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▼和泉式部日記 夢よりも儚き〜4月▼




4月 卯月
かをる香に
夢よりもはかない世―――。ふさぎ込み、泣いてばかり。
亡き宮さまとの思い出が……。
夜を明かし、日が暮れて―――いつの間にか4月10日を過ぎていたわ。
木下が暗がりになり、築地の上に茂る草が青々としている様子が何だか悲しい。
他の人は目に留めることもないのでしょうね。
弾正宮さまがはかなくなられても、季節はこうして巡ってゆくことを……。

その時、透垣の向こうに人のいる気配がしたの。
誰かと思ったら、故宮さまにお仕えしていた小舎人童じゃない!
こんな時に来てくれるなんて、私の心が伝わったのかしらね。
なつかしくて、嬉しくて……。声をかけさせたわ。
「どうして久しく来なかったの? 遠ざかる昔の名残にとも思うのに……」
「用事もございませんのにお伺いしては、馴れ馴れしいようで失礼だと思いまして。
―――日頃は山寺に詣でたりしております。
私も頼れる所がございませんで、故宮さまの御代わりにと心を尽くして弟君の帥宮さまにお仕えしております」
「それはとても良いことね。でも、帥宮さまは大変にお上品で、近寄りがたいお方だと伺っているわ。
……以前のようには、お仕えしにくいのではなくて?」
などと聞いてしまう。
「そのようでございますが……とてもお親しみのあられるお方で、今日もお尋ねになったのです。
『こちらへは常にお伺いするのか』って。はい、とお返事申し上げましたら、
『これをお持ちして、どうお思いになるか伺ってきてほしい』と仰せになられました……」
童はそう言って、―――橘の花を差し出したわ。
「昔の人の……」
私は思わずつぶやいてしまった……。
「そろそろ失礼させて頂きます。どのようにお返事いたしますか?」
そうよね、お返事を。
口上でお返事申し上げるのも何だか失礼だと思うし、艶めいたことを仰っているのでもないし……。
―――御文に書いて差し上げましょう。

かをる香によそふるよりはほととぎす聞かばや同じ声やしたると
  橘の香にことつけて故宮さまのことを偲ぶより、
  直接お目にかかって……お聞きしたいです。同じお声でいらっしゃるのか……。


声は変はらぬ
その時、帥宮さまは、まだ端近な所にいらっしゃったみたい。
戻った小舎人童が物陰で咳払いなどしている気配にお気づきになり、
「どうだった?」と、お尋ねになられたのですって。
童から渡された私のお返事をご覧になって―――

同じ枝に鳴きつつおりしほととぎす声は変はらぬものと知らずや
  兄と私は同じ枝で鳴くほととぎす。声も心も……変わらないものですよ。

お書かせになったものを童にお渡しになり、
「こんなこと、絶対に人に言うなよ。好き者のように思われるから……」
そう仰って中にお入りになったそう。

童が持ってきたその御文を拝見して、私は心が動いたけれど、
その度にお返事差し上げるのは……と思って、そのままでおいたわ。

宮さまはすぐにまた、

うち出ででもありにしものをなかなかにくるしきまでも嘆く今日かな
  言わなければよかった……。
  言ってしまったばかりに、苦しいほど嘆いている今日この頃です。

そして私は―――
もともと心持ちの軽いほうで、身にならない徒然の日々をはかなく思っていたところだったから、
小さなことにも気持ちが留まって……お返事を。

今日のまの心にかへて思ひやれ眺めつつのみ過ぐす心を
  今日この頃のことなどと……。
  物思いばかりして過ごしている私の心をお察し下さいませ。

……こうして、宮さまは頻繁に御文を下さるようになり、私もその時々にお返事差し上げたわ。
徒然も少し慰められるような気持ちで過ごすようになったの―――。


恋といへば
宮さまから再びの御文。お言葉も少し細やかになって……。

語らはば慰むこともありやせん言ふかひなくは思はざらなん
  お話しすれば、お慰めできることもあるのではないかと……。
  私を甲斐のない男とはお思いにならならいで下さいよ。

  あはれなお話しをご一緒に ……暮れ頃に、いかがですか?

そうお書き下さってあったので、お返事―――。

慰むと聞けば語らまほしけれど身の憂きことぞ言ふかひもなき
  お慰め下さるとお聞きすれば、お話ししたいとも思います。
  でも、この身の憂きことは甲斐もないほど深いものなのです……。

  「生いたる蘆」の私には、甲斐のないことでございます。

ところが宮さまは、思いもつかないほど忍んで行こうとのご決意で、昼のうちからご用意なさっておられたの。
日頃、御文の取り次ぎをしている右近尉という人をお召しになって、こう仰ったのだそう。
「忍んで行く」
右近尉は、「きっとあそこだな」と思って準備していたそうよ。

夜になり、宮さまがご身分を隠すための粗末な車でお出でになったわ。
私はとても困ってしまったけれど、「留守です」と申し上げることもできない。
だって、今日のお昼にお返事を差し上げたばかりなんですもの。
ちゃんと家にいるのに、このままお帰ししてしまうのは情のないこと。
ほんの少しだけお話しを……と思って、西の妻戸に円座を敷いて宮さまをお入れしたの。

―――世間の評判を聞いていたからかしら。
宮さまのご容貌は、本当に、並々のものではなかったのよ。たまらなく素敵な……。
そのことも気になって、お話ししているうちに月がさし出てきたわ。とても明るい。
「古めかしく奥まって暮らしている身ですから、このような明るい所に慣れていないのです。
とても居心地悪く思うよ……。あなたのいらっしゃる所に入れて欲しいな。
あなたがこれまで見てきたような事はしませんから」
と、宮さまが仰るので、私も……。
「妙なこと……。今宵初めてお話しするようになりましたのに、これまで、とはいつのことでございますの?」
などと、はかないことをお話ししていると、夜も段々更けてゆく―――。
「こうして明かしてしまうのか」
と、宮さま。

はかもなき夢をだに見で明かしては何をか後の世語りにせん
  儚い夢さえも見ずに夜を明かしてしまっては、何を後の語りとすればよいのか。

私も申し上げたわ……。

夜とともにぬるとは袖を思ふ身ものどかに夢を見る宵ぞなき
  夜とともに涙で袖を濡らしている身には、のどかに夢を見る夜はございません。

「今は、まして」と。
すると宮さまが、
「私は、軽々しく動ける身でもないのです。
情なきこととお思いになっても、私は……本当に物恐ろしいまでにあなたをお慕いしている……!」
そう仰って、いきなり御簾から滑り入ってこられたわ!

夢か現か、割のないことを様々にお約束などなさって。
夜が明けるとお帰りになり、すぐに後朝の御文を下さったの。

  今、どうしていらっしゃるかな? 私はあやしいほどの心です。

恋といへば世の常のとや思ふらん今朝の心はたぐひだになし
  恋といえば世にありがちな……と、思われるでしょうが、
  今朝の私の心は違う。これまでないほど深いものですよ。

帥宮さま……。私も御返しに。

世の常のことともさらに思ほえず初めてものを思ふあしたは
  私も……世の常のこととはとても思えません。
  初めて恋の心を知った朝でございます。

……お送りしてしまったけれど、もう手に負えない我が身の在りさまだわ。
故宮さまのあれほど愛して下さったものを……。
そんなことを悲しく思い乱れていたら、いつもの童が来ていたわ。
御文があるのかしらと期待したのに、そうではなかった。
それを心憂しと思ってしまうのも、―――私ってつくづく好き好きしいのよね。
しかも、帰って行く童にまた御文をお願いしてしまった。

待たましもかばかりこそはあらましか思ひもかけぬ今日の夕暮れ
  待つことも、このように辛いことではございますが、
  今日の夕暮れはお待ちしている訳でもありませんのに、とても辛いのです……。

それをご覧になって宮様は、なんと愛しい人だとお思いになって下さったみたい。
でも、こういった夜歩きはなかなかお出来になれないご身分―――。

 北の方とは世の夫婦のような睦まじい仲でこそないが……。
 とはいえ、自分が夜ごとに出かけていたらおかしいと思うだろう……。

 兄上が果てまでも人々に悪く言われておられたのも、これによるものだ……。

そのように宮さまはお考えになり、自粛なさっていらしたそうよ。
私のことを、まだねんごろには想って下さっておられなかった頃だから……。

暗くなってから宮さまのお返事を頂くことができたわ。

ひたぶるに待つとも言はばやすらはで行くべきものを君が家路に
  ただ一途に待っていて下さるというのなら、
  ためらうことなくあなたの家路に向かいますものを。

  私を薄情な男と思っておられることこそ辛いのですよ。

まあ、宮さま。私も再び御文を。

  どうして私がそのようなことを……。

かかれどもおぼつかなくも思ほえずこれも昔のえにこそあるらめ
  お出で頂けなくてもおぼつかなくはございません。
  これも前世の縁があるからこそ、と思うからですわ。

  とは存じますけれど、お気持ちをかけて頂けないのは寂しくて「露」のよう……。

宮様は私を訪ねたいとお思い下さったけれど、初々しいお気持ちだけで、日が過ぎていったの―――。


和泉さまと帥宮さまの初めての出逢いです。
宮さまがご無体なことをなさって下さったおかげでございます(笑)。
それでも、こんなにもしっくりきてしまったのは、和泉さまがお歌に詠んでいるように
前世からの縁……なのかもしれませんね。たぐひだになき愛の契りに憧れてしまいます。
まだまだ宮さまもつれない感じでいらっしゃいますが、この先は!!

私ごときの筆では、あはれな雰囲気を盛り下げるばかりです。
ぜひ原文をお手にとってお読み下さいませ……。

→皐月


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