初期作品

シチメンソウ  1996年頃
シチメンソウ締め切る前の諫早湾です。
長崎に来て
これは私が事情を知らない頃に描きました
新聞に写真が載っていて
「きれいだな〜」の印象のみで
描いているので
実際の景色は見ていません
まさか、
2度と見られなくなる景色とも知らず・・・。

ハウステンボス 制作年失念
ハウステンボスハウステンボス
この絵を描いた頃は、ハウステンボスには
まだ、行ってはいなかったと思います。
ちょうど、私が来る年にスタートした。
テーマパークとしては話題をさらっておりました。
もちろん。興味が先で画いたわけで
そうとう、間違っている上に未熟な絵で
ホトホト恥ずかしい。

眼鏡橋1 制作年失念
眼鏡橋眼鏡橋
まだ。パソコンの性能もイマイチの頃の絵
まだ、行ったことのない頃の眼鏡橋
カラーでは画いていますが、
元々はモノクロの絵に色つけしたものです。
今見返すと荒い部分が気になりますが
ま、それだけ、腕も上がったということで
当時の自分の悪戦苦闘に
思わずにやけてしまいます。

白黒コーナー

大浦天主堂 制作年失念
大浦天主堂 モノクロームこの絵を描いた頃
パソコンは同時に出せる色が16色
サイズも制約があり
絵を描くのに向いた器機ではありませんでした
それでも。面白がって使っていて絵も今からすればギザギザ
それでも、パソコンの能力を
どうカバーして描こうかと工夫していた
記憶がよみがえってくる絵です。

眼鏡橋  1993年頃
モノクロ−眼鏡橋この眼鏡橋は
昔、ハートセンターで発行していた
機関誌「もりまち春秋」の表紙に描いたものです
この頃はパソコンの性能もイマイチ
(ちなみに私が持っていたパソコンは特に)
でも、この白黒の点の荒い画像
けっこう面白いです。
今「これが描けるか」と言われると?なのです。

樺島大橋 制作年失念
モノクロ 樺島大橋 昔、ハートセンターで発行していた
機関誌「もりまち春秋」の表紙に描いたものです.
長崎の野母半島という大きな半島にあります。
長崎では南の端に位置します。
当時はパソコンで絵を描き始めたばかり
ちょっと「面倒くさい作業だなぁ〜」
と、思っていたのでよく続いていると自分でも思います。

グラバー邸  1999. 2.11
グラバー邸グラバー邸
長崎港を見渡せて一度で良いから
実際に住んでリゾート気分を味わってみたい
でも、グラバーさん。
台風が来た時はどうしていたんだろう?
なんか、見かけだけで悪いけど
かなり強風にはバタバタうるさそうだ。
それとも昔は風よけの植林でもして
あったのだろうか?

稲佐山 1999.詳細不明
稲佐山長崎のシンボル的山
私の育った東京には山がなかったので、
こういうシンボルとして街みんなが認識している
自然の山という状況がすごくおもしろく感じられ
さらに高さが333メートル
東京タワーと同じだと聞いてから
勝手に、感慨深いことだと思い。
興味とひたしみが一気に湧いてきたのです。

浦上天主堂 1999. 3.29
浦上天主堂 大浦天主堂とよく認識違いをしてしまう
長崎に来た頃は「あぁ、・・・天主堂ね」
と、肝心の所をボリューム下げて
誤魔化したりしておりました
何はともあれ場所が場所だけに
神様に対して誤魔化しているようで気分が悪い
しかし、時は流れて
あぁ、今ならはっきり区別が付けられる
・・・当たり前と言う無かれ!

オランダ坂  1999. 2.16
オランダ坂
イメージのオランダ坂は
「辺りに洋館が建ち並んでいて
いかにも長崎
それに雨が降ったりすると
情緒豊か
傘がなんとも言えなく似合ったりする」
と言う私は、雨の日、外には出ません
車椅子だからもあるんですが
そんな私でさえこういう印象を持っている
オランダ坂って不思議です

眼鏡橋  1999. 3. 9
眼鏡橋日本初のアーチ式石橋
眼鏡橋も含めて
長崎は日本初があっちこっちにある
もしかして、
ヨーロッパ人が初めて道で転んだのも長崎かも
絵の方は斜めから描いています
と、言うことは、この眼鏡橋は眼鏡橋には見えないのです
眼鏡橋に見えない眼鏡橋
を描いたら意味無い!?・・・

孔子廟  1999. 3. 3
孔子廟
オランダ的な長崎と中国的な長崎
どちらも、うまく日本の長崎と融合している
ここの孔子廟は明治26年
中国人が海外に初めて建てた物
だそうです
海外支店の第一号って感じかな!?
それにしても孔子は2、500年ぐらい前の人
その頃、日本は?
を、考えると
それだけで圧倒さてしまいます。

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