「ベルリン忠臣蔵」1985年西ドイツ



ハンス・クリストフ・ブルーメンベルグ監督 ヴォジェックス・ピュショナック コルネリア・フローボッシュ

「この作品、間違いだらけの日本趣味って感じで笑って見るのもいいんだけど、わたしはもうちょっと違う見方をしたいのね」
「はあはあ・・もうちょっと続けてみて」
「つまりこの映画は、ひょっとしたら東洋的な世界への素晴らしい憧れを描こうとしたかもしれないってこと」
「描こうとしたけど当然に失敗作、という感じではあるよね。でもその失敗は、僕らが日本人だからイヤでも気がつく細部の誤解のせいであってね」
「そうなのよ。例えば忠臣蔵じゃなくて、そうね、例えばドンキホーテみたいなラテン系の文化とか、南米の、ホドロフスキー的な世界観とかだったら、わたしたちは映画の些細な誤謬なんかには気がつかないで、わたしたちなりにその世界に浸っちゃうかもしれないって思ったの」
「ドイツ人じゃ間違いだらけの細部には気がつかないだろうから、それなりに差っ引いてやって製作者の意図を汲んでやる必要はあるな。オカしなニンジャ・アクション映画としてじゃない見方だね」
「ドイツ映画らしい、深みとコントラストのある映像で、結構、マジに見てあげたくなるの(笑)」
「でも映画の物語は、最高にオカシイ。大石内蔵助の子孫の家で育てられたとかいう生粋のドイツ人金融ブローカー、ビルケが、その家に伝わる家宝、つまり内蔵助の刀を盗んだドイツ人の会社経営者たちに復讐するため、ハンブルグの街なかで、そいつらの事務所や邸宅に忍び込んで、近松とか赤植とか矢頭とか、ヘタクソな漢字で日本人の苗字を書いていくんだね、で、その名前を書いた場所を地図に落とすと地図上には大石という巨大な署名が浮かび上がってくる・・と思い出すだけで気が狂いそうだ(笑)」
「街では、謎の日本ギャングがハンブルグを恐怖のどん底に叩き込もうとしている!とかいう噂でね(笑)。しかもそのビルケのいでたちたるや、大石って書かれた鉢巻きをした仮面の忍者赤影そっくりなの」
「赤影だってぇ!?女史っていったいいくつなの?(笑)ところで、このビルケってのはなかなか男前で若い頃のショーン・コネリーみたいでね。着物着て、背筋延ばして弓を射ったりして、厳かに黙礼したりして、もう日本文化に憧れる外国人そのものだ」
「頭下げておじぎをするだけで気分はもう日本人って感じなのね。しかも意味不明な浦島太郎の話がキーワードになってたり、突然お寿司を食べていたり、ニンジャと決闘したり、突然日本語で『私は大石内蔵助だ、お前らを知っているぞ、私はお前の仲間から柔道を習得した』(爆)・・と、あげればキリがないの」
「結局僕らにしても、間違いだらけの日本趣味が楽しいんじゃない?」
「まあ(笑)そこは仕方ないの。でも、わたしは、街に出没する日本ギャングのことを調べていこうとする主人公の雑誌記者ね、彼女の内面的なものが、なんか、この映画の本質的な部分を担ってると思うし・・」
「アル中の療養所から出てきたばかりの女記者だね。彼女は、なんか生活に行き詰まっていて、何故かビルケの日本趣味に深く共鳴していく。あなたは浦島太郎の宝箱をあけちゃったのよ、とか言って(笑)・・ああ、また発狂しそうになってきた」
「彼女はね、過去はあんまり描かれていないんだけど、狩刈くんの言うように、確かに生活に閉塞感を感じていて、それでお酒ばかり飲んで、退院して、事件記者じゃないのに日本ギャングを追う記事を書かされることになって・・と、なんか陰影の濃い暮らしをしてるのね。そこに日本の異文化が、最初の内は隙間風のように吹き込んできて、それが最後には爽やかな風穴となって、モヤモヤしてた気持ちが吹き払われる、みたいな」
「そこが東洋的な世界への憧れってことなのかな?」
「少なくとも、ある種の、キリッとした爽快感を感じて彼女はまた生なおそうとする、みたいな感じでしょ。なんだか、都会の雑踏で孤独をお酒に紛らせていたような彼女が、一人で生きてく強さをビルケから与えられて、その、一人で、孤高に、強く、というあたりが、この映画の製作者たちが武士道とか忠臣蔵から得たインスピレーションだったように思うのね」
「女史もお酒に紛らすより忍術でも習ったら?(笑)いや確かに、不思議なことだけど、ありとあらゆるディテールは完全無欠なくらいに奇妙キテレツな誤解や錯覚から出来ているにも関わらず、日本人的な心を感じさせるものは僕にもあったんだよ」
「わたしたち日本人は異文化を異文化として意識することが不得手だから、こういうドイツ人たちが真っ正面から、例えデタラメだらけにせよ、日本古来の風物に対する憧れをバチッと突きつけてくると、なぜかうらやましいような気もするの」(2000.5.10)

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