蛇骨塚

 建保のろ、大光寺村に川井兵部沼高という人がすんでいた。彼の妻が長わずらいにかかって、いろいろ治療の手を尽くしたが良くならないため、彼は思案の末、室の八島明神に丑の時参りをすることにした。真夜中の午前2時に、姿川を越え、思川を渡って、4キロちかい道を毎夜通うのだから、並みたいていのことではなかったが、彼の妻の病を癒したさ1筋に、1夜も欠かさず参詣を続けた。ある夜、その時刻にめざめた妻は夫の不在に気がついた。毎夜同じだったので、夫は隠し妻のもとに通うのだと思いこみ、絶望のあまり思川に身を投げた。すると、彼女の念力は凝って恐ろしい蛇身に変わり、蓮花寺の池に住みついて、あたりの良民を悩まし、ことに美しい女性を呪って池のなかに引き込んだ。

 当時室の八島の神官だった大沢友宗は、このありさまに心をいため、池のほとりに祠を建てて、川井兵部の妻の霊をなぐさめた。だが、いっこうにききめはなく、被害者は増えるいっぽうだった。困り果てた人々は、相談のあげく、近郷近在の年若い女子のなかから、くじ引きで、毎年一人ずつ人身御供にお供えすることになった。いく年かのち、親鸞上人が諸国行脚のさい、たまたまこの地を通った。上人は、蓮花寺の池の大蛇のことを聞き、諸人の嘆きを救おうと、しばらく杖をとどめることにした。里人たちに言いふくめて、河原の小石を1万個拾い集め、池のそばに運ばせた。上人は、静かに南無阿弥陀仏を唱えながら、小石に一つずつ経文の文字を書いて、つぎつぎに池の中心に投げこんだ。はじめは嵐のときのように波立った池の面がしだいに静まり、ついには小波も消え、鏡のようになって夕焼け空を映した。

 こうして、大蛇の呪いはあとを断ち、村人たちは安らかな毎日を送ることができるようになった。何10年かののち、大蛇の骨と経石とを埋めて塚を築いた。それは、蛇骨塚といわれて、飯塚の北の端の紫雲山蓮花寺の境内に残っている。同地は、いまは国分寺町花見が岡になっているが、むかしは飯塚郷にふくまれていたそうである。

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