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▼和泉式部日記 夢よりも儚き〜6月▼




6月 水無月
山の端の月
それから二三日ばかりおいて、月のとても明るい夜。
端近に出て月を眺めていると、
「いかがですか。月をご覧になっているでしょう?」と、宮さまから。

我がごとく思ひは出づや山の端の月にかけつつ嘆く心を
  あの晩のことを、私と同じように思い出しておられますか?
  山の端の月にかけて嘆く心を……。

いつもより情緒があるわ―――あの晩、宮さまの御邸でも月が明るくて、
誰か見ていないかしら、と思い出していたところなので。

一夜見し月ぞと思へばながむれど心もゆかず目はそらにして
  あの夜ご一緒に見た月だと思って眺めると、心はちっとも晴れません。
  目は空に、虚ろにして。

そのようにお返事して、なお一人で眺めているうちに、夜は儚くも明けてしまった。

次の夜、宮さまがいらっしゃったことを、私は知らなかった。
私の家には姉妹が同居していて、ちょうどそちらに来ていた車を、
「車がある」「男が来ている」と宮さまは勘違いなさってしまったらしいの。
不快にお感じになられたそうだけれど、さすがにこれで終わりにしようとは
お思いにならず、御文を寄越して下さった。

  昨夜お伺いしたことをお聞きになりましたか?
  それさえもご存じでないと思うと、とても口惜しいよ。

松山に波高しとは見てしかど今日のながめはただならぬかな
  松山に波が高いことは知っていたけれど、
  (君が浮気者だってことは知っているけれど)
  今日は眺めはただならぬものだね。
  (昨日のことがあった今日は、ひどく物思いがする)

―――ですって。
ちょうど雨が降っていた。
おかしなことだわ、誰かの作り事をお聞きになられたのかしらと思って、

君をこそ末の松とは聞きわたれひとしなみには誰か越ゆべき
  宮さまこそ移り気なお方だとお聞きしておりますわ。
  誰が同じようなことを致しましょうか。

宮さまはあの夜のことを何となく心憂くお思いのようで、
久しくご無沙汰でいらっしゃった。そして、ただこのように……

つらしとも又恋しともさまざまに思ふことこそ暇なかりけれ
  つらいとも…恋しいとも…さまざまに思うことこそ暇がない……。

―――お返事に申し上げたい事がなくもないけれど、
わざとらしいとお思いになられたら嫌よね。

逢ふ事はとまれかうまれ嘆かじを恨み絶えせぬ仲となりなば
  お逢いできてもできなくても嘆くことはございません。
  ……恨みの絶えない仲にさえならなければ。

とだけお書きした。


空ゆく月の影
そうして後も、なお間遠になっていたわ。
月の明るい夜、打ち伏して「うらやましくも」などと物思いが積もり、宮さまに御文を。

月を見て荒れたる宿にながむとは見に来ぬまでも誰に告げよと
  月を見ながら荒れた家で物思いしている私。
  来る人もなく、この思いを誰に告げよというのでしょう。
  お越し頂けなくとも、せめてお便りだけでも下さいませ……。

樋洗童を呼び、「右近の尉に渡しておいで」と書いた物を託した。
その頃、宮さまの御邸では御前に人々を集めてお話しをなさっているところだったの。
人が退出して、右近の尉が御文を宮さまにお渡しすると、
「例の車を用意させてくれ」
と仰ってお出かけになったそうよ。

私はまだ端近にいて月を眺めていたわ。
そこへ人が入って来たので、簾を下ろして座っていた。
何度お目にかかっても見慣れることのない、宮さまの素敵なお姿。
御直衣などをさり気なく着こなされているご様子も、とてもお美しいの。
宮さまは何も仰らず、ただ御扇に御文をお置きになって、
「使いの人が、私の返事も持たずに帰ってしまったから」
そう仰って差し出されたわ。
私は何か申し上げようにも程遠くて不便だったので、
扇を差し出して御文を受け取った。
宮さまが私の座っている所に上がろうとなさった。前栽の趣深い中をお歩きになり、
「人は草葉の露なれや(君は草葉の露だね)」
などと仰る。……とっても艶めかしい。
私の近くにお寄りになって、
「今宵は帰りますよ。―――この間の車の男が誰に忍んできたのか
 突き止めようと思っただけなんだからさ。
 明日は物忌みだというから、不在にするとマズイんだ」
と仰ってお帰りになろうとなさるので、私……

こころみに雨も降らなん宿過ぎて空行く月の影やとまると
  試みに雨でも降ってくれないかしら。
  宿を過ぎて空を行ってしまう月がとまるかもしれないように、
  宮さまが雨宿りにお泊まり下さるかもしれませんもの。

人の言うよりもずっと子供っぽく純真で、愛おしい……。
私の歌をお聞きになって、宮さまはそのようにお思いになった。
「愛しい君!」
そう仰って、私の側にしばらくいらして下さったの。
お発ちになる時、

あぢきなく雲居の月に誘はれて影こそ出づれ心やはゆく
  嫌々ながら雲居の月に誘われて帰ります。
  帰るのは影だけ。この心はあなたの元に―――。

お帰りになってから、頂いた御文を拝見すると、

我ゆゑに月をながむと告げつればまことかと見に出でて来にけり
  私を想い月を眺めていると告げられたので、
  それは本当なのかと確かめに来たのですよ。

とお書きになってあったわ。
本当に何て素晴らしいお方なのかしら……。
私のことを行いの悪い女とお思いだけれど、どうか思い直して下さいませ!

宮さまも徒然の慰めには……と思って下さっておられたところに、ある人々が、
「この頃は源少将が通っています。昼もいるそうです」
「治部卿もお通いとか」
などと申し上げていたそうなの。
それらをお聞きになった宮さまにひどく軽薄だと思われてしまったものだから、
久しく御文も頂けなかったわ………。


海人の小舟
いつもの小舎人童が来た。
樋洗童とおしゃべりをする仲で、今日も親しく話している。
「御文はあるの?」
「ないよ。この前の夜、御門に車のあったのをご覧になって、
 それでお便りもなさらないんじゃないかな。
 こちらに通ってる人がいるってお聞きになったみたいだよ」
などと話して帰っていった。
それを、「こんなこと言っていました」と樋洗童が教えてくれた。
宮さまに久しくお世話をおかけする事もなく、特に頼みにさせて頂くようなことこそなかった。
でも、時々は思いをおかけ下さって、絶えてしまうことのないようにはしたいの。
それが事もあろうに、そのようなひどい噂を信じておられるとは……。
身も心も憂くて、「どうしてこんなに……」と嘆いていたら、
宮さまから御文があったの―――。

  近頃、何だか変に気分が悪くてさ……。
  いつぞや伺った時も折が悪くて帰ったっけ。邪険にされてるんじゃないかな?

よしやよし今はうらみじ磯に出でて漕ぎはなれ行く海人の小舟を
  ああ、もういいさ。もう恨まない。
  磯に出て私から漕ぎ離れていく海人の小舟のような君のことを。

と書かれてあった。
きっと私についての何か浅ましい噂をお聞きになったのね。
身に覚えのないことについてお返事を差し上げるのは気後れするけれど、この度ばかりは……!

袖の浦にただわがやくと潮たれて舟流したる海人とこそなれ
  袖の浦で塩を焼いて濡れてばかりいる私は、
  舟を流してしまった海人にこそなりましょう。
  涙に濡れているうちに宮さまに捨てられて、行くあてもない身の私です。

そのような御文をお送りした。


前半は痴話喧嘩。後半はオノロケ。締めはまた痴話喧嘩。そうとしか思えません(笑)。

宮さまの呟かれた「人は草葉の露なれや」というのは古歌の一節です。
 「我が思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづしをるらむ」 よみ人しらず
私の訳がアレなのでナンですが、この場面は素晴らしく美しいです!
美しさにおいては、和泉式部日記の中でいちばんの見せ場かと。
「愛しい君」は、原文では「あが君や」です。
これには「マイ・ダーリン」が最高にぴったりくると思うんですけどね〜(笑)。

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