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■藤原保昌(957年?〜1036年)

和泉式部の最後の夫です。
藤原の一族です。大納言元方の孫で、実に由緒ある家系の出なのです。叔母の祐姫は村上天皇の女御にあがりましたが、師輔(道長の祖父)の女・安子が中宮となり、 後の冷泉院をお生みになったため、彼の一族のほうは繁栄の機を逸してしまいました。この元方さんの怨霊が冷泉院に祟ることになるわけです。 冷泉院の息子たちは、ご承知の通り、為尊親王・敦道親王です。何の因果で、こういうことになるかなぁ・・・。
彼は道長の信任厚く、その期待に応える忠実な家司として、誉れ高い武人として名を轟かせた武勇の人です。が、弟の保輔は大盗賊。捕らわれて、獄中で死亡しました。複雑です。
保昌が道長のすすめで20歳も年の離れた和泉式部と結婚したのは、53歳のとき。当然、和泉式部の他にも妻子がいました。 受領としては、肥後、丹後、大和、摂津の守を歴任しています。なかなかしたたかな受領だったようです。丹後守として赴任するときは、受領夫人として和泉式部が同行しています。
和泉式部との間は、どうやらあまりうまくはいかなかったようです。子供もありません。摂津に赴任中、京に残っていた和泉式部に手紙を送り、 「たびたび送った俺の文は読んでないのか!?」と書いています。彼女の返事は得意の歌で、「なにをお書きになったの? お文を見ましたのはこれが初めてですわよ?」と。 本当は仲がいいのか、悪いのか、よくわからない・・・、煙に巻かれたようです(笑)。
保昌は頭の中まで筋肉でできた単なるマッチョ系、というだけではありません。彼の邸の庭は風情ある造り、そして歌を詠む雅な一面も持ち合わせています。
1036年、79歳の長命を保ち、摂津守在任中に亡くなりました。




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