「Tommy」1975年イギリス



ケン・ラッセル監督 アン・マーグレット オリバー・リード

「ま、ここでTHE WHO礼賛をしても仕方ないわけでね〜でも音楽は傑作!素晴らしい!映画は・・?うーん。。。なぜというに、この映画はかなりの程度、引き算をして見なくちゃ正当に評価出来ないだろうからね」
「THE WHOファンじゃないと見ていてワケわかんないでしょうし、ストーリーも演出もちょっと中途はんぱだし、色んな意味で予備知識がないと楽しめないっていう感じ? でもこのテのお祭り的な映画っていうのは予備知識とか周辺情報も含めて作品になりえてるって言う気もするし・・そういうの、贔屓の引き倒しって言うのだけれど(笑)」
「まったくだね〜〜というわけで引き倒しにかかります(笑)。ストーリーはといえば、第二次大戦中、夫が戦死したと思いこんで愛人と新生活を始めた女のもとに夫が帰ってくる。そして愛人は子供トミーの目の前でその夫、つまりトミーにとっては父親を殺しちゃう・・ショックでトミーは三重苦に。治療の甲斐もなく従兄弟や叔父に苛められるトミーだったのに、ふとしたことからピンボールの才能に目覚めてチャンピオンとなり、現代の救世主と崇め奉られるようになって、そのうち教団の横暴なヤリクチに信者たちが反乱を起こして・・とまあ、まるでキリストの生涯のように誰もがストーリーを知っているはずだ(爆)
「もともとオペラとして構成されたわけだけれど、オペラっていうのはモーツァルトにしてもヴェルディにしても物語だけを取り出すと意外なほどクッだらない、ふたつみっつのプロットでどうにか出来ているものよ。だからこの映画のストーリーがどうのと言い出すのはあんまし意味がないの。三重苦とかいうとヘレンケラーか?って感じだけど映画では全くといっていいくらい三重苦が発展していかないし、まあただのドラマちっくな設定ってこと」
「そりゃそうだ。三重苦だからって特に物語に深まりがあるわけじゃないし・・ていうかまあ現代風に言えば引きこもりと考えた方がいいのかもね。だからむしろこの作品で鑑賞すべきはまずはPタウンゼントの音楽!といいたいわけ。あとはゲストたちか・・Eクラプトンがレスポールを弾いているなんざ、今となってはなかなか懐かしい珍しい映像だよね
「急にマニアックなところから来たのね(笑)。でもモンロー教っていう発想はあんまし活かされていなかったような・・これもただの思い付きで終わりね。一方Tターナーのド迫力は実に素晴らしかったよ〜懐かしい以外にないって感じ(笑)けれどアシッドクイーンのシーンは意外に退屈。ケン・ラッセル監督らしいマンガみたいな展開だったけれど。<クライム・オブ・パッション>の時に狩刈くんが言ってたようにラッセル監督の映画って時に紙芝居的なペースになるでしょ。ああいう展開の仕方は今回のオペラ的な構成にはぴったりだったと思う」
「そうだね。要するに歌っている間の一場面が比較的長くて次の場面へのストーリー展開が一時ストップするから、紙芝居で一気にページが変わるみたいに次に移行する、その緩急の効いたテンポが面白いんだね。Do you think it's alright?で繰り返されるシーンなんかまさにそれでね・・それにしてもキース・ムーンのバカバカしさはさすがホンモノだけに迫力あった(笑)要するにこの映画はキャスティングは見事だったってこと」
「ロジャーはギロさんのいう『どことなくア〜ホな雰囲気』がまさに主人公Tommyそのものって感じで(笑)なんだか気の毒なくらいにハマってたっけ・・でもそういえばエルトンジョンもそうね」
「Eジョンはあのおバカなメガネだけで充分にキ○ガイじみてるし・・実際、昔の彼は全身ドナルドダックの着グルミを着て歌ったりして、とにかくキースムーンかエルトンジョンかというくらいのおバカパワー爆裂だったんだ・・こうやって見ると70年代のロックってほんとサブカルチャーだったんだな〜て思うね。<ロッキー・ホラー・ショー>ほどではないにせよ、アングラ、サブカルチャー世界がロックという窓を通して一般市民に開かれてるって感じで、良識ある一般市民の皆さまの理解力を計りながら作られてしまった、って感じ。無論Kラッセル監督もまあまあ健闘したって感じだけど、今の時代ならもっともっともっとハチャメチャが出来たはず。それはこの作品が原作という主人持ちだったせいもあるんだろうな。例えば<マーラー>なんかで見せたバカバカしさとパロディ精神と、それにもかかわらずキチンと感動的な風も吹き渡るあたりの自在闊達なラッセル演出はこの作品にはあまり期待できない・・」
「どちらかというと大長編のビデオクリップを見たっていう感じね。ま、トミーそれ自体の音楽はわたしはオリジナルの方が好きなんだけれど」
「Jエントウィッスルが面白いことを言ってるらしい・・オリジナルアルバムを作っている間、彼はトミーがどんな話なのか分からなかった、ラッセル版の映画を見てやっと分かった、っていうんだね(笑)。それは音楽として素晴らしく自立してるってことを語ってくれてるとともに、まだロックと映画、映像文化とが噛み合っていない、違うジャンルだったんだってことなのかも」
「オリバー・リードやジャック・ニコルソンなんかも実に良かったよ〜ああいう存在感のある俳優がロックスターたちとちゃんと釣り合いをとりながら出てくるっていうのが贅沢な感じ・・」
「(笑)普通なら、映画俳優たちと釣り合うだけのロックスターの存在感、というべきところだな〜〜ま、それはともかく僕にとっていつも嬉しいのはアン・マーグレットの煮豆チョコレートによるメッシーショーでありまして(爆)ケンラッセル、ちゃんと分かってるじゃんかよ〜〜てぇ感じで感謝感謝(笑)」
「あの豆はSell outのハインツビーンズからでしょうけれどチョコはなんだったのかしら・・」
「ところで・・僕は実はこの作品が作られて公開されて評判になって、というのをリアルタイムで知ってるんで(汗)その懐かしい記憶を頼りに言わせて貰えば、この作品は女史がさっき言ったように明らかにお祭り映画だった。わーすごいな〜ロックスターなのに映画に出てる、ロックって映画にもなるんだ〜て感じ。無論それまでにも<ジーザスクライストスーパースター>とか<ヘアー>みたいなミュージカル映画、それと<ウッドストック>や<レットイットビー>みたいな記録映画としてロックは映像になっていた。でもPタウンゼント入魂のトミーだからこそこの映画はゲイジュツっぽく作られて、それはKラッセルの面目躍如でもあったんだね・・つまりその後のロックと映像との、まあジャンルのコラボレーションの方向性を決定づけた。それはつまりミュージックビデオのあり方というわけなんだけれども」
「単純に感覚的に言わせて貰うけれど、ミュージックビデオで、多少なりともドラマ仕立てに出来ているのに歌手が歌ってるのはどうして?って思うことがあるのよ・・例えばMジャクソンの、そうね、フっルいけど出世作のスリラーなんか完全にストーリー映画なのにMジャクソンは歌ってる。BGMになりきっていない歌とドラマになりきっていない映像、っていう不思議な違和感がいつもわたしにはあるんだけれど・・それを今回の<Tommy>で再発見したよ」
「なるほど〜女史が言うのは僕の言いたいことでもあるな・・確かにギターを弾きながら歩いてくるクラプトンのシーンなんか、なんだろね、ドラマから言ったらわざわざギターを弾いてる必要はないんだけど、クラプトンからギターを取り上げたらそれじゃクラプトンである必要もないんだし(笑)ロックミュージシャンだからって、これは映画なんだからわざわざギター持って出てこなくてもいいはずなのに、でもそれがないとクラプトンはただのボンサンになっちゃう(笑)」
「Dボウイみたいな映像人間でさえ自分のミュージックビデオでは映像の物語と関係なく歌っている・・となると、まあわたしの違和感はわたしの偏屈なこだわりにすぎないのかなって気もするけれど、音楽と映像とがもっともっと渾然一体になってるような表現の仕方っていうのもあるはずだとは思うしね〜ま、そういう成功した例もあるんでしょうけれど」
「ロック映画っていうか、まあミュージックビデオでもいいんだけど、映像と音楽が、挿し絵と物語の関係なのか、あるいは物語とBGMの関係なのか、あるいは全然ベツのモノなのか・・うーん・・ハナシは意外なところにまでやってきましたね〜・・ちいとベツに考えてみたくなるテーマだけどね。ただそういうのって・・生まれたときからミュージックビデオがあった世代の人たちにはなかなか分からない違和感だよ(笑)」
(2003.9.21)


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