oyama0000.gif (7903 バイト)国指定史跡 乙女不動原瓦窯跡


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 oyamasi000a.gif (3138 バイト) 乙女不動原瓦窯跡

  乙女不動原瓦窯跡は、賞は39年に試掘調査が行われ、国指定史跡の下野薬師寺跡から出土した鐙瓦(軒丸瓦)・宇瓦(軒平)と同じ瓦が発見せら、薬師寺跡と密接な関係がある瓦窯跡として注目されました。  その後、昭和51年7月と昭和52年2月から3月に確認調査が実施され、4基の窯跡(瓦を約いた所)、灰原(木の燃えかすを捨てた所)、粘土採掘坑(粘土を掘り出した所)など貴重な遺構が見つかりました。また、出土した物は鐙瓦・宇瓦・男瓦(丸瓦)・女瓦(平瓦)がほとんどです。瓦を焼いた時期は西暦750粘土前後(今から約1250年前)で、当時の都である平城京から瓦をつくる職人が来て指導をしていたようです。  この史跡は昭和53年5月11日に国史跡とし国指定され、昭和58年3月に用地の買収が終わりました。指定された面積は6,120平方メ−トルです。  その後、この遺跡の整備のため窯跡・工房跡・灰原・粘土採坑の性格や配置や規模などを確認するため、昭和62年から平成6年まで発掘調査が行われました。平成6年〜7年に作成された保存整備計画と実施計画にもとづき、平成8年〜9年なかけて遺跡の整備が行われ、平成10年4月25日には小山市で初めて史跡公園としてオ−プンしました。

 

 oyamasi000a.gif (3138 バイト) 下野薬師寺

 下野薬師寺は日本三戒壇の一つが設置された寺院として歴史上重要な位置を占め、東国仏教文化の中心地となりました。  6世紀中ごろの様子は「あたまも七大寺のごとし」と形容しています。東大寺・法隆寺・薬師寺といった奈良付近の著名院と肩を並べる下野薬師寺の豊かな経済力と伽藍の壮大さを今に偲ぶことができます。

 

hakubutu0010.BMP (75448 バイト)  oyamasi000a.gif (3138 バイト) 出土遺物 

 出土した瓦の大多数は男瓦(丸瓦)女瓦(平瓦)ですが、一部の軒先を飾った文様をもつ瓦がみられました。  宇瓦(軒平瓦)は「均整唐草文」という、左右対称に唐草の文様を配したもので、瓦当面の左側に笵割れの痕が認められます。この種のものは宇都宮水道山瓦窯跡・下野薬師寺跡からも出土しています。  また、ケラで「郡」・「大□□」と書かれた文字瓦もみつかっています.鐙瓦(軒丸瓦)は「八葉複弁蓮華文」というハスの仮名をかたどった文様で、下野薬師寺跡・下野国分寺跡より同じ種類のものが出土しています。  

hakubutu0008.BMP (47144 バイト) 焼成室      hakubutu0009.BMP (55496 バイト) 燃焼室

 oyamasi000a.gif (3138 バイト) 有牀式平窯(ロスト式平窯)

 薪を燃やす室(燃焼室)と瓦を焼き上げる室(焼成室)が上下2室にわかれ、分炎孔と呼ばれるいくつかの小さなトンネルでつながっています。焼き上げる焼成室の床には数条の溝が掘られ、炎が均等に分散する工夫がみられます。  イランからインド・中国などアジアの広い地域でみられる窯で、一般に土器の窯とされていますが、日本では瓦せんようの窯となっています. 省エネルギ−と均一な焼きあがりが得られる窯でもあります。  本瓦窯跡から4基の窯跡が確認されていまが、窯は斜面でも岩盤が露頭し、やや窪んだ場所に築かれています。   これは風などの影響をふせぐためか、また焼き上げる製品が瓦のために広い前庭部(作業場)を必要としたためかはっきりしません。    燃焼室の床に溝ではなく、年度と瓦交互に土手状につみあげているものもみられます。   また窯の要所々をクワで混ぜた粘土で補強しています。

 

 oyamasi000a.gif (3138 バイト) 竪穴住居址・工房址

台地上から瓦の制作に関する工房址や工人達の生活のあがみつかりました。    これらのうち、竪穴状遺講は円形の堀り込みの周囲に溝がめくるもので、おそらく瓦を作る粘土をためておく施設であったと考えられます。  竪穴住居址は一辺5m程の比較的小さめのもので、遺物はほとんど残っていません。  一般の同時代の住居址となんら変わりません。

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