高天彦神社 奈良県御所市 皆さんこの神社のパワーを感じれるだろうか 「かおるさんの怖い話」の中で、書いていたことだが幽霊は、どうもいるらしい。 しかし、現実の科学的な根拠でそれを証明する手段が今のところのない。だが、それを見ることのできる人は現実にいるのである。 世の中には、確実に存在するということであるのだけれども、どうしても説明のできないようなこと、また科学的に証明できないことが多くある。このあと発達した未来文明の中で、未だによくわからないことが証明されることがあると思う。その作業はかなり時間がかかる作業に違いない。 そんなのを待っていたら命がいくつあってもたらない。わたしは大学で工学部人間であって、真理を追究するのは、もっぱら理学部の専門分野あって、不得意であるけれども、実験の結果、理屈はわからないが、なぜだかこのようになるということの扱いは、工学部の専門で得意であった。その理由のわからない現象を少しでも世のため人のために使えたらと良いと思う。利用できるものであったら、幽霊であっても、妖怪であってもいいと思う。あとで、すべての人に分かるような説明になるかどうか分からないが、理由をあとでつけたらいいことである。とりあえずりようできる部分だけを使わせていただくのである。とりあえず人々が幸せになれたらいいと思う。 私は今まで、「かおるさんシリーズ」歴史、グルメ、旅行記など、とるにいたらないことことを徒然なるままに書いてきたが、次は「かおるさんの超能力に挑戦」を書きたいなと考えている。 超能力というと昔テレビに出てきたが、ユリ=ゲラーとかすごい能力のような気がするが、実はただの能力と考えていいものだと思える。その能力は、だれにでもある能力だということなのかもしれない。それは第六感というものも超能力に当てはまるかもしれない。次の航海で沈没する運命にある船からはネズミが逃げ出していくという現象がある。ネズミには予知能力があってそのような行動を起こさせるのかもしれない。 以前に読んだことのある「七田式右脳開発」という本によると、脳の92〜95%以上は使われていないというような理論がある。特に右脳というものは、ほとんど使われていない状態である。戦前にアインシュタインという優秀な、物理学者がいたが、その人でさえも12%ほどしか脳の機能使っていない。人間の左脳は物欲食欲、金欲など人間が現世におけるすべての行動や欲求を支配している。現代人のほとんどが、左脳だけで考え、即物的な行動をしてしているということなのかもしれない。 これでは人間社会が荒廃してしまうだけである。これは、機械や科学文明が発達し、右脳をつかわずに生活できるようになったからであろう。人間の能力の中で忘れてしまった感覚が、右脳の機能ではないだろうか。さらに、人を思いやり、自然を畏れ、正しい人間のあるべき姿が、右脳の中にあるのではないだろうか。めったに現れない天才と呼ばれる人々は、おおむね無意識のうちに、右脳を多く使っていると言われている。7人の人の話を同時に聞けた聖徳太子、情報が入ってこない時代に中国語、サンクリット語をマスターし、すべての分野に天才的な頭脳を持つ空海、道鏡ほとんど、仏教系の関係者であるが、仏教には右脳の回路開く何かがあるのだろうか。 では他に右脳にはどのような機能があるのだろうか。七田さんによると、右脳には宇宙空間があり、神も仏も存在する。と主張している。催眠のプログラムにより、そのへんのわからないことが、しだいに明らかにされていく。左脳には、自我があり、右脳には真我が、あるという。真我というのは宇宙である。 人間は、本当に死ぬ間際か、臨死状態になると右脳にあるプログラムが開き、自分の過去が走馬灯のように巡り、やがて「長いトンネルをくぐり、きれいなお花畑が出現する」「三途の川」などが現れる現象は、いかなる人種や宗教においても同じような現象が現れるのである。少しだけ科学的説明風にいうと、人間には、左脳と右脳の二つのコンピューターがあり、左脳のハードディスクやCPUは、容量が小さく、右脳のハードディスクは、右脳に比べて大容量である。普段は左脳しか使えない人間が、どのようにして右脳を使うのかというと、右脳は、イメージの世界であり、日常この回路は開かないスイッチはきったままにしてある。。使用不能になっているらしい。どうも、からだから脳にいたるところの神経系統が、左脳や右脳に対し、情報を送っている。その神経系統はどの部分にあたるのであろうか。それは、松果体という間脳の中にあるトウモロコシ粒ほどの小さな器官が、さまざまな脳内ホルモンをコントロールしているようだ。右脳は目で見た物を情報として受け取らず、左脳で処理しようとする。右脳は、宇宙に張り巡らされたアンテナでもある。そしてアンテナでとらえた科学では証明できないなにがしかのエネルギーを、イメージ化し、映像化する。このことは、人間のほとんどの人ができないようである。だから、10000人に1人できる人がいたとしても「自分本位で非現実的なことを信じている馬鹿もいるものね」と一笑に付されてしまうのである。 私は、考えた。なぜだろう? 何のために右脳が存在するのかを、もっと活用できる方法が、あるはずではないかと、、、、、。 七田眞さんもこんなことを書いていた。「単なるひらめきで終わらせないための脳の連係プレー」これまでの教育は、右脳に目を向けることがなかった。これまでの教育は言語による左脳への働きかけがほとんどでした、イメージによる右脳への働きかけを主とする右脳教育はほとんど知られることがなかった。そしてこのようにも言っている。心が優しく、自己本位でなく他の人を思いやる心を育てているっていうこと。そのことがなければ、右脳への回路である松果体は、働かないということである。人間が長らく忘れていたようなものがここにあるような気がする。右脳こそが完成、創造性、ひらめきの脳であるということつまりは、社会正義に基づく人間のあるべき姿がそこにある。 歴史の中でそういえば自然と共に生きてお互いを思いやれるある時代の人間がいた。 縄文人である。 弥生人は農耕をして米や麦などの、蓄えをすることができるようになった。その結果は貧富の差ができるようになった。その結果貨幣というものが生まれる。そのお金というものやその後出現する自然の形態を変える道具機械文明が、右脳の働きを退化させたのではないかとわたしは思う。 縄文時代に縄文人は、狩りや採集を行い生活をしていた。冷蔵庫もない時代であるから蓄えのできないのである。人々は思いやり、信じ合い互いに協力する以外に、生きていく手段はなかった。自然の中に生かされているということが、唯一縄文人のアイデンティティーであった。 縄文人といえば、私は、アメリカのインディアンやアイヌ人を思い浮かべる。最近DNA鑑定をすると縄文人のDNAはアイヌ人のそれにぴったりあうそうである。そして縄文時代、近畿地方の鈴鹿山系までかつてアイヌ人は住んでいた。 このことは、一万年以上前の土器からも鑑定されわかっている。 北海道で明治時代まで、アイヌの人々は自然を崇拝し、感謝をし人間を信じあい、生きてきた。 森や土地はみんなのもの。しかし、今は北海道の山奥や観光村のわずかしか住めなくなってしまった。それは、機械文明や土地たいする執着を持った弥生人(原日本人農耕民族)が、日本列島を支配し、アイヌの人々の住んでいた日本列島を変えてしまったからにほかならない。 弥生人たちはアイヌ人をだますつもりはなかったかもしれないが、あまりにも土地やお金に執着のないアイヌ縄文人は、結局だまされてしまった。 (この表現は適切でないかもしれない) ばアイヌ人たちはあまりに人を信じ過ぎた。アイヌ人たちの世界は、コルボックルなどの妖精や、多くの自然に対する神が存在する多神教である。この民族は文字を持たなかったために、民族の文化が失われようとしている。 先人たちの心を自分達(現代)の立場や状況に置き換えて考えていくことが必要な時代だと思う。物欲や自分本位の考えかた左脳だけの働きによってのみ行動して生きる現代人にとって、いま思い起こしてほしいことは、アイヌ縄文人たちの心のあり方である。心のあり方が、1番右脳の開発にとって大切なことだと思う。人間が、お互いを信じ合い、助け合って生きていくということがあたりまえのようにできるユートピアみたいな時代がくるとおもう。今はお金や機械文明が大切にされている時代である。現代人の心や目は、曇っているに違いない。 人間の幸せとは、いったいどこにあるのか、お金や豊かな物質文明は確かに結構なことだが、果たして巨万の富を生み出したとしても人間は幸せなんだろうか。 お互いを思いやれる心を育てていくこと今本当に考えていかなければ、人類にとって明るい未来はない。 物質的には何もなかったが、みんなが平等であった縄文時代少しの戦争があったかもしれないが、人間として暮らしていくには住みやすい時代であったかもしれない。 私は、ある超能力の会に参加していろいろな能力というか術を身につけた。一瞬でお酒の味を変える術。テレホンカードにある種のエネルギーを封印する術。肩こりを治す術、リラックスさせる術、エネルギーを感じる術など、どれをとっても一般の人から見れば、世の中を根本的から変えようとするようなことではなく、インチキ臭く思われ、とるに足らないことかもしれない。気功などとよく似ているが、ちょっと違う。お守りの御札も作れるのである。これは気持ちの持ち方でいろんなことができることが分かった。少しだけみんなのことを考えるのである。自然とこの能力は備わってくるのである。何かに使えないだろうか。 そして歴史を掘り返して、その時代の人々の気持ちに触れることはできないだろうか。 人間にとっての幸せを捜して行きたい。 また神や仏の祈りが、幸せをもたらすエネルギーを少しずつ探っていきたい。 ではまた2部において明らかにしていきたい。 第一部終了