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秀郷の軍議 |
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藤原秀郷(俗に田原藤太という)と平貞盛とが平将門を征伐するとき、飯塚の摩利支天さまに戦勝を祈願した。そして、摩利支天塚とその北にある琵琶塚との間に仮屋を設けて、ふたりは細かに作戦を練った、と伝えられている。 そのとき、両将はおのおの和歌を詠じて、摩利支天さまに献納したという。いつのころ建てたものか、社の南側に北面して、 2基の歌碑が並んでいる。いまでは、表面が摩滅して判読もむずかしが、伝承によると 。 願はくは國のために醜草を 討ちはらべきよすが知らまし 秀郷 しこ草を討ちはらふべきみ戦に 力を添へよあめつちの神 摩利支天は、武人の守護神として古くから信仰された。近くは、太平洋戦争中、毎日おびただしい人々が、遠近から参詣に集まった。しかし、敗戦ののち、詣でる人影はあまり見かけないようである。 |
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