「トレインスポッティング」1996年イギリス

ダニーボイル監督 ユアンマクレガー ロバートカーライル

「楽しめなかった。すっごく腹が立つ映画」
「おやおや僕はまあ面白かったけどな」
「ドラッグ中毒を軽々しく扱っているよね、それを推奨するみたいな描き方すらしていて、これは若いコたちが見たらヘロインやりたくなるだろうなーってところも含めて計算されて作られた、ドラッグメーカーがスポンサーの映画という感じ」
「はは、確かにね。若いってことの自由な無軌道さ、その裏返しでのなんか目標が見えないし何をやっても達成感がないことへの焦り、身を焦がすような異性への想い、というかセックスへの興味、苛立ち、友達がいれば親兄弟とは違うつかず離れずの人間関係が結べるからまあ絶対的な孤独には陥らない、けれど裏切りもつき合いのうち・・みたいな、要するに若さゆえ・・って部分がとてもよく描けていたから、なぜ主人公をヘロイン中毒にしなくちゃならなかったのか分からないね」
「だからあたしはスポンサーがついてたんじゃないかって思ったの。この映画の一番深いエモーションは誰も世話しなくなって赤ん坊が死んじゃった場面。で、反省がない、すぐにクスリに頼る、そういう描き方にはムチャクチャ腹が立つ。それと主人公がヤク絶ちしようとして幻覚や禁断症状に悩まされるけど、結局はクスリの克服も意外とカンタンだっていう印象を与える」
「うーん(笑)それは女史の見方だなあって気がする。倫理的なものを考え始めたら大抵の映画はそりゃ腹が立つよ、戦争映画は戦争賛美だしエロ映画はセックスしましょう、痴漢映画はチカン万歳ってことになるのに、ヤク映画だけヤクルト飲もうってわけにはいかないよ」
「まあね、それは分かってる。でも若い観客、高校生とか中学生とかと共感を分かち合える青春像が多く描かれていて、それはさっき狩刈くんの言った通りなのに、そこにドラッグで全面的に粉飾しましたみたいなイヤな印象があってそれがどうも拭いきれないんだわあゾッとする、あたし覚醒剤中毒の友達いたから尚更なのよ」
「不動産屋に勤めて、大人になって初めて満足した、って言うセリフがあるよね。それと、ラストではあんたと同じ生活を送るのさ、みたいにシニカルに言いながら清々しくニッコリする。結局は心の成長物語っていうとイヤな言い方だけれど、いろいろと場数を踏んで、まあ自信もついて、地道にやって行くさっていう終わり方。ドラッグは克服したみたいだよね」
「であればこそどうしてドラッグを題材にしたのかってこと」
「そのファッション感覚が倫理的に頭に来るというのは、僕にも理解は出来る。あたしコギャルじゃないし若くないからもうルーソーは履かない、だってあれダサイもんって感覚でヘロインやめたってふうに描かれてるってことだね・・さて映像表現としては、そんなポップで陽気で命を弄ぶ危うい感覚がちりばめられていたとは思う。だけどなんか見たような安易さがあったのも事実。なんだろねぇ、Jジャームッシュ的なセンスかな? それと一人称というところがこの映画への共感を深めやすくしてる、<時計じかけのオレンジ>みたくね」
「あの親の描き方は<時計じかけのオレンジ>にそっくりね、コトなかれ主義で」
「そう。どっかで見たことがあるような映画なんだけど、それは僕自身が若かった頃にやりたかった、生きたかった世界、でもそこに生きたら破滅したには違いない世界、というようなものを描いているからかもしれないな、デジャビュというか」
「とにかく若い人にはウケるわけよね、責任てものがゼンゼン描かれていないんだもの、人生観に奥行きがないのよ」(1998.6.30)

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