手話って便利ですよね。少しぐらい離れていても、騒音の中でも、そして何よりも周囲に迷惑をかけずに心おきなく おしゃべりができる。世界共通のものにすれば外国語のかわりにもなるしね。
本気で学校で教えればいいのにと思っているのですが。

聴覚障害  

「呼んでも、返事をしない」
「よく聞き返しをする」
「ことばがなかなかでない」

親が我が子の耳の聞こえにくさに気がつくのはこんなところからでしょうか。
聞こえにくいために、正しい音を聞き取る事が困難で構音に誤りのある子もいます。
軽度の場合も上記のような問題をもちますが、より深刻なのは高度、重度の難聴の場合です。
 この場合は、一刻も早く補聴器を装用し子どもが音に注意を向けられるようにしていかなければなりません。日常の生活音に気づかせ、両親や周囲の人の声に注意を向けさせることが、この時期 重要な意味をもつものと考えられます。

難聴になったのが言語獲得の前か後かでは、その後の言語の発達に大きな違いをもたらすと言われます。
子どもが日本語の体系を理解してからの中途失聴は、その後の言語獲得やコミュニケーション、聞き取り能力の伸張など、そうでないものに比して容易であるとも言われます。

逆に言えば、言語獲得の初期の段階から補聴器を装用していくことがその後の言語発達により重要な意味をもつということですね。

障害の部位と原因

●外耳、中耳に障害(伝音性難聴)
 ・外耳道閉鎖  耳垢などで完全に穴を塞いだ状態
 ・鼓膜穿孔   鼓膜に穴があいた状態
 ・中耳の疾病  耳小骨の癒着や切れ
         耳管狭窄による鼓膜陥没
         滲出性中耳炎
         耳硬化症          等
 伝音性難聴の場合聴力はもっとも悪くても70dB
を越えることはなく治療で良くなることが期待できる。

●内耳に障害(感音性難聴)
・遺伝性難聴  生来のものだけではなく、幼少期
        成人期になってから発現するもの
        もある。
・胎生期性難聴 ウイルス、薬物や科学物質等が原
        因とされる。
・周生期性難聴 未熟児、新生児黄疸、仮死、血液
        不適合などが原因とされる。
・後天性難聴  
 感染症....麻疹、流行性耳下腺炎、髄膜炎
 薬物中毒..硫酸ストマイ、ストレプトマイシン等
 頭部外傷
 メニエール症
 音響性聴器障害
 突発性難聴
 老人性難聴

高音部の聴力レベルが大きい。(高音が聞き取りにくい)
衝撃音など大きな音がとてつもなく大きく聞こえる。
高度の難聴、ろう、耳鳴りを伴う人がいる。
難聴度が天気、体調で違う事がある。
骨導聴力も悪くなる。

●伝音性+感音性(混合性難聴)
伝音器、感音器の両方に障害がある。
症状はほぼ感音性難聴と同じ。


障害の程度 平均聴力による分類

◆軽度難聴 30から50dB 聞き違いがある
◆中等度難聴50から70dB ふつうの会話が
               やっときこえる
◆高度難聴 70から90dB 大声の会話が
               やっときこえる
◆重度難聴 90dB以上   大声でも会話の
               きき取りは困難

これはあくまでも平均聴力による分類であり、
聴力的な特徴によりきこえ方にも個々人、かなり
の個人差があるのは当然である。
 


聴力検査をしていて感じたことは、一見同じ様な聴力で、オージオグラムも酷似していても、語音の聞き取りの力となると、一人ひとり結構違うのだなあと言うこと。
音の強さを感じることができても、その音が歪んで聞こえてしまえば、当然、音の弁別は困難なわけで、当然といえば当然なのだろうが。
視力の場合は、眼鏡で明視度だけではなく、乱視など多少の歪みなら矯正ができてしまう。補聴器はどんどん改良はされているのだろうけど、まだまだ、そこまでの役割を果たすまでにはほど遠いのだろうか。

音声言語を獲得していく上には、音の弁別力は不可欠の力であろうし、思うに、構音障害のある子どもたちの中にも結構この弁別力の弱い子がいるのだろうな。

テレビドラマの影響か、昨今、手話も徐々に市民権を得てきたようだ。日本の聾教育の歴史の中で、音声言語に固執するあまり、手話を蔑ろにしていた時代があったということを聞いたが、これもまた異端を許さない国民性の為すワザだったのだろうか。
 視聴覚教材等ということばもある。音だけでなく、絵、写真、ビデオ、文字、ジェスチャー等々、使えるものは何でも使えばよいではないですか。私など単純にそう思うのだが・・・。

きこえの教室の役割
 きこえに弱さのある子は、情緒的にも不安定な面を併せ持つことが少なくないという。
考えてみれば、私たち大人の世界にも、蚊帳の外などということばに見られるように、情報が入ってこないことによる不安、孤立感はあるわけで、ましてや経験も少なく、人の思いを推し量る力も弱いと思われる子どもにしてみれば、聞こえない事による情報の不足が、いかに不安や不満を招きやすいかは推して知るべしといったところであろう。
又、情報の不足が、自分の要求や意思の伝達のチャンスを逃す事態を招くこともあるわけで、その意志疎通の不十分さがまた、不満や情緒的な不安定さを招いてしまうという事もあるであろう。
 聴覚障害児のパーソナリテイ特性として、社会性の未熟や孤立不安、全体的な発達の未熟などをあげている例を目にしたことがある。勿論、これは極論であろうが、もしそういう傾向があるとしたら、それは生来のものではなくそれまでの対人関係の中で否応なく形成されてしまったものであると結論づけてあり、あり得ることかもしれないと感じた。
聴覚の障害とパーソナリテイの(障害?)には素人目にみても、何らの科学的な根拠がある関連性がないことは明らかである。
でも、だからこそ却って、学校などの集団生活の中では聴覚に障害があることとの関連性が見逃され、
「なんや、あの子、落ち着きもないし、わがままな子やわ」
とその子の資質のみのせいにされ、その弱さを補うための何らかの手だてが必要だという発想にはつながりにくくなってしまう。
 学習面においても、低学年のうちは語彙や表現力の弱さが、気になるといっただけの子も、中、高学年に進むにつれて、それが抽象的思考力の育ちの大きな壁になっていくといった話は良く聞く。
社会性、学力等、一般の教室では補いきれない弱さがあるならばそれは、学校教育の中で保障して行かねばならない。その中で、大きな役割を担うのが 固定や通級形態のきこえの教室(難聴教室)であるわけだが、言語障害児に比して 難聴児は絶対数が少ないということを大きな理由にされて「きこえの教室」は少しずつ姿を消してきている。「個に応じた教育」ということばが形骸化しないことを切に願う。

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