§3.デトロイト オートメーション...............


日産自動車は昭和10年頃に大型トラックの製造事業を確立するため米国グラ..

ハム社の技術を導入した。.......................

当時、横浜新子安の本社工場には、日本の他の工場では見ることが出来ないよ

うな素晴らしい自動加工機が沢山あって、見学者を驚かせていた。これらの機

械には多数の刃物が取り付けられていて、製品の多くの加工箇所が、同時に加

工されるだけでなく、製品は次々に加工工程を自動的に進み、調子がよければ

今まで日本にあった普通の機械では、到底想像も出来ないような多量の生産が

出来る物であった。..........................

しかし、多くの刃物の内一つでも刃先が摩耗したりかけたりすれば、たちまち..

オシャカの山が出来ることも事実であった。つまりこれらの機械は自動的には

動作をするが、オシャカが出来たことを感知したり、オシャカが出来ないよう

に防止したりする、チェックしてアクションにつなげるための、云はば神経系

統が無かったのである。その為に、人がつきっきりで見守っている必要があっ

たのである。.............................

戦後、再びアメリカの技術雑誌が来るようになったとき、デトロイトの自動車..

工場で【 トランスファーマシン 】という工作機械が出来て使われていること

が判った。それはいくつかの工作機械をつなげたようなもので、加工物がその

各工程で、多くの刃物で同時に加工されることは戦前の機械と見た目には殆ど

変わりはないがその一連の加工ラインは殆ど無人で運転出来るようなものであ

った。................................

そのためには、加工物は次の工程が確実に終わってから移動し、また、チェッ..

クポジションに於いて、決められた通り加工出来たかどうかが確かめられ、も

し異常があれば、シグナルが点灯し、少なくとも機械は自動的に停止し、異常

な状態が改善されるまでは、動かないようになっていた。このような装置は、

所定の加工回数に到達した刃物や消耗工具等についても配慮されており、遙か

に少ない人員で、経験に頼る多数の技術者の必要もなく、安定した製品を多数

作れるようになったのである。.....................

従来のオートマチックは、人間の動作だけしか機械化することは出来なかった..

が、これらの新しい機械には、未だ初歩的なものであったが、人間の制御活動

(コントロール)と同じような働きが組み込まれ始めていて、自動化・機械化

は画期的な段階を迎えたのである。...................

これは、従来の【 オートマチック 】に対して【 オートメイト 】と云われ、

このような考え方で組み立てられたシステムが【 オートメーション 】と云わ

れるようになった。..........................

今ではオートメーションは、自動車工業に限ったことではないが、当時、全世

界の各分野に先駆けて、デトロイトの自動車工業に、華々しく展開されたので

ある。そこで特に、【 デトロイト・オートメーション 】と呼ばれた。...

この考え方はその後急速に発展し、電子技術と結びついて、現在では工場全体..

が、コンピュータを含めた一連のシステムとして組み立てられ、一定の制御方

式によってコントロールされているという時代になった。すなわち生産工場は

システムとその制御 】がその根幹となり、其れなくしては大工場は運営出

来なくなって来たのである。......................

今では、工場管理の技術も、従来の加工技術を中心とするものの外に、システ..

ムと制御に関する理論と技術が大変重要な時代になった。.........

此のように生産システムが大規模になると、今までと違って、そのシステムを

構成している機械が一台でも止まると システム全体が一度に止まる

とになるから、そのロスは莫大なものとなる。..............

従って構成単位である【 個々の機械の信頼性 】は充分でなければならず、

更に 不具合な箇所が、直ぐ見つけられる工夫や、その 復旧が容易に.

出来るような配慮 がシステム全体の中に充分に出来ている必要があって、.

システムとその制御 並びに構成単位の 装置類の信頼性 には非常に

高いレベルの技術が必要になってきているのである。...........



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