「雨上がりの駅で」1996年イタリア



ピーター・デル・モンテ監督 アーシア・アルジェント ミッシェル・ピコリ

「アーシアのファンじゃなかったらツライ映画かも」
「えっえっ!? ノッケからそんなこと言って、まずいよ〜〜って、僕はアーシアのファンだから全然ツラくなかったわけだけど」
「ツライっていうか、まあこれ、ごく個人的な物語よね、自分探しの旅、って一括りに言っちゃうけど、そういうジャンルの物語って結局はその主人公にどれだけ共感できるか、っていうのが肝心なところで、わたしは・・」
「アーシアには共感できない、と」
「全然、出来ないなあ〜〜ぁあ〜(あくび)」
「あ・・なんか悪意入ってない?」
「ごめんごめん。じゃ狩刈くんのアーシアに寄せる想いのたけを、まずブッてよ」
「(笑)そう言われると悪びれずにブッちゃうけどね、19歳でその日暮ししてるみたいな女の子を演じていたアーシアは、この映画では特段にヒドイことをされるわけじゃない(笑)。オヤジの映画とはまるで違う(爆)。それでもどこかセンシティヴ、というかナイーヴで、とりつくシマのない孤独を漲らせてるよね・・」
「まあ、もともとそういうクセのある風貌なのね、彼女は」
「で、そんなふうに無為な日々を過ごしていて、そういう無為さ加減も十分に自覚している彼女が、『とある老人を尾行してくれ』と頼まれる。で、実はこの老人は徘徊老人で、これまた目的もなくアテもなく、二人して北イタリアをさまよい歩くはめになる。そんななかで彼女は自分の人生というものが剥き出しになっていくのを感じるわけだ」
「とまあ・・そんなふうに作りたかったんでしょうけれど、実際は同じことの繰り返しで、老人が鞄を開けたり閉めたりするのは気を持たせて良かったけど、最初のうちはなんか乗れなかった」
「ま、確かにこのテの映画の本質は、女史が最初に言っちゃったように、主人公に共感出来るかどうか、ってところでもあって、なんとなくこの映画のヒロインは一般ウケはしないかもね(笑)」
「ちょっとエキセントリック、なのかしらねぇ、どうにも行動が支離滅裂のような気がするし・・」
「長年つきあってた男を手ひどく罵倒したり、行きずりの男と寝たり、自殺しようとしたり・・確かにエキセントリックで、手を焼くタイプ」
「手を焼くっていうか、かえってマンガのヒロインみたいなステレオタイプ。現実には、こういう女は新しいカレシとスポーツクラブでいい汗かいたりすればすぐにナンでも忘れちゃうタイプよ(笑)」
「ははは。確かに彼女が現実に背負ってるものは少ないし、きっと小さいことだな、とは思う。彼女の母親は飛び降り自殺をしたらしいけれど、その暗い影が今の自分、どうにも分裂的でヤケっぱちな自分に根深く影響してるようには描かれていないし、まあそこは暗示で止まってる」
「そういう暗示的な部分をあえて語らずにアーシアの存在感で感じさせた、という意味では彼女のキャスティングはズバリ的中〜〜
「でしょ? これがもし可愛いサカリのエロディ・ブシェーズとかジェリー・デルピーとかだったらまたきっと違う大島弓子風少女漫画映画になっていたはずだし、ロマーヌ・ボーランジェとかサンドリーヌ・ボネールとかだったらハナからヘキエキするよ、きっと(笑)。でもアーシアは相変わらず手足が細くて長くて・・」
「多少ガニマタで・・」
「そのうえツレないところが女王様タイプで・・」
「目の焦点がズレてるし・・」
「(笑)なのにイジメ甲斐ありそうなゼイジャクさを漂わせてるところに、かなりおもねた映画作りだったことは僕も感じるな。でも、これ、そんなに目くじらたてる映画じゃなくて、ヒロインはまだ19歳、まだ世間の右も左もよく分からないのに自分では十分にクソ女だと自覚してるような、そういう主人公の自分探しに、ちょっとつき合ってやってもいいかな、てな感じの見方だよ」
「まあね。強がりばかり言ってる女の子が、その強がりにくたびれちゃって、徘徊老人の症状を目の当たりにした時、『ああ、わたしってナンなんだろ、わたしってナニしてるんだろ』って思うというのは、まあありそうなことね。そういう、老人、つまり他人の姿を通じて自分を振り返るところ、ただの強がり独り相撲じゃなかったところが、映画のモノの語り方として、この映画の結末の後を爽やかにはした
「でしょ? 一種のロードムービーで、それも内なる旅、って感じなんだけれど、あんまりムダな言葉を費やさずに寡黙に通したところは評価したいね。アーシアがヘンにツッパってるところも、それでいいんだとは思うよ。例えば彼女は幼い自分を置いて自殺しちゃった母親が許せないとか、そうやって妻を死に追いやった父親が許せないとか、そんな風にツッパリの背景を詳しく描かれちゃったら、それこそ個人的な症例研究報告でしかないし」
「まあそれならそれでドラマにはなりえたかも。なんとなく、の暗示ばかりで出来てる感覚映画にはならなかったかもね」
「ま、アーシアだからこそ暗示的なんだよ(笑)」
「(笑)それにしても狩刈くんのアーシア贔屓は相当なものね・・」
「ふっふっふ。情緒不安定女をやらせたら彼女の右に出る者はいない、ってんで実はこの作品は以前とりあげた<スタンダール・シンドローム>と並んで僕のお気に入り」
「それにしては今回は一般論で逃げた感じもするけれど?(笑)」
「んまあ、そうかな。ちゃんしたシリアスドラマだしね」
「それにしても・・」
「どき!(笑)また『それにしても』ですかい?」
「いえ、徘徊老人を演じたミッシェル・ピコリね、彼の枯れきった演技は実に見事だった
「あ、そうだね。彼はずいぶん若い頃からオジンを演じていたわけだけど、今回の、威厳を持ちつつ抑制を効かせた演技には感服した。ヘンテコで滑稽な老人にならなかったのは、演出もさることながら彼の演技に負っているところも多かったね」
「彼のような老人だったからこそ、さすがのアーシアも最後に笑顔を見せたのかも」(2001.10.23)



シネマギロテスクに戻る