「スネーク・アイズ」1998年アメリカ


ブライアン・デパルマ監督 ニコラス・ケイジ ゲイリー・シニーズ

よたよたしながら悪に立ち向かっていくケイジはもう見たくないって感じ。わたし、あきたの
「(爆)飽きたのって言われても・・僕はシニーズを見ていたからあまり気にならなかったっけ。でも彼もワンパターンだった。悪人になりきれないイジイジとしたジレンマを演じさせたら天下一品のシニーズだけど、今回はちょっとね・・」
「ちょっと?」
「飽きたの(爆)。それはともかく話題になったオープニングの長回しもね、なんか違う。僕が心酔する<黒い罠>に比べると、無理があるっていうかワザとらしいんだ。例えばテレビの報道番組とかワイドショーなんかじゃ、芸能人を追っかけながらの長回しはあのくらい当たり前だって気もするし。却って空間移動の凄さが感じられなかった」
「いろいろと不可解なとこもあるよね、どうして暗殺の決定的瞬間にニコラス刑事のとこに電話がかかってきたのかしら、とか。シニーズの部下が殺されてその死体をあんなにやすやすと始末しちゃえるのはなぜか、とか」
「まだある。台風中継とパトカーとニコラスのシンクロニシティがどうして起こったか? 映画を終わらせるため? あんまりのご都合主義の終わりには、泣けた・・」
「この映画はそういうご都合主義のツギハギで出来ていて、まあ、そんなに目くじらたててどうこうっていう類じゃないのよ。天井の空中カメラに犯人が写っていたなんていうのも、ちょっとダマされた感じ」
「とすると、いったいなにを見ればいいのかなあ」
「だからそれは・・ヨタヨタしながら悪に立ち向かっていくケイジとイジイジするシニーズ(笑)」
「それじゃあんまりだ。例えば例のボクサーにケイジが事情を聞こうとする場面。あそこで急にカメラが一人称になって動き回って、また同じ場面を反復する。ああいう工夫っていうか、奇抜な趣向がちゃんと出来ているんだから、筋立てにももっと力を注ぐべきだった。謎めいたものが一切ないのが不満」
「わたしはシニーズのファンってこともあって、彼のいつもの芝居は楽しめたけれど、なんか今回は、彼にしては動機の告白が冗長だった。彼が言葉に詰まった時に見せる、目尻の、言うに言えない激しい苛立ち・・やり場の無い怒りとか。それこそがシニーズちゃんの真骨頂なのに」
「シニーズに『ちゃん』ヅケするのは女史くらいなもんだな(笑)。確かにね、今回は軍人てこともあって、なんかまだるっこしい説明で犯罪の正当性を主張してたっけ。大体、一介のメーカー技師が国防長官に電子メールで不正を直訴する、なんてあたりからして、これはもうご都合主義だよ」
「なんていうかしら・・こうなると、ご都合主義(笑)の一言で片づけたくないんだけど、ニコラスにしてもシニーズにしても、なんか脚本の操り人形って感じなのね。それはあのボクシング会場だけを舞台にしていてそこから出ないっていう設定に深く関わってると思うんだけど、彼らはなんか、生身の人間て感じがしないの。人物像に奥行きがなくて目先のことだけで行動していて、人生を背負ってきた重みが感じられない」
「ははあ、だからこそ実はサスペンスが案外深まらなかったってキライはあるよね。僕らがいつも言ってるように、人生の機微の細部があってこそ、サスペンスは情緒的に高まるのに」
「最後に指輪が出てくるでしょ。あれがなんとも・・情けない終わり方で(笑)単なるオチで・・もう舌でも出して終わってよって感じ。だんだん頭に来た!」
「まっまっま(笑)デパルマ監督はまだ60才。こんな映画とってたらいかんよ!」
「もう一度ヒッチの映画を見て勉強しなさいっ(笑)」(1999.11.30)

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