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■弾正宮為尊親王(977年〜1002年)

和泉式部と短い恋を楽しまれたお方です。
冷泉院×超子の二の宮です。
弾正宮という呼び名は、弾正尹という実質名前だけの官職から。これじゃなんかヤル気でませんよね。ご身分だけに、ヤバいことを企もうとしなければ生活は保障されているわけですし。だから恋に命燃えてしまったというのは頷けませんか。
ま、とにかく眉目秀麗で行動派の皇子さまです。大鏡では、帥宮さまも含め、少し軽々しいご性質なんて書かれてますが。
童時代のお姿が食べちゃいたいくらいお可愛いらしかったため、元服後の期待外れ?のお姿にがっかりした女房たちが数知れずいたとか。(元服劣りってやつですね)
正妃は、九の御方(藤原伊尹女)と呼ばれた方です。なんと、腹違いの兄君・花山院のお手つき。ですが、弾正宮さまは彼女を大切にされたようです。(浮気は置いといて)
この正妃との間にお子さまはいらっしゃらなかったようですが、親しくされていた藤原行成さまのお子を養子に迎えていらっしゃいます。
疫病が蔓延る折にも怪しげな外出(女の所でしょう)を夜な夜ななさって、評判はかんばしくありませんでした。
和泉式部のもとにも通われていましたが、とうとうご病気になり、治癒することなく息をひきとられたため、それを和泉さまのせいだと非難する声もあがりました。(この辺、「栄花物語」による通説ですが、実は史実と矛盾するとか・・・藤岡忠美氏の貴重なご研究)
26歳の短い生涯でした。御葬儀は、義兄であられる花山院がお心を尽くされて行われたそうです。父君の冷泉院もお嘆きになられました。 「よにうせじ。よう求めばありなんものを」亡くなったわけではないだろう。よく探せば見つかるだろうに、と。




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