かおるさん熱帯雨林を行く2010
シンガポール旧政庁
いつもいけなかった2月3月の海外旅行新聞広告は、この季節は格安ツアーでいっぱいである。なぜならば、まじめに働いている人は、この時期はとても忙しいのである。この時期に暇なのは、卒業を控えた学生か失業者、だから海外旅行などにはだれもいかないのである。
けれども今年の私は違った。卒業を控えた学生と休業中身分である私は、この格安旅行に参加することができたのである。
なにはともあれ、2月3日に関西空港からシンガポールに向けて飛び立った。シンガポールでは4月からカジノが解禁になるので、シンガポール航空の新しい機種A300が就航することになった。シンガポール航空の機内でのサービスは、世界でもトップクラスのものである。機内でのアルコールは飲み放題なのだ。早速赤ワイン2杯と白ワイン1杯それとシンガポールのビールであるタイガービールを注文した。どれだけ飲んでも無料である。
それと客室乗務員の方がとてもどの方もモデルさんのようにきれいでやさしい対応なのである。私は以前から飛行機がとても嫌いなのであるが、アルコールが入って少し酔っ払っているせいもあって、少々飛行機が気流の関係でガタガタ揺れたぐらいでは、「怖い」といえないような客室乗務員の対応なのである。とても満足させてもらえたのである。
A300は、まだ就航前であった。私の乗った機種は、旧タイプのボーイング777であった。それでも各座席には、モニターのテレビがついている。50あまりの映画をセレクトして個人的に見ることができる。また電話やテレビゲームもついている。エコノミークラスとしては、最上級のサービスであると思う。「20世紀少年」「It is it」を見ているうちにシンガポール、空港に着いた。
空港の1歩外に出るととても暑かった。気温は32度を示している。これでも涼しいらしい。飛行機が着陸する前に、スコールがあったようで路面は少し濡れていた。
ここは、いつでも真夏の熱帯の気候なのである。
このツアー自体は、格安ツアーなのであるが、ホテルだけは格安であれば、とんでもないお化けが出るようなホテルに案内される可能性があるので、ホテルは5つ星のリッツカールトンホテルを少しのお金でグレードアップした。このホテルはさすがに5つ星ホテルなのでとてもゴージャスなホテルであった。生まれて初めてセレブ的な体験をすることができた。初めてプールサイドで飲み物を飲みながら日なたぼっこをさせてもらった。チェックアウトした後もプールで泳ぐことができたのである。部屋の方もとても大きくきれいで大理石のバスルームも広く窓の外の景色も抜群であった。ウエルカムtoドリンクもピアノ付きのホテルのバーで、くつろぐことができた。朝食は、バイキングスタイルでなんでも好きなだけ、トレイに取って食べることができたが、まるでディナーのような肉や飲茶料理、チーズは12種類ぐらい用意されてあった。とてもボリュームのある豪華な朝食であった。
体重が増えるのは、致し方ない。ホテルの部屋から出て、また元の部屋に戻ると、必ず散らかっていた部屋は、整然と掃除されていて、チョコレートやシンガポールのお菓子がテーブルの上にはそなえてあった。これが5つ星のサービスかと非常に感心させられた。
シンガポールは、赤道直下に近いマレー半島の先端にある島国である。大きさはほぼ淡路島に匹敵する。とても小さな国なのであるが、人々の意識は高く、香港とともに中継ぎ貿易の拠点として発展した貿易港である。
14世紀末にはサンスクリット語で「ライオンの町」を意味するシンガプラという名称が定着し、現在のシンガポールの由来となっている。何故名称の変更が発生したかについては諸説あり、マジャパヒト王国の属国地の通称である説、「シンガ」は寄港を意味し、単に寄港地という一般名称であったとする説、シュリーヴィジャヤ王国の王子が動物をライオンと見間違えてつけたとする説などがあるが、シンガポールではスマトラより来訪したサン・ニラ・ウタマによって建設され、この名がつけられたとする説を通説としている。
観光スポットにマーライオンが、有名であるが、マーライオンのいわれは、11世紀にマレーシアの王族が対岸に見える大地を目指して航海の旅に出た際、途中で海が激しく荒れ、王族が被っている王冠を海に投げたところ、海は静まり無事にその大地にたどり着くことができた。その時、ライオンが現れて、王族にその大地を治める事を許して立ち去った。マーライオンの頭部はこのときのライオンを表している。
シンガポールの象徴であるマーライオンは、父、母、子どもの3匹のマーライオンがいることをご存じであろうか。頭がライオンで下半身は魚の形をしている。とてもユニークなキャラクターである。母と子供のマーライオンは、口から、噴水のように水を出している。
これはシンガポールの国民が無類の風水好きであるということである。国中にいろいろな風水の仕掛けてが至るところでしてある。まるで日本の平安京のようである。古いとはいえ、いろいろを全体として都市を見て建設することができた時代が日本にもあったということである。
イギリスによる植民地支配
トーマス・ラッフルズ1819年1月、人口わずか150人のこの島に、イギリス東インド会社で書記官を務めていたイギリス人トーマス・ラッフルズが上陸を果たす。ラッフルズはシンガプラの地理的重要性に着目し、1819年2月6日、当時島を支配していたジョホール王国より商館建設の許可を取り付けた。名称を英語風のシンガポールと改め、都市化計画を推し進めた。1824年には植民地としてジョホール王国から正式に割譲がなされるとともに、オランダもイギリスによる植民地支配を認めることとなった。
無関税の自由港政策を推し進めたこともあり、5年の間にシンガポールの人口は1万人を突破し、急速に発展していった。既に所持していた港町ペナンと、1824年に新たに獲得したマラッカとともに1826年にシンガポールは海峡植民地に組み入れられ、1832年にその首都と定められた。
イギリスによる植民地となった後は、同じくイギリスの植民地であるインドやオーストラリア、中国大陸などとの間でのアヘンや茶などの東西交易、三角貿易の中継地点としての役割にとどまらず、背後に存在する同じくヨーロッパ諸国の植民地下にあったマレー半島のマラヤ連邦州などで産出された天然ゴムやすずの積み出し港としても発展する。この時期に、すず鉱山、天然ゴムなどのプランテーションにおける労働力、港湾荷役労働者、貿易商、行政官吏として、中国(主に福建省や広東省、潮州、海南島などの中国南部)、インド(主に南インドのタミル語圏)、現在のインドネシアなどから多くの移民がマレー半島、シンガポールへ渡来し、現在の多民族国家の起源となった。
シンガポールを含むマレー半島では、イギリスの植民地支配下におかれたが、その後、第二次世界大戦になって日本軍による統治下に置かれる。しばらく日本軍が統治していたが、第二次世界大戦が終わるとマレーシアから分離独立して貿易の拠点としての今のシンガポールになっていったとされている。
世界一と大きさと呼ばれる高さが165メートルの観覧車がシンガポールにはある。1つの観覧車に30人くらい乗ることができる。私は、日本の遊園地にある狭い観覧車であれば、高いところが嫌いであるので、「ぎゃー、とかワー」とか叫んでしまうのであるが、30人も乗れて空調が効いており、遊園地の観覧車のようにガタガタ揺れないので、穏やかな日本人である私は騒ぐことをやめにして30分間165メートルのシンガポールの風景を静かに震えながら鑑賞した。
高層ビルが林立している。これは香港で見た風景と同じである。ただし、建設中のビルも多く見られる。マーライオンの正面にある建設中のビルは、4月にオープンになる予定のカジノである。カジノといえばラスベガスやマカオの専売特許みたいなものであったが、観光産業に力を入れているシンガポールは、あちこちでカジノ建造物以外でも建設ラッシュである。だから失業者もほとんどいない。リーマンショック以来の世界不況で日本をはじめ、世界は失業者であふれているが、このシンガポールは活気があり不景気ではない。
もうひとつシンガポールは、世界で1番最初IT化に取り組んだ。シンガポールの国民は、公団住宅や高層マンションに住み、そのそれぞれの家庭にインターネットの光ファイバーの回線が引かれている。世界でもっともインターネットの普及率の高いのである。赤道直下の位置にある国としては最も物質的な文明が発達している国ということができる。

今シンガポールで観光の目玉になっているのは、ナイトサファリである。ナイトサファリ、は夜の動物園であるが、動物と人間との間に檻をつかわない工夫がしてある。すべての照明が消され、その中を豆電球ほどの明かりでトロッコ車は、本物のジャングルの中を進んでいく、熱帯雨林気候であるシンガポールは、人間が特に手を加えなければ、すべての土地はジャングルになってしまう。シンガポール中心街の町中を少しはずれるとそこは熱帯雨林のジャングルが広がっている。少し郊外のところに、ナイトサファリはある。夜のジャングルで、虫たちは静かに泣いている。何か得体もしれないようなものが出てきそうな気がする。その中をトロッコ車は進んでいくが、まるで映画で見たジュラシック・パークのような雰囲気である。そして檻のないところでライオンやトラを見ることができるのである。そして夜行性の動物が自然の形で身近で見ることができるのである。虎やライオンが吹き抜けの観覧車まで寄ってこないように大きな溝が掘ってある。猛獣たちは、闇の中で不気味にうごめいているのである。猛獣以外の動物たちは、ほぼ吹き抜け観覧車のそばまで寄ってくる。中でも私は、生まれて初めて見た動物がいた。夢を食べる動物であるというバクである。感動したのは、このバクが手でさわれるような距離で、薄闇の中で目の前にいることである。巨大イノシシのような形であるが、鼻は少し長く白と黒のツートンカラーである。目が大きく、ギョロと睨まれると心を見透かされて本当に、悪夢も食べてくれそうな気がする面構えである。なんとも不思議な動物である。このナイトサファリでは、世界で、絶滅にひんしている動物たちが何十種類もいて、この自然の熱帯林の中で天敵もなく育てられて逆に、繁殖しているという。ナイトサファリは動物たちにとって、本当に居心地が良い動物園である。
隣接するレストランでは、原住民たちの火吹きショーが、観光客の笑いを誘っていた。
なかなか見ごたえのある自然な動物園である。

次の日にシンガポールから国境を越えてマレーシアに入った。シンガポール市内から車まで1時間ぐらいの所にマレーシアとの国境があった。マレーシアは、マレー半島の南北に長い王国である。1番先に案内されたところが、マレーシア国王が住んでいるという宮殿である。この宮殿は、青い瓦が葺いてあり日本の愛知県から輸入されたという瓦である。ガイドのリンさんによると「あなたたちはラッキーだ。昨日までこの宮殿の中に入れなかったんだ。なぜなら、王様が10日前に亡くなった。ずっと、王様の喪に服して宮殿は閉鎖してたんだ。昨日からやっと入れるようになったんだ。」と説明があった。マレーシアは、王国であるが、8つの王家がありそのうちの1つも王家が、先代の王様の後を継いだそうである。先代の王様の家具や調度品が片付けられているところに私は見学に宮殿の中に入った。
見てびっくりしたことがあった。宮殿の至るところで、宝物のような焼き物が飾られていた。その焼き物は伊万里焼き、有田焼の巨大な焼き物であった。七宝焼きもあった。つまり日本製の宝物が宮殿の至るところにあったのである。日本ではこのような立派な焼き物は見たことがない。このようなところで、優れた日本文化に出あえるとは思ってもみなかった。なぜ?マレーシアの宮殿に日本の宝物があるのかリンさんに聞いてみると、マレーシアの王室と日本の皇室は深い交流とつながりがある。日本はマレーシアを開発するためにいろいろな援助を行っていたという。その関係で特に先ほど亡くなった王様は、日本の大阪が好きで日本語を話すことができるという。しかも日本語は大阪弁でしゃべるというほど日本の特に大阪については精通していたらしい。
大阪人の私としては、ぜひ存命中にお話ししたかったなと思った。
また先々代の王様は、ハンティングが大好きで、マレー半島に多数いたとされるゾウやトラのはく製が、宮殿の1つの部屋に多数展示してあった。明治時代のころであろうかまだまだ、マレー半島には多くの動物たちがジャングルの中に生息していた時代である。
歴代の王様たちは、主権は国家にあり日本の天皇と同じように象徴をにあたる存在である。
したがって、国の統治権は持たない。王様たちは国境であるイスラム教を信仰し、国事行為を行っている。

王様の宮殿をあとにして、マレーシアの民族村に入った。そこで見たものは、天然ゴムの木とカカオの木とコーヒーの木であった。ゴムの木にナイフで傷をつけるとそこから、白い樹液が出てその樹液を集めるとそれが天然ゴムになる。実際に触ってみると白い樹液が乾いた後、その固形物はゴムになったのである。今更ながら感心をした。
このような植物の資源以外にもマレーシアではすずが多くとれる。やはりマレーシアは、資源国である。この大量に国内にある資源を活用する技術を伝えたのが日本だったようである。いま日本はリーマンショック以来の不景気で困っているというとガイドのリンさんは、「お互いさまだから、助け合っていきたいですね。」と答えてくれた。マレーシアはとても日本に対して友好的な国である。近年日本人はエコノミックアニマルと言われ続けてきた。あくどい商売もしたこともあったのであろう。しかし、古き良き時代に発展途上国に対して親切に援助していたことを、援助を受けたそれぞれの国は、覚えてくれているのである。やはり世界は、お互いに助け合わなければならない時代にきていると感じたのである。
国と国との付き合いというものは、自分たちの文化だけを主張や押しつけていくのではなく、人間と人間とのふれあいであると思う。少し昔の日本人たちはそのことを、東南アジアなどでやってきたんだなあと思った。
この後、まだマレーシアの税関をくぐってシンガポールに再入国した。マレーシアに比べてシンガポールは物価が倍ほど高い。シンガポールの人々は週末になると、物価の安いマレーシアに多く入国するようである。シンガポールに戻ってみると旧正月を控えて、あちこちで旧正月の飾り付けがしてあった。シンガポールは世界でもっともIT産業が進んだ国であるが、古式ゆかしい行事は、2日間完全に休日になって家族親せきと友人たちと旧正月を祝うのである。日本はお正月さえも元日からコンビニエンスストアやスーパーマーケットが開いており、家族親せきに団らんがなくなりつつある。最近では門松や注連縄の飾りもあまり見られなくなった。やはりそれぞれ、その国の古くから続いてきた文化を大切にしなければならないということをシンガポールとマレーシアの外国に来て強く思った。そしてそのことを日本人として伝えていかなければならない責任を感じたのである。
おわり