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▼和泉式部日記 夢よりも儚き〜10月▼




10月 神無月
手枕の袖
こうしているうちに、10月になった。
10月10日頃、宮さまはいらっしゃった。
奥は暗くて恐ろしいので、端近くにうち臥されて、しみじみとした
お話を限りなくなさるの……胸に切なく染みるわ……。
月は曇りがちで、時雨の夜。わざとそんな切ない夜にされているようで、
想い乱れる私の心は、そぞろ寒くなる。宮さまは私をご覧になって思われたそう。

  人の噂など当てにならない、怪しいものだな。
  彼女は、ここにこうしているじゃないか。

愛しく思って下さったのね。眠りこんでいるように想い乱れて臥している私を
揺り起こしなされたわ。

時雨にも露にもあてで寝たる夜をあやしくぬるる手枕の袖
  時雨にも露にもあてないで寝た夜なのに、
  どうしたことか、手枕の袖が濡れている

そう仰ったけれど、私は何もかもが何だか悲しくなってしまって、
お返事する気分になれなかった。
言葉もなく、ただ月影に涙が落ちる私の姿を、宮さまはしんみりとご覧になって、
「なぜ返事をしてくれない? くだらない歌にあきれてしまったかな? すまない」
と仰ったので、
「どうしたものでしょうか、気持ちがかき乱れるかんじがして……。
 お歌が耳に入らなかったのではございませんわ。
 よくご覧になって……手枕の袖を忘れることがありましょうか」
と、私は冗談のように言い紛らわしてしまって……。

しみじみとした夜の気色も、このようにして過ぎていくの。

翌朝。彼女には頼る男もいないのだ…と、宮さまは心苦しく思われて、

  今、どうしている?

とお言づけを下さった。私はお返事を差し上げたわ。

今朝の間に今は消ぬらん夢ばかりぬると見えつる手枕の袖
  今朝のうちに乾いてしまったことでしょうね。
  夢ばかりに濡れたように見えた手枕の袖は。

「忘れない」と私が言っていたのを思い出して、宮さまは面白がって下さり、

夢ばかり涙にぬると見つらめど臥しぞわづらふ手枕の袖
  夢ばかりに涙に濡れたと見えたようだけど、
  臥すことさえ難しいほど濡れている手枕の袖なんだよ。

あの一夜の空の様子がしみじみと見えたことがあって、宮さまのお心から、
その後心苦しく思って下さり、しばしばお越し下さるようになった。
私の有様などをご覧になっているうちに、私は世慣れた女ではなく、
ただただもの儚げであるとお思いになったみたい。
それがとてもお心を苦しくさせたようで、私にしみじみとしたお話をなさって下さるの。

「こうして徒然に過ごしておいでの君を忘れることはないのだけどね……
 いっそのこと、私の所にいらして下さい!
 世間の人々もひどいことを言っているしね……。私は時々しか来ないから
 見たこともないけれど。それでも人が聞き苦しく言っているのを聞いて、
 度々空しく引き返す時の気持ちは、わりなくて情けないんだよ……。
 どうしたらいいだろうかと思うこともある。でも、私は古めかしい心の持ち主だから、
 せっかく君と築いた仲が絶えてしまうのは悲しいんだ……。
 さりとて、こんなふうに訪ねているのが人にばれたら、行くことを止められて、
 それこそ『空ゆく月』になってしまう。
 もし君が言っているように本当に徒然で仕方ないなら、私の家に移って来てほしい。
 ……妻とか、いろんな人間がいるけどさ、どうにかならないものじゃない。
 元から私はこんな外歩きに縁がない身だから、人の知らない所に居座ったりしないし、
 仏前でお勤めなどをしているだけだ。そんな一人きりでいる時に、共感できる人と
 話しなどができれば心が慰められる気がするんだ……。そう思うんだよ……」

宮さまはそのように仰るけれど、今さらそんな例のないことをどうしたらいいのでしょう。
一の宮のこともお断りしたのに……。さりとて「山のあなたに」導いてくれる人もいないし、
このように過ごしているのは明けぬ夜の心地しかしない……。
つまらない戯れ言を言ってくる男も大勢いるから、良くない噂が立ってしまうし……。
でも、宮さまの他に頼りになりそうな男なんていないものね。
……そうよ。宮さまの仰るように試みるのもいいかもしれないわ!
北の方はいらっしゃるけれど、宮さまとは別の所にお住まいで、日常のことはみんな乳母が
引き受けているそうだし……。私は目立つような振る舞いをしたいのではないし、
然るべき場所で静かにしていれば、なんてことないわよね。
少なくとも、今までの濡れ衣は着ないですむようになるわ……。

「何事も、我が思うようにならぬ身ですもの。慰めは、このような折に、
 たまにでもいらして下さる宮さまのお越しをお待ちするほかにございませんわ。
 ただ、宮さまのお言葉のままにと思いましても、今のように別々に暮らしていても
 世間では見苦しきことのように言われておりますもの……。
 まして、御邸に移って、その噂は本当のことだったと思われるのは、何だか辛いです」
そのように私が申し上げると、
「それは私のほうこそ、あれこれ言われるだろうが……君のことを見苦しくいう者はいないよ。
 絶対に人に目立たない場所を作ったら連絡する」
などと、宮さまは頼もしく仰って下さって、夜の深いうちにお帰りになった。

私は格子を上げたまま、ただ一人端に臥していても、さまざまに思い乱れてしまう。
どうしたらいいの? 人の笑い者になってしまうんじゃないかしら?
そこに宮さまから御文が届いた。

露むすぶ道のまにまに朝ぼらけぬれてぞきつる手枕の袖
  露のむすんだ道を通って帰るまにまに、
  露と涙の両方で濡れてきた手枕の袖だよ。

この手枕の袖のことは、儚いことなのに、宮さまはお忘れにならず仰っていて素敵だわ。

道芝の露におきゐる人によりわが手枕の袖もかわかず
  道芝の露とともに起きてお帰りになった人のせいで、
  私の手枕の袖も涙で乾きません。

その夜の月はとっても明るく澄んでいて、私はここで、宮さまはあちらで、それぞれ眺め明かして。
翌朝、宮さまは例のように御文を出そうとお思いになって、「童は来てるか?」と
お尋ねになっていらっしゃるうちに、私からの御文が届いたそうよ。
彼女も霜のすごい白さに驚いたんだね、とお思いになりながらお読み下さって……

手枕の袖にも霜はおきてけり今朝うちみれば白妙にして
  私の手枕の袖にも霜がおいてしまいました。
  今朝おきてみると、白妙の世界なんですもの

くやしくも先を越されたか…とお思いになり、

つま恋ふとおき明かしつる霜なれば
  妻が恋しくておき明かした霜だから……

と、仰っているところに、ようやくご用を承る者が来たので、ご機嫌をお悪くされて
童のことをお尋ねになったそう。
「遅参いたしましたこと、厳しく叱っておきます」ということで童に御文が渡されたそうよ。

「こちらから御文が届く前にお召しがあったのですが、今まで参上
 いたしませんで、叱られました」
童はそう言って宮さまからの御文を取り出した。

  昨夜の月は素晴らしく素敵でしたね。

寝ぬる夜の月は見るやと今朝はしもおきゐて待てど問ふ人もなし
  先夜の月は君は寝てしまって見なかったね。
  昨夜こそ見ただろうと思って霜のおいた今朝も待っていたのに、
  君は御文もくれない。

本当に、宮さまのほうが先だったのだわ…と思うのも素敵で。

まどろまで一夜ながめし月見るとおきながらしも明かし顔なる
  先夜も、昨夜も、私はまどろまずに月を見ておりました。
  宮さまおひとりで起きて明かしたようなお顔をなさいますのね。

そうお書きしておいて、この童の「厳しく叱られた」と言うのがおかしかったから、
端のほうに追記したの。

霜の上に朝日さすめり今ははやうちとけにたる気色見せなん
  霜の上に朝日がさしてきました。
  宮さまも早くうち解けたご様子を童にお見せになってあげて下さいませ。

  童はひどく落ち込んでおりました。

これをお読みになった宮さまから、

  今朝、君がしたり顔でいるのも妬ましいよ。
  この童を殺してしまおうかとまで思ってしまうくらいね。

朝日影さして消ゆべき霜なれどうちとけがたき空の気色ぞ
  朝日がさせば、霜は消えるだろうけれど、
  私の機嫌のほうはうち解け難いのですよ。

そんな御文を下さったので、私は……

  まあ……。殺しておしまいになるおつもりですの!?

君は来ずたまたま見ゆる童をばいけとも今はいはじと思ふか
  宮さまはいらっしゃらない。
  たまにやって来る童は生かしておかず、もう私のところへ行けとも仰らないのですね。

このお返事をご覧になった宮さまは、お笑いになって、

ことわりや今は殺さじこの童忍びの妻のいふことにより
  ごもっとも! 童を殺すのはやめましょう。
  忍びの妻のお言葉に従ってね。

  ところで、「手枕の袖」は忘れてしまったのかな?

私はお返事に、

人知れず心にかけてしのぶるを忘るとや思ふ手枕の袖
  人知れず心にかけて忍んでおりましたのに、
  私が忘れてしまうとお思いですの? 手枕の袖のことを……。

すると宮さまからもお返事の御文が……

ものいはでやみなましかばかけてだに思ひ出でましや手枕の袖
  私が言わなければ、手枕の袖のことを、
  君は少しも思い出さなかったんじゃないのかな?


塩焼衣
そしてまた二三日、宮さまから何もお便りがなかった。
あれほど頼もしいことを仰って下さっていたのに、どうなってしまったの?
と思い続けていると、ちっとも眠れなくて……。
目を開けて横になっていたら、夜もようよう更けたかと思う頃、門を打ち叩く音がしたの。
あら、何なのよ? と思ったけれど問わせてみれば、宮さまからの御文だったのよ!
あまりに思いがけないことだったから、「心や行きて」としみじみ思って妻戸を押し開けた。
その月明かりで御文を拝見すると、

見るや君さ夜うちふけて山の端に隈なく澄める秋の夜の月
  君は見てるだろうか。
  夜がうち更けて、山の端に隈なく澄んだ秋の夜の月を。

ふと月が眺められて、常よりも心に染みたわ……。
門も開けずにいて、御使いが待ち遠しくしているだろうと思って、急いでお返事をした。

ふけぬらんと思ふものから寝られねどなかなかなれば月はしも見ず
  夜も更けたと思うのに、眠れないのです。
  でも月を見ると余計に眠れなくなるので、見ないことにしております。

これをご覧になって宮さまは、
  わざと反対のことを言ってきたな。やはり君は冴えてるよ……。
そうお思いになって、何とか私を側においてこのような歌などを
いつも聞きたいと、ご決意を固くされたそうなの。

二日ばかりおいて、女車にようにして宮さまが突然お出でになった。
昼の明かりの中ではまだ姿をお見せしたことがなかったので、恥ずかしかった……。
けれど、みっともなく隠れてしまうわけにもゆかず、もし宮さまの御邸に本当に移るのなら、
そんな恥ずかしがってもいられないと思って、そっといざり出たわ。
宮さまは日頃のおぼつかなさなどお話になり、しばらくうち臥した。
「先日話したように、早く決心してほしい。
 こんな忍び歩きの度に、私はドキドキしてしまうんだ……。
 といって来ないと落ち着かないし……儚い二人の仲が苦しいよ」
そう仰るので、私は、
「ともかくもお言葉のままに、と思うのですが……。
 『見ても嘆く』とも申しますから、慣れて新鮮さがなくなってしまうのも不安で……」
「よし、見ててごらん。『塩焼衣』なんだよ」
宮さまは仰って、お帰りになろうとする。
すぐ近くの透垣の、美しい檀の少し紅葉した枝をお折りになると、高欄に寄りかかって、

言の葉ふかくなりにけるかな
  紅葉のように、二人の仲も深くなったね。

白露のはかなくおくと見しほどに
  白露がおくように儚い仲と思っておりましたのに……。

私がそう続けてお返事差し上げると、宮さまは「いいね」と思って下さったよう……。
それに、宮さまのお姿は、とても素晴らしくて……。
御直衣に、すごく素敵な御衣を出だし袿にしていらっしゃるの……もう最高だわ。
見とれてしまった私の目まで浮気っぽいのかしら、なんて思ってしまうほど……。

次の日、宮さまから御文を頂いた。

  昨日の君の反応は残念だったけれど、しみじみと感じた。

私もお返事を……。

葛城の神もさこそは思ふらめ久米路にわたすはしたなきまで
  葛城の神も久米路に橋をわたす時は、さぞ恥ずかしく思ったことでしょうね。

  明るいところで、私もどうしようもなく恥ずかしく思いましたの……。

すると、すぐにお返事が届いて、

行ひのしるしもあらば葛城のはしたなしとてさてややみなん
  私に役の行者のような験があるなら、
  君が恥ずかしがっているのをそのままにはしておかないよ。

それからは前よりもよくお越し下さるようになって、私の徒然もとても慰む気持ちがしたの。


まだ半分くらいです。まだ続きます。
よろしければ、どうぞおつき合い下さいませ。

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