2000.2.3書き換え

LDの定義の見直しについて考えること

 1999年7月2日学習障害及びこれに類似する学習上の困難を有する児童生徒の指導方法に関する調査研究協力者会議よりLDの定義の最終報告がされた。 

(1995年 文部省中間報告)
 学習障害とは、基本的には、全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなどの特定の能力の習得と使用に著しい困難を示す、様々な障害を指すものである。
 学習障害は、その背景として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、その障害に起因する学習上の特異な困難は、主として学齢期に顕在化するが、学齢期を過ぎるまで明らかにならないこともある。
 学習障害は、視覚障害、聴覚障害、精神薄弱、情緒障害などの状態や、家庭、学校、地域社会などの環境的な要因が直接の原因となるものではなが、そうした状態や要因とともに生じる可能性はある。
 また、行動の自己調整、対人関係などにおける問題が学習障害に伴う形で現れることもある。
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この文中の

「聞く、話す、読む、書く、計算する、推論するなど」の「など」の部分に「運動・動作の能力、社会的適応性に係る能力」が含まれていたが、今回、その部分を削除され以下のようになった。
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(1999年7月  最終報告)
 学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
 学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。
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1999年11月3日のLD教育研修会の上野一彦先生の講演資料より引用

  1.教育行政的配慮から基本的に知的障害とは区分する
  2.基礎的な学力の習得困難を中心に据える
  3.発達障害としての機能障害を背景に認める
  4.他の障害との重複があっても、それが主要因ではない     
  5.環境要因によるものではない
  6.社会性や行動上の問題は、中核障害からはずす

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 「学習障害」ということばの響きからは、確かに「学力の習得の困難」というニュアンスが感じられるが、学校生活の中で習得するのは必ずしも「学力」だけではない。

 仮に「学力」だけに限定しても、活動水準のかたよりとしての多動や注意集中の力の弱さは「学力の習得の困難」の要因になるだろうことは十分考えられる。また、学習の習得に影響するほどの「多動性や注意集中力の弱さ」があるという事は、結果として、社会性や行動上の問題も併せ持っている事が多いという事にもなる。

 
「学習」の意味を「学力」だけに限定せず、上野一彦先生の言われるように

    学習=人が生活するうえで必要な技能を習得していく力

と考える方が自然なようには思う。子どもたちの実態からしても、その方が納得できるようにも思われる。

 定義では二次的なものと分けて考えるために整理されたという事のようだが、 それならそれで、私たちとしては、
「定義が変わった」けれども
「教育現場では何が変わり 何は変わらないのか」
という事を考えていく立場にあるのだろう。
通級教室でいえば社会性や行動上の問題をあまりもたない「学力」にのみ大きな課題をもつ子が増えてくるということになるのだろうか。 指導のニーズで言えば定義からはずれる子の方が高いように思われるのだが、どうなのだろう?
それでは、その子たちの指導はどこでなされるのだろう?
まあ、逆に考えれば、社会性や行動上の問題をかかえてはいるが”学習に問題のないLD児”はいない訳で、今までの対応とそうそう変わるものではないという気もする。

 個人的には、現時点では、ニーズに応じた指導をする場としての障害児学級の存在意義、役割は大きいと考えている私だが、世の中の流れ、志向がインテグレーション、さらにはインクルージョンへと向かっているならば、
「これからの時代はリソースルーム的な通級教室が増設されていくのかな。」
と思っていたのだが・・。
今回の最終報告では通級教室の役割はそれほど強調されてはいないようだなあ・・。


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