第二章・・額田王−大相七兄とは何か−

岩波書店発行・日本古典文学大系「萬葉集」
万葉集、その中に登場する歌人額田王をご存じない方はあるまい。しかしその巻の一の九「紀の国に幸しし時、額田王の作る歌」この一首が、研究され尽くした万葉集の中では数少ない未解読となっている事はあまり知られていないようである。上記の資料からその歌を転記してみよう。ついでだが、この歌の前、巻一の八が有名な「熟田津に船乗りせむと月待てば・・・」の歌である。
莫囂圓隣之大相七兄爪湯氣 吾瀬子之 射立為兼
五可新何本
これを初めて知った方にお勧めするが、続きを読むのはやめて、ただちにあなた独自の解釈を試みられたい。漢字クイズだと思えばよいのだ。少なくともロゼッタ石の解読よりは楽なはずだ。なお、もはや見飽きるほどに研究を重ねて来た方には、一旦、すべてお忘れくださるよう謹んで申し上げたい。さあ始めよう。ヒントは「大相七兄」の解釈にある。
昭和44年発行の「萬葉集」は、長く私の書棚の奥に埃をかぶっていた。ある年の夏の休暇の最後の夜、なにげなく広げたそのページにこの歌を見つけた私は、すでに空になっていたコップにビールを注ぎ、一気にこれを解いたのである。且つて私は天文少年であったから「七兄」の文字を見た瞬間に北斗を連想した。だがこのヒントであなたと私にハンディキャップの差はなくなったはずだ。過去の研究者が行った解釈もあるが、参考にしないほうがよい。あえて白紙で取り掛かる事に意味があるのだ。
万葉仮名は、日本語を漢字で表現したものである。その漢字は日本語の音と意味に関し「一致・類似・無関係」のいずれかが採用される。音/意が「一致/一致」「無関係/無関係」という組み合わせはおそらく存在しないであろう。子供「こ」に「子」を当てた例は、意味だけが一致となる。この歌の「湯氣」は「ゆけ(行け)」に当てた「音のみ一致」の例であろう。
ここで想起されるのが橋本進吉「上代特殊仮名遣」である。万葉その他の古文書で、同じ音に対して二種の漢字が使い分けられている例があるというものだ。彼の結論では「実は違う音なのだ」としているが、「意味も違う」とはいっていない。だが、「違う音」に用意された「違う漢字」当然これは「違う意味」である。
独自の解釈を薦めながら、つい種あかしをしてしまった。

我が家に住む次席猫「マデロン」、フランスの童話から借りた迷子の「あひる」の名前だが、言語の起源を考える上で重要な言葉となる。
すなわちその物語で「マデロン」は行方不明になるのだが、ある規則に従ってその言葉を解釈すると「行方不明」という意味になるのだ。
そうは言ってもここでは話を続けなければならないが、まずこの歌の上の句の「大相七兄」に注目する。すなわちこれを「大いなるすがた」「七とも兄とも見える」つまり「兄星」と解釈するのだ。夏の夜の「大いなる七」、春の夜の「大いなる兄」これが「大相七兄」なのだ。要するに歌ではこの四文字を「ホシ」と読ませるに違いない。「星ツメ行けど,我が脊子が」「ツメ」は「確認」である。星を確認しながら夜旅をするのだ。
上記資料の解説によれば、歌は斉明天皇と額田王の一行が紀の国の温泉に向かう旅の途中で詠まれた歌だとされている。旅のコースは「紀の川下り」であろうか。途中で既に一泊し、今日の宿舎、紀の川河口に近い木本八幡宮に向かう。暑さを避けて午後おそく出発するが、斉明天皇が道草くっている間に早くも日は沈み、北の空には北斗がまたたくというわけだ。北斗の位置で時刻が確認できる。
平成6年4月、私は木本八幡宮の宮司山本氏から「当時の宿舎は木本宮」説をお聞きした。境内には既にこの歌の歌碑が建立されているとの事だ。
この写真は現地で撮影したものではない。山本氏から頂いた案内パンフレットの表紙を転写させていただいた。
さて最初の文字「莫囂圓隣」とは何か。辞書を引いて見よう。私の手元には角川「新字源」がある。
−−−−−莫−−−−−日没から暗闇になるまで。
−−−−−囂−−−−−かまびすしい。
−−−−−圓−−−−−球形の。「圓精」「圓霊」は天をいう。
−−−−−隣−−−−−つれ。同類。
「夜半にかまびすしい天球の同類」これが夜空の「星座」でなくて何であろうか。他には考えられない。
「星座」とは何か。それは一群の「星のまとまり」である。すなわち「莫囂圓隣」は「まとまり」と読むのだ。
この読み方に異論を唱える方は多いに違いない。だが漢字「莫囂圓隣」の意味はまさしく日本語「星のまとまり」なのだ。これは否定できない。
漢字「莫囂圓隣」が中国から入って来た。日本の役人がこの難しい漢字を誤って読んだとしても、彼を責める事は出来ない。彼はこれを「まとまり」と読んでしまう。
「大相七兄」は何と読んだか。額田王のような知識人は、その意味を知っていたから、これを「ほし」と読むが、下級役人にはそうは読めない。彼はあてずっぽうにこれを「おそなえ」と読み、以後「星占いの儀式」を「おそなえ祭り」と呼ぶ。その祭りに必要な穀物や野菜は、「お供え物」と呼ばれる事になる。人々は日ごろからその用意を怠らない。それが「備え」となる。
漢字教育が行われている現代でさえ、誤った読み、個人的なかんちがいによる誤読は後を絶たない。漢字到来の時、このような誤りがあり、且つそれが定着してしまう可能性は充分あるはずだ。
これは想像だが「まとまり」という言葉はこの歌から始まったのではないか。その意味は当初は「星のまとまり」「星座」であったが、やがて「一群の物のあつまり」という現代語になってゆく。この歌の上の句は、結局次のように現代訳出来る。
まとまりの星詰め行けど我が脊子が、射立為兼
五可新何本
前にも書いたが「つめ」は「確認」である。「問いつめる」「敷き詰める」「突き詰める」「詰め将棋」いずれも「確認」の意味を持っている。私は機械技術者であるが、「ツメ歯車」は「爪のある歯車」だとばかり思っていた。そうではないのだ。それは「確認歯車」つまり「一歯ずつ確認」して動いているのだ。その「爪」も「確認」である。土器を作る時、粘土の硬さを確認する事が「つめ行為」なのだ。やがてその「道具」の名が「爪」となる。
ここで思い出していただきたいのは、額田王が星占術者「鏡王」の娘である事だ。当然彼女もその役目を持っていた。少なくとも天文を読む事には長けていたはずである。別の歌では「潮の満干の時間」を読んでいる。どのみち旅の時、時間・方角を星の位置で知るのは、当時の常識なのだ。
「まとまりの星」ここでは「北斗七星」と「カシオペア」を確認しながら旅をゆく斉明天皇と額田王の一行。これがこの歌の上の句なのである。
さて一般に万葉研究者が定説としている下の句は「居立た為りけん、厳樫が本」とあるが、これが今解明された上の句と合わない事は明白である。では、合わない事は明白であるという理由で「その上の句は間違い」と、これを読んでいるあなたはお考えになるだろうか。事実、ある雑誌編集者はそう言っている。
だからといって私もここで引き下がるわけにはゆかないから、話を続ける事にしよう。下の句も上の句を受けて星の姿を詠むものであって、こちらとしては従来の解釈が誤りであるといわねばならない。
北斗七星はいつから「大熊」に譬えられていたのであろうか。もし万葉の頃、既にその習慣があったのなら話は早い。「射立為兼」は「いたたせかねて」と読む事になる。
−−−−−射立為兼−−−−−射立たせ兼ねて−−−−−大熊を射そこねて
星を確認しながら旅をゆく一行、「大熊を射る」とは「大熊(北斗)が見えているうちに宿に着く事」なのだ。だが大熊は西の山に沈んでしまった。山に隠れた熊はもはや射る事はできない。
まとまりの星つめ行けど我が背子が、射たたせかねて
五可新何本

ここで当時の星の位置を再現してみた。大熊の体はすでに山に没し、尻尾(北斗七星)だけが見えている。そして東の空には西洋名「カシオペア」が昇ってきた。カシオペアの主星は5個、これを仮に「五つ星」と呼ぼう。
カシオペアはまた「弓」の形をしている。これを額田王が「射つつ星」と呼んだと考えても何の不思議もなく、納得できるはずだ。もちろん射つつ星は熊を射るために現れたと見たわけだが、熊はとっくの昔に隠れてしまった。
「紀の国にいでましし時」は日本書紀によれば10月の始めとある。日が暮れて星が見える頃、すでに大熊はしっぽの先しか見えていなかったであろう。だが額田王が斉明天皇をからかう題材にはうってつけなのだ。この時代、斉明天皇はこころ楽しまず、旅の途中も寄り道ばかりしていた。おかげで予定時刻から大幅に遅れてしまったのである。もちろん「瀬子」は「熊狩りの勢子」に掛けた言葉だ。普通なら親しい男性に対する言葉なのだが、ここでは「熊狩り」に譬えるために、無理に使ったのである。
まとまりの星つめ行けど我が背子が、射たたせかねて五つ星かも
「天皇がみちくさくってるからこんな時間になっちゃったじゃない!
ほら!大熊はもうシッポしか見えないわ!」
「いまさら射つつ星だなんて、シャレにもなりゃしない!」「これじゃ熊狩りの勢子は務まりませんね、背子さん!」
ユーモアと才気がきらめくような歌ではないか。詠んだのは額田王だ。万葉集の彼女の他の歌と比較していただきたい。これなら同一人物の作といえるであろう。第一こんな歌は額田王にしか詠めない。彼女はつまらない歌は詠まないのだ。従来解釈では、とても彼女の歌とは思えない駄作となってしまう。
今日はここまでにするが、実は「五可新何本」の読みに不審な点があると、賢明なる読者は気付かれたはずだ。
しかし、その説明から本題の言語学「日本語起源」の話になるのであって、「五可新何本」この読みに「日本語の秘密を解くカギ」があるのだが、その先は次に譲る。
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