雪絵ちゃんの願い



CDを作りました。


別冊「たんぽぽ」VOl.1〜雪絵ちゃんの願い〜
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 ひらひら降る雪に、絵画の絵と書いて雪絵。雪絵ちゃんは、雪の降ったあとの美しい絵のような日の12月28日に生まれました。私が雪絵ちゃんと出会ったのは、慢性の病気を持っておられて、地域の学校に通うのが難しいお子さんが通われる病弱養護学校と言われる養護学校でした。雪絵ちゃんは多発性硬化症、別名MSと言われる病気を持っていました。熱が出ると目が見えなくなったり、手足が動かなくなるという病気で、2ヶ月くらいリハビリをすると、また見えるようになったり、動くようになるのですが、発熱する前の状態になることが難しく、再発するたびに、だんだん見えなくなったり、まただんだん動かなくなったりするという病気です。ときには見えないままだったり、動かないままということもあるので、雪絵ちゃんはどんなに不安だろうと、私も雪絵ちゃんが再発するたびに心配でたまらなくなるのです。でも雪絵ちゃんはいつも自分の力で立ち上がるのです。
「私ね、MSでよかった。もし、MSじゃなくて、障害をもたなかったら、今気がつけた大切なことに気がついていないよ。そんな自分より、気がついている今の自分の方が好きだから。それにね、もしMSでなかったら、今、まわりにいる人に出会えなかったよ。かっこちゃんにも会えなかった。もし、MSでなかったら、他の素敵な人に出会えたかもしれないけれど、私は今、まわりにいる人がいい。かっこちゃんがいい。だからそれでよかった。せっかくのこの自分で生まれたのだもの、目が見えなくなっても手や足が動かなくなっても、息ができなくなって人工呼吸器をつけなくちゃならなくなっても、MSの雪絵を好きでいるよ。MSの雪絵を決して後悔しないよ。
雪絵ちゃんのエッセイのひとつを紹介します。

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ありがとう

私決めていることがあるの。この目が物をうつさなくなったら目に、そしてこの足が動かなくなったら、足に「ありがとう」って言おうって決めているの。今までみえにくい目が一生懸命見よう、見ようとしてくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。いっぱいいろんな物素敵な物見せてくれた。夜の道も暗いのにがんばってくれた。足もそう。私のために信じられないほど歩いてくれた。一緒にいっぱいいろんなところへ行った。私を一日でも長く、喜ばせようとして目も足もがんばってくれた。なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき「なんでよー」なんて言ってはあんまりだと思う。今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。だからちゃんと「ありがとう」って言うの。大好きな目、足だからこんなに弱いけど大好きだから「ありがとう。もういいよ。休もうね」って言ってあげるの。多分誰よりもうーんと疲れていると思うので・・・。でもちょっと意地悪な雪絵はまだまだ元気な目と足に「もういいよ」とは絶対に言ってあげないの。だってみたい物、行きたいところいっぱいあるんだもん。今までのは遠い遠い未来のお話でした。

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 雪絵ちゃんと私は、親友という言葉ではいいつくせないほど、仲良しだったと思います。毎日のように、電話をしたり、あったり、メールをしたり・・

 何年か前の8月に雪絵ちゃんの体がほとんど動かなくなったことがありました。指の先一本動かなかった雪絵ちゃんは、私に「かっこちゃん、私なんだか疲れちゃった。ちょっと楽になりたくなったよ」と言いました。私はどうしようと想いました。雪絵ちゃんがどんなにどんなにつらいだろうと想っていたからです。私の様子を見た雪絵ちゃんはこんなふうに言いました。「やだ、かっこちゃん、私が死にたいとでも思ったと思った? そんなはずないじゃない。ただね、体が動かないと疲れるんだよ。あんまりあついから扇風機を回してもらおうと思っても、誰か通りかかるまで待っていないといけないし、体が冷えてきたから止めてほしいと思っても、また誰かが通りかかるまで待っていないといけない。それに動かないけれど、痛むしかゆくなったりするんだよね。だからね、何かかっこちゃん楽しくなる話をしてよ」私はうれしくなって、そのときにテレビの番組の話を雪絵ちゃんにしました。

もう何年も前のこと、NHKの人体Vを見ていて、とても興味深い放送の内容がありました。

 その放送はこんなふうでした。

アフリカでは、鎌状赤血球貧血症という病気を持っている人がたくさん見られて、その病気は、遺伝子によるものだということがわかっているのだそうです。ところで、その遺伝子を持っている人の兄弟を調べると、4人に一人が、貧血症を発症して、呼吸困難や発熱や痛みなどの発作がある障害を持ち、そのうちの二人は、鎌状の赤血球の遺伝子を持っているけれど、障害はなく、そして残りの一人は、その遺伝子を持たないのだそうです。鎌状の赤血球の遺伝子を持つ人がたくさんいる一帯でマラリアが流行ったときに、みんながばたばた倒れて命を落としていったけれど、鎌状の赤血球を持った人たちが、その病気にかからずに、その一帯のひとたちが絶滅することなくすんだというのです。不思議なことに、マラリアが流行る地域で、鎌状赤血球の遺伝子をもつ人が多く見つかっているのだそうなのです。

NHKの放送では、マラリアに強い、鎌状の血液の遺伝子を持った人が存在するときには、鎌状血液で障害を持っている人も必ず存在するということになる、言い換えれば、もし、鎌状血液を持ち、身体に障害を持っている人がいなかったら、他の二人も存在せず、そのあたりの人たちはマラリアによって、絶滅したのではないか、だからその障害を持った人はとても必要な人だったのだというのです。

 それからこんなお話もありました。エイズの男の人何人かと恋人同士だったにもかかわらず、発病しないという男の方が紹介されていました。同じように、エイズにかかるような行動があったとしても、かからない人たちがいて、その人たちは、7百年ほど前に流行ったペストにかかった人の祖先だというのです。

ある病気がたくさん流行したときに、人類が絶滅するということをさけるためには、7百年という年月は必要だったろうということでした。ペストにかかった人たちの子孫が、そんなふうに、今存在しているのは、まるで、誰かが、7百年後にエイズが流行ることをみとおしていたようだと、NHKでは結んでいました。そして、今、現代の人類がたくさんの病気をくぐりぬけて、存在しているのは、過去の人たちの苦しみが生み出したものの上だと放送されていました。それは言い換えればこういうことだと思います。
今私たちが明日に向かってにっこり笑って、歩き続けていけるのは、過去に病気や障害を持って、苦しい思いをされた方がおられるからだ、そして、今、病気や障害を持っておられる方はきっと、未来の私たちの子供たちを救ってくれているのだ・・

テレビの中で、作家で、遺伝子科学の科学者でもある柳澤桂子さんが、こうお話しておられました。

 ある割合で、障害をもつ人たちや病気の人たちが生まれるわけですが、その人たちは、自分の代わりに障害や病気を受けとってくれたのです。ですから、みんなでそうした人たちに、一生懸命尽くさなくてはならないと思います」

 もしかしたら、どんな病気も、それから障害も、“大きな力”が、きっといつかのいい日のために、生み出したものなのかもしれない・・・病気とか障害というものは、宇宙や地球や、人類の困難を助けるために、あるのかなあと思ったりもしたのです。

雪絵ちゃんはこの話を聞いて、とてもうれしいと言いました。そして、このことは自分たちだけでなくて、世界中の人が知っていてほしいなあと言いました。それが8月のことでした。

10月のはじめに、雪絵ちゃんに大きな再発が起こりました。意識の部分での再発で、雪絵ちゃんは危篤になって病院に運ばれました。絶対安静、面会謝絶ということで、私は雪絵ちゃんに会うことができませんでした。ひとつきほとだったときに、雪絵ちゃんのお母さんが、「山元先生、雪絵に会ってもらえますか? けれど、雪絵の脳はCTスキャンでとっても真っ黒でした。もう見えないし、聞こえないし、何もわからないと思います。けれど、雪絵は山元先生が好きでしたから」
 病室で雪絵ちゃんは一人ベッドで横になっていました。入っていって「雪絵ちゃん」と声をかけると驚くことが起こりました。雪絵ちゃんが私の手をぎゅっとにぎってくれたのです。最後にあったとき、雪絵ちゃんは指一本動かすことができない状態でした。それなのに、雪絵ちゃんは今、私の手をこんなにぎゅっとにぎってくれている・・雪絵ちゃんの脳はCTでとると真っ黒かもしれないけれど、きっと雪絵ちゃんは心か魂かどこかで、私が北のをわかってくれているのだと思いました。その次の次に行ったときに雪絵ちゃんは言葉をとりもどしていました。「痛い痛い」と言ったり、「せんせい」と話したりしました。今までのように、私が話したことに対して「よかったね」と言うkとはなかったけれど、雪絵ちゃんは確かにわかってくれているんだと思いました。それから、私は今までと同じように、毎日あったことをお話しました。クリスマスが近かったので、クリスマスの歌を歌ったりしました。
 けれど、12月23日に病院に行ったときに、雪絵ちゃんの様子が変わっていることに気がつきました。また大きな再発が雪絵ちゃんを襲っていたのです。けれど、私は24日にどうしてもソウルに行くことになっていました。雪絵ちゃん、私はどうしても、行かなくてはならないけれど、がんばってね、クリスマスとお誕生日に雪の模様の何かプレゼントを買って帰ってくるからね、そう言って病室をあとにしました。
 24日小松の冬にはめずらしいいいお天気の日でした。けれど、小松空港には、「天候不良のため、飛行機はとびません」という文字が書かれていたのです。おかしいなあと思って、カウンターにおたずねすると「これはソウルから来る便の戻りで、むこうのお天気が悪いから」とのことでした。ところが向こうの方に尋ねたりインターネットで調べると、ソウルのお天気はよく、福岡へも札幌にも痛みにも飛んでいる、小松にだけ飛んでいないというのです。おかしいなあと思ったけれど、それでは次の便が出る26日にソウルに行こうということになりました。
 ところが26日の朝6時頃電話のベルがなりました。それは雪絵ちゃんが亡くなったという知らせの電話でした。私は雪絵ちゃんの命がどんなに危ないと聞いても、いつだって雪絵ちゃんが亡くなるなんていうことはないと思っていたけれど、でも、知らせを聞いたときに、雪絵ちゃんはきっと自分で今日亡くなろうと決めたんだと思いました。雪絵ちゃんは、いつもどんなことも自分で決めていたからです。ステロイドというお薬を飲むか飲まないか、入院するか退院するか、自分で決めるよと話していました。「だって、私の人生だよ。誰が責任を持てる?私以外誰も持てないよ。でも、私が決めたことだったら、がんばれるし誰のことも責めないでいられるから」と雪絵ちゃんはいつも言っていたのです。
 雪絵ちゃんのおうちへ行くとお母さんが待っていてくださって、雪絵ちゃんはまるで眠っているように、そして笑っているみたいに横になっていました。お母さんは、不思議なことに「この子は今日亡くなろうと自分で決めたんだと思います」と話されました。「年が明けたら、この子は病院を変わることが決まっていました。そこは遠い病院で、この子は行きたくないとずっと言っていたのです。この子は家が好きでしたから。きっとお誕生日もお正月も自分の家ですごそうと決めていたのだと思います」私はお母さんに「実は今日、私はいないはずだったのです。飛行機が飛ばなかったので」とお話すると、お母さんは「ああ、あの子は飛行機まで止めてしまったのですね。あの子はきっとここでお別れがしたかったのでしょう」と言われました。「お葬式やお通夜の席じゃなくて、きっとここでお別れがしたかったのでしょう。あの子をソウルに連れて行ってやってください。あの子は、先生とした温泉の旅が楽しくてそのことばかり話していました」だから、私は雪絵ちゃんのお通夜とお葬式には出てはいません。
私は旅の間中、雪絵ちゃんの言葉や笑顔を思っていました。雪絵ちゃんの人生はどんな人生だっただろう。つらい人生だっただろうか、苦しい人生だったろうか、そう心に問うたびに、雪絵ちゃんの「私、せっかくMSに生まれてきたんだよ」という言葉を思い出します。雪絵ちゃんの人生は、雪絵ちゃんだからおくれた人生、「私、せっかく雪絵に生まれてきたんだよ、雪絵が雪絵であることを楽しまなくちゃ」って雪絵ちゃんはきっとそう言うでしょう。でも、それも、負け惜しみじゃなかったのだろうかと思ったりもしました。ところが不思議なことに旅のあいだに、私は荷物の中に雪絵ちゃんからもらったエッセイを見つけたのです。

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誕生日

私、今日生まれたの。
一分一秒のくるいもなく、今日誕生しました。
少しでもずれていたら、今頃健康だったかもしれない。
今の人生を送るには、一分一秒の狂いもなく生まれてこなければいけなかったの。
結構これって難しいんだよ。
12月28日、私の大好きで、大切でしあわせな日。
今日生まれてきて大成功!
「すのう」に生まれてきて、これもまた大成功!
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「すのう」は雪絵ちゃんのペンネームです。雪絵ちゃんはやっぱり自分に生まれてよかったって心から思っていたんだ。この雪絵に生まれたからこそ、素敵なことに気がつき、素敵な周りの人にも出会えた、これでよかったと心から思っていたんだと思いました。

けれど、私はなかなか雪絵ちゃんの死をみとめることができませんでした。悲しくて悲しくて泣いてばかりいました。ご飯も食べられなく、眠ることもできず、何をする気もなくなってしまって、眠ることさえできなくなりました。学校にいるあいだはいいのですが、そうでないときは眠れないのにお布団の中にごろごろといました。ああ、私はこのままだめになってしまうんだ。はやく雪絵ちゃんのところに自分も行きたいとそう思ったときに、まるで背中をたたかれたように、あることを思い出したのです。
 それは雪絵ちゃんと最後に長い会話をかわした日のことでした。その日雪絵ちゃんは私に「かっこちゃんどうしても聞いてほしいことがあるの」と言いました。「今からいうことは、絶対にできないなんて言わないで、やるよって約束をしてほしいの」雪絵ちゃんはそんなことを今まで言ったことがなかったので、「大丈夫。約束するよ」と言いました。雪絵ちゃんは「前にかっこちゃんは、病気や障害は大切って科学的にも証明されているって言ったよね。人がみんないろいろに生まれてくることも、自分は自分であることも、どちらも、大切だということが科学的にも証明されているって言ったよね」「うん言ったよ」と私が答えると、雪絵ちゃんは「そのことが、世界中の人が当たり前に知っているように、かっこちゃんがしてほしいの」と言いました。
 どうしてそんな大きなことがこの私にできるの?そんなことできるわけないじゃない・・そう思って、できないと言おうとした私を雪絵ちゃんは「約束してくれたよね」「やってくれるって言ったよね」と私が言おうとしていたことを止めました。私はそのとき、できないといえなくて、「わかったよ」と言ってしまったのです。でも、私は雪絵ちゃんが亡くなって、泣いてばかりいて、ちっとも約束を守っていない・・私、なんとかしなくちゃ。そうだ、書かなくちゃ書かなくちゃと思って書いたのが、「本当のことだから」(三五館)の本です。そして、その次の日に「魔女・モナの物語」(青心社)そしてその次に書いたのが「心の痛みを受けとめるということ」(PHP)です。私はこれまで本を書いても、書くだけで、ほっとしてしまっていました。けれど、この本は書くだけじゃだめだ、知ってもらわないと、読んでほしいと思うようになりました。でも、それだけではなかなか雪絵ちゃんとの約束を守っていくことはできません。
それで、CDに、
きいちゃんや、ほかの子供たち、そして、雪絵ちゃんのことを吹き込みました。それを聞いていただきたくて、作ったCD。
「これをお友達やみなさんにいっぱい渡して、聞いていただくの」と友達に言ったら、友達は、無料で受け取っていただくのじゃなくて、きちんと作ってできるだけ安く買ってもらったほうがいい。そうしたら、それを買ってもらったお金で、また同じCDをいっぱい作っていけるだろう。そうしたら、どんどん聞いていただけるかもしれないよ。そして、できたのが、このCDです。どうぞみなさん、私の力はあまりに小さくて、雪絵ちゃんとの約束をどうやったら果たしていけるのかわからないのです。
 雪絵ちゃんの願いは決して雪絵ちゃんのわがままではないと思います。みんなが大切だということをたくさんの方に知っていただいて、自分のことが好きになれたら、相手のことも好きになれる。そうしたら、争いもなくなるかもしれません。それからお互いを大好きでいられるかもしれません。

 


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