国道367号線  −その4−

 さらに国道367号線をすすみ、悪路で有名な国道477号線との分岐をすぎると、途中峠を越える。若狭と京都の途中にあるから、途中峠なのだろうか。標高は約380メートルと低い峠だが、重い荷物を担いだ昔の人にとっては、難所であっただろう。

 バス停がある。京都市内の出町柳から滋賀県の朽木(くつき)村まで、1日2本、バスが出ている。運行は京阪グループの「京都バス」だ。
 1日2往復のバスに、どのような意味があるのか。利用の実態を想像するのが困難ではある。もちろん、民間事業者である京都バスが運行している以上、需要はあるのだろうが。いずれにしても、日本の過疎地の生活は、都会人の想像をはるかに超えている。


「途中」バス停

1日に2本しかバスがない

 花折トンネルを抜けると、国道367号線は安曇川(あどがわ)に沿った、深い谷を通って行く。途中、ほんの少しだけセンターラインのない区間があったが、ほぼ完全に片側1車線が確保されており、走りやすい道であった。
 朽木村に入ると、宿場らしい古い街並みが残っている。ここでは、「鯖なれずし」が有名である。
 「なれずし」とは何か。鯖に塩をして半年、糠(ぬか)を挟んで半年以上おくと、「へしこ」ができる。へしこを塩抜きし、御飯と麹を詰めて、乳酸醗酵したものが「なれずし」である。保存食として、きわめてすぐれたものであり、日本の食文化を考えるうえでも貴重なものだ。遠くから買いに来る人も多いと聞く。しかし、私は、あの臭いがどうしてもだめで、食べることができない。
 とにかく、海からこんなに離れた山の中の村で、鯖の加工食品が作られているというところに、鯖街道の名残をみることができる。
 道の駅「朽木新本陣」で休憩する。ここでは、毎週日曜日には朝市が開催されるそうだ。鯖のなれずしも出るのだろう。

 
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リンク
京都バス
朽木村公式ページ
道の駅「朽木新本陣」


 ところで、もう若狭までの道のりの、半分は来てしまった。あまりの近さに、ちょっと驚く。
 鉄道を使って、京都から小浜に行こうとすると、京都→大津→近江塩津→敦賀→小浜という順番になるだろう。東海道本線、湖西線、北陸本線、小浜線の順だ。距離にして、約143.6キロ。相当な遠回りだ。だから、若狭は遠いところ、というイメージがある。
 けれど、国道367号線を使えば、その距離は約80キロメートルにすぎない。私は急ぐ旅ではないので、ぶらぶらと時間をかけて走っているが、一気に走れば、2時間くらいで着いてしまうだろう。
 途中、いくつか峠があるが、いずれも300メートルから400メートルといった低いものだ。どうしてこのルートで鉄道が建設されなかったのだろう、という疑問がわく。

 ここで、滋賀県には琵琶湖という巨大な湖があることが思い出される。江戸時代には、帆船が主体で、操船は風まかせで思ようにならなかったが、明治時代になると汽船が導入され、自由に航行できるとともに、大量の物資を運べるようになった。そのため、琵琶湖の水運は、かなり盛んになった。明治時代初期には、東海道本線も、長浜から大津までは汽船であった時期がある。
 若狭からの海産物の運搬も、明治以降は琵琶湖による水運が、大いに活用されただろう。つまり、今津から大津までは琵琶湖の水運が利用され、若狭〜今津間は馬車などによる陸運、大津〜京都は鉄道という時代になった。そのため、遅くとも明治中期までには、朽木経由の鯖街道は、京都〜若狭のメインルートからはずされたものとみられる。
 その後、浜大津から近江今津まで、江若鉄道(こうじゃくてつどう)が建設された。近江と若狭を結ぶということで江若鉄道で、1920年(大正9年)に設立。1931年(昭和6年)には、浜大津から近江今津まで開通している。以降、この江若鉄道が琵琶湖の水運にとってかわったものとみられる。

 江若鉄道は、結局若狭までレールを延ばすことができずに、1969年に国鉄(現JR)湖西線の建設にともない廃止された。
 現在でも、この地域には「江若バス」が走っている。江若鉄道の関連会社にまぎれもない。朽木村と湖西線の安曇川駅のあいだにも、1日数本のバスが運行されている。

リンク
江若鉄道紹介サイト
江若バス


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