「ザ・ストレンジャー」 1946年アメリカ



オーソン・ウエルズ監督 ロレッタ・ヤング エドワード・G・ロビンソン Oウエルズ

「これはまあ、いわゆるハリウッド仕事。金儲けのために人に使われて作った作品だね」
「本人としてはお気に入りのシーンを撮影したのに編集でバッサリやられたとか、例によってプンプンしてるらしいけど」
「物語から言えば、戦後間もない時代にこういうナチスものでサスペンスを作っていたハリウッドは、いかにもハリウッドらしいというか、ヤバい時流に乗りまくって勧善懲悪な娯楽を提供する発想は見識を疑われかねないというか」
「あら狩刈くんが映画に『見識』だなんて言うの?(笑)」
「いいや、アメリカっていかにも慢性的戦勝国ですな〜と言いたいわけなんだけど(笑)。ストーリーはというと、アメリカの戦犯追跡委員会とかいう連中が、逃亡中の元ナチス幹部を探し出すため、すでに逮捕済みの元ナチス残党をわざと逃がして、そいつの後を追うという物語」
「最初の船のシーンはウエルズ監督らしいサスペンスムードたっぷりね。強烈なブラック&ホワイト」
「あそこで美人探偵みたいなのがちょっとだけ尾行を買って出るあたりは素晴らしくカッコいい。でも彼女が二度と出てこないのは残念!」
「ウエルズ監督は、あの後もずっと若い女性捜査官が追跡する展開にしたかったそうよ。でもプロデューサーが認めなかった・・とはまた例によってプンプンしてるらしいけど(爆)」
「そうそう。オーソン映画っていうのは、『あったはずの作品』と『結局こうなっちゃった作品』と二通りあって、彼自身が語りだすといつも二つがせめぎあってるからな〜。ところで僕は探偵役のエドワード・G・ロビンソンにはまったく魅力が感じられなかった。女性捜査官ならよかったのにー」
「でもまあ、そうなると物語自体がまるで別物になっちゃうかもね。オーソンと女性捜査官とのラブサスペンスっていうか。それって例えば<上海から来た女>みたいなサスペンス男女の物語。ところで本筋に戻ると、逃がしてもらった元ナチスはコネティカット州の片田舎の町にやってきて、そこで高校教師をしている男の家を訪ねる。その男が実は逃亡中の幹部。配役はオーソンその人、というあたりにもう悪役の魅力ばっちりで、だから探偵役のEGロビンソンがどんなに頑張っても善玉に魅力なし
「だからこそ必要だったのは魅力的な女性捜査官だったわけですよ〜って、いつまでもこだわってるわけにはいかないんだけど、もうひとつ言わせてもらえば、悪玉オーソンの新妻ロレッタ・ヤングにもまるで魅力が感じられない」
「ちょっとヒステリックな女という設定ね。彼女は一番むずかしい役どころだったのね。最愛の夫が実は逃亡中のナチス幹部だと知らされて、最初は信じたくない、夫を守ってあげたい、だけど夫はこいつバラすんじゃないかって自分のことを疑っている、そして夫が自分を殺そうとした!最後は彼女自身が始末をつけようと決心。この映画の葛藤の大部分は彼女が担っていたのね」
「ウエルズ御大は相変わらずデッカいおメメをグリグリさせて芝居がかった芝居(笑)をしてるんだけれど、さすがに今回のこの物語では善悪を超越した悪玉という設定にはならなくて、なんか、オーソン自身の配役ではもったいなかったような気がしない?」
「自分を訪ねてきた元部下を早々に殺してしまうあたりで、保身に走るのが速すぎた、っていう感じはした。もう少しじっくりジワジワっと彼が窮地に追い込まれていくのを見ていたかったって気がしたの」
「ははあ、なんとなく分かるけれどね。ただちょっと引いて考えると、もしも正体がバレたら彼が失ってしまうものが果たして多いかというと、まあ、決してそうでもないんだね。もしもだよ、彼がとっくに偽装結婚していて平和な家庭を築き上げていて可愛い小学生くらいの子供たちもいて子煩悩で社会的なステイタスもあって、といった立派な一市民になっていて、観客が好意の持てる人間だったとしたら、サスペンスはよりエモーショナルに深まったはずだ。しかし時計マニアな高校教師というだけでは、彼がジタバタする様子に観客は感情移入できない」
「そこはまあ、さすがに46年ていう製作年を考えないとだめよ。終戦の翌年でしょ。いくらなんでも小学生の子供はいないよ(笑)それになんかそういう映画はおヨソで見たことがあるような気がする」
「あっ、そうですな(笑)ぽりぽり。でも言わんとするところは分かるだろ?」
「確かに元ナチス幹部のオーソンがもっと人好きのする人物として描かれていたら、もっともっと物語に厚みは出たと思う。一応、学生たちには好かれて町なかでも尊敬されているらしい風には描かれていたけれど」
「登場人物で特筆すべきはドラッグストアの主人だね。ボードヴィルの芸人だとかいうけれど、間の取り方とか目線のやり場とかにすごく面白みが出てた。ああいう人物が実は元ナチスだったとしたら、これはまたブラックユーモアにはなったろうと思う」
「最初に殺されちゃう元部下も改心した様子がパラノイアックに演じられていて凄く面白かった。そしてその改心に対して、こいつ・・って横目で見ながらオーソンが殺意を固めていくワンシーンワンショットの切れ目のない演技も素晴らしかった」
「なにしろ彼は演劇人だから、どうしたってああいう場面ではワンシーンワンショットで一気に行くんだね。そのあとカメラがうえに引いて、あたりに撒かれた紙くずを狂ったように拾い集めていく場面あたりは、映画人の表現として圧巻」
「一方、オーソンの人物造形の面からいうと、時計マニアというあたりに造形の大事な上澄みを作っていたけれど、あれは本筋に組み入れられて効果的だったと見たらいいのか、それともご都合主義的だったというのかしら」
「時計台での殺人はヒッチの<めまい>を思い出させるけれど、だからこそ<めまい>にはあったJスチュアートの深い深い葛藤まで思い出しちゃうと、この映画はちょっと深まらなかった」
「珍しくツラくあたってるわね〜いつもの、傑作です!っていうキメ台詞がなかなか出てこないみたいよ(笑)」
「どこで出そうか葛藤してるんだ(爆)ま、映像設計、強烈なモノクロ、追跡シーンで帽子の影を差し挟んだり、開いたドアから差し込む光が照らし出すオーソンの不吉な横顔、そしてそれがまた暗闇に沈んでいくあたりのフェイドアウトといった映像の面白さはいつもながら格別で、敬服した。とてもカラーでは表現できない。けど彼の作品を見慣れた人には、ああ、またやってるな(笑)と」
「それじゃ今回のキメ台詞はなし?」
「たまにはツラくあたりましょ(笑)ってことか。もっとも本人自身がツラくあたってるから僕らがホメても仕方ないか(爆)」
(2007.6.20)


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