2000.9.25
インクルージョンを考えるページ


「ゆうすけくんをあげる」


いわゆる障害理解学習の教材に、「ゆうすけくんをあげる」というのがあるそう
です。著作権の関係で要約したものを載せます。原作とはニュアンスが変わっ
てしまった部分もありますがご容赦ください。


小学校低学年のゆうすけくんは、クラスの他のお友達とは少し違う所がありま
す。


授業中に席を離れて歩き回ってしまいます。
急に大きな声で叫んでしまうこともあります。
ことばもまだうまくしゃべれないし、おもらしをしてしまう事もあります。
皆になれてきて、ちょっかいをだすこともふえました。
となりの子のノートにらくがきをしたり、ちょこっといたずらをしたりするのです。


そんなゆうすけくんですから、
クラスのみんなからは、ときどき不満が出てきます。


ある時、
ゆうすけくんは、クラスのみんながつくった工作をさかさまにひっくりかえした
り、かさねてつみあげたりして遊んでしまいました。
クラスの友達から抗議の声があがります。
「わたしの工作がたおされてるー。」
「ぼくの作ったひこうき、こわれるだろ。」
「どうして、こんなことするんだ。」
「もう、がまんできない。」


話し合いをすることになりました。
「人のものにいたずらばかりする。」
「きゅう食できらいななものがあると、はきだしてしまう。」
「きたないから、となりにならぶの、いやや。」
「わるいことをしたらいけないと言ってあげるのに、言うこと聞いてくれない。」
「小さな声でのそのそ答えるから、いらいらしてくる。」
「運動会やきゅうぎ大会などでほかの組にまけるから、いないほうがいい。」


ゆうすけくんを前に、口々に不満の声があがります。
彼には、今、自分のことをはなしているのだと言うことがわかって、緊張した
面持ちです。


その様子を見ていた担任の先生が、
「それでは、みんながきらいなゆうすけくんを、よその組にあげようか。」
「この組にいないほうがいいなら、そうしようか。」
と発言します。


もぞもぞし始めたゆうすけくんが、隣の友達のうでをくいっとつねって、
おどろいたその子がすっとんきょうな声をあげたのをきっかけに、クラスは笑
いにつつまれます。


その後、
「ゆうすけくんは、はじめのころとくらべると、ずいぶんかわった。」
「へんなことをするのは、わたしらのこと、ともだちだと思っているのだと思う。」
「大きい学年の強そうな子が、ゆうすけくんのことを頭おかしいなと言った時、
 うんと言って否定しまかったことを後悔している」
等の発言が相次ぎます。


そして、
「先生、ぼくは先生のいけんにはんたいです。」
と言う子も出て来ます。
________________________________
*ゆうすけくんは、なぜ二学きになって、まわりの子にちょっかいを出しはじ
 めたのでしょうか。
*きみがこのクラスだったら、先生のといにどういう答えをだしますか。
________________________________


学習の後に皆にそれを問う、そんな内容の教材です。


実は、この教材の内容やその指導のあり方について、ネット上の二つの掲示
板で議論?がなされました。

私も一応 教師ですので、この手の教材は過去に何度も扱ってきました。
通り一遍のおざなりの指導では子供達は何も変わらないというその事実も十
分に承知しています。
小学校の低学年で既に本音と建前をうまく使い分ける術を獲得している子が
沢山いる事も知っています。

それを前提にしつつも、今何ができるのか、どんな教材を使いどんな指導を
する事が子供たちの心に響く最も実のあるものになるのか。そんな事を思い
ながら、それらの意見を読ませてもらいました。

下記にそこでの意見を私の独断と偏見でまとめてみました。それを読んで頂き、
更に前に進む為のご意見をいただければ有り難いです。

教材そのものの問題点


(視点や、めざす方向性)
・ゆうすけくんが皆とはちょっと違うことを理解して、なぜそういう行動をするの
 かに思いをめぐらせ、その上で、どういう態度をとっていくべきかを考えてい
 く事が大切なのにその視点が弱い。


・変な行動や嫌な行動ばかりする子のそばにいたくない、と感じてしまうのは、
 こどもとしては仕方ない反応。だからこそ、そこから始まってその理由をみ
 んなで考え、どうすれば良いのかなと考えていくことが大切。


・ゆうすけくんを理解していこうとする視点が弱いため、結局みんなが漠然と
 我慢をするという結果につながりそう。その方向から問題を考えていては、
 決して問題は解決しない。 


・「イヤだ」と思うことや「変なヤツだ」と思うことは 「いけないんだ」っていう罪
 悪感持つ子も結構いるが、そう思うことはストレートな気持ち。そう思うことが
 悪いのではない。
 「あいつ変なヤツだけど面白いよね」と思える関係もある。


・「自分がこのクラスの一員だったらどうする?」ではなく、
 「自分がゆうすけくんだったらどうする?」という視点で考えさせなければ、
 健常児と障害児の間の溝は埋まらない。


(ゆうすけくんの存在や、気持ちへの配慮)
・クラスでの話し合いは、ゆうすけくんの裁判のよう。

・他の子より、ゆうすけくんが下という上下関係を感じる。

・話し合いの中で、皆のやりとりを聞いている時のゆうすけくんの居心地の
 悪さを想像すると、いやな気持ちになった。


・ゆうすけくんの気持ちが完全に無視されている。クラスの一員ではなく皆
 の教材としての「ゆうすけくん」でしかない。


・不満を吐き出すのも、「あげようか」と投げ返すのも、振り返って「ごめんな」
 と言うのも、みんな、ゆうすけくん以外の人。ゆうすけくんの姿が見えない。


・ショック療法を狙ったにしても、
 「よその組にあげようか。」という先生の発言は問題。
 その先生の言葉を聞いたとき、本人はどんな気持ちがするだろう。
 普通の子どもたちなら、本人の目の前でそこまでの話をするだろうか?
 障害児だから、分からないだろう、という偏見がないだろうか?
 本人のいるところで、本人の気持ちを無視している。ゆうすけくんはそういう
 ことがわからないと言う設定だとしてもひどすぎる。サルの子扱いだと感じ
 る。
 
 
(ゆうすけくんへのかかわり方)
・障害者は可哀想だから優しくしてあげなきゃいけない、悪いことをしても理解
 してあげなきゃいけないっていうのは違う。特別扱いしろという感じで、バカ
 にされているように感じる。


・ゆうすけくんの行動を大目に見てがまんする。障害があって言ってもわから
 ないことや、できないことが多い可哀想な子には親切にして許してあげなく
 てはならない・・・それでは破綻する。逆の形の差別になる。


・障害児のやっている事だからガマンしようというのは間違っている。いけない
 ことはいけないのだ。


・ゆうすけくんは、みんなに我慢してもらわなければいけない存在で、みん
 なの方はやさしくしてあげなければいけないというその関係自体が変だと思
 う。


・大目に見て許せと指導するのは、うわすべり。迷惑なことは迷惑。それを許し
 てしまうのは差別。
 迷惑なことは、迷惑だと教えるか、本人になかなか身につかなければ、周り
 のほうが変っていくという方向で考えるべき。


・どうしてみんなの工作をつついたり、落書きをしたりするのかのその理由が
 全部障害児だからでくくられている気がする。実際には、ちゃんと理由がある
 はず。


・いたずらががまんできないのなら、その理由を把握して、そうならないように
 対応すべき。


・言っても分からないなら、彼に分かる表現を考えなければならない。

・食べ物を吐くのは誰が見たって気持ちの悪いものなのだから、食べられない
 ものはムリして食べなくていいよと教えてあげれば良い。


・給食でいやなものを吐き出す事については、いやなものを無理に食べさせる
 ような指導に問題がある。


(教材の内容や表現が持つ障害観)
・『あいつ、頭おかしいな』と言った事に『うん』と言ってしまった事は、その事自
 体は後悔をする事ではない。でも、いいところもいっぱいある。できる事だっ
 ていっぱいある。という受け入れ方をして欲しい。頭がおかしいことは悪いこ
 とではない。


・障害があることは悪いことではない。

・障害者が健常者よりも劣っているわけではない。人間として劣っているわけ
 ではない。


・「しかし、だんだんゆうすけくんのいることに、みな、なれていきました。 」 
 と言う表現。 ((注)原文の表現)
 クラスの友達に「なれる」というのとは、ちがうニュアンスを感じる。クラスで、
 サルの子でも飼っていて、それになれると言う風に読める。


・「ゆうすけくんは、なぜ二学期になって、まわりの子にちょっかいをだしはじめ
 たのでしょうか。」と言う表現。
 この表現もサルの子扱いと感じる。こういう設問自体が、差別感を生むと感
 じる。


感想・受け止め方

(親としての感想)
・色々なことが思い出されてつらい。

・同じ様な事を経験した。裁判のように思ってしまった。涙が止まらなかった。

・子どもが入学したときの姿と、ダブって見える。

・この教材が道徳の教材として配られたこと自体にショックを受けた

・わが子とゆうすけくんが重なる。こんな形でクラスに受け入れられるのはい
 やだ。


(兄弟の感想)
・ゆうすけくんって、うちの弟と同じ。「あげる」なんてできない。寂しい。

・面白い話、興味深い話だね。

・「その子は特別なんだから、みんな我慢するべき」
 「クラスにこういう子が入ってきたら、どうかな」
 「・・・そりゃ、嫌だな」
 「どうしたらいい?」
 「本人に注意する→先生に言って注意してもらう→先生からお父さんやお母
 さんに注意してもらう。」
 「それでもどうしてもその子が変わらない場合は?」
 と聞いたら、回答不能に。この方向から追求していったら、結局、本音になれ
 ばなるほど、答えは出なくなってしまった。


(一般的な感想)
・初めは周りの子にとって迷惑と感じる事も、つきあっていく中で、ま、いっかと
 思える存在になったりする。


・上下関係は感じなっかった。

・小学生の時に、同じ様な教材を使って授業を受けていたが、毎回、なんでわ
 ざわざこんなことを授業でやるんだろうと感じていた。


・涙がでた。自分も優等性的な(道徳受けする)答えを言ってしまうのだろうな
 と自分自身に嫌悪感を持った。


・初めから理解するなんてことは不可能だけど、当事者の気持ちを聞く機会が
 あればすこしは理解も進むかも。


・障害児と接したことのない人とかだとこのお話し、クラスメイトがゆうすけくん
 のことを分かってあげようとしていく姿を描いた、なかなかいい話しだと感じ
 るかもしれない。


・「こんな子と同じクラスになるのはいやだ」と答える子はいる。
 しかし、そう感じてしまう自分としっかり向かい合い事で、模範回答鵜呑みの
 他の子たちよりも、地についた関係性を作り出していくことも多い。


・模範解答は、あると助かる人もいる。理解できなくても、覚えればすむので、
 理解力のない場合は、 そこそこ使える代用品になる事もある。


・自分も「ゆうすけくんいらないよ!」っていう気持ちを抱えながら、「でも、ゆう
 すけくんはクラスの一員だから」って言ってしまう模範解答の子供だった。


・実体験しているクラスだったら、こんなこと絶対やらない。討論させても、何の
 意味もないし、このプ リントで回答を引き出しても、子供達が全員納得する
 わけない。


・実体験のない場合にのみ、「みんな仲良く、いっしょにやらなきゃ」ということ
 を考えさせる教材にはなるかもしれない。・障害児にまったく触れる機会のな
 い状況の子どもたちなら、まだ意味があるかもしれない。


・実際に毎日障害児と身近に接している子どもたちには、かえって弊害になる
 ような気がする。
 「なんでわざわざこんなことを授業でやるんだろう。」という気持ちにさせ、
 その子なりに身につけてきた受け入れ方を、おかしな方向へねじ曲げてしま
 うのではないか。

道徳(障害理解教育)一般に関して


・「道徳」は答えをだすものではない。ディベイトで考えを深める事を目的にす
 る事がふさわしい。


・こうやって障害児に対する『模範解答』を頭の中にインプットするのかと思っ
 た。


・模範解答があって、それに従わないとダメという風潮があるがおかしい。

・「ゆうすけくんの教材」の扱いで、模範解答を教えるのが目的ではない。嫌だ
 なという気持ち、拒否反応を、分析させ、考えさせる事が必要。


・道徳とか人権教育とか言われるものは、1回っきりの学習で、皆がわかったと
 思える結論が出るものではない。


・障害児が同じクラスや家族にいるということで、大変な事もあるとは思うけ
 ど、成長できる面もある。 マイナスの部分だけではなく+になる部分もたく
 さんある。


・道徳心は、幼児期の親の態度(『親の躾』ではなく、『親の背中』)で決まる。 
 親が他人の悪口を言わない家の子は、やっぱり子供も言わないように。


実のあるインクルージョンへの道のために


最後に、日本におけるいわゆる統合教育の歴史を少し書きます。
1979年、文部省は養護学校を義務化しました。わずか20年前の話しです。
しかし、某都道府県では、それは能力主義によるもので、能力主義の教育
は常に能力競争を誘発し、差別と選別を合理化するとの訴えから、
「『普通』学級で学ぶ『障害』児教育の実践」が歌われ、現在に至っていると
いう事です。
それは、日本全国を見渡してもおそらく稀有な取り組みだと思います。


現場を実際に見たわけではない私は、そのことへのコメントはできません。
その形の統合教育のプラス面を是非知りたいと思う一方で、
具体的にあの子、この子と思い浮かべると、必ずしもその形の統合教育が
ベストだとは思えないのも紛れもない事実です。
一人ひとりの本当のニーズに合う教育はどこで保障されているのかが気
になるところです。


次に、
あるお母さんのその形の統合教育への思いを掲載させていただきます。
そこには偶然にも、私が危惧していることが書かれています。独断と偏見で
掲載します。ご意見や苦情はすべて私の方にお願いします。



「うちの息子の教育を受ける権利はどうなるのか、
 彼が何かを身につけるのには、彼の特徴に合わせた援助と、時間と努力
 が必要なのに、ただ、他の子がいる教室で、「見学する」「耐える」、ことに
 よると「『できない子』と辱められる」ことが 強いられるなんてとても納得
 できない……。
 <統合教育>について、語るときに必ず力説されるのが
 「ハンデのある子どもを支えることで、健常児が育つ」と言うことです。
 健常児と共にいれば、障害児が伸びるのは当然と言わんばかりに。


 一方、健常児集団に入った『障害児』がどれほどしんどい目をしているの
 か、ということにはあまり注意を払ってもらえない事には納得できない。 」



インクルージョンは世界的な流れです。でも、個別のニーズが保障されてこ
そのインクルージョンですね。
ほとんどの都道府県ではその保障がないだけではなく、一人、その学級の
担任の力量に任されてしまうというのが実情です。しかもほとんど何の研修
を受ける事もなく。
この事についても考えていきたいですね。

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