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和歌山県
和歌山城
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| 天守曲輪 |
| 城名 | 和歌山(わかやま)城 |
| 別名 | 若山城、伏虎山城 |
| 所在地 | 和歌山市 |
| 築城年代 | 元和5年(1619年) |
| 築城者 | 徳川頼宣 |
| 主要城主 | 徳川 |
| 石高 | 55万5000石 |
| 形態 | 復興天守 |
| 天正13年豊臣秀吉が弟秀長の為に築城 桑山氏を経て、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が移封され修築。 元和元年頼宣(家康の10男)が移封され修築。紀州徳川家の初代。徳川御三家の一つ。第5代藩主吉宗と第13代藩主慶福が、それぞれ第8代将軍徳川吉宗、第14代将軍徳川家茂になっている。 落雷で天守は消失したが嘉永3年再建。さらに昭和20年7月9日戦災で消失。33年コンクリート造りで復興。 頼宣は、外堀も拡張して総構え(外堀で城内を囲う方式)にしようとしたが、幕府より嫌疑をかけられ中止させられてしまったため、今、「堀止」の地名が残っている。 実家の近くである。 現在、城跡として現存しているのは最盛期の4分の1ほどの面積。 |
| 和歌山城のテレホンカード | ||
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| 姫路城、松山城と同じ連立式天守である。真砂丁の交差点から撮影 |
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| 反対の北側から撮影 ダイワロイネットホテル和歌山の華都飯店より 2009.8撮影 |
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| 岡口門から 天主閣が見える絶好の撮影ポイント |
| 久々に和歌山城に行った 2009.8 | |
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| 一の橋と大手門 表門である。 | 楠 樹齢推定450年、樹高25m、幹の周囲7m。枝は四方35mに伸びている。1945年の空襲で被害を受けたが、ここまで回復した。 |
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| 岡口門(重要文化財) 唯一の江戸初期の建造物 | 岡口門 城内から |
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| 伏虎像 現在のは2代目。昭和34年建立。 右の初代は、大正12、 13年ごろに建てられたといい、 銅製だったため戦時下の昭和17年1月26日に、国に供出されている。 |
初代の虎の像(昭和12年に撮影されたものらしい) 有吉佐和子の「紀ノ川」では、花の孫の華が、この像を見て、「変だわ、この虎。足が奇妙なのだわ」と言う。 *前足と後ろ足が左右同時に前進している。* 間違ったものを飾るのはおかしいと華が言う。 それに対して、花は「こんなアホみたいな間違いを、こう見て気がついて面白いと思う人たちもいますんやして」 和歌山の人は寛容でした。 |
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| アメリカデイゴ | 七福の庭 七福神の姿に似た名石を巧みに配して宝船乗合いを模したもの。 紀州徳川藩始祖頼宣公が藩の永久の隆盛を祈念して元和7年(1621)本丸御殿の中央に作庭したと伝えられる。大正12年(1923)本丸御殿跡から移設。 |
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| 本丸御殿跡 この階段の上、今は上水道貯水池になっている。 建物は、光恩寺の庫裡に移転している。 |
紀州手毬の碑 紀州手毬をご覧ください。 |
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| ようやく天守が見えました。 一の橋で見えてた天守は、ここまで来ないと見えません。攻め込まれた時の対策ですね、 |
楠門 |
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| 二の門櫓 | 乾櫓 |
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| 小天守と大天守 | 天守 |
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| 西の丸庭園(紅葉渓庭園)入り口 | 御橋廊下 左は鳶魚閣 全長26・7メートル、幅2・95メートル、、勾配約11% 斜めにかかる橋は珍しい 18年3月復元 |
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| 通行出来ます。土足厳禁。 殿様とお付の人だけが渡れた 鋸歯(きょし)状になっていて、歩きにくい。 |
二の丸 大奥もここにあった。今は何もありません。 |
| 今回の大きな目標は、天守から紀ノ川を見ようであった。 |
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| 紀ノ川 赤い鉄橋が紀ノ川に架かるJR阪和線の鉄橋 小説「紀ノ川」の花が嫁いだ六十谷は、この鉄橋の向こうだ。 右の白い橋は、阪和自動車道 |
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| 紀ノ川 河口 右遠くが淡路島、左遠くが四国 橋は紀ノ川河口大橋 |
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和歌山 護国神社 お城の中にあります。
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