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■橘道貞(?年〜1016年)

和泉式部の初めての夫です。
彼はなかなかの名門、橘氏の出生です。先祖をたどれば、橘諸兄につながります。
真面目で行動力があり、仕事に対して有能で野心家、さらに和歌方面の教養も結構あったようです。
お婿さんとして理想的な男性でもあり、上官であった和泉式部の父・雅致にとことん気に入られました。 当時、昌子内親王の大進であった雅致の推薦で権大進になり、彼の愛娘である和泉式部との結婚を許されました。 この時の道貞の年齢は不明ですが、和泉式部とは結構な差で年上だったようです。
その後、和泉守に任ぜられ赴任します。留守の間は、邸を雅致に貸していました。そうなんです。彼はわりと資産家みたいですよ。
このころ、ご病気であられた昌子内親王のご容態が悪化していました。占いの結果、療養には他所に移るのがよいとされ、この道貞の邸(住んでいたのは雅致ですね)にお移りになり、そして崩御されました。
最初は仲の良い夫婦であり、娘(小式部)にも恵まれた道貞と和泉式部ですが、いつしか不協和音が鳴り始めます。 きっかけは弾正宮さまと和泉式部の恋愛だったとも、それだけではないとも・・・。
昌子内親王崩御の後、道貞は、飛ぶ鳥を落とす勢いの藤原道長と深いつながりを持って家司のようになります。 そして、和泉守の任期終了後、今度は陸奥守に引き立てられます。陸奥へは、新しい妻(左京命婦?)と子供を伴っています。 道長からは、餞別として装束や歌まで頂戴する異例の気の遣われ様です。この年の前年の12月に和泉式部が帥宮さまの南院に入っています。 道貞を丁重に京から追い出しているような、この辺、どうにも道長さんの策略の匂いがプンプンしますね。
こうして和泉式部とは離縁していますが、和泉式部にとっては、道貞は生涯忘れられない人でした。 彼女から未練たっぷりの歌が贈られています。彼のほうでも、くすぶる気持ちはありました。大江匡衡・赤染衛門夫妻を前に、弱音を吐いたりしています。
しかし、復縁することはなく、道貞は陸奥守の任期を済ませて都へ戻り、1016年に亡くなりました。

「いざさらば鳴海の浦に家居せむいとはるかなる末の松とも」
和泉式部と別れ、陸奥守として任地に赴く途中のことです。道貞は大江匡衡・赤染衛門夫妻に気落ちして傷ついていた心を慰めて貰いました。
そしてこれが御返しに詠んだお歌です。未来の幸運を待つことにします、と。




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