序文−どんな事が書いてあるのか−

はじめに

この「序文」は、言葉というものがどのようにして発生したかを探るツアーの早周り案内である。出発はもちろん日本だ。題名「序文」は清水義範の小説から頂いた。
「バベルへの周遊」と題するこの話は、平成元年の春ごろにとつぜん始めた日本語の研究が基になっている。研究とは名ばかりで実際には晩酌をやりながら「らくがき帳」に文字や絵やメモを描きとばしていただけだ。元々この「らくがき帳」は本職である機械設計のアイデアを描きつけるためのものであり、白無地のぶ厚いノートを使っていた。

最初は「日本語50音に意味はあるのか」という疑問から始まったのであるが、そのきっかけは或る新聞記事だった。その記事には「異色の自衛官・語源で新説」「日本語50音にはすべて意味がある事を発見した」とあり、その自衛官・池田仁三氏の著書「このすばらしき日本語」が紹介されていた。国語学には「一音一義説」なるものがある事、及びそれが既に否定されている事もその時初めて知ったのである。

「そんなもの、ほんとにあるのかいな」と思ったが、生来あまのじゃくである私は、すぐさま自分で勝手に50音の意味を掘り出す事にした。その本を買いに行く気はなかったし、誰が否定しようと知った事ではない。「畑から小判が出た」という記事を見たのだから落ち着いてはいられないだろう。もちろん一介の技術屋である私には国語学の素養などかけらもないが日本語はいつも使っている。

今この文を書いているのは平成15年11月であるから既に15年経っている。実は当時の「らくがき帳」を探して見ても、何から始めたのかはっきりしないのであって、それらしいページは設計のアイデアのほか、当時まだ小さかった娘の描いたいたずら絵で一杯になっているのだ。

実際ほとんどの時間を割いたのは「広辞苑」を読む事である。「あ」から初めて「わ」まで1ページずつ読むのだ。「調べる」のではない。実を言うと中学生時代には図書室へ行って百科事典を読むのが趣味であった。昨日は「す」のページ、今日は「た」のページという具合だ。広辞苑を読んだ事がおありだろうか。あとでは「英和大辞典」を読む事になった。そこで頭に浮かんだ事をノートに書き出す。

最近メールを頂いたある高校生は「英和辞典でVのページを何気なく見ていた時、或る感じがした」と言っていた。すばらしい感性ではないか。つまり読むと言っても、全く無心で行う必要があるのだ。「調べる」「意味を確かめる」「尋問する」ような強い意図が辞書に知れてはいけない。さりげなく本音を引き出すのがコツである。

だがもしこのページを初めて読んでいるあなたにその気があるのならば、ただちに画面を閉じて、ご自分のノートを使って独自に試して頂きたい。このようなアイデアのひねり出し、つまりアナログ作業には、昔ながらの手書きノートに2Bくらいの鉛筆が最適であり、いかなるコンピュータも速度では遥かに劣るのである。

もしあなたが既に国語学を学んで「一音一義説」を否定する立場にいるのなら、ただちに画面を閉じて別の仕事に移って頂いてもよい。教科書というものは通常は正しい事が書いてあるからだ。しかし去って行くあなたには一つだけ「畑からホントに小判が出るところを見たくないのかね」と言っておこう。

さて研究を始めておおよそ3ヶ月後には、50音それぞれにおおよその意味を付ける事ができた。こういうゲームは得意だ。作業は気楽に進んだが、その頃は既にビールの季節に入っていた。


ローマ字31概念

始めてすぐ気付いた事は「同じ音であるにもかかわらず、意味の違う言葉が多い」という事だ。例えば日本語「ち」には「血」「地」「乳」「知」「値」「治」「千」「茅」など「一音語」でさえ多くの異なった意味があって、それぞれ使い分けられている。その他の例も非常に多い。これは厳然たる事実であって、この問題を解決しなければ「一音一義説」は成立しないはずである。

そこで私のとった方法は、まず何が何でも50個の意味をこしらえて、それぞれの音に押しつける事だった。もちろん根拠は広辞苑にある。例えば「ち」という音には「乳が出る」「血が流れる」「知恵」というような言葉から「身体の中を走る血管や神経」「何らかの行動を伴うようなもの」を連想し、とりあえず1音出来た、と言う具合である。もう一つ「つ」という音は、「津々浦々」「鶴」「釣る」「籐のツル」「つかむ」などから「U字形のもの」を連想した。これで2音目も解決だ。この段階では、とにかく50個のアイデアを出せば成功だ。

何とか50個の意味(と言うより大まかな概念)が出来たのだが、当然その音が示す意味・概念は何か漠然と広い範囲を示すものになった。その頃「鳥は3個の音(意味)しか持っていない」という話を聞いた。それは「危険」「求愛」「存在」の3種だと言う。カラスなどはもっと多い声を鳴き分けているそうだが、要するに「鳥語?」では「一音一義」は成立している事になる。その代わり「鳥語」の一つの音(声)の意味する所は非常に広く、いろいろあるだろうが、とにかく細かい事は抜きにして、ひたすら「危険」を叫ぶのがその音なのだ。「求愛」だってどこの誰にでも使う。

研究の途中で大変な事に気がついた。日本語50音が示すおおまかな概念は、実は子音と母音との組み合わせであるという事だ。つまり「ち」は「T」と「I」の組み合わせであり、それぞれ独立した意味(概念)が存在する。というよりも、母音の概念を更に細分化する役目を子音が担っているのだ。例えば「T=成立」「I=行動」で、「TI=ち」は「行動の成立」となる。「KI=き」は、同じ母音であるから「K=発生」つまり「行動の発生」となる。他の音もすべて同じであるが、当然ながら母音はそのままでも使われる。

このようにして、最終的には50音をアルファベット26文字に変換した上で、各音に意味・概念を担わせた一覧表が出来た。第10話及び第75話に書いた「ローマ字31概念表」と「ローマ象形文字」(下記)がそれである。私の研究成果はこの二つの仮説だけであって、あとの話(第1話から第80話・以後更に続く)はすべてその検証に費やされている。

ローマ字31概念表

A.危険・事件・こと B.準備・用意 C.覆う・かばう D.大いなる・逆らえない・手に負えない E.情報(多くは情報不足) F.中断・分断・途中で
G.動きの継続 H(1).反復 H(2).複数 I(1).行動・行為 I(2).非行動 J.静かな継続
K.発生 L.指導・導き・偶然でなく M.否定の否定・でないとは言えない N(1).否定 N(2).強調 O(1).存在(範囲)
O(2).存在(個体) P.小さい Q.急な R.定かでない S.終焉・治まる T.成立
U(1).U字形のもの U(2).判断(多くは判断不能) V.視野にあるもの・見せつける W.大量の・いつでも X.印・例の場所または地点 Y.移動・移ろい行く
Z.さまざまの・起伏のある  

ローマ象形文字

A.斧      B.カシオペア C.覆う矢印  D.天球の回転 E.北斗七星 F.遮られる矢印 G.回転矢印 H.牧場の柵 I.進む矢印
J.底を行く矢印 K.双葉が出た L.案内矢印 M.やっぱり前進 N.前進には反対 O.丸の内 P.新芽 Q.指をまわす R.新芽の興亡
S.舞い落ちる葉 T.木の枝で作る槌 U.深い穴 V.遠くの木 W.森 X.バツ印 Y.羊の頭 Z.不揃いの棒

念のため書いておくが、上記「ローマ象形文字」は古い石碑から発見されたものでない。その文字が受け持っている基本概念を容易に連想出来、且つ、やがては現代ローマ文字になって行くかのように創作されたものだ。それぞれの記号は下の表に書いた事物を絵にしたものである。これら「ローマ象形文字」は表音と表意の役目をあわせ持っており、形と意味はきっちり関係付けられている。

この仮説を「一音一義説」と呼んでもかまわないが、既に否定されたものとは異なるはずだ。上記池田氏の本はその後図書館で拝見したが私と同じ解釈はなかった。失礼ながらそれは小判でなくカワラケであったのだ。他の説がどのようなものであったのかは全く知らない。

この仮説「31概念表」はローマ26文字を基本にしているが、日本語・漢語・英語・ヒエログリフのいずれにもあてはまる。英語はそのまま、日本語・漢語はローマ字表記に変換してから当てる事になっている。ヒエログリフとの関係は第75話に書いた。要するにこの「ローマ字31概念」は古代(少なくともバベルの塔建設当時)の人類が共有していたものであると考えている。残る多くの未調査部分については今後も研究を続けるつもりだが、ぜひ100歳まで生きて完成したいものだ。もし前例がなければ、これを「ローマ字31概念説」と呼びたい。

この仮説は、読者がご自分で日本語あるいは英単語その他に当てて、独自に検証を試みる事が出来る。広辞苑あるいは英語辞書は既にお持ちであろう。その中の一つを選び、その各音が担う概念を当てて見ればよい。ぜひやってみて頂きたい。小判かどうかテストし検査するのは読者であって私ではない。但し、その途中でもさまざまな疑問が発生するであろう。それらについては次の項で述べる事にする。


日本語に当てはめる−その1.ローマ字変換

当初は日本語50音の意味を探すはずであったのだが、結局はローマ字26文字に分解されてしまったので、例えば日本語「か」は「KA」と書いて、それぞれ「K=発生」「A=危険」を当て、「か=危険の発生」と解釈する事になった。「き」は「行動の発生」以下「く=判断不能の発生」「け=情報不足の発生」「こ=存在の発生」となる。該当する例は「火」「来」「苦」「怪」「子」だ。すなわち日本語50音は、ローマ字表記した時に元の意味が見えて来る事になる。

この時、例えば日本語「か」には「CA」と「KA」の2種が混在しているかも知れないと考えなければならない。「さ」には「SA」と「THA」の2種があり、前者は「さぎり」、後者は「さ乙女」に使われている。日本語各音を、どのようにローマ字変換するべきかは、その日本語の意味を考えれば導き出せる。これをまとめてみよう。

   あ行−A.I.U.E.O    か行−K.C.Q    さ行−S.SH.TH    た行−T    な行−N     は行−H.F.PH    ま行−M    や行−Y    ら行−L.R    わ行−W    ん−N

   が行−G    ざ行−J.Z    だ行−D    ば行−B.V  ちゃ行−CH    じゃ行−J    しゃ行−SH.SY  くさ−XA.くし−XI.くす−XU.くせ−XE.くそ−XO                   

   ぱ行−P      

日本語「は」には「FA」「HA」「PHA」の3種があって混在している。日本語「母」は元は「FAFA」であった事がわかっているので、「FAFA」で解釈すればよいが、「畑」は「HATAKE」と変換しなければ意味が合わないのであり、他にも「R/L」「B/V」などに変換する場合には、どちらにするのが正しいか、判断する必要がある。しかし「場面」が「BAMEN」でなく「VAMEN」であると気付くのは困難ではない。他の例も同様である。
日本語「くさる」が元は「XARU」であった事は第9話に書いた。「みちくさ」も「MITIXA」と変換した時、元の意味が現われる。

これを見ると日本語の音には複数の意味が内在している事がわかる。これが同音異義語の多い理由の一つだ。また、このような変換による当てはまりが可能なところを見ると、日本語がどこから来たのか、おおよそ推測出来る。中でも不思議なのは「つ(津)」を「U字形の成立」と解釈した時、その形「Uの字」はローマ字から来たとしか考えようがない事だ。

なお上記の組み合わせに該当する日本語が、全部に存在するとは限らない。例えば「WU=大量の判断」というような概念は存在しないからである。その場合には「HU=複数の(反復する)判断」となるのが自然だ。

日本語に当てはめる−その2.上代特殊仮名遣

日本語では「い/ゐ」「え/ゑ」「お/を」の区別があった。これを変換すると「I」「E」「O」となり区別は消えてしまう。日本語では必要があって仮名文字まで用意されているのであるから、その意図は尊重されなければならない。では「ローマ字31概念」はどのように対応しているのであろうか。

  い  I(1)   行動         甲類       き=Kい    企(行動の発生)
  ゐ  I(2)   非行動        乙類       き=Kゐ    帰(非行動の発生・居の発生)
  え  E(1)   情報不足      甲類       け=Kえ    計(情報不足の発生・おし計る)
  ゑ  E(2)   情報あり       乙類       け=Kゑ    気(情報の発生・気配)
  お  O(1)   存在(範囲)     甲類       こ=Kお     古(範囲の発生・それはもう古い) 
  を  O(2)   存在(個体)     乙類       こ=Kを     己(個体の発生)

このようになる。ここで「甲乙」とは、橋本進吉が「上代特殊仮名遣」で指摘した万葉仮名の書き分けの事である。上記は橋本分類とはまとめ方が異なっているが、水面下に存在する31概念の意味の違いが結果として橋本の目にとまったのである。例えば「射た」の場合は甲類すなわち「行動」であり、「居た」の場合は乙類すなわち「非行動」となる。「えっ?」は「情報不足=甲類」であり、「知恵」は「情報たっぷり=乙類」となる。

上記の6音はいずれも母音であり、これに「あ」「う」を加えて8母音となるが、既に知られている「8母音説」はこの事を言うのである。仮名文字設計者は8母音に8個の文字を用意したのだ。更にこの8母音を子音と組み合わせた時、当然ながらその音節にも甲乙2種の意味が発生する。上記では「か行」の例だけを示した。これも表面的には橋本進吉が指摘した通りになる。

甲乙分類がわかっている言葉や音節を「31概念」に当てはめるのは容易である。また逆に、その意味から甲乙を判別する事も可能だ。万葉筆記者は部下に「その文字は、その場所に使ってはならぬ」とか言っていたはずであるが、その根拠は上記の通りであり、この概念に従って使う漢字を選ぶよう指導したのである。

同じ音に甲乙2種の意味・概念が併存する事により、更に同音異義語が増す。例えば「き」音などは合計6種の意味があり、それぞれに意味の合う漢字を当てる事が可能だ。念のため書いておくが、音声としての母音はあくまでも5母音であり、発音に甲乙の区別はなかったと考える。区別したくても空いている音がないからだ。

もし古代の為政者または万葉筆記者にその意図がなかったら、甲乙現象は起きていないであろう。当時の日本語が「ローマ字31概念」をきっちり受け継いでいた事がわかる。

日本語に当てはめる−その3.歴史的仮名遣い

上記「ゐ・ゑ・を」を含めた「歴史的仮名遣い」は使われなくなったが、「ローマ字31概念」に変換する際には当然これを用いなくてはならない。当時その通りに発音していたかどうかは不明だが、発音が変化した後も、書き文字として厳しく指導されていた事は周知の通りだ。その理由は、もし変化を放置しておけば、古代から受け継いだ「言葉の意味=言霊」が失われてしまうからである。

言い換えればそれは「ローマ字31概念」からはずれる事を防ぐためである。例えば「熊が居た)」は「熊がゐた」と書かせたわけだが、これを「熊がいた」と書けば「熊が射た」という意味になってしまうからである。
古語「あはれ」の「は」は「HA」つまり「複数の事件」「度々の事」であるが「あわてる」は「あはてる」とは書かない。「わ」は「大量の危険」であるから「あわてる」が正しいのである。

このような書き言葉と発音の食い違いは、おおよその所では根本的な意味の違いとはならないようだ。その理由は「母音が同じ」である事による。「あはれ」「あわれ」いずれも「何らかの事件が起きている」点では共通しているからである。それが母音の役目だ。

歴史的仮名遣いの特例は「ゆく(行く)」である。これは「YI・KU」と変換しなければならない。元々の「ゆ」は「YU」となる。「YI」は「イ」と発音するはずであるが、書く時だけ「ゆ」を使うよう指導があったと考えられる。その理由は「YI」の「イ」を「I」の「イ」を区別するためだ。同じ「行動」概念だが「YI」は特に「移動する行為」を表現する音なのである。

最近(平成15年)新聞などでは「行く」を「いく」と書くが、これは誤りと言わなければならない。「ゆく」は歴史的仮名遣いではなく現代仮名遣いである。「いく年くる年」「東京いき」「いくえがわからない」と書いてはならない。「いく」と発音はするが、書く時は「ゆく」とするよう、学校では教えていないのであろうか。この特例は日本語文化として維持したいものである。

この件には例外がある。例えば現代語「今日(きょう)」という言葉は、歴史的仮名遣いでは「けふ」と書くのであり、「きゃう」と書いて当てはめてはならない。また「京都(きょうと)」は現代と同じく「きょうと」であって「きゃうと」ではない。同じく「お上人さま(しょうにん)」は「しゃうにん」ではなく、「町人(ちょうにん)」は「ちゃうにん」とは書かないで頂きたい。

これらは漢字の読みであり「やまと言葉」でないというのがその理由であるが、なぜか結果として現代読みの場合だけに対応が見られると言う理由の方が本音である。勝手な言い分であるが「対応のある発音が元の発音である」と定義しても許されるはずだ。漢字についてはあとで書く予定である。

日本語に当てはめる−その4.P音考

日本語「は行音」は或る時代「F音(厳密な用語でないが)」だったと言われている。これに従えば「は行」はすべて「F」に変換しなければならないかに見えるがそうではない。「は行」には上記のように「H」「F」「PH」3種の意味があり、同時に存在していたと考えられる。現在でも3種だ。その意味は「31概念表」の通りであり、例は「H=働く・畑・腹・・など」「F=母・春・挟む」「PH=ハラハラと散る・ヒラヒラと舞う」などである。現代語ではもちろんすべて「は行」になっている。

当然の事であるが「ふ」音にも「H・F・PH」の3種がある。例は「HU=舟・深い・房」「FU=ふと気がつく・蓋」「PHU=震える」などがそれだ。「は行」が全部「F音」であったというような事実はなく、その点では「31概念」を当てはめるのに何の考慮も不要である。

同じく「は行」には別に「それ以前にはすべてP音だった」という説もある。だがこの「ローマ字31概念」を検証する目的で日本語、たとえば「はは(母)」を「PAPA」と変換する必要はない。この現象は或る短い時期だけの現象であり、それ以前及びそれ以後とも「31概念」が支配していたからである。

なぜこのような「P音」が流行したのか。おぼろげながら判断は可能だ。まず「その1」の「は行」を見ると「F」「H」「PH」3種の意味が書いてあり、例も挙げてある。この内「PH」概念に注目しよう。
日本語では現在この意味・概念の言葉を「H音」で発音している。しかし元々は「P」と「H」の組み合わせであり、まともには発音出来るはずがないから、これを便宜的に、或る時は「P音」で発音する事が流行しないとは言えない。そしてまた或る時は「F音」が使われたかも知れない。二つの違った音「PH」を、まとめて発音せよと言われたならば、嫌でもそのどれかになるはずである。どれが採用されるかは、その社会の成り行き次第だ。

ここでこの「P音考」を唱えた上田万年が証拠として挙げた「古きアイヌに入りし邦語」の例「針」「光」「量」「匙」「箸」「柄杓」「蟋蟀」「骨」「罰」「振」を見ると、すべて二つの概念の組み合わせ「PH」概念の言葉である事がわかる。「PH」概念とは「小さな反復」あるいは「小さな複数」である。

  針    小さな反復によって布を縫う
  光    小さな反復によってキラキラ光る
  量    重さを量る時、小さな匙で何度も追加して加減する
  匙    小さな容器で何度も口に運ぶ
  箸    小さな豆を反復して口に運ぶ
  柄杓   小さな容器で何度も畑に水を撒く
  蟋蟀   鳴き声は小さな音の反復である
  骨    魚の骨は小骨が反復(複数)して出来ている
  罰    −−この言葉は不明−−  
  振    小さな手の反復動作

要するに上田万年が指摘した「P音」とは「31概念」の「PH」組み合わせの事であり、その発音がたまたまアイヌ語では「P音」だったという証拠となるに過ぎない。もちろんこの時、日本語でも「PH概念=P音」だった可能性はあるが、彼が挙げた例以外にも「PH」概念の日本語は存在するのであるから、そうでなかったと考えたい。例は「這う」「刷毛」「走る」などである。念のためだが、純粋な「P」「H」「F」音は同時期に併存していたと考えられる。

そうは言っても「PH=小さな反復」概念は「H=反復」概念の一部であるから、その境界に線を引く事は不可能だ。ただしここに挙がった例は、比較的「P=小さい」概念が強いと判断出来る。だからアイヌ語には長く残ったのであろう。これが日本語では早くに廃れた理由は文字(万葉仮名あるいは仮名文字)の採用によって「H音」に統一されてしまったからではないだろうか。

別の例「パラパラ」「ピカピカ」「プカプカ」「ペラペラ」「ポロポロ」など、いわゆる「オノマトペ」の場合はすべて「P音=小さい」概念であり、繰り返しによって「反復」概念を表現している。ただし「ハラハラ」「ヒラヒラ」「ヒリヒリ」など「P音」での意味がほとんど同じ場合には、これを「PH」概念の表現であると言ってよい。例えば「フカフカ」などは違う例である。

なお上田万年が挙げた例の一つ「罰」は、今回の考察には無関係な言葉ではないか。これは「H音」ではないからだ。「Hに濁点だからB」と考えたのであれば、それはあやまりである。「濁点」は基本的には音声を文字で表現する際の工夫に過ぎないからだ。蛇足であるが「ばつ(罰)」は「VATU=見せしめ」である。 

日本語に当てはめる−その5.言葉は実物を示さない

さて前記「ローマ字31概念表」の音(文字)を使えば、その組み合わせで全世界を表現出来るはずである。アルファベット26文字で全世界を表現出来ているのであるから当然の事だ。その結果、あらゆる言葉は「31個の意味(概念)のどれかを組み合わせて」構成される事になる。しかし「31概念」は、それぞれあいまいな概念のままであるから、ズバリその事物を表現する事は困難である。そこで何となく遠まわしな表現となるのはやむを得ない。

例えば「あし(足)」を「31概念表」に当てはめると、「ASI!」つまり「危険、行動を終焉せよ!」という命令語だとわかるが、これが「足」そのものの直接描写でない事は明らかである。つまり例えば「身体を支える二本の細長いもの」というような表現ではないのだ。これと同じく、ありとあらゆる言葉が、その物や事件そのものの描写でない事が−検証を始めたとたんに−おわかりになるであろう。

「かわ(川)」は「水がサラサラ流れるもの」でなく「魚が住む場所」でもなく、それは「KAWA」つまり「危険が発生、大量の危険」となり、要するに「洪水」の描写である事がわかる。「やま」は「木がたくさんある場所」でなく「神の領域」でもなく、それは「伝染病患者の隔離病棟」である。だから「やまい」は「山行(やまい)」という意味になる。

「熊」に出会う前には「熊」という言葉はないのであるから、「黒いバケモノ」などと言いたいであろうが、その「黒い」「バケモノ」という言葉もなかったのである。そこで「31概念」を探すと「判断不能の発生、危険でないとは言えない」という音が見つかるが、これで我慢するしかない。これが「KUMA=クマ」だ。なにしろ遠くから見ただけであるから、この程度の認識となるのだが、このような事が度々あれば、その村で「クマ」と言えばその動物を指す事になる。

日本語を「31概念」に当てた時、あまりにもその事物からかけ離れた解釈となっても驚かないで頂きたい。例えば突然停電で真っ暗になった時、全員が「暗い!」と叫ぶとは限らない。この時「マッチ!」と叫ぶ者、「ローソク!」と叫ぶ者、中には「エッチ!」と叫ぶ者もあろう。どれが「停電」を指す言葉になるのかは、その場の成り行き次第である。

日本語に当てはめる−その6.舞台と役者と観客と

初めて「あし」という言葉が出来た時、それは上記のように「危険、行動を終焉せよ!」という命令語だったと書いたが、これは狩りの場面で獲物を発見した時などの隊長の言葉である。部下はそっと足を止める。この時しんがりに居た見習いの少年は、「アシって何の事だろう」と思い、「そうか!アシというのはこの事なのか!」と誤解し、そのまま「アシ=足」と記憶する。

このように初めての言葉は、必ずそのような場面(舞台)と発言者・聞く者(役者)そして見習い少年(観客)が居た時に発生するのだ。もし上記の例で見習い少年が居なかったら、部下は隊長の指示通り「行動を終焉」するだけであり、この時「アシ」はそのまま「危険、行動を終焉せよ」と「31概念表」の通りに解釈されるから、「アシ=足」という意味は生まれない。

つまり新しい言葉は観客、この場合は見習い少年が作るのであり、彼の存在は必要条件だ。少年は成長して同じ場面でやはり「アシ=危険、行動を終焉せよ」と叫ぶであろうが、その時は既に同音同義の言葉として「足」が定着しているであろう。同じく「葦」「悪し」も出来ているはずだ。

「悪し」の発生は「子供が遊びに夢中で畑を踏み荒らしている時」に起きる。親はその様子を見て「アシ!アシ!」と叫ぶが、その意味は「31概念」の通り「危険!行動を終焉せよ」である。子供は親の言葉はわからないが、その様子で判断し、畑から出るが、意味は「アシ=悪し」と記憶する。もちろんこの時に「アシ=足」と覚えるかも知れない。筆者も畑に入って知らずに新芽を踏み、妻に「足!足!」と言われた経験がある。

このように、言葉というものは舞台・役者・観客があり、且つ言葉が音波となって空中を走って行く時、初めて生まれるのである。独り言や考え事は決して言葉にはならない。「川」を「向こうからやってきてパシャパシャ音をたてるもの」と解釈した人も居たが、それは考え事であって音波に乗っていないから、誰にも伝わらないのである。

上記で「かわ(川)」は「洪水」だと書いたが、これは或る日、川があふれて来た時、「カワ!カワ!」と叫んで村中を走りまわった男によって発生したのである。意味は前記「危険の発生、大量の危険」だ。舞台・役者・観客すべて充分揃っているから完璧に言葉が成立する。この時、大人の言葉がわからなかった村中の子供が、全員「カワ=川」と誤解するのだ。
誤解が新しい言葉を生む、このような例は非常に多い。またこの「誤解」によって、ますます実物描写からは離れて行くのである。

「カワ」の例でもおわかりのように、その社会で何も問題が発生しなければ言葉は作られない。洪水がなかったら「川」の名前はもっと別なものになっていたはずだが、それでも何か問題、例えば「どこで水浴びをするのか」「洗濯はどこでやればよいのか」「魚はどこで捕れるのか」という問いかけに対する答えの発言として、それぞれ別な名前が付いたはずである。


モンゴロイドの日本上陸 

日本語50音は「ローマ字31概念」の組み合わせであると説き、それを検証する際に注意すべき点を6項目にわたって述べて来たがいかがご覧になったであろうか。この「31概念」は26個の文字と音を用いて発言者の意図を伝達するシステムであるが、日本へ入ったのは、日本人の祖先と言われるモンゴロイドがこの島へやって来た時である。そして上記7項目の内、第1項から第4項で説明した現象は、その後日本国内で発生した日本語の特殊事情に基づく出来事なのである。

それ以前の人類がどうやって「ローマ字31概念表」を手に入れたのか不明であるから、遡ってその起源を探るのは容易ではないが、おおよその想像はつく、すなわち元はたった「5概念」つまり「A.危険」「I.行動」「U.判断」「E.情報」「O.存在」で表現されていたと考えられる。すべて母音だけの表現である。カラスでもこの程度の鳴き分けは行っているのであるから、人類なら容易に出来たはずだ。もちろん文字はなかったかも知れないが「矢印」などはあった可能性が高い

次の段階では同じ「危険」でも「いま起きた危険」「たいした事はない危険」「たいへんな危険」など、危険の程度や性質によって、発声を変える試みが行われる。これも約束が成立すれば、以後は便利に使われる事になる。その発声方法は別の母音「行動」と組み合わせて「いま起きた行動」「たいした事はない行動」「たいへんな行動」などと流用出来るが、これも約束が成立すれば、ますます便利だ。このようにして最後には「31概念表」が完成するのだ。時期はバベルの塔の建設が中断された頃である。その時「全地は同じ発音、同じ言葉であった」と旧約聖書にあるではないか。やがてそれを持った民族の一部が、放浪の末日本列島に上陸したのである。

それではなぜ「5概念=5母音」だったのかと更に質問をする方もあろうが、それこそ全く不明である。しかしあえて答えれば「人類の指が5本だったから」であろう。「5概念」を5本の指で表現する事は充分可能だ。この時「行動」を表わす指はもちろん「人差し指」以外にはあり得ない。小指は「或る個体の存在」を暗示する。薬指が「情報」担当である事は周知の通りだ。

音と概念の共有 

再び「31概念表」に戻るが、よく考えてみると、これらの概念は、言葉つまり文字や音声がなくても、その場面に応じて人間の心に浮かぶものである事がわかる。つまりこれは本能なのである。例えば「A=危険」概念などは、その危険を見た人が直ちに心の中に抱く感情であって、いかなる文字・音声にも優先して発生するはずだ。

子供が川で溺れていたら、すぐさま人は行動を起こす。この時まず「行こう!」という感情が発生するが、言葉は不要だ。母が外出する時「私も連れてって!」と言いたい幼い娘は、その前にパッと立ち上がるはずだ。彼女の心の中に「行動」概念が発生したのである。

或る時食べ物にカビが生えて来たのを見た主婦は、どう思うか。カビそのものは既に知っている物だから、「気を付けていたのに、油断していたら、でちゃったわ!」となるが、彼女の心に最初にひらめいた感情は「発生」概念である。もちろんそれが危険なカビだったら、一瞬で「危険が発生!」という感じを抱く。この時一緒に見ていた娘が全く同じ感じを持てば、互いにその概念を共有出来る事になる。二人は顔を見合わせてうなずくが、それで伝達は完了するが、一緒に声を出せば、その概念と音が結びつく。

もし村人全員が山火事を目撃したならば、その全員に「危険」概念が共有されるであろう。そして次には「行動」概念が全員に共有され、彼等は一斉に逃げだすはずだ。安全な場所に到着した時、もちろんその感情も共有されるが、それは「危険の終焉」「危険の中断」あるいは「危険でないとは言えない」概念などである。つまり「31概念」は、結果として人間が抱く基本的・本能的な感情を集めた表になっているのである。たとえ言語というものが存在しなくてもこの表は有効となる。

この感情がいつ音声と結び付いたのか、それは不明だ。しかしいくらか想像は出来る。例えば「危険」概念だが、その感情を心に抱いた時、人は口を開けて息を急に吐き出す。これは本能であると思われるが、その時出る音声が「ア」となるのは人類声帯の構造によるのであるから、例えば山火事を目撃した村人全員が同じく「あっ!」と叫ぶ事になる。「静かに!」という意味で「シー!」と言うその音は、言葉以前の本能的な音だ。感情を共有した者たちが、一斉に同じ音声を発したならば、その音声がその感情・概念を表現する約束となる。以下同様にして「31概念」が完成するのだ。

文字と概念の共有

文字と音声のいずれが先に出来たのか、これは決定出来ないであろうが、例えば「矢印」などは、むしろ音声がない時(人が去った後)のためのものだ。文字は声帯の構造とは全く無関係に作られたと考えられる。
しかし人類が抱く基本概念つまり「31概念」とは対応する必要がある。その点文字というものは音声とは違って自由なデザインが可能であるから、試行錯誤によって完成度を高める事が出来るし、何よりも記録が出来るというすばらしい特徴を持っている。

先に描いた「ローマ象形文字」は「31概念」を絵で表現したものであり、創作物ではあるが、限りなく起源に近いと考えて頂きたい。絵文字の詳しい説明は第10話にある。これらの絵文字は、やがて現在のローマ文字になって行ったと考えているが、現代文字の書体の約束、つまり「書き順」「末端のハネの有無や形」などに起源の形が残っている。一つだけ例を挙げておこう。

1   2   3   4   

上の絵1は「31概念」の内の「終焉」概念を表現した風景である。古代の老人はこれを見て「物事にはやがて終わりが来るのだな」と感懐にふけったであろう。その感情が隣に並んで座っている老妻の共感を得たならば、以後この風景から「物事の終焉」を感じる習性が生まれる。日本には「桐一葉落ちて天下の秋を知る」という詩もある。

次の絵2は「舞い落ちる木の葉」を象った絵文字である。これを最初に描いた人物に感謝しよう。彼がいなかったら文字というものは生まれなかったのだ。この絵文字2がやがて絵3つまり現代書体「オールドローマン」となるのだが、書体の末端に絵2の名残りがある。

絵4はこの文字及び概念が古代中国に入った事を示す証拠だ。音も意味も同じである。絵5はギリシャに入ってそこで出来上がった文字であり、発音は「ksi」であるからローマ字「S」そっくりとは言えないが、形はよく似ている。
もう一つだけ例を挙げてみよう。

上の絵左は星座「カシオペア」右は「北斗七星+龍座」である。この星座が「B=準備・用意」概念及び「E=情報」概念を心に刻む起源の風景である。それはなぜか。地球の北半球では夏の終わり頃、夕方になると東の空にカシオペアが見えて来る。この星座が姿を表わしたら冬支度の準備にかかるのが、人類発祥以来の習わしなのだ。秋の近づくこの頃、この天文現象を毎晩監視しているのが古代の星占術師である。

季節は過ぎて長く厳しい冬もようやく終わろうとする頃、星占術師は東の空に今度は別の星座が出て来るのを待つ。それが「北斗七星」だ。この星座が確認されたあくる日が「新年度の初め」すなわち「元日」なのであるが、現在ではこれを「春分」と呼んでいる。そしてその「星座出現の知らせ」は村中(為政者の勢力範囲)に届けられる。村人はその「情報」を元に凍った畑を掘り返し一年の農作業が始まるのだ。

このようにしてカシオペアは「準備・用意」概念の象徴となり、北斗は「情報」概念の象徴となったのである。その星文字はローマ字「B」と「E」になる。もちろん担う概念は逆になっていたかも知れないが、冬の準備を怠れば命が危ういのであるから、このような結果になったのは当然であろう。

B         

文字の話でこれを省くわけには行かないのが「ヒエログリフ」である。上記の象形文字は模写であり、数ある同じ意味の絵文字からその特徴を強調して描きなおした創作であるが、左が「侍女」、右が「尾を立てた動物」の姿を絵にしたものだ。そしてその意味は「侍女」が「いつも準備して待機している女」つまり「B=準備・用意」であり、「尾を立てた動物」は日本で言う「大熊座」である。その尾の部分が「北斗七星」なのだ。「E=北斗」の意味は前記の通りである。

ヒエログリフは伝説の「トト神」が最初にエジプトへ持ち込んだとされているが、上の絵は、おそらくは彼が最初に描いたであろう絵文字と見て頂きたい。実際のヒエログリフは、このような絵から多くの変形画を作り出し、その数を増やして行ったと考えて間違いない。その多くは基本的な条件をはずしていないようだが、「尾=北斗」という連想はちょっと難しかったらしい。またこの動物が「大熊」でないのは場所がエジプトだからである。なおヒエログリフに関しては第75話「ヒエログリフの源流」に詳しく書いた。

生成語法

「ローマ字31概念」の音と文字の共有について書いたがいかがであろうか。文字はその国・民族によって異なるが、音声は基本的には人類共通である。突然だが、幼児は音声だけで言葉を覚えて行く。この時彼等は「31概念」と音との関係を最優先で習得しようとするのだ。その段階で、もう自分で作った言葉を使おうとする。これが「わけのわからない言葉」となるが、わけがわからないのは大人だけである。

たとえ言葉が話せなくても「31概念」は(例え全部ではなくても)幼児の心の中に必ず発生して来るものである。これこそ人類共通の感情であるからだ。鳥類でさえ前記「3概念」がある。もし人類が生まれつき持っている言語能力というものがあるとすれば、それは本能から発生する「31概念」を音と結び付けようとする力である。幼児が日本人なら日本語が耳に入るだけの事だ。この脳内システムを「生成語法」と呼ぼう。

「生成語法」という言葉は言語学者チョムスキーの「生成文法」から頂いたものだが、中味が頂いたものではない事はおわかりであろう。こちらは単純明快な説だ。さて言葉というものがどのようにして発生したかを探るツアーの次の目的地はヨーロッパである。


英語に当てはめる−その1.母音の脱落

さて「ローマ字31概念表」は、当然ながら英語には容易に当てはまるから、この検証は英和辞典があれば誰でも出来るはずだ。だが幾つかの「英語特殊事情」はある。

  1.本来あるべき母音を書かない場合が多い。
  2.日本語その2で述べた「い/ゐ」「え/ゑ」「お/を」の区別は存在するが、文字はそれぞれ1種だけである。
  3.英語の発音は、単語ごとに一つの連続音となっている例が多く、一音一概念の対応は困難であり、「31概念」との対応は主として文字に残されている。
    
「母音が脱落」の好例は「SKY」である。これを「スカイ(正確な発音記号ではないが)」と読むのは現代(いつごろまでなのかは不明)での約束に過ぎない。日本語カナ表記で申し訳ないが「サカイ」「シケイ」「スキイ」「セコイ」「ソカイ」などどれが起源の読み方だったのか不明だ。しかし元から「スカイ」だった可能性は高い。

そこで「SKY」の意味を辞書で見ると「空」となっている。「空」のどこが「SKY」なのか。
ここで「ローマ字31概念表」を当てて見ると、

  S    終焉・治まる
  K    発生
  Y    移動・移ろい行く

このようになっている。これが「太陽の移り行き」つまり具体的には「日没(終焉)と日の出(発生)その移り行き」である可能性は高い。この概念に当てはまるのが「空」なのだ。これを解釈1とする。

と書いたが、この解釈が起源だったとは限らない。そこで「SKY」の発音に近い母音を加えてみると、下記のようになる。

  SU   終焉すると判断できる
  KA   危険の発生
  YI    移動行為・次第に移り行く

これは「もう終わるよ。危険が発生したけど、移動して行く」要するに「きっと小降りになってやがては止むさ」というような言葉であるとわかる。つまり或る日、にわか雨が降ってきた時、父親が空を指差しながら言った言葉なのだ。これを聞いた子供は、その指の先にあるものが「空」なのだと思ってしまう。これを解釈2とする。

最初は解釈2の通り「SUKAYI」と書いて「スカイ」と呼んでいたこの言葉は、現代でもやはり変わらず「スカイ」と呼ぶ。だが「スカイ」と発音する限り、文字の母音が省略されて「SKY」となっても、その意味(解釈1)はほとんど変わらない事がわかるはずだ。結局母音はなくなってしまう。

もし元の言葉が「SOKAYI」だったなら、その意味は「危険が発生したので、移動して、個体が落ち着いた」となり、発音は「ソカイ」となるはずだ。そしてやはり母音が省かれたなら「SKY」と書き、意味は「危険を避けて移動して行く事」つまり「疎開」あるいは「租界」となるはずであるが、実際にはそうはならなかった。従って英語には「ソカイ」という言葉はない。

英語には「SK」という文字の組み合わせが多い。他の例は「SKI」「SKIP」などであるが、いずれも「終わり、発生、移動」の繰り返しであると判断出来る。母音が残っている場合は、もちろんその意味も残っているはずである。なお「SK」という文字を含む単語については第24話に書いてある。そこでは「SKY」は「天文現象」つまり「月や星の移動」の事だとしたが、やはり上記のような「天候」の事であると考えたい。夜に空を指さしたら、それは「空」でなく「星」の意味になってしまうはずだからである。

英語に当てはめる−その2.甲乙概念の存在

日本語にはある「甲乙」の書き分けは、英語には存在しない。しかし意味は明らかに「甲乙」いずれも存在するのだ。

  IN        行動の強調          甲類    31概念表のI(1)
  INN       宿屋               乙類    31概念表のI(2)  

上記「IN」は「行け!」という命令語が起源である。ここでの「I」は行動つまり甲類であるが、「INN」は「非行動」「居」つまり乙類である。「INN」の「N」は「強調」であるが、「行動せよ!」でない事は明らかだ。もしそうならお客は出て行ってしまうだろう。

  EAR      情報不足の危険  聞こえないぞ!     甲類E−情報不足
  ECHO     隠れていてはいるが何度も情報あり     乙類E−情報あり

  ON       その区域へ           31概念表のO(1)   甲類
  OX       X印を付けた個体        31概念表のO(2)   乙類

このような現象が英語にも存在する所を見ると「甲乙の意味の違い」が日本だけの事情でなく、「ローマ字31概念」に遡る現象である事がわかる。これは「31概念」が日本に入る前の現象である証拠の一つだ。日本人がこれを書き分けたのは、言語感覚が勝れていたためだと考えてよいが、文字がなかったので必要以上に音の意味を重視したためであろう。

このような甲乙の意味がなぜ発生したのか。例えば上記「情報不足/情報あり」の甲乙の発生は、おおよそは想像出来る。
元々両者は一つの「情報」という概念だけであったのだが、「情報」が話題になるのは、ほとんどは「情報がない」場合である。「聞こえない」場合に「耳」が問題になるのであって、普通に聞こえる場合には話題にする必要がない。
「情報あり」をことさら問題にするのは、「ECHO」のような場合である。ここでは「情報がある」その事が不思議な現象となっているのであり、明らかに「E」の意味が違う。

「行動/非行動」の違いは必要に迫られての発生ではなかったかと思われる。これも元は「行動」概念だけだったと考えられるが、それだけでは「居れ!」という意図を表現出来ないからだ。例えば狩りの時の人員の配置は、命令によって「行く者/居残る者」を決定しなければならない。

古代、いかなる混乱があったかわからないが、結局「行動」概念を担う音も文字も、英語では1種しか用意されなかった。あるいは古くは日本語のように書き分けがあったのかも知れないが、それは不明だ。「IN」が古代「行け!」であるに対し、「INN」は、古代では「居れ!」という意味に使われていたのではないだろうか。

英語では、現代語の辞書に載っている意味を見ればすなおに甲乙は定まるという例が多い。     

英語に当てはめる−その3.単語の音と文字

英語では、その単語の綴り文字と発音の関係が、日本語ほど明確でない。例えば「ONE」という単語を聞いても、文字「O」の存在は認識出来ない。綴りの途中に「O」があっても、「オ」「オー」と発音されるとは限らない。他の文字「A」が「オー」と発音される場合もある。

そこで「ローマ字31概念」を英語に当てはめて検証する場合は、文字綴りを採用するしかないようだ。つまりここで言う英語とは「英語辞典(理想的にはオックスフォード辞典)」に出ている文字列(単語)を指す。
すると英語「ONE」各文字を当てはめて下記のような意味となる。

  O     存在
  N     否定
  E     情報不足

  ONE   情報不足のない存在

要するに「そんなもの見ればわかるだろ!」という発言が元だったのであり、結局「1個」という意味に落ち着いた事がわかる。

これがなぜ「ワン」という発音になったのかは不明だが想像は出来る。つまり「ワン」とは「WAN」の事であり、その意味は「31概念表」に従えば「大量の危険、その強調」となる。これは上記「そんなもの見ればわかるだろ」という答えの代わりに発言された事になり、意訳すれば「うるせえな!」「やかましい!」「ムダ口たたくな!」「四の五のぬかすな!」などという意味になる。この言葉の発言者はガンコ親父、聞いたのは子供であろう。

英語辞書を見ると、例えば「Ox・ford」「oc・ca・sion」などのように「・」で区切られた文字が目につく。これは、その区切り各々に古い意味がある事を示しているのであるが、それを「31概念表」に当てはめて見ると、その言葉の元の意味がわかって来る。この例「OC・CA・SION」は、元は「密かに、事の企みが、行われる区域」である事がわかる。「オックスフォード」は「牛を飼うにはもってこい」という意味だ。
このような組み合わせ単語でも、発音は連続した一つの音声となり、その音声から逆に文字を読み取る事は不可能である。

発音が文字通りでない他の例では「knife」「knock」「know」などがある。すべて「KN」という組み合わせであるが「K」は発音されない。

  K     発生
  N     強調

文字「K」「N」が担う個本概念はこの通りである。つまり文字の組み合わせ「KN」は「いきなり出た」というような感じの意味になる。騎士「knight」の場合なら「いきなり優勝した無名の若者」という事になる。
世の中には「強烈な発生」「強調したい発生」概念の出来事は多い。実は「king」も似たような意味「成り上がり者」が起源であるが発音は出来る。

「強調したい発生」概念ではあるが、「KN」と続いて書いたら発音は出来なくなる。やむを得ず文字「K」を残したままこれを発音しない約束としたのであろう。だが必ず「K」は書かねばならない。これを省いたならば意味がなくなってしまうからだ。文字と発音の結びつきを意図して変更した例はこれ一つであろうか。このような例から見てローマ字は現在でも表意文字の資格を失っていない事がわかる。 
 
もし世界中の英語の文字が消えてしまったならば、もう一度アルファベット26文字を与えられても発音からの英語の復元は不可能であろう。日本語は50文字と濁点があれば、完璧に復元出来る。つまり英語は日本語に比べて、はるかに多くの変化にさらされて来たと考えてよい。同じ「ローマ字31概念」から出発したはずであるが、日本語は絶海の孤島であったために、外部からの影響がほとんどなかったのである。

仮説「ローマ字31概念表」を検証するにあたって考慮すべき日本語と英語の特殊事情を書いて来たがいかがであろうか。これらの事情こそ、それぞれの言葉が経験した起源「31概念」からの変化の経歴なのである。


漢語に当てはめる−その1.漢字部首

日本語とは密接な関係を持つ漢字は中国で完成したすばらしい文字体系であるが、その中国は日本との関係を持つはるか以前に、シルクロードを経て「ローマ字31概念表」を手入れているはずだ。それは漢字発明以前の事である。彼等はとりあえず次のような文字を作った。

漢字起源象形文字

上の絵文字は中国西域から発見されたものではなく、「ローマ字31概念表」が中国に入った後に、初めて出来た漢字以前の文字という一仮説に過ぎない。だがその形は、元のローマ字からの変形であるかのようであり、またその意味は、その文字が担う基本概念に合わせてある。

例えば「月」は「腹」「胃」「腸」などに用いられているが、それら内蔵は、古代では病気つまり常に「危険」の原因となっていたからである。その文字は「ローマ象形文字」の「A=斧」からの変化と見なされる。ローマ字「C」に相当する文字「尸」は「死体を覆うもの」として漢字「屍」に使われているが、その原形は「ローマ象形文字」の「C」であり、第一画は矢印の名残りだ。

ローマ字「N」に相当するのが漢字「女」であるが、なぜそうなのか。これは「ローマ象形文字」の「N」に見える「矢印」だけが変化したものだ。その方向が逆になっている所が「否定」概念を表現する基本条件である。実はこの中間に相当する古代文字が存在するのだが、その件はあとで述べる予定だ。

「W」に相当するのが漢字「建」「延」などに使われる漢字部首「廴」である。この文字はローマ字「W」と同じく「大量」概念を持っており、しかも形状は見事に独創的に変化しているではないか。
このようにして「ローマ字31概念」は中国漢字の起源となったのであるが、この後、甲骨文字が書かれるまでにはなお時間が必要だったと思われる。ここで下記の絵を見て頂きたい。

この四文字は上記「漢字起源象形文字」を組み合わせて作った偽漢字である。その意味は下に書いた英語の通りだ。英単語1個が漢字1個に対応している。要するに漢字は単位文字を縦横自在に組み合わせて作り、英語は同じく単位文字を横に並べて作っただけの違いだ。部品はいずれも同じ設計図から作られたものだが、漢字部品は中国内で製造されている。

漢字一文字が「単語」であるならば、それは意味があって当然の「表意文字」となる。一方英単語はそれぞれが漢字一文字に相当するのであるから、発音は連続した一つの音と考えても何の差し支えもない。
英単語は文字数の多いものもあるが、漢字の発音はどれも短いものばかりだ。しかし漢字は熟語というものを作って対応していると見てよい。起源文字に換算すれば同じ程度の数になるであろう。
こうして見ると言語システムの基本的な設計思想は、漢字も英語も同じである事がわかる。英単語は既に表意文字となっているのかも知れない。

それでは「ローマ字31概念表」を漢字部首に当てはめれば、その漢字の意味になるのか。漢字全部を調べたわけではないが、もちろん該当する例は多い。以下に少しだけ載せておく。

  B.準備・用意                   部下(準備員)  防  院  陣  階  隊  障
  C.覆う                       屍  戸  尻  尼  局  屋  屏  層
  G.動きの継続                  力  動  加  幼  功  助
  H.反復・複数                  日  曜  春  昼  時  暦
  I.行動・行為                   仕  付  休  企   伝  伴  使  信  侵  倒  停  儲 
  O.存在(範囲・個体)              園  国  団  固  台  名  召  吊  囚
  T.成立                      丁  庁  打  訂  釘  灯
  U.判断・U字形のもの             出  凹  函   匠  医  区別
  W.大量の・いつでも              建  延  廻  廷  及
  Y.移動・移ろい行く               行  役  往  征  径  待  徐  
  Z.さまざまの                  巴  改  巷  港  配  選  

これらは「漢字起源象形文字」が部首として採用され、なお且つ「31概念」を継承している好例である。これらを見ると、確かに「ローマ字31概念」の影響はかなり強く残っているようだ。しかし大部分の漢字は、その後中国で工夫されて追加されたものと考えられる。上記「漢字起源象形文字」を組み合わせただけでは、とうてい漢字すべてを作る事は出来ないと思われるからだ。
起源文字としてはこの他に第66話に書いた「星文字」がある。例は「子」「兄」「斗」「七」「可」「元」「弓」「井」などだ。これらの文字も組み合わせに参加しているはずである。

漢字は、西域から持ち込まれた「ローマ象形文字」をヒントに「漢字起源象形文字」を作ったが、それに飽き足らず「星文字」などの案も含めて独自の象形文字を工夫し、これらを組み合わせて漢字システムを作ったのではないか。漢字は「文字」でなく、すべて意味のある「単語」なのだと考てよい。

    

ここで上左の絵は漢字「君」を、右は同じく「固」を、それぞれ分解したものである。個々の「部品」は仮に左から1.2.3と呼ぶが、「君」の場合は「1=E.情報」「2=I.行動」「3=O.個体」となる。すなわち漢字「君」の意味は「情報を得て行動する個体」となり、古代では星占師兼為政者の意味となる。白川静「字統」には「祈祷して祈る聖職者」とあるが、それだけでなく行動もする意味でなければならない。むしろ日本の「卑弥呼」あるいは「天照大神」の方がこの意味に近い。

次の漢字「固」の場合は分解して「1=O.存在」「2=X.X印をつける」「3=O.存在」となるが、第一の分解だけで「古い存在」の意味となり、とりあえず「古いので固くなった餅」のような物を表わす言葉になる。さらに「古」を分解すると「X印を付けた個体」となるが、この「X印」とは「印を付けて区別するべき・・」「私が選んだ・・」というような概念であり、「そいつはダメだよ」「そいつは古い」という場合にも使える。もちろん「そいつは立派だ」というようにも使えるはずであるが、慣例で否定的な使い方となったと思われる。他の例には「姑」「枯」などがある。

白川静「字統」などを見ると、古代の漢字に関して詳細にその起源などが述べられているが、上記「漢字起源象形文字」説はその真偽は別にしても、それよりはるかに古い時代の出来事を対象としているから、もちろん証拠となるような古文書は存在しないが、さいわい変化の少なかった例を解析すれば、復元が可能な場合もある。上記はその一例だと見て頂きたい。

漢語に当てはめる−その2.漢字の発明

さて「漢字その1」で示した漢字の例は、形は「漢字起源象形文字」を受け継いでいるようだが、音に関しては完全に対応しているとは言いがたい。「漢字は単位文字を縦横自在に組みあわせた」と書いたが、その単位文字で音を持っているのは起源の26文字だけである。他の単位文字つまり彼等が創作したものについては音がないのだ。鳥を象って作った漢字「鳥」にどんな音を付けるのが正しいのか、誰も判断出来ないはずだ。

だが漢字「鳥」には「チョウ」という音が付いている。そこでその音「チョウ」を「CHO」と書いて「ローマ字31概念表」に当ててみると、「覆われた複数の個体」つまり「温めている卵」の事だとわかる。鳥という名がいつどんな時に付いたのかは不明だ。しかし「飛んでいる姿」を表現しなければならぬという事はない。「卵を抱いている姿」に驚いて付けたとしても悪くないはずだ。日本語「とり」は「隊列をそろえて行動する者」の事である。
要するに「チョウ」という言葉が出来たあと、それを記録する文字として採用されたのが象形文字「鳥」であって、文字が先ではないのである。

このようにして、日常必要な言葉から、高度に抽象的な言葉まで、その音の意味に対応する文字が自在に作られて行く。下記の例は部首に「漢字起源象形文字」の一つ「彳」を使い、残り半分は創作して出来た文字である。もちろんここに他の「漢字起源象形文字」を使ってもよい。

  行   呉音  ギョウ   GYO  GYOU     個体の移動はなお続く  個体の移動はなお続くと判断できる

       漢音  カウ    KAU           事件が発生したと判断できる 
       唐音  アン    AN            非常に危険  行灯(火災の危険あり)

  役   YAKU     移動しながらの判断業務
  往   WOU     判断不能な大量の区域                 往来・往時
  径   KEYI     行けば次第に情報不足が発生            小径
  征   THEYI    行ったまま、しばしば情報不足となる
  後   COU     隠された存在だと判断できる             
  待   TAYI     行ったきりそのまま成立                 待っても帰らない
  徐   JO      静かな動きが続く  移ろい行く             徐々に

上記は漢字の音と文字の関係の現状を代表している。つまり、部首「彳」が使ってあれば、おおよそは「移動概念」を持っているが例外もある。また漢字には呉音・漢音・唐音などがあるが、いずれが起源の概念を維持しているかは個別に異なる。しかし呉・漢・唐どれか一つは、「31概念表」に対応しているようだ。はずれた音は、別の意味のためにその文字を選んだと考えられる。例「行灯」は、発音には「移動」概念はないが、文字には「移動式の明かり」つまり「移動」概念がある。

西洋から「ローマ字31概念」を受け取った古代中国は、「音」からは「話し言葉システム」を作り、文字からは「漢字システム」を作った。両者は英語のような」密接な関係でなく、「話し言葉システム」が「漢字システム」を当て字として採用しただけである。もちろんこれは意図したのではなく、成り行きでそうなったのだ。「当てた」と書いたが、既にあるものを当てたのでなく、その度に「作っては当てる」方法だったと考えられる。文字は音と違って無限の組み合わせが可能である。古代中国人は、その才能のあふれるままに膨大な漢字を作ってしまったのであるが、音の方は当然ながら他の言語なみの数しかない。

日本で完成した「やまと言葉」には当てるべき文字がなかったが、後に漢字を当て字として採用した。当て字の「当たりはずれの程度」は、中国の方がより密接であるとは言えず、日本と同じ程度だと見て間違いないであろう。

  中国語   船   SEN     情報不足がやがて終焉する事は確かだ
  日本語   船   FUNE    わかった!情報不足はない

上記はいずれも「はるか沖に浮かんでいて、次第にこちらへ近づいて来るもの」を見た時の叫び声である。「E」が「情報」概念を担う音である。「船」という漢字の「舟」は「小さなふね」、「八」は「覆い」、「口」は「個体」である。つまり「船」は「屋根付きの舟」だ。その「舟」は「Uの字形に仕上げたもの」の意味であり、古代では丸木舟である。「丁」が「成立」「仕上げた」を意味する。「舟」と同音の「周」も「U字形=ぐるっとまわる」の意味である。

「ローマ字31概念表」を漢字に当てはめる場合は、おおよそは現在日本で行われている漢字の発音を当てればよい。この発音は、楽観的には漢字が到来した時の中国発音だったと思われるが、そうだという証拠はない。但し現代中国語の発音も同じだったなら、ずっと変化しなかったという事になり、そのまま日本にも伝わったと考えてもよい。次第に完成して行く変化というものは存在しないからだ。

しかし漢字到来の時、日本人にはそのように聞こえたので、その発音が定着したという例もあったはずである。つまり当時の中国で「船」を「シェン」と発音していたとしても、日本人は日本式に「セン」と聞き、意味は上記の通りであるから、それで納得したはずだ。もちろん仮名文字が出来た時は「せん」と書く。これは犬の鳴き声を「ワン」と書くのと同じである。

全部調査したわけではないが、このような例は非常に多いと考えられ、ほとんど全部がその例だと考えても差し支えあるまい。納得なしで、無条件で受け入れた例は英語「メリケン」「ミシン」などである。漢字到来の時の中国発音が、例えば「クヮン」「ウォン」などだったとしても、日本では納得して「カン」「オン」になる。その「カン」「オン」が、すなおに「31概念」に従った意味となっている場合には、その音が正解であると見なしているが、これまでに不審な例は見つかっていない。


ヒエログリフに当てはめる

ヒエログリフは表意文字であるが「ローマ字31概念」には合っている。合っているかどうかは絵を見れば判断出来るのだ。すなわち「危険」「準備」「行動」など「31概念」のどれに相当するのか充分判読可能である。また二つの概念の組み合わせは、そのまま二つの絵の組み合わせになっている。
ヒエログリフは伝説の「トト神」が持ち込んだとされているが、その元が「ローマ字31概念」である事は間違いない。      

起源ヒエログリフ31文字

上の絵文字は「トト神が最初にエジプト人に提示した源ヒエログリフ」という仮説に従うものであり、遺跡から発見されたものではない。但し実際のヒエログリフも含まれている。アルファベットは前記「ローマ字31概念表」に合わせてある。「31概念」がそのまま絵になっている事がおわかりであろう。なお「I(2)=閉じこもり蛇」「J=ナメクジ」「M=動物の皮=熊でないとは言えない」「Q=臨終」「R=燭台=どちらが消えるか?」と注釈を付けておく。

左端の小さな絵は「I(1)」と「N(1)」の組み合わせ文字「NI=行動の否定」である。「I(2)」の「非行動」とは微妙に異なる概念であるが、二つの絵が、その違いを描き分けている事に驚いて頂きたい。「行動の否定」は「こんなもの喰えないよ」という絵だが、「非行動」は「オレは眠たいのだ」という絵である。

この絵文字を使った起源ヒエログリフは、ほとんど英語と変わりのない構成で単語を作っていた事がわかる。更に組み合わせ文字も使っていたのであるから、つまりは仮名文字も併用していたと言ってよい。例えば英語「NORMAL」なら「のRまL」と4個の絵文字で書く。結果として母音がないように見えるが、これで充分発音出来るはずだ。

ヒエログリフは、このあと必要もないのに膨大な同類の絵文字を作ってしまうが、その理由はヒエログリフがあまりにも具象的であったからだ。抽象的例えばローマ字「A」なら、危険の具体例「戦争」「洪水」「雨」「あられ」何にでも使えるが、絵として「戦士」を描いてしまったら「捕虜の危険」には使えなくなってしまう。そこで「捕虜」も描く。「発生」を表現するために「スカラベ」を描くが、わからない者には「サソリ」を描かねばならない。

ヒエログリフは起源的には「ローマ象形文字」と同じ程度の表音文字である。たまたま具象物がはっきり見えてしまうだけだ。漢字は表意文字であるが、それは前記の通り「英語式の単語」であるからだ。なおヒエログリフについては第75話に書いてある。

一般意味論

ヒエログリフの研究に欠かせない学問がアルフレッド・コージブスキーの提唱する「一般意味論」である。その中で彼は「抽象のハシゴ」という言葉を使って「言葉の階層性」を説いている。つまりヒエログリフ「戦士の絵」は、次のような「抽象のハシゴ」の一つの段に位置していると言うわけだ。ハシゴは左から右へ行くほど上段つまり抽象度が高くなる。

「1.戦に出て行く父」−−−「2.戦士」−−−「3.戦争」−−−「4.危険」

「危険」を絵に描く事は出来ない。「戦争」も絵には描けない。「戦士」なら描けるが、それは「戦士一般」を想像で描くしかない。唯一描ける(写生できる)のは目の前にいる父だけである。「ドクロマーク」が張ってある部屋は「危険な物が入っている」部屋だが、そのドクロは日本人なのか、名前は何で、年齢はいくつだったのか、それを問題にする者はあるまい。ヒエログリフの「戦士」は何を描いたのか、それは「1」でも「2」「3」でもなく「4」なのである。数多いヒエログリフ各々に「何を描いたのか」という質問を出さねばならない。

英語は26文字で全世界を表現出来るが、それはその26文字が高度に抽象的であるからだ。全世界を26分割しただけなのであるから、その一つだけでも膨大な具体例を包括している。絵というものは、その具体例のたった1個しか描く事が出来ないのだから、その描かれた物だけに気をとられてはならないのだ。その絵あるいはその仲間が何を代表しているのか、抽象のハシゴ最上段の意味が、その絵文字仲間を代表する意味となる。

ヒエログリフの作り方の例を一つだけ挙げてみよう。左の絵は両頭の牛を描いたものだが、もちろん具象画ではない。このような牛は存在しないからである。だがこの絵を描いたエジプト人は知恵者だ。彼は「抽象のハシゴ」を無意識のうちに承知していたのだ。
この絵は具象画より一段上の抽象レベル「牛でないとは言えない」という意味の絵であり、更に抽象のハシゴ最上段では「何々でないとは言えない」つまり「否定の否定」概念の表現となる。これは上記「起源ヒエログリフ31文字」の「M」に対応している文字であり、絵はその一例なのだが、そこまで理解していなければこの絵は描けないはずである。

とは言うものの他の言語が使っている文字は、もっと抽象的な記号ばかりであり、それぞれ容易に理解出来たのである。しかし古代エジプトでは絵を描いて見せなければならなかった。抽象力には個人差があるのだ。トト神も苦労したに違いない。


文字の化石

北部ヨーロッパに伝わる古代文字「ルーン」をご存じであろうか。この文字が言語として用いられたかどうかも不明であるそうだが、バイキングが活躍していた頃、既に「占いのための道具」となっていたと考えられている。そのような文字をここで取り挙げる理由は、この文字が、上記「ローマ象形文字」から変化したものであるかのような形になっているからである。しかもそれら24個の文字には神託と称する言葉が付属しており、その言葉は高い抽象度の、多数の具体例を包括した言葉つまり「24概念表」になっているのだ。

考えられる解釈は、起源「ローマ字31概念表」を受け継いだ或る民族が、成り行きまかせに変化させたまま放置してしまった文字、となる。その民族はどこかの国に吸収されたか、滅亡したのであろう。だが後年この文字を占いに使った者がいた。もしかすると国を滅ぼされた者がひそかに占いの道具と見せかけて守って来たのかも知れない。神託とは日本で言う言霊であるが、実際はその言葉の基礎である「24概念」の事なのだ。

ルーン文字


上記は「ルーン文字」を化石風に描き写したものである。「ローマ象形文字」からの変化がありありとわかるはずだ。重複もあり、消えたらしい文字、変形した文字もある。神託には「力」「分離」「信号」「自己」「保護」「防御」「豊壌」「束縛」「戦士」「開始」「収穫」「喜び」「所有」「旅」「破壊」「流れ」「動き」「成長」「完全性」「休止」「突破」「門」などがある。

これら「神託」を見ると、微妙に「ローマ字31概念」に似ている事がおわかりであろう。例えば「力=動きの継続」「分離=中断」「信号=情報」「自己=個体」「保護=覆う」「防御=用意」「豊壌=大量」「束縛=指導」「戦士=危険」などほとんど同じ概念である。「完全性=否定の否定」も同じ概念であろう。但し文字と概念の組み合わせはバラバラになってしまった。こうなってはもはや占いにしか使えない。

占術者は例えば「あなたに危険が迫っている」と告げるが、これは抽象のハシゴ最上段の言葉だ。聴く者は勝手に(自分の事情に合わせて)その危険の具体例を自問自答する。つまり抽象のハシゴを自分で降りて行く。言葉の階層性を説いたコージブスキーの理論にピタリとはまってしまう例だ。その理論はすべての言語にあてはまる。

上記のルーン文字の中に「<>」という文字がある。この文字は「ローマ象形文字」の「N」から矢印だけ残ったものであるが、やがて中国に入って漢字」「女」になる。漢字「門」の原形も見えるであろう。この文字は甲骨文字ではルーン文字と全く同じ形になっている。その名も「Mannaz」つまり「M」であり、漢字「門」も同じ音である。ルーン文字は、或る時代或る民族が使っていた文字の化石あるいは甲骨文字と言える。

ギリシャ文字・ロシア文字

これまで紹介して来た文字の他にはギリシャ文字とロシア文字(キリル文字)がある。これを下に書いておこう。ギリシャ文字をローマ字の祖とする説もあるが、それは正しくない。それはローマ象形文字とその概念から離れているからだ。例えばローマ字「D」の形は「天球の動き」を写したものであるが、ギリシャ文字「Δ」ではその形が崩れている。そしてその文字は漢字「大」となって行く、その途中の形となっているのだ。またギリシャ文字「Ε・Φ・Ψ」はいずれもローマ象形文字「E」から変化したものと考えられる。ローマ象形文字には見える基本概念のイメージが、ギリシャ特有の文字からは読み取れない。

ロシア文字は更に混乱が増しているようだ。区別しにくい文字の併用、判別しにくい符号の付加、組み合わせ文字の使用、などは文字システムとしての長所とは考えられない。これらの現象は、洗練された結果でなく、混乱の結果であろう。ギリシャ文字と同じく、文字デザインの統一性が欠けていると思われる。

           ギリシャ文字         ΑΒΓΔΕΖΗΘΛΜ ΝΞΟΠΡΣΙΤΚΥ ΦΧΨΩ  24文字

           ロシア文字          АБВГДЙКЛМН ЕОЁПЖРЗСУФ ХЦЧШЩЪЫИТЬ ЭЮЯ   33文字

残念ながら筆者にはギリシャ語及びロシア語の知識がないので、この話はここまでとする。これらの言葉のどこに「31概念」が残っているのか、あるいはいないのか、今後の課題ではある

フェストスの円盤

地中海に浮かぶクレタ島から出土した有名な「フェストスの円盤」には不思議な絵文字が彫られている。彫られたと書いたが、実際は印鑑のように押しつけたものだ。その種類の数から見ると、おそらくは日本の仮名文字のような音節文字であろう。或る同じ綴りの「単語」らしい組み合わせが3ヶ所に見えるなど、ヒントはあるのだが、まだ解読されていない。

仮に日本で同じような粘土板が出土して、仮名文字の代わりに絵印を使ってあったとすれば、外見上ほとんど同じ物に見えるであろう。これも重要なヒントだ。ヒエログリフも参考になるはずだが、その場合は、円盤上の絵文字が、いかなる概念を担っている絵なのかが問題になる。例えば「戦士」らしい印も見えるが、これが「危険=A」または「危険の発生=KA」などである可能性はきわめて高い。また「7つの点」の絵が「北斗」つまり「情報=E」であっても不思議はない。もし円盤文字が50個ほどの音節文字ならば、それぞれに最適な絵及び意味・概念を用意する事は充分可能だが、この話題もここまでとする。


文字の伝達

世界中の言語の種類から見れば、ここに挙げた文字はごく一部である。しかし文字というものは起源的には音声を記録するための記号であるから、その数はほぼ定まる。音声記録用でない記号は、必要に応じて無限に作り出す事が可能だ。

文字システムを全くあらたに設計し構築するのは古代・現代を問わず大仕事であるが、そのつもりなら24個(ギリシャ文字)もあればよい。26個(ローマ字)でもよいし、48個(仮名文字)でもよい。ヒエログリフは数千個あるが、その時代々々で通用していたのは、おそらく100個以下であろう。いわゆる「決定詞」は無限に必要だった事になるが、それは音声表現用ではない。漢字は無慮数万個もあるのだが、これは「単語」であるから数えてはならない。数えてよいのは上記「漢字起源象形文字」あるいは三画以内の部首だけである。

古代の或る優秀な民族が24ないし31個の文字を考案したと考えよう。この文字の評判は上々で、周囲の国や異国の旅人までが便利に使い始める。なにしろ心に浮かぶ感情がそのままデザインされた文字なのであるからまことにわかりやすいのだ。その民族がどこに住んでいたのか不明だが、その場所を中心に、次第に使用範囲が広がって行く。東はチャイナ、西はイングランド、北はロシア、南はエジプトだ。もちろん末端へ行くに従って混乱も起き、文字は変形し、上下逆や左右逆になる場合もある。

という仮説の文字が前の方で紹介した「ローマ象形文字」である。これを一旦仮定しておいて他の文字を見ると、上記のようにいくつかの文字の中に、その痕跡を見る事が出来る。その変化には方向性があり、逆の変化はあり得ない。ここでヒエログリフの立場は「ローマ字31概念」をわかりやすく図解したという事になる。これらは偶然起きた出来事にしては、あまりにも類似に必然性がありすぎるように見えないか。この件は第11話にも書いた。

音の伝達

文字は伝わらなくても音は伝わる。仮説「ローマ字31概念」は音で表現され、その音を組み合わせた最初の言葉は次第に使用範囲を広げて行く。東はチャイナ、西はイングランド、北はロシア、南はエジプトだ。もちろん末端へ行くに従って混乱も起き、意味の誤解、アクセントの変化、視点の違いによる言い換えなどが起きる。旅商人は「安いよ」という言葉を叫び、その言葉は「安価」という意味で伝わって行くが、或る国では「確かな品物だよ」という意味に使われ、また或る国では「ガラクタ」という意味になる。

こうして末端では全く別の言語となるのだが、それでも「インド・ヨーロッパ語族」というグループは確認されており、仮説としては更に広い範囲のグループが考えられている。この「バベルへの周遊」ページでは、すべての言語が「ローマ字31概念表」から出発したと説いている。この「31概念」とそれを表現する音声が「人類祖語」なのだ。もちろん文字は後からついてくる。

そのような大胆な説を発表した理由は、以上のような言葉の混乱・変化が当然あったにもかかわらず、東洋の島国に伝わったその音には、ほとんど変化がない事を発見したからである。すなわち前記「31概念表」は日本語に当てた時と、英語に当てた時に、最も適合するからだ。文字に限ればヒエログリフにもよく合う。これはあり得ない事であるが故に、逆に確実な証拠となるはずである。英語と日本語の共通点は、いずれも島国の内部に温存され、他言語の影響が少なかった事である。日本の場合は、他からの影響が全くなかったと言ってよい。それ故か日本では数千年にわたって音の意味すなわち「言霊」は厳密に守られて来たのである。

前の方でも書いたが、人類が発する音声は基本的には同じだ。心に浮かぶ感情も同じである。言葉がなくても感情は伝わるが、その時叫ぶ声が、その感情をより確かに伝達するはずである。 ここまで書いた時、テレビ番組でオーストラリア東部のフレーザー島に住む野生の犬が紹介された。その犬「ディンゴ」は決して吠えないのである。犬が吠えるようになったのは人に飼われるようになってからの事だと説明されていた。つまりその時、犬は人間に話しかけたのである。それより更に数千年前か数万年前、或る人間が声を出して他の人間に何かを伝えようとした。その人その犬は何を言ったのか。答えは「危険の通報」だ。これがすべての言葉の始まりである。


先人たち

前の方でも書いたが、このような研究を行うに当たって利用した書物は、岩波広辞苑・岩波万葉集・角川漢字辞書・岩波英和大辞典・「ヒエログリフィカ」(ユトレヒト大学発行)この5冊だけである。これらは「言葉を集めた本」として用いたのであり、学説を述べた書物ではないから、著者に影響されるという事もなく、自由に使わせて頂いた。あと欲しいのはオックスフォード辞書及びギリシャ語・ロシア語等々の辞書である。

と書いたが橋本進吉「上代語の研究」からは重要なヒントを得た。それは万葉仮名における甲乙分類だ。甲乙区別の存在そのものが問題なのであるが、委細は前の方に書いた。橋本以後「この音は甲である」「乙である」と書く者も出たが、だからどうなんだという質問に対する答えを用意した例をまだ見ていない。

白川静「字統」「字訓」も書棚にあるが、日本の古語を集めた本としての「字訓」は役に立つ著書であった。用例も多い。「字統」には、しばしば「神に捧げる物」「神に祈るための道具」などが文字の起源として紹介されているが、文字が創成される理由に「神」が登場する必要はない。例えば漢字「口」は「祭詞を入れておく箱」でなく、もっと俗世間的な「野菜かご」「水桶」「ゴミを棄てるために掘った庭の穴」でも「口」を使ってよいはずだ。

更に言うならば、「口」は「箱」などの具体的な物の象形でなく、「いれもの一般」あるいはそれらの上位概念「或る区域」と解釈するべきではないか。そういう解釈であれば、これを使った多くの文字の意味が納得出来るはずだ。例えば「舎・若」などは「祭詞」とは無関係であるが「或る区域」概念には合う。

言語学を学んだ者の中にはソシュールという人物の学説を尊重する方もあろう。ここでは簡単に彼の説との関係を書いておくが、詳しくは近々本文に載せる予定である。
まず前項「音と概念の共有」で書いた事を表にしてみた。ここでは日本語主体の表になっている。

この表は日本語の成り立ちと現状を示している。
例えば「悲しい」「噛みつく」ついでに「蚊」も加えて、その上位概念は「危険の発生」であり、その意味を担う音は「か=KA」である。古代の或る夏の日、変な虫が飛んで来て男の腕を刺す。この時彼は「カ!」と叫ぶが、その意味は「危険の発生!」だ。やがてその虫を見れば「危険の発生」を心に感じるようになり、遂にはその虫の名も「カ」となる。これが「KA」概念最初の具体例だ。以後「KA」音を使う単語(具体例)は次第に増して行くが「危険の発生」概念には従う。母音「A=あ」は更に上位の概念「危険」を示すが、そのままでも用いる。

つまり「KA」という音を含むあらゆる単語は、何かしら「危険または事件の発生」概念を含むというのが「ローマ字31概念」の考え方なのである。すると「あか」という音は「あ!か!」つまり「危険!危険の発生!」という発言であるとわかる。これは誰かが怪我をした時の叫び声だ。見ると足から血が出ているのだが、その色はもちろん赤い。誰かが「あか!」と叫んだから、その色を「あか」と呼ぶようになったのだ。だから今でも「赤」は「危険」の象徴であり、赤信号は「止まれ」なのである。機械の非常停止ボタンも赤い。

別の例では「I=い=行動」概念の言葉(具体例)として「行け!」という命令語を取り挙げてみる。他の具体例は「いね!(行ってしまえ!)」と「いぬ!」だ。「いざ!」も加えよう。
ここで「いぬ!」とは第47話に書いたように、射落とした獲物を取りに「行け!わかるだろ!」と叫んだ猟師の言葉だ。その音「イヌ」は、「獲物を探す役目の者」に対して発せられた言葉である限り、切っても切れない関係にある。飼っている「豚」に「獲物を取りに行け!」と命令する主人はいないから、「豚」は決して「イヌ」とは呼ばれないのである。他に適任者はいない。
初代南極越冬隊長の西掘栄三郎は「初めてという事は一回あります」と書いているが、言語学でも通用する重要な法則である。その一回で「イヌ」は定まり、以後まったく変化していない。

先に「日本語その6」で、「川」の名前が「洪水」「水浴び場」「洗濯場」など、意味の違いにより別の名前となるはずと書いたが、「犬」の場合も同じである。「行け!わかるだろ!」なら「イヌ!」となるが、「範囲は広いぞ!」と叫んで犬を送り出せば、その発音は「ドッグ!」となり、たまたまその国では「DOG」と書く事になった。「見失った!」と叫んだ場合でも犬は獲物を探しに行くが、名前は別の名となる。

という例を先に書いてしまったが、これらはソシュールの説く「恣意性の原理」の誤りを示す事実だ。つまり単語というものは、その発生段階における上位概念を、まるで遺伝子のように受け継いでいるのであり、混血はするが、同じ一族の子孫なのだ。逆にたどって行けば先祖もわかる。人類が初めて音声を発した古代からずっと音とその意味は継承されているというのが事実だ。

上の表は英語でも同じ構成となる。表中のローマ字がその音だ。中段・上段は人間の心に浮かぶ感情・想念のリストであるから、「31概念」の組み合わせで50数個あり、どの言語(民族)にも既に遺伝子として用意されている。その具体例としての下段の単語は、言語によって数が異なるが、上位概念からはずれる事はないのだ。幼児は新語を作るが、それでも「31概念」には従う。

ソシュール「恣意性の原理」を初めて見た時、私は開いた口が塞がらなかった。そもそも「AとBとは関係がない」という態度そのものに疑問がある。「ない事」の証明が可能なのか。1個あったらどうするつもりなのか。人類誰でも「あっ!」と叫ぶのは必ず「危険」な場合である。この一例だけで恣意性の原理は成立しないはずだ。現状だけに目を向ければ確かに「イヌ」と「犬」の関係は誰も知らないが「私は知らない」だけでは「ない」と言う事は出来ない。恣意性の原理には実例がなく、机上の空論と呼ばざるを得ない。


色めがね

つい欲張り過ぎて長くなった序文も終わりに近づいた。言葉に対するこのような視点が邪道か王道か知らないが、筆者は完璧な門外漢であるから、業界のいかなる約束にも拘束されず、その故に見えないものが見えたのであると考えている。あるいは逆に「色メガネ」を掛けた結果だと批判して頂いてもよい。しかしこれを掛けた人に同じものが見えたなら、見えたものが正体である。一体どんな「色メガネ」なのか。それは「人間の血が赤く見える色メガネ」だ。