と言っていた)で、この箇所を教えていた。
イースターの頃だろう。
フランネルグラフを使って子供達に一生懸命、私なりに教えた。
「ペテロともう一人の弟子」の追いつ追われつも演じた。
教会学校が終わって、宣教師が一言。
「ヨハネの方が早く墓に着きました」。
一瞬、何のことか分からなかった。
その頃、私はまだクリスチャンの初心者だったが、何と言っても人手が足りない教会だったので、「猫の手」以下の私のような者でも、奉仕者として声がかかった。
「ヨハネの方が早く墓に着きました」と宣教師が言ったのは、フランネルグラフの絵で、
ヨハネとペテロを逆にしていたらしいのだ。
私はペテロをヨハネよりも速く走らせ、早く墓に着かせた。
日本語をほとんど解さない宣教師だったが、フランネルグラフで使用した絵は、ペテロとヨハネを描き分けていた。クリスチャン初心者の私は気付かなかった。
今でもこの箇所に来ると、フランネルグラフのペテロとヨハネを思い出し、「無理して早く走らせゴメンナサイ」とペテロに謝りたい気持ちになる。
間違った私にただ一言、苦笑いしながら、「ヨハネの方が早く墓に着きました」と告げた宣教師にお詫びと感謝。聖書とそれに関わる人々は、今も昔も、奥が深い・・・・です。
▼ 16(水) 死者からのメッセージ
と、サスペンス風なことが起こった。
と言っても、私だけがサスペンス風に思っているだけで、パソコンに詳しい人には、何でもないことなのだろうが。
先日、1通のメールが届いた。
送信者のメールアドレスを見て、「愕然」。(私だけ)。
そのメルアドは、昔、私が使っていたアドレスで、今は、もう、使用不可になっているはずのアドレス。もちろん、件名も本文も何もない。
正直、少々薄気味悪い。
暫く様子を見て、どのようにしたら、このようなことが出来るのか調べてみたい。
まさか、私が無意識のうちに、昔のアドレスで、現在のアドレスへ送信したのでもあるまい、と思うのだが・・・。それとも、キーか、マウスの作動間違い?
いずれにしても、夏のミステリーです。
そそっかしいので、いろんな間違いを引き起こし一人で騒ぎ、また、周囲をも巻き込んで大騒動をしている毎日なので、キットその辺に原因があるとは考えています。
先日、寝ながら鳥の写真を見ていた。
キャプションには「ハヤブサ」と書いてある。
草木に覆われた崖に、その鳥「ハヤブサ」が写っているはずなのだが、どんなに目を凝らしてもハヤブサはいない。
目を皿にして探して、やっと、小さな鳥らしき姿を発見。
しかし、それは、どう見てもハヤブサではない。
ウグイスみたいな鳥だ。
写真全体の左端に、本当に小さく写っているので、鳥ではないかも知れない、と思ってしまったほど、小粒に写っている。
鳥の世界では「超一流」の写真家の写真で、鳥見を始めた頃からのファンの写真家の写真です。素人の写真ではありません。念のため。
翌朝、拡大鏡を持ち出して確認。
確かに鳥だ。
しかし、ハヤブサではない。
ここで、もう一度、キャプションを読む。
そこには「ヤブサメ」としっかり書いてあった。
夜、寝ながら、明日朝、連れ合いにも確認してもらおうと、考えながら眠った。
しかし、それをしなくて良かった。
「本当に、そそっかしいのだから・・・」とまた言われるところだった。
「神様、私のそそっかしさを治して下さい。そそっかしさ故に、他の人に迷惑を掛けませんように」。
▼ 15(火) インドネシアのキリスト教関連のニュースに一喜一憂
直接には関係ないのだが、インドネシアのキリスト教関連のニュースに関心を持っている。
先日、全世界のキリスト教関連の動きを伝えるメルマガに、「ねらい打ちされた?インドネシアの4教会」というニュースが載っていた。
どこの教会だろう。彼女たちは無事だろうか?と心配になる。
「彼女」は、もう、ずっと昔、伝道船「ロゴス号」に乗った。
その折、「乗るべきか乗らざるべきか」で相談を受けた。
もちろん、最終的には神様の御旨なのだが。
結果、彼女は船に乗り、船で知り合ったインドネシアの男性と結婚し、そこで暮らしている。
だから、私は、直接的には関係ないと思うのだが、間接的に少々、責任を感じないでもないのである。(大変回りくどくてすみません。責任回避の文章の言い回しです)
キリスト教に関するインドネシア関連のニュースが耳や目に届くたびに祈ってはいるが、
正直、心配もしている。彼女とは音信がないものだから。
時々、彼女の友だちを通してのニュースはあるが。
インドネシアのみならず、世界中には、まだまだ、弾圧され、迫害されているキリスト者がいる。彼らのためにも祈って支えてゆきたい。
「今日は何の日」を聞いていた。
1960年(昭和35年)6月15日。全学連の国会突入を伝えていた。
しかし、樺美智子さんの死は伝えなかった。歴史の終わりを感じた。
▼ 14(月) マムシに噛まれた
と言っても私ではない。
私が英語を教えている中学3年生の男の子が、マムシに噛まれた。
夜、8時半頃、小休止をした。
もう、1時間半の勉強が終わり、みんなヘトヘトになっていた。
その時、チョット頭を冷やしてくると言って、男の子が外に出て行った。
5分くらいで戻ってきたのだが、その時、「ヘビに噛まれた」と言って指を押さえている。
見ると、少々黒ずんでいる。
チョット変だ。余りにも速い皮膚色の変化に驚いた。
が、まだその時点ではマムシとは、私は考えていなかった。
ヘビに噛まれたことも、まして、マムシに噛まれたこともない。
しかし、指は腫れ、皮膚の黒ずみも何だか大きくなっている感じがする。
時計を見ると、8時50分。
終了までにまだ10分あるが、毒ヘビだったら、大変なことになるので、他の子には、
「残りは宿題」と言い残し、病院へ。
その子の家に電話しても誰も出ないし、母親の携帯に電話しても呼び出し音は聞こえるのだが出なかった(彼女は、バレーボールの全国大会に出るらしいので、その練習をしていた)ので。
結果、その子は、暫く入院することになった。
夜間、救急部へ行った直後から点滴をして、今も毒を体から抜いているらしい。
(これを書いているのは水曜日のお昼)
一刻を争うことだった、と今、月曜日を振り返り、神様の導きに感謝している。
誰も居ない家に一人帰らせなくて良かった。
9時までの仕事だから、「10分待って」と言わなくて良かった。
「家から保険証など持って来て」と言わなくて良かった。
因みに、彼の家は塾として借りている集会所から歩いて1分かかるか、かからないところにある。
全てを神様に感謝。午後(水曜日)から見舞いに行ってきます。
▼ 13(日) 主の日
今読んでいる本の1冊は信仰者の日記だ。
1週間毎に「主の日」というタイトルが入る。
そして、著者は非常に濃厚な主との関わりを記している。
読みながら羨ましくなる。
私も少し、彼に倣おうと、今日のタイトルを「主の日」としてみた。
読んでいる本の1冊は(数冊の本を平行して読んでいる)鳥関係。
数人の人が手分けして、自分の専門分野について書いた本。
ある記事に来て、何気なくその記事の担当者を見て、目が止まった。
あの天皇家の娘の名前がある。
彼女が鳥関係の研究所で非常勤として働いているのは知っていたが、この本で彼女が書いたものを読むことになるとは。
日曜の午後、ソファに横になった。
視線の先に、先日咲いたピンクのコスモスが青い空を背景に一枚の絵を構成している。
北陸には「抜けるような空」はない。それでも、今日は、結構青い。
半分、眠っている頭が、「もう、秋?」と何度も自問している。
人騒がせなコスモスです。
▼ 12(土) 迷訳?
I am a junior high school student.
という文章がある。
先日、あまり試験の点数が良くない中学生二人に非常に易しいプリント問題をしてもらった。二人は仲良しで、セッセと問題を解いた。本当に、一生懸命に問題に取り組んでいた。
私は少々難しい問題をしている他の子供たちに注意を集中させていた。
時間が終わって問題を回収。
二人の英文の訳を見て、大笑いすると同時に、彼らの労作に驚いた。
二人は、分からない単語の一つ一つを教科書の後ろに載っている辞書で確かめていた。
juniorには「年下の」という訳語が当てられ、highには「高い」が当てられていた。
単語としての訳語は正しい。そして、書かれた訳が、「私の学校の後輩は高い」。
同じように、分からない単語はきちんと調べていて、苦労した後が問題用紙に残っている。
一時期、「翻訳本が理解できないほど能力がない」とかなり落ち込み、翻訳本から遠ざかっていたいた。その頃、別宮貞則さんの本を何冊か読んだ。
彼の本は、「理解できなくても大丈夫」という自信を与えてくれた。
別宮さんによると、大学教授でさえも、一般人、すなわち私のような人間が一読で理解できない訳文を作るらしいことが分かった。
多分、二人の中学生のような訳文になっていたのだろう。
二人の解答用紙には、誤りが沢山あったが、今度、彼らに会ったら、その努力を大いに褒めてあげよう、と思う。
▼ 11(金) コスモス、咲く
去年、山に咲いていたコスモスから種を少々頂いてきて、撒いていた。
その内の一個が発芽し、グングン伸び、そして、ついに、今朝、花を咲かせた。
しかし、これ、喜ぶべきことなのか。
コスモスと言えば、「秋の花」の代表だ。
今頃咲いて良いの?と首を傾げる。
確かに、今年も、昨年同様、10日から2週間、自然は早めに推移している。
それにしても、早すぎる。
私は、6月に咲いたコスモスを見ながら、清少納言『枕草子』の「すさまじきもの」とは
こんなことを言うのだろうなぁ、と一人、唖然としています。
しかし、これも神様がなさったことです。
四の五の文句を言わずに、感謝してコスモスを愛でましょう。
▼ 10(木) 第一関門突破
先週の中間試験の結果が今週出た。
そして、中1生の結果が良かったのでホッと胸をなで下ろしている。
100点、99点を筆頭に、皆、95点前後で中学最初の試験を通過出来た。
もちろん、最初のテストは非常に易しいので、時間がたっぷり余るだろうから、「間違いがある」と言い聞かせながら、何度も見直すこと、とそれこそ、何度も念を押していた。
理解力と記憶力があっても、不注意なミスを何度も繰り返す子を、特に心配していたが、その子は100点だった。もし、不注意ミスで点を落としたら、ガッカリするだろうなぁ、と危惧していた。Congratulations!!
これから3年間、主が彼らを導き、助けて下さいますように。
▼ 8(火) う〜ン、良い匂い
時々、このページに登場する腕白児。
小学1年生になって、すっかり、おとなしくなった。
今日も、神妙な顔をして教室へ入ってきた。
開口一番、挨拶の前に、「きょう、プリントが2枚あるの。」
「宿題?」
「ウン。見せてあげようか?」
「うん、見せて!」
彼は丁重に、ランドセルから紙入れのケースを出し、そのケースから2枚の紙を、それは、それは大変重要な物を扱うようにして、取り出した。
国語と算数のプリントがそれぞれ1枚づつあった。
頭の良い子なので、宿題の答えは全部分かっている。
答えを、一つ一つ教えてくれた。
だが、鉛筆を使っては書かない。大事な宝物のように、最後に食べる美味しい、大好きな食べ物のように接している、と感じた。
気持ちがそれに集中しているようなので、「ここでその宿題してもいいよ」と提案したが、「ウウン、いい。しない。ここは英語をするところだから」と殊勝なことを口にする。
しかし、それから、帰るまでに、その2枚の紙はランドセルから何度も出しては入れられた。何度か「ここでしたら?」と言っても、「家でする。」と頑固に私の提案は拒否される。
そして、究極の行動が、「この紙、良い匂い」と紙を鼻先に当てて、ウットリしていた。
今日は、プリント2枚が気になって、集中できない日でした。
▼ 7(月) 世はすべてこともなし
神は天にあり、世はすべてこともなし。 B ブラウニング
「こともない」のが好きです。
やっと、富樫のバラ園に行ってきた。
本当は5月の中旬に行くべきだったのだが、毎年行っているので、今年はもう「行こうか、行くまいか」と逡巡しているうちに、時が過ぎて行った。
当然、薔薇はその最盛期を通り越して、無惨な姿を晒している。
その中から、まだ、写真を撮るのに耐えられるものを少し、撮影した。
少し、と思ったら100枚は撮っていた。
昨日は、この周辺は中学生や高校生で埋まっていた。
バラ園の周囲にスポーツ競技場があるから、中高生の自転車と、送迎の両親の車でごった返していたが、今朝は、駐車場もがら空き。
バラ園では、高砂大学(と思う)の人々が、清掃の奉仕をしていらした。
盛りを過ぎた薔薇を撮影に来る人も少なく、それでも、私の他に4・5人はいましたが、また花を見る人もなく、お年寄りが和気藹々と掃除に精を出す姿は、この世の喧噪を離れて、「世はこともなし」を思い起こさせました。
外出したついでに、卯辰山の花菖蒲園に車を走らせる。
昨日の日曜日だったらいざ知らず、今日は月曜日、人の数は少ない、駐車場も空いている、と考えたが当てはずれ。
養護学校の学生と医師、看護師が、写生のために訪れていて、駐車場は満杯。
いつもは静かな菖蒲園も、学生の声で賑やか。
そして、幼稚園児も遠足に来ていた。賑やかさは倍増。
「賑やかさ」は感じても「騒々しさ」を感じなかったので、ここでも、世の喧噪を離れて「世はこともなし」という穏やかな気持ちで花菖蒲と紫陽花の写真を撮りました。
菖蒲も紫陽花も1週間後くらいが、満開でしょう。
▼ 5(土) 私は木を植えることは出来ないだろう
「明日が世界の終わりの日であっても、私は今日、リンゴの木を植える」という言葉を聖書の表紙の裏に書いている。ルターの言葉と記憶しています。
(いろんなフレーズが出来ているようです。)
この頃、私をパニックに陥れる出来事が頻発している。
そして、私は納得して、結論せざるを得ない。
「明日が世界の終わりの日だとしたら、私はパニックの最高潮にいて、木を植える余裕はないだろう」と。
世界の終わりの告知は、この頃私をパニックに追い込む事件に比べるとずっと大きいに違いないから。
もう一つ、私が聖書の裏に書いている言葉。
「たとえ、私が、宇宙に(世界に)神は居ないと感じても、私は毎日聖書を読み、祈るだろう」。誰の言葉か書き留めていませんが、何かの本に書いてあった言葉です。
そして、私は、気分が悪いとき、いわゆる、やる気がないとき、何だか朝からバタバタしているとき、聖書を読みません。まして、神様がこの世(宇宙)に・・・創造主は宇宙を超えた方なのですが・・・に存在しない、いわゆる(二度目のいわゆるですみません)、「神なんてこの世にいるものか!!」と悪態をつくようなとき、聖書を読み、祈るような気分には到底なりません。
しかし、この言葉を発した人は、「それでも」、「尚かつ」、「たとえそうでなくても」、と言うのです。「そういう人に わたしも なりたい」。
▼ 4(金) インターネットは最高の辞書
英語の文章を書いていてその使い方が分からないことが沢山ある。
以前は、いろんな辞書を引っ張り出して、その用法を確かめていたが、この頃は、英文をそのまま、と言っても、数語の区切りで、検索している。
紙の辞書・事典・辞典にも、調べると、どこかに、何かに書いてあると思うが、チョット面倒。前置詞の使い方などでは特に威力を発する。
思えば、私が初めて「パソコンを買おう」と思い立ったのは、この「辞書」に発する。
辞書の小さな字が段々読めなくなってきた。
その頃は「老眼」と気付かずに、拡大鏡を使用していた。
ある日、読んでいた本で「パソコンは字が拡大して読めるので良いですね」と誰かが言っていた。
そして、私は、「もう、絶対にパソコンを買う」と決心し、パソコンと共に買った最初のソフトが英語の辞書ソフト。その時に使っていた紙の辞書と同じ辞書ソフト。
大変便利になりました。
それ以降も、辞書、辞典関係のソフトを幾つか買いましたが、もし、インターネットが最高の辞書、辞典、事典になると、もっと早くに気付いていれば、買わなくても良かったのに、と後悔と反省しています。
有名な百科事典ソフトなどは、買って2−3回は使いましたが、CD−ROMの出し入れが面倒なので、今はどこにあるか、行方不明状態です。
それにしても便利になりました。(私は調べ物関係だけですが)
▼ 3(木) 中間試験前対策?−その2
英語を教えている子の一人に教会へ行っている子がいる。
昨日、帰り際、「試験中にも、神様が助けて下さるように祈ってね」と言った。
すると、その子は、「え?」と怪訝な顔をした。
どうも、試験には神様は関係ない、と考えているらしかった。
教会で、世界平和、国内安全、隣人の病気や困りごと、家族のことなどについては祈っても、自分のこと、感謝なこと、心に不安を持つことを神様に祈ること、神様の前に吐露することはいけない、と感じているらしかった。
今日・明日の試験では神様が一人一人を助けて下さるよう祈っています。
▼ 2(水) 中間試験前対策?
今週は、私が教えている子供たちの学校の中間試験週。
みんな?、必死で勉強している。
彼らを見るたびに思い出す子がいる。
その子は、「先生、勉強していない。もう時間がない。ああ、もうボク(わたし)ダメ!!」と悲痛な叫びをあげる子を見てつぶやいた。
「何を勉強するの?」
最初、私は耳を疑った。
しかし、よく話を聞いてみると納得。
そして、私は、今、その子が言った言葉をそのまま、中間・期末の前に必死に勉強している子供に投げかけている。
「中間・期末の前には勉強しない」。
解説すると、「中間・期末の前だけ勉強しても実力にはなりません。日々の勉強と宿題をすることが成績向上と維持の条件です」と。
中間・期末の前といって勉強しない子、特別な勉強をしなかった子は、市内でも最高の高校に入学した。高校へ入ってからも「英語を教えて下さい」と電話してきたが、当時は「中学まで」と決めていたので、丁重にお断りした。
彼は、夜9時にはもう寝ている、と言っていた。
毎日、こつこつと勉強していたらしい。苦労して勉強している様子は全くなかった。
宿題もキチンとする、この頃では大変珍しい生徒だった。
もちろん、DNAの関係もありますが。
▼ 1(火) 漏斗と如雨露
漏斗(じょうご):口の小さな容器に液体を注ぐのに使う、あさがお型の道具。ろうと。
如雨露:植木などに水をかける道具。缶状の部分に水を入れ、長く出た管状の先の面にあるたくさんの小穴から水を出す。「じょろ」とも言う。
(岩波国語辞典 第5版)
先日、漏斗を買いに出かけた。
店員さんが、品物が在る場所へ案内して下さった。
後ろへついて歩く内に不安になった。
食器売り場から段々遠のいていく。
そして、彼女が指差したのは、何と、園芸関係の売り場に置いてある如雨露。
しかし、日本語は良いですね。「如雨露」という漢字を見て、思わず唸りました。
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