特集トピックス
初演2題 -2001年11月-
この話題は本来<トピックス>か<作曲>のページで扱うべきものなのですが、
それだけでは収まりそうもないので別にページを作る事にしました。
作曲の過程を含めてお楽しみいただければ幸いです。
タイトルにもあるように2001年11月に初演された2つの作品について扱います。
どちらかしか興味がない方は下のタイトルをクリックしていただくとそのトピックスに飛べます。
・石川の三文豪によるオーケストラ歌曲作品コンクール
・きいて「たじみの昔話」〜見て、聞いて、伝える五感で楽しむ不思議空間〜
世紀をまたぐしばらくの間、身の周りを取り巻く環境や心理状態は、作曲をする(しよう)という雰囲気からはあまりにも懸け離れた状態の中にいました。
あまりにも多くのトラブルとやる気を削がれるような環境によって作品の創造などという大それたことを考える力を無くしていたと言っても良いでしょう。編曲や指揮中心の正に八方塞がりの時期でした。
2000年の年末までいくつか誘われたプロジェクトも断り続け、アマオケなどを振って生活していた頃、ふとセミプロのオケの仕事中にある企画を持ちかけられました。
いつもなら断っていたであろうそうした話に何故か耳を傾けてしまった私。
しかし、曲を書くと言っても腕が鈍り過ぎているかもしれない・・・。
そう思いつつ、年も押し迫って来た頃、 とあるオペラの稽古の帰りにふと立ち寄った本屋でいつも見かける「音楽の友」をめくりぱらぱら・・。
その最後の扉に偶然載っていたのが「石川の三文豪によるオーケストラ歌曲作品」の公募のページでした。(音楽の友2001年1月号)
しかし、私がその公募を見た時にはもう既に募集がはじまっていました。 つまり、公募の期間は2000年9月から2001年6月までの募集期間としては長いものでした。
コンクール・・・94年の笹川賞以来、一度毎コンの為に作品を書いたものの遠ざかっていたわけだが、自分の腕が水準程度にあるかどうかを確かめる意味ではいい試金石となる・・・そう考えた自分は少し前向きにこの作曲コンクールに取り組もうと考えたのです。
だが、3年ぶりくらいになるオーケストラのための作曲にはいささか躊躇を感じたものでした。
ところが、数日後、今度は台東区が主催する「日本歌曲コンクール」の作曲部門のコンクールの公募を目にしました。条件は独唱とピアノ伴奏で〆切りは2月末日・・・。「これなら書けるかもしれない」とウォーミングアップを兼ねて1月中に詩を選ぶ作業をし、2月に入ってから「水に寄せる3つの歌」の作曲にとりかかりました。
ところが(作品のタイトルを御存知であればおわかりでしょうが)3つめの曲を半分ぐらい進んだところで、〆切りの数日前となってしまいました。 無理をして書き上げるか、断念するか・・・非常に迷った結果
、最も妥協(卑怯?)な形として出来上がっていた2曲のみで「水に寄せる2つの歌」として提出してしました。
もともと3つでひとまとまりのつもりで書いたものであるのに提出した作品は中途半端な演奏時間(約8分)と、フォーム、しかもポピュラーなスタイルでの調性音楽・・・
。当然、落選は必至と思われたのでした。
しかし・・・不思議なもので55作の応募があった中、本選通過の7曲に選ばれてしまいました。
本選を聞くと私の曲だけが調性のもの。結果は入選どまりでしたが、自分としては予選落ちするだろうと思っていたものだっただけに少々驚いた事を覚えています。
そして3月。奏楽堂の本選通過という通知を受けて、少しやる気が湧いて来ました。
そして名古屋二期会でオペラの仕事をしていたある日、その稽古の帰り道、ふともうひとつのコンクール・・「石川の・・」と思い出し、本屋へ行き、室生犀星、徳田秋声、泉鏡花の著作を買い込んで、その日からとにかく読書にふける毎日を過ごしました。
そうこうしているうちに4月となり、〆切りの6月まで3ヶ月となってやっと泉鏡花の2つの著作に絞り込んでいきました。
チョイスした泉鏡花の作品・・・ひとつは岐阜県にゆかりのある「夜叉ケ池」、もうひとつは「天守物語」。いずれも戯曲で登場人物が複数います。 独唱者は最高2人までは許されており、補助として合唱団が使用できます。
「夜叉ケ池」はその昔、篠田正浩氏が監督し、板東玉三郎さんの主演で映画になったものが印象に残っていて、最後の場面
を中心に構成し直し、ともかく作品を書いていく事にしました。
しかし、書き進めていくうちに映画で鳴り響いていたドビュッシーの「沈める寺」(この映画の音楽担当はあの冨田勲氏であり、アルバムにも収められているシンセサイザー版の編曲されたものが幕切れで使われていた)の影響が大きくなり、百数小節書いたあたりで作曲を中断せざるをえなくなってしまいました。煮詰まった頃、第2の候補としておいた「天守物語」も念頭において少し読み進めたのですが、こちらはこちらで水野修孝氏の名作オペラ「天守物語」が頭から離れず、イメージがなかなか膨らまないまま、だらだらと時間だけが過ぎていきました。この頃はまったく先の見えない数週間を過ごしていました。
そんなある日、泉鏡花を離れてみようとふと読み終わっていた室生犀星の全集(筑摩書房刊・現代日本文學大系47)を手にとった時でした。一進一退を繰り替えしていた状態が一変しました。不思議な事でしたが、この全集の最初に登場する「小景異情」を読み終えた時には、作品の全体のイメージが大まかにではあるが出来上がってしまっていたのです。しかしながら、「小景異情」を選ぶには躊躇がなかったわけではありませんでした。それは最初の題材選びの際、最初に感じた直感・・・すでに多くの作曲家が合唱曲や歌曲集としてこの作品には曲を付けている・・・それだけ有名な作品だけにこの作品で勝負をかける事はそれだけリスクが高そうだと感じたからです。しかし、「これしかない」という気持ちは日増しに強くなり、〆切りも近付いている事もあり、とうとう2001年5月5日から作曲を開始しました。
御存知の通り、室生犀星の数ある作品の中でも「抒情小曲集」は知名度の高い作品のひとつです。特に小景異情のその二である「ふるさとは遠きにありて・・・」は作品の名を知らなくても、その一節は多くの人々を魅了してやみません。
作曲は最初から順に行ったわけではなく、その一、その六、その二、その三、その四、その五、そして最後にその三の冒頭部分を付け加えて6月22日に脱稿しました。これには少々裏話があります。
目標は「小景異情」の6つの詩に作曲する事を前提にして書き始めましたが、万が一、間に合わなかった場合を考えて(これは奏楽堂の際の反省としてでした)最初と最後だけはきちんとキメられるようにしておこうと。そして、読んだ時の最初に直感で考えたプラン・・室内オーケストラの多彩
なアンサンブルの組み合わせをグループ化して6つの詩にふりわけ、最初と最後のその一とその六では合奏を、その二は弦中心、その三は打楽器的要素を散りばめ、その四は管楽器にウエイトを置き、その五は極力室内楽的な響きを優先する・・・・これを念頭に書くと。 もう一つの目標はなるべくなら全部に曲を書きたいと思ったため、<一週間で1曲!>を合言葉に書くと言う事でした。
筆は割と順調に進みました。が、作品の成立には大きな転機がありました。それは先の「奏楽堂」の作曲コンクールです。
その1、その6、その2と書き進め、丁度5月が終わろうとしていた頃、「奏楽堂」コンクールに臨みましたが、入選の7曲の内、調性的な曲は私のものを含めて2曲、しかも、上位
作品は全て無調スタイルのものでした。
このとき、作曲をしていた自分の中に変化が起きたのは事実です。つまり、審査員の顔ぶれは何人かが重複しており・・
奏楽堂作曲部門の審査は委員長が西村朗氏、委員が野平一郎氏、畑中良輔氏、林光氏。
石川の三文豪歌曲コンクールの審査は委員長が林光氏、委員が池辺晋一郎氏、岩城宏之氏、武田明倫氏、西村朗氏。
西村先生が中心となった際の基準はどうやら<新しい響き、新しい声の可能性>を強調しておられたようです。
すると・・・自分の曲は・・と考えた時に、再び目の前が闇に包まれていきました。
そう、今度の作品も基本的にはちゃんと調性音楽になっていたのでした。
6月に入り、その3の作曲をはじめた時から、その奏楽堂の一件が頭から離れず、結局、その3、その4、その5は無調に調性的な部分をまぶすという妥協的な作曲方法で切り抜けましたが、なんとなく自分の中では統一感がなく釈然としないまま、作曲を終えました。
そして、8月4日。
薄っぺらい封筒に「石川県音楽文化振興事業団」の文字・・・「こりゃ、落ちたな」とかさかさと開けてみると、なんとそれは本選通
過の通知でした。嘘みたいでした・・・。
金沢の北陸中日新聞の過去ログです。
入選作4点を選出 「三文豪歌曲」の予備審査
石川県が、県立音楽堂開館記念事業として募集していた、石川の三文豪(室生犀星、徳田秋声、泉鏡花)を題材にしたオーケストラ歌曲作品コンクールの予備審査結果
が三日、発表された。
国内外から応募があった四十九作品を譜面により審査。
廣木良行さん(東京都)の「合掌」、北條美香代さん(同台東区)の「室生犀星の詩による五つの歌曲」、
池田悟さん(同武蔵野市)の「夜叉ケ池」、倉知竜也さん(愛知県)の「小景異情」の四点を入選作に選んだ。
池田さんは泉鏡花、ほか三人は室生犀星を題材にした。
本選は十一月三日に同音楽堂で行う。
入賞作品をオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)が演奏し、四点の中から最優秀作一点を決定する。
同コンクールは国内外から新たな才能の発掘を目的に三文豪の作品に触発された独唱とオーケストラのための作品を募集。
OEK音楽監督の岩城宏之さんや武蔵野音楽大の武田明倫教授ら五人が審査した。
岩城さんは「応募作はなかなかのレベルの作品が多かった」と評価した・・・。
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10月の中旬、やっとチラシなどが送付されてきました。
が、そこには大きなミスが!なんと私の曲はソプラノ独唱のはずなのにチラシには「メゾソプラノと〜〜」と書かれてあります。
通知を見ると、確か北條さんが「メゾ」のはず・・・。 問合せをしたところ、「もう訂正できない」ということでした。(T_T)
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11月2日、本選通過者の他の3名の作曲家は全て東京在住の方々ばかりなので、飛行機で移動、愛知県民の私だけは「勝手に来い」ということで自動車に乗って午前10時半すぎに出発、名神、北陸道を北上して午後2時前に金沢に入りました。
今回のコンクールのスケジュールはある意味、全曲新作ということもあってかなり丁寧なものでした。すなわち、その週の火曜日にマエストロが金沢入りし、水曜日にオーケストラのみによる稽古、木曜日にソリストが入り、夜にピアノによる合唱のマエストロ稽古。
金曜日に作曲家、審査員が入り、土曜日に本選演奏会(本番)という段取り、つまりオーケストラは4日間も我々の新作のために時間を費やしていたということになります。(この日の数日後には大河ドラマの録音もあったようでまさにハードスケジュールといった感があります。)
午後2時、ホテルにチェックインし、そのまま石川県立音楽堂へ向かいました。9月に完成したばかりの新しく素晴しいホールで、場所も金沢駅から歩いてすぐというロケーションです。

ホテル(ホリディ・イン金沢)から見た音楽堂周辺。
左のビルが全日空ホテル、音楽堂、金沢駅が横たわり、
向こうに見えるのが北陸で最も有名なアパホテル。
石川県立音楽堂コンサートホールの駅側の入り口近くです。
こうした電光掲示板でいつ何が催されているかがわかります。
洋楽部プロデューサーの小林さんに案内され、コンサートホールの内部を見せていただく事ができました。

午後3時からリハーサル開始。その直前にソリストと作曲者は対面
し、軽い打ち合わせを兼ねた談笑をしばし・・・。この時がソリストの薗田真木子さんとはじめてお会いしました。(正確には奏楽堂で会っていることにはなります。彼女はこの時、歌曲部門第1位
という栄冠を手にしたわけですから。)
しかし、何故か(審査員でもあるからなのでしょうか)マエストロとの対面、打ち合わせはこの日にはなく、我々はただ、リハの成りゆきを見守ることに終始しました。 廣木さん、私、北條さんの作品と1度、休憩をはさみながらリハが重ねられ、夕食のための大休憩のあと、合唱団(オーケストラ・アンサンブル金沢合唱団)が入り、最も大規模な池田さんの「夜叉ケ池」のリハがあり、その日は8時半には全てが終了し、明日、10時半にということを告げられただけでホテルに戻りました。
「夜叉ケ池」のリハーサル。
マエストロの左右にふたりのソリスト、オーケストラの後ろに合唱団。
(舞台面、左右に見える電光掲示板は当日、出典の歌詞を映写するために使われたものです。)
11月3日。文化の日。本選会当日です。 言われた時間に行ってみると、今度はいきなりマエストロのお部屋に。 岩城先生のはからい(?)により、オケに紹介し、短い注釈や希望を述べても良い、ということでした。
あわてて、昨日、チェックした箇所を箇条書きにし、オーケストラの皆さんに伝え、最後のリハーサル・・。
午後2時に本選演奏会開演。聴衆は6〜7割くらいといったところでしょうか?
当日、審査員としていらっしゃる予定だった池辺先生の御尊父が逝去されるという出来事があり、審査は結局、4名で行われることになりました。
最初に主催の挨拶からはじまり、審査員の紹介があり、それから1曲ずつの演奏と言う手順でした。
実は我々は事前に「ここに座るように」といわれていた座席があったのですが、客席前部が思ったより狭く、移動が難しかったため、本番で演奏前、聴衆に作曲者の紹介があった後、各々が思い思いの空いている場所に座る・・ということになってしまいました。
そして本選演奏会終了・・・・審査結果が出るまで約30分が予定されていましたが、思ったより時間がかかり、我々は作曲者控え室でなんとも言えない時間を過ごしました。(私の予想では北條さんの作品が最優秀のはずでした。)
舞台では先程まで並べられていた椅子や譜面台が全て片付けられ、選考結果のための舞台づくりが行われました。
聴衆の方々はこの30分以上の時間が待てなかったのか、それとも各自で採点されて満足されたかで、表彰の時には数百人程度になっていました。(これは主催者側も「かなりの誤算だった」とおっしゃっておりました。)
結果は・・・なんと私の作品が最優秀、北條さんと池田さんの作品が優秀作、廣木さんの作品が佳作となりました。
審査員の方々からそれぞれ作品に対して講評があったのですが、自分の曲がこれほど褒められたことは未だかつてありませんでした。
(詳しくは<OEKfan・・・hsさんが管理されているページにかなり詳しいレビューがあります。宜しければ御覧下さい。 http://oekfan.tripod.co.jp/review/2001/1103.htm
)
演奏会終了後、隣のラウンジ(コンチェルト)で、関係者の打ち上げがあり、そこでテレビや新聞社などの取材やら御挨拶をしました。ソリストのみなさんはこの時点でかなり出来上がっておりましたが・・・。
それから場所を移し、近くの居酒屋で二次会が行われ、楽しい時間を過ごしました。
その場の写真をほんの少しだけ公開してしまいましょう。

この並び・・なぜかソリストが作曲者を虐められるようにと配慮されたらしいのですが・・・。
そんな雰囲気ではありませんでした。
(左から北條美香代さんとそのソリストをつとめた鳥木弥生さん、廣木良行さんのソリスト清水良一さん、一番奥が・・・実はど忘れしてしまいました。東京コンサーツの石田さんでしたっけ?すいません・・・。)

ぶれぶれ写真ですが・・・(出来上がっていたもので・・(^◇^;)
一番奥が廣木良行さん、東京コンサーツの宮田康子さん、池田悟さん。
(一番手前は池田さんのソリストの森川さんなのですが、完全に心霊写真と化しています。申し訳ないです。)

なにやら談笑されているマエストロの方々。
(もう説明するまでもないでしょうが、左から西村朗先生、林光先生、マエストロ岩城宏之先生。 このお隣には奥様でいらっしゃる木村かをりさんが始終マエストロを気遣いながら寄り添っておいでてした。)

2ショット2枚。 左はなんと私です。この時疲れてます・・とほほ。 西村先生と。もう1枚は私の曲を歌い上げて下さったディーバ、薗田真木子嬢です。 (ひょっとして自分の姿を載せるのって初めてかしらん? あ〜〜恥ずかし。)
外は雨でした・・・・。
ホテルに戻り、それで終わりかと思いきやさにあらず。今度はソリストである森川さんのお部屋で飲もうと言うことになりました。もう既に2次会でしこたまできあがっているメンバーはソリストの皆さんが空き時間に行って来られた近江市場の海の幸をつまみに深夜まで飲み、遂には隣の部屋からクレームがつくという事態にまで・・・。
以下はその騒ぎの模様です。(秘密画像かいな?)
鳥木さんと北條さん。(テーブルの上のビンなどに御注目)
北條さんの右隣には池田さんのソリスト、森川さんがかなりのハイテンションで盛り上がっていました。(池田さんのもう一人のソリスト、久保和範さんは演奏会終了後、別 の演奏会のためにすぐに移動されました。お忙しいです。)

センターはいつも理知的な雰囲気の池田さん。
(ただし、この時にはかなりの量のアルコールが入っている模様)
この時、森川さんは池田さんに「あんなに絶叫する子守唄を歌ったのははじめてよぉ〜〜♪」と言われつつ、耳もとでこぶしをまわしながら耳もとで再現していました。「ねぇ〜〜ん、ねぇ〜〜ん、こぉろぉ〜〜りぃ〜〜よぉ〜〜・・」と。
談笑中の3人。左から廣木さん、薗田さん。清水さん。
(別に真面目な話をしているわけではありません、はい。)皆さん、酒豪です。 意外にも(?)廣木さんは宴会部長としての才能を発揮され、いかんなく楽しませて下さいました。

今回の特選画像(?)清水さんのセクシーポーズ。
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次の日、各々が各々の時間にチェックアウトをし、束の間の宴は終わりました。
私は・・といいますと、せっかく金沢に来たわけですから「観光〜〜♪」と言う事で有意義に一日を費やしました。 でも、ちゃんと大切な事は忘れてはいませんでしたが・・・(後述)。
車を一旦駅前のパーキングに停め、バスで兼六園に最初でかけました。

秋の雰囲気が一杯の兼六園でしたが、もうすでに名物の「雪つり」の準備が完了していました。
その後、隣の金沢城址で催されていた「夢みどりいしかわ2001」の会場に入場。
会場が広く、楽しめましたが、ここまでてかなりの時間がすぎてしまいました。 (下の画像はその模様)


あわてて、駅に戻り車に乗り込みました。本当に行かなければならない場所にたどり着けなくなる可能性があったためです。
まず、高速道を横切って金沢港へ。その近くに室生犀星の句碑があるので、探しにいきました。


海月寺の入り口に立っている句碑。
実はどこにあるか分からず、境内をうろうろしたのですが、
良く見たら寺のすぐ入り口にありました。
(灯台もと暗しというやつです。)
そして再び金沢市内に戻り、犀川の流れる文学碑の場所へ車を走らせました。
静かに流れる犀川。
この時には既に夕暮れ時になっていました。
文学碑前のバス乗り場。風情があります。
そして文学碑。

文学碑には「小景異情」の6番目の詩、あんずの詩が掲げられています。
黄昏時の犀川は本当に静かでした。
たたずむことしばし・・・。
しかし、目的の場所はもう一つありました。
室生犀星が眠っているお墓・・・時間的に躊躇したものの「ひょっとして見つかるかも」
と思いつつ、地図を頼りに向かいました。野田町を少し進んだ後、右に入って・・するとあちらこちらで工事をしています。道もどんどん細くなっていくものばかり。
辺はだんだんと暗くなっていきます。焦って平和町に戻り、大乗寺を目印に行った頃には既に真っ暗。
大きな墓所の入り口で暗闇の中、探したのですが、結局は見つからずに諦めてしまいました。
今回、最も悔やまれることでした。今度もし、訪問する機会があれば真先に出向こうと思っています。
デジカメでフラッシュを焚きながら確認しつつも、もう後の祭りでした。(とほほ)
画像の右下の赤い円は現在位置を表わしています。
あれからもう2ヶ月近くが経ちます。いつものことながら作曲コンクールで結果がどうでようとも私の生活が別段変わるわけではありません。 しかし、今回のことで自分の内面 の迷いの部分がいくつかふっきれたことは事実です。 この経験は大切にしていこう、と思っている今日この頃・・・。
(2001年12月20日 記)
追記・・・これを書き終えた途端、いち早く情報を伝えて下さる金沢のhsさんから「小景異情」が2002年3月10日に金沢でオーケストラ・アンサンブル金沢第116回定期演奏会で再演が決定したと連絡がありました。(と、いうことはプログラムは前半は私の曲で、後半はアンサンブル金沢合唱団を交えてのモーツァルト/「レクイエム」となりそうです。
薗田さん、実は初演の際、6曲目がうまくいかず、「リベンジしたい〜〜!」とおっしゃっておられましたのでその機会ができたようです。今から楽しみです。
hsさんのホームページ「OEKfan」はここからかリンクのページから飛べます。
きいて「たじみの昔話」〜見て、聞いて、伝える五感で楽しむ不思議空間〜
2000年の秋の終わりの頃・・・確か安八町での「第九」を指揮したときのこと。
その日は中部日本交響楽団とのお仕事でした。
リハーサルが終わって、本番までの時間にいつもヴィオラを弾いている中村暢宏さんが「とある自治体の企画があるのでやってみません?」と一言・・・。
これが全てのはじまりでした。
2月に企画のゴーサインが出たと中村さんからメール連絡が入り、4月4日(九州出発の前日)に関係者の最初の顔合わせがありました。
その自治体とは多治見市のことで、我々は多治見市文化会館の2階の一室に通されることとなりました。
多治見市は文化的活動が盛んで、なおかつ「特派員制度」というものがあり、地元出身、もしくは地元に縁があって活躍されている方々がその得意分野を持って多治見市に還元する、ということもしています。
(実は岩城宏之先生もこの「特派員」なのだそうです。戦時中、疎開されておられたことが縁で何度か多治見市にオーケストラ・アンサンブル金沢を率いて演奏会をされています。)
その「特派員」のおひとりに(お隣の市ではありますが)土岐市駄知町出身で東京で一線の声優・女優さんとして御活躍の水原リンさんがいらっしゃいます。
彼女の得意分野・・つまり声を使って何かをするということで地元の文化に何か寄与できないか・・という中で「昔話を聞かせる。それもただ聞かせるのではなくてイマジネーションを拡げられるように聞かせたい」という主旨が浮かび上がり、その手段として音楽や映像などをシンクロさせる、という案が持ち上がり、それが中村さんの元へお話が行き、弦楽四重奏を使ったものを想定しつつ、巡り巡って私のところに話が来た、という経緯です。
この日・・・4月4日は文化会館側から宮嶋浩さん、菱川浩二さん、多治見少年少女合唱団のお世話をされている音楽的なブレーンとして野呂季代さん、中村さん、東京から水原さん、そして私とで午後から企画の意志統一、これからのスケジュールなどを検討していきました。
一旦、実際の舞台を見学に行き、あれこれとその場でも検討を重ねていきました。

実際の舞台となる多治見市文化会館小ホール。
語りと弦楽四重奏の演奏にはもってこいの広さ。
(キャパは約300ちょっとくらいです。
ただ、音響的に多少デッドなのですが・・)
部屋に戻り、具体的に今度は内容についての検討がはじまりました。
約40分ほどの尺で3つぐらいの作品をチョイスするということで6、7あった話の中から3つの昔話(土岐川の話である「竜浮渕のはなし」、幸町・大原町の話である「首切り地蔵」、それに笠原町の話である「庚申堂のたぬ
き」の3つ)を選びだし、お話の内容を吟味して順番を決めていきました。
そして最も私にとっては大切な部分、どう聞かせるか、という議題に。
主催者側では当初、よく知られた作品を弦楽四重奏にアレンジし、時に効果音的な音を弦の奏法を使って表現して欲しい、という腹案を持っていたのですが、中村さんから「オリジナルでいきましょう」という案で結局はまとまりました。
(実は、似たような企画が多治見市の近く、瑞浪市でも行われていました。こちらは昔話に木管3重奏が有名な童謡などを演奏する、というものでした。)
初めて聞く曲を40分以上聞くと言う事が大丈夫なんだろうかと思いつつ、一同は車に乗り込み、決めたばかりの題材の舞台を下見に行く事になりました。
最初に行ったのは大原町の普賢寺というお寺。
ここの参道に何気なくその像は置かれていました。「首切り地蔵」とはおどろおどろしい名前ですが、実は切り殺されそうになった若い女の身替わりになった地蔵のことなのです。

普賢寺の参道。一同が覗いているのが「首切り地蔵」。

首切り地蔵。実際に見ると雨などにうたれて保存状態としてはいいとはいえませんでした。
その後、「首切り地蔵」の舞台となった街道筋を通り、今度は虎渓山を昇り、臨済宗の永保寺へ。
ここの住職であらせられ、建築士としても一流の土屋一典氏に先導され、寺の成り立ちや土岐川、そして舞台となった「竜浮渕」を見て回りました。
この時点でもう夕暮れがひたひたと迫って来ました。
時間の関係もあり、タイムアウト。この日は笠原町には行かずじまいで帰路につきました。
打ち合わせの際、とりあえずどれでもいいので1つの話についてフォーマットになるような原稿(台本)を水原さんが作成し、それに曲付けして、完成したものを聞いてもらい、OKが出た時点で、残りの2つの話を書き進める、というのが当初の予定でした。
その原稿があがる予定が5月のゴールデン・ウィーク前後・・・。
水原さんからは「出来た」という連絡を聞いた後、原稿が送られて来ません。
聞くと、手直しと舞台が入っていて多忙を極めている、ということでした。
しかし、まだ時間的には余裕があるという楽観的な見通しと、石川の三文豪の曲に着手していた頃だった私としては逆にぶつからない方がいいかもしれない、という考えでそのまま様子伺いの連絡もしないでいました。
そして、オーケストラの曲を書き終わり、室内楽の曲を2つ書き、編曲を何曲かこなしたあと・・
なんと8月1日に最初の台本が送られて来ました。初演までに3ヶ月半です。
しかも、タイミングが悪いことにその頃、2つのオペラの稽古で飛び回っていた最中で
落ち着いて曲が書けない状況に陥っていました。
結局、手をつけたのは8月下旬からでした。
まず、核となるテーマを作ろうと思い立ち、「たじみ」 もしくは「たじみし」で
思い浮かぶ音を拾い出す事にしました。(つまり<TA-JI-MI-SHI>〕
ここからA、JIを「G」と読み、ミ、それからシの4音によるテーマを作曲しました。
そのバリエーションを2つ作り、合計3パターンを3つの物語に割り振るということを念頭にしたテーマ曲ができあがりました。
それからはそれにそって、語りと音、もしくは語りと音楽が同時進行する部分を決め、
自分で何度も時間を計って読み上げて、尺を決めていきながら、ひとつの物語が約12〜15分に収まるように作曲するにはどうするかを検討していきながら書いていきました。
9月4日、最初の「竜浮渕」をどうにか書き終え、6日まで今度はデモテープを作るためにシンセ用の設定と打込み、さらに製本のためのプリントアウトという作業に追われました。
9月13日、3時多治見文化会館。練習室4でたじみの昔話の音による打ち合わせが行われました。
(出席者は水原、宮嶋、野呂各氏に小ホール企画の責任者である岡田さんも加わりました。)5時までデモテープを流しながら読み合わせ、タイミングを確認しながら「竜浮淵」の形を確認し、今後の打ち合わせ等を行いました。
それからすぐに2つめの「首切り地蔵」にとりかかりました。思ったよりも作曲がはかどり、9月20日に作曲そのものが終わり、デモテープを作り、プリントアウトして9月24日に会館に提出しました。
しかし、10月はオペラの関係で時間がまったく作れませんでした。
第3話の「庚申堂のたぬき」は時間との闘いでした。作曲には10月1日からとりかかったものの、なかなか作曲ができず、出来上がったのはなんと10月25日でした!
次の日に音源とスコア全てを提出したところで、恐るべきお話が。
水原さんの都合もあって、最初の稽古を11月5日に行いたいと・・・。
私は11月の頭は金沢に行かなければなりません。
かなりあわてて不眠不休でパート譜を作成し、金沢行きの当日早朝に作り上げ、演奏メンバーに
データを送信して車に乗り込むという慌ただしさでした。
11月5日、水原さんは譜面が読めないという事で私はきっかけのキューを出す係。
演奏メンバーもほぼ初見の状態でてさぐりのままきっかけ、流れ、舞台の配置、マイクの調整などを行いました。
結局、映像による演出は行われず、かわりにちょっとした照明で雰囲気を作り、お話に因んだ絵画や切り絵をロビーに置くことになりました。
そして、11月17日、本番当日。会場は満杯の中、初演は無事に終了しました。m(_
_)m
終了後、獅子座流星群の観測という企画を兼ねた打ち上げが「地球村」という多治見市が管理している施設で行われました。
左端が水原リンさん。そのお隣は助手の方です。
たぶん、だれかがお話しされているのでこんなアングルになってしまいました。(星を見上げているわけではありません。悪しからず。)
右はチェロを演奏された星野順一さん。
2ndヴァイオリン担当の近藤真弓さんと
今回の立て役者である中村暢宏さんの2ショット。熱く何事か語っています。
コンマスである天才(いろいろな意味で)宗川諭理夫さんとチェロの星野さんの2ショット。
お世話になりっぱなしです。
この模様はFM多治見という放送局を通じて番組にもなったようです。
さらに、反応もまずまずだったようで、再演やCD化して各施設に置いたり、野外コンサートができないか、などのお話もありました。これが実際になされれば作曲家としてこんな幸せな事はありません。
実際、多治見には約30ほどの昔話があるらしく、「シリーズ化できないか」というお話もありましたのでまた近い将来、ひ〜ひ〜言いながら作曲している自分を見る事ができるかもしれません。
この日、流星は私が見ている時には20個ぐらい流れました。
次の日にはあんなにたくさんの流星が流れるとはあの時、思いもよりませんでしたが・・・。
(2001年12月20日 記)
11月は26日に1986年に作曲したサクソフォン四重奏曲「2つの織りなされた言葉」の再演もありました。
(名古屋芸術大学講堂に於いて、同大学のサクソフォン専科の4人によって)
以下はその時の画像です。

当日は専科、指導者コースのメンバーを含めたサクソフォン・オーケストラの演奏もありました。
こんなにたくさんの人がサックスだけでもいることに少し驚いたのでありました。
こちらまで。