ひとことレビュー:変わらぬ想いの強さ。人は何によって生きていけるのだろう。
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*開演まで*
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『レインディア・エクスプレス』の改訂版とのこと。『レインディア〜』は、ビデオで観た限りではわかりにくい面もあったのだが、今回どんな風に変わっているのか。
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*舞台を観て*
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高校教師の丹羽が北条雷太について書いた「彗星の記録」を読むところから物語は始まる。
久しぶりに動きの大きいダンス。男性が前に出てくるところが多いせいか、体のキレや、腕の動きなどが気持ちいい。静かで染み入るようなダンスも好きだけれど、こういう強い早い振りには自分も引っ張っていかれるような気がしてドキドキしてしまう。照明もかなり素敵。(う〜む…某男優さんのコートの裾が、回るたびにヒラリと翻るのに完全ノックアウトされたことは内緒にしておきたい…)
全体は大体3つの部分に分かれる。下関のナオとしずえ、東京のヒカリと彼女の周辺の出来事そして佐々木と大地親子、さらに北条雷太と陣八・騎一郎のこれまでのこと。それらがヒカリの手紙を主な軸として語られる。時も場所も次々に変わるのだが、例によって、セットの使い方と照明、場面ごとに出てくる人物は(殆ど)重ならないことなどで、わかりやすい。
『レインディア・エクスプレス』でも同じような構成だったが、今回はかなりすっきり整理されていて、分りやすく無理が無くなっていると思う。それぞれの場での、人物の心の動きや話の運びがスムーズにいっているのと、全体のバランスがいいからかな。場面が変わっても、どこか一貫したものが流れているという感じ。もしかしたら、『レインディア〜』の頃よりも、皆が上手くなっているからかもしれない。
各場面でのそれぞれのキャラクターがはっきり見えて、面白い。絡み合って話が進んでいくその展開を楽しめる。こういう個々の「アンサンブル」がそれぞれの味を出して、それが全体を構成している。そして、段々とそれらが集まってきて最後にはひとつになりクライマックスを迎える、という運び。ストーリーもそれとともに盛り上がり、登場人物一人一人の感情が迫ってきて、本当に随所で泣かされた。皆のそれぞれの思いが、なんて優しく切なく絡み合うのだろう。
先に3つの部分と書いたけれど、もう少し大きく分けるならば2つということも出来る。北条雷太ら3人についての記録を丹羽が読み上げながら進む部分(つまり過去の出来事)と、今起こっている出来事−ヒカリの周辺と下関のナオたち−の部分と。
実は、『レインディア〜』を観た時に、雷太たち3人の話をああいう風に挿入していく必要があったのか、と思った。舞台で観ていないから余計にそう思ったのかもしれないが、過去のシーンと現在のシーンとの切り替わりで、何だかぶつりと切れてしまうような気がした。気持ちが繋がっていかないというか(群唱のせいもあったかも)。そこが今回どうなっているのか、ちょっと気になっていた。
今回は、丹羽一人の回想ということで(群唱も無かったし)、それほど違和感は無かった。雷太に関わる話の入る箇所も、必然と思えたし
。雷太を知るためには、あれだけのものが必要だったのだと、素直にうなずけた。ただ、何故丹羽が?という疑問は残るけれど。何故ヒカリじゃいけなかったのかな?
全体を通して貫く柱、北条雷太。新選組隊士であった彼は、仲間の2人陣八・騎一郎とともに竜巻に飲み込まれて不老不死の体を得る。それを知った時の3人の驚き。それぞれの受け止め方をする3人。新選組隊士として薩長の重鎮を暗殺することを使命と考える雷太と、平穏な生活を望む2人。反発。が、それでも離れることは無い。最後まで一緒に居ようと誓い合う。同じ痛みを持った者同士の固い繋がり。友情、という言葉では言い尽くせないもっと太い感情だろうか。雷太が自分の思うままに動いて他の2人を振り回しても嫌な顔もせずに随いていく陣八と騎一郎の気持ちが、後半の暖かさのひとつとなっていると思う。この3人が揃って登場するシーンは、どこかユーモラスで安心できる。成井さんが描く3人組は、こういう感じのものが多いような気がする。お互いに補い合い支え合う3人。
西川さんの北条雷太、様々な思いを秘めて深い。彼が舞台に立つと、本当に大きく見える。自分の運命を真正面から受け止め、それを自分自身で背負っていこうとする男の姿だ。男としての誇りと大切なものへの想い。キャラメルの描く男の理想形かな。
海で徳造を見失い、浜辺で一人立つ雷太。雷太が泣いている。己を責めながら、静かに且つ激しく泣いている。ここの西川さんは圧巻。2階席から観た時でさえ、まるで舞台いっぱいに居るような感じがしたくらい、大きく見えた。内から抑えようとしてもあふれ出てくる感情の波。すごい。
(この徳造、出番こそ少ないがとても印象的。ナオを大事に思い、自分の仕事に誇りを持っている男。口に出してこそ言わないが、優しい実のある人間。雷太にとっても、傍に居ることで安心できる大切な友人で。海で力尽きて雷太にナオを託す時の徳造の言葉は、短い中に万感の思いがこもっている。セリフの無いところでも、丁寧な動きで徳造を見せる篠田さん、う〜んかっこいい。)
不老不死になった時、北条雷太は何を思ったのだろう。本当に、敵を倒すために与えられた命だと思ったのだろうか。そう思うことで自分を無理矢理納得させようとしたのではないか。陣八や騎一郎のように、それをそのまま受け入れることが出来なかったから。雷太は本当はとても弱い人間なのではないかとさえ思えてくる。弱いからこそ、自分の生きる意味を何か見つけなければいられなかった。
でも、その弱さは人が誰しも持っているものとも言える。自分の生きる意味は何か。誰でも一度くらいは考えたことがあるだろう。ずっと考えっぱなしという人もいるかもしれない。その答えがほしくてあがいている。ただ、人の一生には終わりがある。たとえ最期まで意味が見つからなくても、自然と終わりが来て、もう意味を問う作業はしなくてもよくなる。それはある意味救いかもしれない。終わりがあると知っているから悩み続けることが出来るのかも。その「終わり」が北条雷太には無い。このまま永久に悩み探し続けることなんか出来ない。それほど強くない。だからこそ、ナオ(とナオの家族)を見守り続けるという、自分の生きる意味を見出してからの雷太は、それまでとは違う生き生きした男になったのではないかと思う。
もうひとつの軸、佐々木と大地、恭子の家族。形としては離れたけれど、切っても切りようがない家族のつながり。
佐々木と雷太を観ていると、男の哀しさのようなものが見えてくるような気がしてくる。愛する人のそばにいられなくて離れていかねばならない雷太と、家族はいつもそばに居るのにちゃんと愛する術を知らない佐々木。ちょっと手を伸ばせば届くところに大事な人たちが居るのに。北条雷太はまた遠くへ去り、佐々木の命はあとわずかだ。ちょっとかっこ良すぎるけれど、そんな男の哀しさが感じられてくる。
佐々木と大地が剣道の試合をする場面。後半のクライマックス。自分を嫌い、避ける息子と竹刀をあわせる父親の気持ちって、どんなものだろう。佐々木はやはり雷太の言うように、大地に罰してほしかったのか。父と息子として相対してもらいたかったのか。死んでいく自分のために。それは、とても身勝手な考え方のようにも見える。自分のことだけでいいのか。死を前にしてそこでやっと家族に頼ってくるなんて、いい加減にしてくれと言いたくなる。後に残された家族はどうすればいいのか。どうしても、そういう方に考えが行く。
けれど、ここで大地はそれを問わない。息子としてそういう父親を受け入れる。受け入れざるを得ない、どうしようも無い繋がりがあることに気付いたのか。「責めていいのは俺だけだ。憎んでいいのは俺だけだ!」と大地が叫ぶ時、どんなに嫌っても断ち切ることの出来ない奥底の情のようなものが湧き上がってくる。大地は佐々木を本当に許した訳ではないだろう。これからも2人は分かり合えずにいるのかもしれない。それでも、大地は佐々木を完全には見捨てられないはずだ。
最初は、死の時が見えてしまっている佐々木よりも、北条雷太の方が寂しい存在なのではと思った。死者はその時点で、残った人たちの記憶の中に固定され生き続けることができる。死という強烈な体験によって、その人の存在は消えることが無くなる。でも、生きて去っていく者は、記憶の中では薄らいでいくことが多い。時には忘れられてしまうこともある。しかも、年を取らないために同じところに長く居るわけにはいかない、それはつまり、家族を持てないということだ。最後に帰っていくことの出来る安息の場を、雷太は持てない。雷太はそういう己の運命を背負って生き続けなければならないのだ、と。
が、何度か観ているうちに、それは少し違うように思えてきた。雷太は確かに一緒に居ることはできない。けれど「ずっと生きている」ことはできる。自分が誰かを支えることはできる。それは、家族を持つことと同じではないけれど、待っていてくれる人が居るということだ。自分の存在が意味あるものになる。それこそが雷太が不老不死である意味であり、彼が自分を見失わずにいられる理由でもある。
北条雷太がナオの元を去ったのは、いつまで経っても年を取らないとか、長くひとところには居ればそんな自分のことが知れ渡ってしまうということも理由のひとつかもしれないが、もしも北条雷太が不老不死でなくても、もしかしたら彼はナオのそばを離れたんじゃないかと思う。雷太の人の愛し方というのは、そういうものなんじゃないかと、何の根拠も無いけれど、何だかそんな気がしてくる。
余計なことだけれど、この先ナオが死んでしまっても、雷太はナオとヒカリを、ヒカリの子どもたちを見守り続けるのだろうか。どうか新しいナオに出逢ったりせず、ナオへの想いを貫いてほしいものだが。
近づいてきたかと思うとまた離れていく彗星のように、北条雷太は自分が見守る人たちの周りを経巡りながら、「いつもひとり」。交わることはあっても、共に同じ時を過ごすことはできない。いや、雷太だけでなく、誰しもひとり。でも「孤」になるわけではない。少しでも肩を寄せ、お互いをわかろうとし、誰かの役に立つことができる。大事な人がいつも元気で幸せな気持ちでいられるように見守ることができる。それもまた、生きていてよかったと思えることの一つなんじゃないだろうか。

北条雷太は、この人以外には考えられない西川さん。西川さん自身が雷太だとは思わないけれど、雷太を演じられるのはやはり西川さんだと思う。この先、ほかの誰かが雷太の役をやるとしたら、全く違う話を作らないとだめなんじゃないかと思うくらい。
雷太の細かい揺れ動きを、自然ににじませるところはさすが。常に見守る者としての視線。ヒカリはもちろん、佐々木や大地へも思うところは有っても、長い年月の間に身についた「表に出ない」ところでずっと見ている。全部見ていて、全部知っているけれど、その当事者にはなれない自分も、また見ているのでは。雷太の目にはそんな孤独な光がいつもあるように思う。
雷太の最後のセリフ、かっこ良すぎだ。あんなことを言ってみたいものだし、言われてもみたい。ナオの気持ちになって聞いていると、たまらなくなってくる。

ヒカリの出具合が絶妙。話の真ん中に居るのだけれど、事の進行を見守る役。しかも北条雷太にとっては中心の存在。小川さんのセンスの良さが光る。変な力みも無く、等身大に見える。『太陽まであと一歩』の春菜と同じ人とは思えないほど。ギャグもばっちり決まって、可愛らしさも満点。
子どもの頃に両親の離婚を経験していたりどこか寂しげでもあるが、自分でも気付かないうちに毎年北条雷太が届けてくれるチョコレートケーキに支えられている。大地と佐々木親子を気遣い、恭子の気持ちに涙する。最後に雷太の置いていったケーキを本当に嬉しいと思う。その泣き笑いのようなヒカリの笑顔は、これぞ小川さんの最大の魅力だと言ってもいいのでは。
ラストシーンでいつも泣いていたエリー。カーテンコールで、ヒカリからエリーに戻っても、そのままべそをかきつづけていたエリー。今回ほどこの人がかわいいと思ったことは無かったかも、と思う。

ナオも、今のところ坂口さん意外には考えられない。ナイスでかわいくて突っ込まれるのが大好きなおばあちゃんなんて、この人ならでは。回想シーンで、振り返る瞬間に若い頃に戻るところなぞ、分っているのに毎回「お見事!」と思う。
テンションがずっと高いようでいて、抑えどころははずさない。ここぞの一言がはっきりと耳に響いてくる。大事なセリフを印象的に言える人だ。しずえの投げた球をしっかり受けて、投げ返してやる。2人だけのシーンが長くても気にならない。迫ったり引いたり、絶妙なタイミング。最初観た時は、こんなおばあちゃん現実には居ないと思ったけれど、観ていくうちにナオはこうでなけりゃいけないんだな、と納得してしまった。
(余談だが千秋楽の日、私は坂口さんからキャラメルを貰った。握手もしてもらった。大きくてあったかかった。まるで本当のおばあちゃんの手みたい。まさか役柄で手までも変えられないだろうけれど。)

しずえ。岡内さんは語りがうまくなった。ナレーションの部分の迫力は、坂口さんに引けを取らない。ただその分会話のところがちょっと大げさに見えてしまうような。ナオおばあちゃんとの年齢の差ということではきゃんきゃんした感じでいいのかもしれないが、時にうるさく感じることもある。力みすぎなんじゃないかとも思える。特に最初のシーンは、ダンスの余韻にはちょっと合わなかったかも。
でも、後半ナオと一緒に雷太に逢いにやってくるあたりからは、ヒカリやナオを見守る視線が優しい。そういうところがもっと見えてくると、この人の味が出てくるんじゃないか。硬さと情感のバランスが上手くなれば、すごくいい感じになると思うのだけれど。

いい感じの鳥居教頭、岡田さつきさん。経験も豊富で洞察力があって冷静で情にも篤い。上司としては理想的? 佐々木と大地の確執も全部承知の上で、舞台を用意する。何があっても最後は自分が引き受けるという覚悟が出来ているからこその決断力。頼もしい。ひとつ外側から皆を見守っている大きさ。キャラが最初から最後まで実にしっかりとしていて、全くぶれない。ももこさんの力をまた存分に観せていただいた。
語り部となった丹羽先生。当事者にはならずに事態を目撃するという役柄。こういう役どころは細見さんには珍しい。全くのギャグ・キャラでもないし。柳生クンとの絡みはもう抱腹絶倒。名コンビ、またどこかでお目にかかりたい。でも、どうして丹羽先生は雷太たちのことを調べようと思ったのだろう。

佐々木役の岡田達也さん。父親役は今までにもあったけれど、こういう風な父親というのは、初めてじゃないか。親としては失格。それなのに、いざとなると家族に頼ってくる。自分勝手で弱いやつ。偉そうなことを言っていても、自分の死に場所も決められない。でも、それは誰にも当てはまることかもしれないとも思う。カッコつけている裏側の佐々木の寂しさや哀しさが伝わってくる。
大地との試合の場面で、面をつけたままの芝居が続く。顔は見えない。が、体が語る。倒れてから、大地のセリフを聞いているところなどの肩や背中が雄弁。いい味になってきているのか。
ただ、全体としては、父親という感じはあまりしないかも。そういう役柄だから余計にそうなのかもしれないが。どうも家族持ちに見えない。
息子大地は畑中智行さん。いい役だ。前半はずっと、むっつりと父への不満、嫌悪を抱えこんで、いらいらじりじりし続ける。こういう抑圧された役どころは初めてかな。とても新鮮で、高校生らしい若さ、がむしゃらさがあったと思う。父親との試合の場面、雷太に向かってそれまで抑え込んでいた父への気持ちをぶちまける時の気持ちの爆発が見事。一気に噴出するという感じがいい。大地の泣き。いい場面だ。
強いて言えば、回を追う毎にもっともっと複雑に深くなっていってくれたら、と思った。佐々木や恭子が微妙に変わっていくのに、大地は最初の形を守り続けていたような。もっと色々揺れてもよかったのではないか。これを機に、もっと色々な役が廻ってくるといいな。
恭子はダブル・キャスト。恭子の我慢とか佐々木への愛情とかの細やかさをより表していたのは、温井さんだと思う。大木さんの恭子も、けなげに頑張って息子を育ててきた母親という感じはよく出ていたけれど、離れてしまった家族の心を思う寂しさは、まーやの方がじーんと伝わってくる。温井さんのキャラクターも加担しているかもしれないけれど。辛いことを乗り越えてきた、という感じが「温井」恭子からはしてくる。大地や丹羽先生と絡むシーンでは、「大木」恭子の方が、いかにも男の子の母親という元気いい感じでよかったけれど。

大地を追いかける下級生菫役の實川さん。思い込みでズレちゃってる感じが面白かった。自分ひとりで舞い上がって勝手に暴走している。菫の面白さがよく出ている。こんな子、そういえば居たっけかなぁ。
今回ダブル・キャストだった藤岡さんは、体調不良で降板されて、私が観た時は既に實川さんが両キャストに出ていた。正直、とっても残念。きっと實川さんとは全く違う菫を見られたはずなのに。藤岡さんのフィルターを通した菫がどんな女の子なのか、興味がある。
今回「飛び道具」と称されたダッチこと篠田剛さんの柳生先輩。ダッチの数々の伝説(?)の中でも、異色のキャラなのでは。ある意味反則技とも言える。剣道部の稽古シーンでの丹羽先生との絡みで場内を爆笑の渦に落としておいて、その後の試合のシーンでは、冷静に勝負を見極める審判を務める。
そして、パンフには載っていない、篠田さんのもうひとつの役、ナオの夫徳造。これがまた渋くてかっこいい。寡黙でシャイな海の男。『ナツヤスミ語辞典』でちょっと見えた大人の男の匂いが、この徳造にはしている。

ダブル・キャストの陣八と騎一郎。
redは陣八:三浦さん、騎一郎:石原さん。
三浦さんが面白い。今までよりも自由に動けているような感じがした。この4人の中では、(一番先輩だから当たり前だけれど)やはりひとつ抜けて光っている。楽しそうだし。指2本で腕立て伏せをしているのにはオドロキ。
石原さんは、素直にそのまま演じているという感じ。この人のいいところがそのまま出ている。若手の男性が増えてきているので、なかなか大変だとは思うけれど、一生懸命で汗をかき通しみたいながむしゃらなキャラクター役が似合いそう。オカモトとか。
greenは陣八:左東さん、騎一郎:筒井さん。
左東さんの初舞台。でも、堂々としている。三浦さんと比べられるのは仕方が無いとしても、全く違うキャラで健闘。地味だと言われているけれど、そうかなぁ。存在感あると思うんだけど。結構「太い」役も出来そうな気がする。
筒井さんは、今回は大人しめ。真面目なキャラだし、遊べるところも少ないし。ちょっと「普通」。
この4人が面白いのは、やはり西川さんと絡むから。西川さんが、それぞれの味を引き出して、色づけしている。雷太、陣八、騎一郎という絆の強い3人組をダブル・キャストにするというのは、なかなか面白いなと思った。

最後に
ストーリーとしては、北条雷太とナオの物語、ということになるのかもしれないが、私には何だかこれは「男の在りよう」を描いたもののように見える。感想がそっちに傾きがちなのもそのせい。北条雷太、佐々木、徳造。それぞれに違う生き方をし、それぞれに家族と違う関わり方をする。そのどれがいいとか悪いとかそういうものではなく、そのどれもが男の孤独と寂しさとそれから誇りを持っているのではないか。タイトル、「男はいつも一人」に見えてくるのは気のせいか。
そして、あの雷太や佐々木の気持ちが本当に分るには、ある程度の人生経験が必要になってくるのではないかと、勝手に心配してしまった。特に「親」としての経験が有ると無しでは、受け止め方が大きく違ってくるような気がするのだ。いや、モチロン子どもとして感じればいいのだけれど。
『レインディア・エクスプレス』が成井さんの元教師としての問題意識を反映しているとすれば、『彗星〜』は父親としての成井さんの気持ちを代弁しているのではないか。男の描き方を見ていると、どうもそう思えてくる。キャラメルの作品を観ていると、成井さんの関心の変化が分る、と言ったら言いすぎか。
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